ゆきの子供達 第五十五章 家老の話

しばらくして女将が家老と一緒に戻ってきました。家老は、「殿、私をお呼びと伺いましたが」と言いながら頭を下げました。

若殿は中に入るように手招きしました。「ここに来なさい。聞きたいことがあるのだ」と言いながら狐子がさっきまで座っていた場所を指さしました。

ゆきは問いかけました。「どのようにして父上と出会い、父上のもとでどのようなことをしていたのか話してくれませんか。また、どういう経緯で他国の城代となったのか話してください」

家老は深く頭を下げ、そして指示された場所に腰を下ろしました。「私の父は、幼い頃よりゆき様のお生まれになった国の殿に仕えておりました。殿のお孫様と私はあまり変わらない年頃でしたので、この若君をお見かけする機会が、私には度々ございました。時折、若君は城内にいる同じ年頃の子供達と連れ立って、こっそりと城を抜け出されては外で遊んでいらっしゃいました。そして次第に、若君とお話できるようになったのでございます」

「武術の稽古の間、若君はいつも子供達の中では、一番の剣士でございました。そして他の方々同様、この私も若君にお仕えしたいと望んでおりました」

「私にできることと言えば武術などではなく書類仕事などでございました。なので、間もなく城の中で殿の命令や殿への報告を写したりするようになりました」

「若君は立派な若者になられ、すぐに隣国の姫とご結婚なさいました。しばらくして、二人の間に姫がお産まれになりました。若君に、『どのような名前を家系図に書き込まれますか』とお尋ねしたところ、『ゆき』とご返事なさいました」

「その頃、政局は難しい局面にさしかかっていました。侍と大名、大名と大名、大名と将軍、これらの関係が緊張の度合を増していき、ついには破局を迎えることになったのです。それはまるで山火事で木から木へと火の手が飛び移っていくような勢いでした。妖怪が侍をけしかけているという噂が広まるのと同時に、侍に攻撃され、攻め滅ぼされる大名が増えていきました」

「同じように、ゆき様の故国もまた、賊軍に攻撃されたのです。自分の力を誇り、それを過信していた殿は、若殿が城に残るようにご説得されたにもかかわらず、忠臣を集め、その賊軍を追い払うために城からご出陣されました。しかし、その途中、狭い谷の中で待ち伏せに遭われたのです。隊の中ほどにいらっしゃった殿は飛んでくる岩に当たり命を落とされ、先陣にいらっしゃった若殿もお付きの者共々、敵軍に素早く取り囲まれ、討ち死になさいました。後詰めでいらっしゃった若君は敗走していた兵たちを再び集め、やっとのことで城へ退いていらっしゃいました」

「新たに殿になった若君は城に帰ってくるやいなや、城を守るための準備を始めました。近隣諸国へ援軍を請う手紙を書くようにとも私に命じられました」

「しかしそれらの手紙の返事を受け取る前に、敵軍が城の外に現れ、包囲が始まったのです」

「その頃、私は城内のあちらこちらで手伝っている赤毛のお嬢様の存在に気付きました。少年の頃から、そのお嬢様は時折、殿のお母上の元に訪問にいらっしゃっていて、何度かお目にかかったこともございました。城が包囲されてしまっては訪問されることもあるまいと思っておりましたが、その後、城内の至る所でお見受けするようになり、意識するようになりました。たちまち彼女は私の心を虜にしてしまったのでございます」

「時折、敵営の中に巨大な鬼が見えました。岩を投げて殿のお祖父様を殺したのは、そのような鬼だったそうでございます」

「少しすると、近隣諸国から数人の若殿が秘密裏に城に入ってこられました。その中には隣の国の若殿様、つまり我が殿のお父上様がいらっしゃったのです。これは可能な限りの援軍であるという若殿の父君たちからの返答を携えていらっしゃいました」

「数ヶ月が過ぎた後、その鬼がまた敵営に見えた時に、殿が兵を集め、『外郭を守れ』と命令しました。敵軍が総攻撃を始めたようでしたので、勘定方の私も武器を手に戦う覚悟でやって参りました。その途中、私の心を捉えたお嬢様にお会いしました。嬢様は私にこう懇願されました。『殿からの命で、殿の家族を逃がして差し上げねばなりません。お手をお貸しくださいませんか』」

「私は『手助けいたしますが、最後まで殿のお側でお仕えするのが家臣の務めでございます。皆様だけでお逃げくださいませ』、と申しました。それからお嬢様と一緒に殿のお母上の部屋に参りました」

「殿のお母上と幼い姫様は、お嬢様を連れられ、城の地下に下りて行きました。辿り着くと、すぐに地下道の入口がありました。子供の頃、私はそこでよく遊んだものでしたが、そんな入口があることは知りませんでした。一体どうやって、誰が、いつ、その地下道を作ったのかは想像できませんでした」

「お嬢様達と別れた後に、武器を取りに行こうとすると、すぐに数人の傷ついた兵や加勢のために来た隣国の若殿たちに出会いました。すでに城壁は破壊され、殿が討ち死になされたとのことでございました。外を見ると、全てが混乱していました。もう一度『殿は本当にお亡くなりになられたのか』と隣国の若殿達にお尋ねすると、そのうちのお一人がご確認になられたとの事でした」

「そこで、隣国の若殿たちをお嬢様たちが入っていった地下道にご案内しました。地下道を出た後で、お嬢様達の足跡など探そうと致しましたが、それらしき跡は何もございませんでした」

「若殿達は自分の国に戻る時、生き残った兵を一緒に連れて行きました。私にもそうするように勧めて下さいましたが、その時にはお嬢様達の行方しか私の頭にありませんでした」

「空が暗くなるまで一人でその辺りを調べました。次の朝、殿のお母上の故郷を思い出したので、そこへも行ってみました。しかし、そこにも、誰もいませんでした。それから浪人となり、あちらこちらを巡り歩き、赤毛のお嬢さんを見かけなかったかと誰彼構わず尋ねました。時折、そのようなお嬢さんの姿を見たという答えが返ってきましたが、もう発った後で、どこに行ったのかは分からないと言われるばかりでした」

「二年ほどそのような事が続きました。ようやく、籠城の時にお会いした隣国の若殿の一人が、殿様になったという話を聞きましたので、その方の国に行って、仕え始め、あのお嬢様のことを忘れようとしました。そうして、ゆき様がここに戻ってくるまで、あちらに仕え続けたのでございます」

ゆきが口を挟みました。「他の女のことが好きになったでしょうね」

家老は、「いいえ。捜すのを止めはしましたが、私の心はまだあのお嬢様のことを思い続けています」と、首を横に振りました。

若殿は問いました。「して、その娘の名前は何という?」

「はは、ココと申します」と家老が畏まって答えました。すると、狐子がいきなり棚から飛び降り、当時の姿に化けるや否や、さっと家老の背後に歩み寄り、「あの時、またお会いしましょうと申し上げたのは、この私ではなかったですか」と言いました。

さすがに愚鈍な家老も狐子から身を遠ざけるように、慌て飛び退き、「いっ、一体いつの間に!?」そして、なおも震える手で狐子の頬を恐る恐る触れながら「あっ、あなたは何も変わっていません。ほっ、本物ですか。…狐に化かされているのではあるまいな」と。放心の体で呻くように呟きました。

狐子は気に障ったような表情で、「どうしてそのような質問をするのですか。狐が好きじゃないのですか」と尋ねました。

家老は、「べっ、別に…。あなたが狐が好きと言うのなら、私も狐が大好きです」と、困惑の色を浮かべながら、やっとのことで答えました。

狐子はくすくすと笑いながら「私が本当は狐だったら、いかがですか」と訊きました。

家老は首を振りました。「それはありえません。ココはどこから見ても人間でしたよ。あのお嬢さんが狐だったとは思えません」

狐子は紙と筆を手に取って、漢字を二字書きました。漢字を指さしながら、こう言いました。「これは私の名前です。狐の子と書いて、狐子と申します」

家老は首を振りました。「あなたは人間です。それほどに美しいお嬢さんが動物だということはありえません」

「でも本当に狐なのです。自然な姿をお目にかけます」と言うと、狐の姿に化け、三本の尻尾を腰の上で振りました。「他の姿にもなれます」と、猫、鼠、十一、二歳の男の子の姿に化けてみせ、そして人間の娘の姿に戻りました。「でも、これが昔からの普通の姿です。従姉を訪ねるために、この姿に化ける方法を習いました」

家老はぼんやりと狐子を見返しました。「い…とこ?」とだけ言いました。

「はい。ゆきちゃんのお祖母さんは父の姉の娘でした」と狐子は説明しました。

家老はこめかみを両手で摩りました。「ゆき様のお祖母様は雌狐の娘だったと言うのですか。それはありえません。ゆき様のお祖母様は武家のご出身です。どこから拝見いたしましてもきつねではなく人間でした」

「ゆきちゃんのお祖母様は従姉でしたのよ。人間は人間でも、狐の血筋を引いた人間でした。父親は人間の侍でしたが、母親は人間の姿に化けた雌狐でした。狐が他の生き物の姿に化けて子供を産むと、その生き物の子供になるのです。雌狐は身籠りの間は、姿を変えることができません」と狐子は言いました。「だから、ゆきちゃんのお祖母様は狐ではなく人間なのです」

家老はふらふらと立ち上がりました。「色々なことを考えなくてはいけません」と狐子に言うと、若殿の方に向きました。「そろそろ失礼いたします。お邪魔いたしました」と、うなだれながら、その場を後にしました。

狐子はただ家老の去った後をきょとんと見つめていました。

「かわいそう」とゆきは呟くと、狐子に声をかけました。「元気を出して!」

狐子はただ「はい」とだけ、力なく答えました。そして、自分の姿に戻り、隅で縮こまり、鼻を尻尾で覆って目を閉じました。

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