ある日、ゆきは城の庭を一人で歩いていました。少しして、岩陰に腰を下ろしたまま泣き出してしまいました。
すると、聞き覚えのある声がしました。「大切な人よ、どうして泣いているのですか。まだ幸せに巡り会えないのですか」
ゆきは飛び上がりました。「あっ!びっくりしました。狐どの、すみません。こんなところにいらっしゃったとは。ちょっとお待ちください。あちらの茶室でお茶でも入れますから」
「いえ、いえ、結構です。ここに座って、あなたの悩みをお聞きしましょう」狐がそのように言うと、ゆきはまた岩に座り込んでしまいました。
「生活のすべてがあまりにも目まぐるしく変わっていきますし、相談できる友達もおりません。殿は優しい方ですが、昼間は忙しくて私のことなど蚊帳の外になっております。新しい家老は政治についていろいろと教えてくれますが、やはり私より殿のそばでお仕えしていますので、私はいつも自分が役立たずになってしまったような感じがしています。それにこの頃は何故か胸が痛くなったり、毎朝吐き気がしたり…」と、ゆきはしくしく泣きはじめました。
「失礼ですが、最近、月の物はありましたか」と狐は聞きました。
ゆきは、「あの、結婚式の前でした…六、七週間前だったでしょうか」と答えました。
狐は、「あなたは百姓育ちだったと思いますが、そういうことについて何か教えてもらったことはありませんか。ゆきさん、その吐き気はつわりです。あなたは妊娠しているのです」と言いました。
ゆきは、また飛び上がりました。「妊娠?私のお腹に赤ちゃんがいるのですか。今すぐ殿にお伝えしなければいけません」
「待って、待ってください」と狐はゆきを止めました。「それは後にした方がいい。今はまず、他の悩みについて話しましょう。生活の変化についていけない気がする時は、静かな場所で気晴らしでもしてみたら良いですよ」
「気晴らしといっても、どんな事をすればいいのですか」とゆきは聞きました。
狐は、「いろいろあるでしょう。縫い物とか、料理とか、読書とか…」と言うと、ゆきは顔を上げました。
「読書ですか。本を読むのは大好きです。でも…」そう言うと、ゆきはまた顔をうつむけました。「でも、このごろは読むといっても、政治に関したものばかりしか読んでいなくて…」
「この城には面白い本がありませんか」と狐は聞きました。
「ないみたいです。前の大名は読書が好きではないようでした」とゆきは答えました。「義父の城にはたくさん面白い本があるのですが」
「お父上に本を貸していただけるよう、お願いの手紙を書いてみてはどうですか。あるいは、この町の商人をあたって面白い本を探してみませんか」と狐は尋ねました。
「この町の市場では、まだ買い物をしたことがありません。私と一緒に行ってくださいませんか」とゆきは聞きました。
狐は、「ご主人と一緒に行った方がいいのですが、それが無理なら私があなたと行きましょう。でも、その前に他の悩みについて話しましょう。城の女性達とは上手くやっていますか」と言いました。
ゆきは、「いいえ、皆私を避けているようです。私が百姓育ちだからと言って蔑んだり、着ている着物が殿の妻に相応しくないと悪口を言ったり。そういう訳で、皆、私と話もしてくれません」と答えました。
狐は、「茶道家のような格好をしていたのでは、殿の妻として相応しくないでしょうね。買い物に行った時、ついでに着物も買いましょう。その大きな町には、誰か顔見知りがいますか」と言いました。
ゆきは、「あの…温泉の女将さんがいます」と答えました。
狐は、「女将さんですか。女将さんなら人を使うことが出来るでしょう。あなたの身の回りの世話をしてもらうために、城で働いてもらうことにすれば良いかもしれませんよ。それに、私の娘のうちの一匹が人間に興味津々です。もうすぐここへ訪ねてくると思います」と言いました。
「娘さんがここへ訪ねてくるなんて、楽しみです」とゆきは答えました。
狐は、「もう一つ悩みがありますね。お年はおいくつですか」と聞きました。
ゆきの答えは、「十七歳です」
狐は、「十七歳ですか。あなたが男であって、生まれた時からずっと政治のことを勉強してきたのなら、国を治めることについての問題はないのですが。あなたには、まだまだ経験が足りません。女が国を治めるなどということは非常に稀なことですよ。男であるご主人が実権を握りたがるのは自然なことです。難しい問題ですね。しかし、もしあなたがこのまま勉強を続け、ご主人と家老との評議に出席し、気の利いた質問や良い提案が出来るようになるならば、そのうち政治の深い部分にまで参加することを許されるかもしれませんよ」と言いました。