ゆきの子供達 第三十章 狐子の紹介

それからゆきは、草履を脱ぐことを忘れるほど興奮しながら若殿のところに駆け寄りました。

襖を開けるやいなや、「旦那さま、大変すごいことが!赤ちゃんが!」と叫びながら、若殿の元に走り、彼の両手を握り、机から引きました。

若殿は、何事かとぽかんとしたまま、「待て、待て。落ち着け。何が言いたいのだ?私が忙がしいのを知っているだろう?」といぶかっていると、開いた襖の外からゆきについて来た狐が声をかけました。「ゆき殿は身籠ったようです」

それを聞くと、若殿は、「真か。それが真なら、大変喜ばしい」と、興奮のあまりゆきを抱きました。

二人がようやく落ち着くと、若殿は、「ああ、狐どの、失礼しました。ようこそお出でくださいました。突然のご訪問はどういった訳でしょうか」と聞きました。

狐は、「つい今し方、近くで鼠狩りをしていると、誰かが泣いているのが聞こえたのです。どこかで聞いたことのある声だな…と思い、その声のする方へ行ってみると、そこには、座り込んで泣いていらっしゃるゆき殿がおられたのです。大変驚きました。いったい、どうしてゆき殿が泣いているのだろうかと。若殿さまと結婚して、お父上の国に帰ってきたのだから、私はてっきり、幸せな日々を過ごしていらっしゃることだろうと思っていましたが、そうではなかったようです。ゆき殿は、私に悩みを打ち明けてくださいました」と、若殿の顔をまっすぐに見つめながら言いました。

それを聞いた若殿は驚き、「なんと。ゆきが泣いていたのですか。今の様子を見ると、つい今し方泣いていたとは信じられません。どのような悩みがあると申しましたか」と問いました。

狐は言いました。「ゆき殿の悩みは三つあります。まず一つ目。近頃、生活の変化が大きいので、気分が落ち着かないことがあるようです。私が何か気晴らしを勧めると、ゆきどのは読書が好きだということが分かりました。ただ、ここには面白い本がないようでしたので、お父上に、面白い本をお貸し下さるように手紙をお書きになるように、また市場でも探してみるといいでしょうと勧めました」

「次の悩みはというと、ゆきどのが百姓のように育ち、いまだに茶道家のような着物を着ているので、それを好ましく思わない人がいるということです。それ故に、市場で殿の妻として相応しい着物を買い、また大きな町の温泉の女将へ、ここでお仕え願う手紙を送るようにと勧めました。女将はきっとゆき殿の支えになってくれるでしょう。それに、私の娘の内の一匹が人間について興味津々のようですから、もうすぐこちらへ訪ねてくるでしょう。あの子もゆきどのの力になれると思います」

「三つ目の悩みは、ゆきどのがこの国の政治から疎外されていると感じていることです。言うまでもなく、ゆきどのは勉強を続けて、あなたと家老との評議に出席した方がいいと勧めました。評議で気の利いた質問を投げかけたり、良い提案を待ち出してみることも勧めました」

若殿は、「評議に参加したいというのなら、明日の評議に出席してみるのもいいでしょう。着物や本のことなら、城の御用商人を呼べばよいではないか」と政の背負いで疲れているように言いました。

ゆきは、「お抱えの商人があるのでございますか。でも、私は自分で買い物をしたいのです。一緒に行ってくださいませんか。それが無理なら、狐どのと行ってもよろしいでしょうか」と頼みました。

その途端に、小さな声が聞こえました。「私も行きたい」

狐は、「悪戯っ子、姿をあらわせ。いつから私たちを見ていたのか」と棚の方へ向かって呼びかけました。

棚の下から、鼠が出てきたと思うと、あっという間に十五、六歳の女の子の姿に変わりました。

「まぁ、父上ったら。『悪戯っ子』じゃなくって、『狐子』と呼んでください」と言いました。

その娘は背が低くて、長い赤毛で、悪戯っぽく輝く黒目をして、とても高級そうな着物を着ていました。

「私は、今まで、京でいろいろなうわさ話を楽しく聞いていたのよ。それから家に帰る途中で、この国を渡すと、遠くから父上の『私の娘のうちの一匹が人間に非常に興味を持っています』と話す声が聞こえたの。私のことだとすぐに分かったけど、なんで『一人』じゃなくて『一匹』なんて言うの?この、私の姿が『一匹』に見える?とにかく、父上の話し声を聞いてから、鼠の姿に化けて声の方に急いでいったわ。そしたら父上は女の子と話しているじゃない。きっと、あれが例のゆきという娘さんなんだろうと思って、父上が女の子と一緒に出るところに、ついてきたの。買い物のことを聞いたときは、さすがにもう黙っていられなくなっちゃって」と早口でまくしたてました。

狐は、「この子がもう一度口を開く前に紹介をしておいた方がよさそうですね。これが今話した娘です。狐子や、こちらはこの国の新しいお殿様と、前に話したゆきどのだよ」と言いました。

狐子は、「初めまして。私もゆきさまと一緒に買い物に行けると嬉しいのですが。しばらくこちらに泊まってもよろしいですか」と言いました。

若殿が「初めまして」と言うと、ゆきは、「初めまして、よろしくね。一緒に市場へ行きましょう」と答えました。

若殿は、「私は忙しいので一緒には行けなくてすまない。狐どのたちとなら、行ってもいいでしょう」と言い、少し安心そうに机に戻りました。

狐は、「お殿様も時々はお休みになられた方がよろしいかと存じます。もし気が変わられましたら、ご一緒に参りたいと存じます。それではまた後ほどこちらへ参ります」と、人間の姿に化けて、ゆきと狐子と一緒に立ち去りました。

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