ゆきの物語 第五十八章 琵琶法師の到着

それから家老と狐子が二人でいることが増えました。一緒に睦まじく庭を歩いたり食事を共にしたりしました。そして、二人はゆきの茶席の常連になりました。時折若殿もその茶席の相客になることもありました。

しばらくすると、空気が冷たくなって、雪が降り始めました。冬が訪れたのです。

そんな時、小姓がゆきのところに来て言いました。「ゆき様、琵琶法師と名乗る者がやってきて、ゆき様にお目通りを願い出ております。ゆき様のお噂を耳にし、教えを受けるために急ぎ参ったとのことでございます。ゆき様とお会いになりたいと申しております。いかがいたしましょうか?」

ゆきは頷きました。「分かりました。では、その者と会いましょう」とゆきが答えると、小姓は会釈をして、去りました。ゆきは茶道の準備を始めながら、「女将さん、殿と狐子ちゃんを探し、こちらにお出でくださるるように伝えてください」と声をかけました。

「ご家老はいかがなさいますか」と女将は訊きました。

「家老も招待してください」とゆきがいうと、女将は一礼をしてから立ち去りました。

しばらくすると小姓は琵琶や色々な本を持っている男を連れてきました。男は深く会釈をしながら、「はじめまして、ゆき様。私はゆき様について興味深い噂を耳にしたので、それを確かめたくやって参りました。ゆき様は読書がお好きだと伺いましたので、この本を持参いたしました。どうぞお納めください」

ゆきはお茶を点てると、法師に向かって言いました。「お茶をどうぞ。それはいったいどのような本ですか」

琵琶法師は本をゆきの前に置いて言いました。「日本の歴史書、小説そして和歌集がございます」と、興味深げに一口お茶を口に含みました。「素晴らしい!京でもこのような美味しいお茶をいただいたことがございません。それにもかかわらず、私はゆき様のお点前の方に魅せられてしまいました」

ゆきは真っ赤に頬を染めて、「私はお祖母様から教えられたことを忠実に守っているだけです」と言いました。

「ゆき様のお祖母様のお点前の素晴しさは日本中で有名でございました。もうすぐゆき様もお祖母様をしのぐようにもなられましょう」と琵琶法師は答えました。

「失礼ですが、琵琶法師であるならば、あなたの暮らしぶりが豊かであるとは思えません。そのような方から、このような贈り物はいただくわけには参りません」

「それでは、この本を受け取っていただく代わりに、この冬の間こちらに居候させていただき、ゆき様のことを学ばせていただくというのはどうでしょうか?」と琵琶法師は提案しました。

ゆきの顔に笑みが浮かびました。「それはいい考えですね。もちろん承知いたしました。それならば、この本をいただく代わりにあなたが春になるまでここで過ごすことがでこるように取り計らいましょう。しかし私の一存では決めかねますので、殿のお許しをいただなければなりません」と言うと、また茶を点てて、琵琶法師に振る舞いました。

ちょうどその時、家老が狐子と一緒に部屋に入ってきました。「この琵琶法師は私のことをよく知りたいとおっしゃってこちらにいらっしゃったのです。琵琶法師さん、こちらはこの城の家老と私の親戚の狐子ちゃんです。殿のお許しが出れば、琵琶法師さんは冬の間こちらに滞在することになります。私の幼い頃のことについては、二人の方が私より詳しく知っています」とゆきが言うと、琵琶法師は眉を顰めました。「親戚とおっしゃいましたか。ゆき様は赤毛のお嬢様と仲がよろしいという話を耳にいたしましたが、その者がゆき様の親戚という話を聞いたことはございません。ゆき様が存命の肉親はいないと存じておりました。それに、狐子様はゆき様と同じお年頃にお見受けされますが…。どうしてゆき様の幼い頃のことをご存知なのでございますか」と言い終わると狐子の方へ会釈しました。

しかし、狐子はに静かに立ったままで、琵琶法師の方を見つめました。彼女の顔は一瞬青ざめてから、火が点いたように真っ赤になりました。ついに、腕を上げて琵琶法師を指差しました。「牡狐め!なんでここに来たの?父が私の尻尾の匂いを嗅がせるために送ったの?人間の姿をしているのに、匂いを消すのは忘れているよ!」

狐子がそう乱暴に言うと、皆は彼女を見つめました。ようやく、琵琶法師は声を出しました。「それは誤解でございます。私は本当に、狐子様のお父上を存じ上げておりません。家族が妖怪に殺された後で、十五年ほどこの姿をして独りで人間の世界を流れ歩いておりました。ですが、ゆき様は狐と何らかの関係があることを耳にしたので、こちらに向かおうと決めました」

琵琶法師がそう言うと、狐子は恥ずかしそうに少し顔を赤らめて、口を手で覆いました。それから深い会釈を何回もしました。「ごめんなさいごめんなさい本当にごめんなさい!父は私の考えを無視して、狐と結婚するようにしつこく言い始めましたので、それで…、申し訳ありません!」と言って障子に向かって走り出そうとしたちょうどその時、若殿がちょうどそこに立ちました。「おいおい、どうしたんだ?廊下の先からでも狐子の大声がはっきり聞こえたぞ」と言いました。

若殿に状況を説明する内に狐子も落ち着きを取り戻しました。若殿は笑みを浮かべながら、「やれやれ、もう一匹狐がここに住むことになりそうだな。いっそこの城を狐城と呼んだ方がいいかな」と言うと、琵琶法師の方を向きました。「琵琶を弾くというのだな。そなたの逗留を許可する前に、手並みを披露せよ」と命じ ました。

琵琶法師は深い会釈をしてから、琵琶を手に取り、弾き始めました。弾きながら歌っていました。古い歌や新しい歌、有名な歌や聞き手が知らない歌、愛や戦についての歌まで、色々詠いました。その間、部屋の外の廊下に人が集まって聴いていました。彼が歌をやめると、黙って聞いていた聴衆は皆ぱちぱちと手を叩き始めました。

割れんばかりの拍手がようやく収まると、若殿は声を出しました。「居候としてこの城に滞在することではなく、我が城に仕えてみないか。それほど見事な腕前であれば、どの国の主もそなたを召し抱えたいと思うであろうな。ここにいる間、俸給を与える。どうしてまだ渡り歩いている?好きな場所など探しているのか?」

琵琶法師は息をつきました。「実は、狐の世界に戻りたいのに、どこの家族も自分のようなどこの誰とも知れぬ狐を置いてはくれないのでございます。それに、猫や犬なども私のことが好きではなく、また人間が私の近くに来ても、すぐにその者は必ずそわそわして立ち去ろうとします。狐子様の言う通り、匂いの問題でございましょう。どうか狐子様、匂いを変える方法を教えてくださいませんか?」と言うと、狐子は「もちろん」と言って、琵琶法師の手を取って部屋の隅に引っ張って行きました。そこで二人は座ったまま静かな声で話し合いました。一方、家老は二人の方を見つめました。

「おい、家老、どうした?何か気になることがあるのか?」声をかけたのは若殿でした。

「そうですね、殿、ただ…矢が心を刺すような感じがしました。あの者は見事な琵琶の弾き手ですし、なんといっても狐子さんと同じ狐でございます。…いったいどうやって競えば良いのかと考えております。それに、二十数年後には、私は死んでいるでしょうが、二人はまだ若いに違いありません」

若殿は家老の肩を叩きました。「案ずるな!琵琶法師は人並みに他人のことより自分のことが好きだぞ。お前の性格がいいから、彼女はお前のことを気に入ったのだろう。それに、そなたは彼女の人を助けるのが好きなところに惹かれたのではないのか?今回もそういうことの延長だろう。案ずる必要はない」と言って立ち去りました。

「だが、心配だ。妬んでる。どうにかしてその考えを心から消そうとしても、できない」と呟きました。

「家老さん、お茶をどうぞ」とゆきは家老の考えに割込みました。

「あっ、ありがとうございます」と家老は言って、ようやく視線を隅にいる狐子達から離すことができました。

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