しばらくして女将が家老と一緒に戻ってきました。家老は、「殿、私をお呼びと伺いましたが」と言いながら頭を下げました。
若殿は中に入るように手招きしました。「ここに来なさい。聞きたいことがあるのだ」と言いながら狐子がさっきまで座っていた場所を指さしました。
ゆきは声を上げました。「どのようにして父上様と出会い、父上様のもとでどのようなことをしていたのか話してくれませんか。また、どういう経緯で他国の城代となったのか話してください」
家老は深く頭を下げ、そして指示された場所に腰を下ろしました。「私の父はこの国の侍で、幼い頃よりこの国の武術能力が高い殿に仕えておりました。そのようなわけで、私も自分と年を同じくする殿のお孫様を、度々お見かけする機会がございました。時折、お孫様は同じ年頃のお子様がたと、こっそりと城を抜け出されては外で遊んでいらっしゃいました。そして次第に、お孫様とお話できるようになったのでございました」
「武術の稽古の間、お孫様はいつもお子様の中では、一番の剣士でございました。そして他の方々同様、この私もお孫様にお仕えできれば幸いと思っておりました」
「私のできることと言えば武術などではなく役所仕事などでございました。ですから、すぐに城の中で殿の命令や殿への報告を写したりするようになりました」
「お孫様は立派な若者になられ、すぐに隣国の姫とご結婚なさいました。しばらくして、二人の間に姫がお産まれになりました。私が、どのような名前を家系図に書き込むかと申したとき、ゆきという返答をなさいました」
「その頃、政局は難しい局面にさしかかっていました。田舎侍と大名、大名と大名、大名と将軍、これらの関係は緊張の度合を増し、ついには破局を迎えることになったのです。それはまるで山火事で梢から梢へと火の手が飛び移ていくような勢いで、妖怪が田舎侍を嗾けているという噂が広まる同時に、田舎侍に攻撃され、攻め滅ぼされる大名が増えていきました」
「同じように、この国も賊軍に攻撃されました。まだ自分の力に誇りが高い殿は、忠臣を集め、若殿があのお方に城に残るようにお請いになったのに、その賊軍を追い払うために城からご出陣されました。しかし、その途中、狭い谷の中で待ち伏せに遭われたのです。飛んでくる岩に当たり隊の中ほどにいらっしゃた殿は命を奪われ、先陣にいらっしゃった若殿もお付きの者共々、敵軍に素早く取り囲まれ、討ち死になさいました。後詰めでいらっしゃったお孫様はできるだけ多くの潰走していた兵たちを再び集め、やっとのことで城へ退いていらっしゃいました」
「新たに殿になったお孫様は城に帰ってくるやいなや、籠城のための準備を始めました。その内に近隣諸国へ援軍を請う手紙を書くように私にお命じになりました」
「それらの手紙の返答を受ける前に、敵軍が城の外に現れました。包囲が始まったのです」
「その頃、私は城内のあちらこちらで手伝っている赤毛のお嬢様の存在に気付きました。そのお嬢様には見覚えはあまりありませんでしたが、その内、城内の至る所でお見受けするようになり、意識するようになりました。たちまち彼女は私の心を虜にしてしまったのでございます」
「時折、敵営の中に巨大な鬼が見えました。岩を投げて殿のお祖父様を殺したのは、そのような鬼だったそうでございます」
「少しすると、近隣諸国から数人の若殿が秘密裏に城に入ってきました。その中には隣の国の若殿様、つまり我が殿の父上様がいらっしゃったのです。これは可能な限りの援軍であるという若殿の父親たちからの返答を携えていました」
「数ヶ月が過ぎた後、その鬼がまた敵営に見えた時に、殿が兵を集め、外郭を守れと命令しました。敵軍が総攻撃を始めたようでしたので、勘定方の私も武器を手に入れに参りました。その途中、私の心を捉まえた女の子にお会いしました。お嬢様の言うことには、殿の家族と一緒に逃げろと殿が仰ったの事でした。また私にも手伝ってくださいと懇願されました。できるだけ手伝ってあげるが、殿に最後までお仕えするのが家臣の務めでございますれば、私は殿のお側を参りませぬ。皆様だけでお逃げくださいませ、と申しました。それからお嬢様と一緒に殿のお母様の部屋に参りました」
「殿の家族を集めた後、お嬢様に一緒に連れられて城の地下へ下りて行きました。そこに辿り着くと、すぐに地下道の入口を見付けました。子供の頃、私はそこでよく遊んだものでしたが、その入口は知りませんでした。一体どうやって、誰が、いつ、その地下道を作ったのかが想像できませんでした」
「お嬢様達と別れた後で、武器探しを続けようとすると、すぐに数人の傷ついた兵や加勢のために来た若殿たちに出会いました。お嬢様達と一緒にいた間、城壁が破壊され、殿が討ち死になされたようでございました。外を見ると、全ては混乱していました。もう一度殿が本当に死んでしまったのでしょうかと若殿達に尋ねると、その一人がご確認になられたとの事でした」
「それから若殿たちをお嬢様たちが入っていった地下道に連れてまいりました。地下道を出た後で、お嬢様達の足跡など探そうと致しましたが、それらしい跡は何もございませんでした」
「若殿たちは自分の国に戻る分かれ際、各々が兵たちに一緒に行こうと勧誘しました。私にもそのような勧誘を下さったが、お嬢様たちの跡を見付ける事しか考えることはできませんでした」
「空が暗くなるまで一人でその辺りを調べました。次の朝、寝ている間に殿お母様の故郷を思い出したので、そこへ向かって出ました。しかし、そこに着いても、誰もいませんでした。それから浪人になって、あちらこちらに回り歩き、赤毛のお嬢さんに会ったことがあるかと誰彼となく尋ねました。やはり、ほとんどの返答は会ったことはないというものでしたが、時折、そのようなお嬢さんの姿を見たという答えが返ってきました。そのような時、そのお嬢さんは今どこにいるかと聞くと、もう出た後で、どこに行ったのかは分からないという返答ばかりでした」
「二年ほどそのような事が続きました。ようやく、籠城していた当時の近隣の若殿が一人、殿様になったという話を聞きましたので、その方の国に行って、仕え始め、あのお嬢様のことを忘れようとしました。そうして、ゆき様がここに戻ってくるまで、あそこに仕え続けたのでございます」
ゆきは声を出しました。「その間、 他の女のことが好きになったでしょうね」
家老は、「いいえ。捜すのを止めはしましたが、私の心はまだあのお嬢様のことを思い続けています」と、首を横に振りました。
若殿は問いました。「して、その娘の名前は何という?」
「はは、ココと申します」と家老が畏まって答えます。すると、狐子は矢庭に棚から飛び降り、当時の姿に化けるが早いか、さっと家老の背後に歩み寄り、「あの時、またお会いしましょうと申そ上げたのは、この私ではなかったですか」と何事もなかったかのように言いました。
さすがに愚鈍な家老も狐子から身を遠ざけるように、慌て飛び退き、「いっ、一体いつの間に!?」そして、なおも奮える手で狐子の頬を恐る恐る触れながら「あっ、あなたは何も変わっていません。ほっ、本物ですか。…狐に化かされているのではあるまいな」と。放心の体で呻くように呟きました。
狐子は気に障ったような表情で、「どうしてそのような質問をするのですか。狐が好きじゃないのですか」と尋ねました。
家老は、「べっ、別に…。あなたが狐が好きと言うのなら、私も狐が大好きです」と、困惑の色を浮かべながら、やっとのことで答えました。
狐子はくすくすと笑いながら「私が本当は狐なら、いかがですか」と訊きました。
家老は首を振りました。「それはありえません。ココはどこから見ても人間でしたよ。あのお嬢さんが狐だったとは思えません」
狐子は紙と筆を取って、漢字を二字書きました。漢字を指さしながら、こう言いました。「これは私の名前です。狐の子供ですから、狐子と申します」
家老はまだ首を振っていました。「あなたは人間です。そんな美しいお嬢さんが動物だということはありえません」
「でも本当に狐ですわよ。これが自然な姿なのです」と言うと、狐の姿に化け、三本の尻尾を腰の上で振りました。「他の姿にもなれます」と、猫、鼠、十一〜二歳の男の子の姿に化けてみせ、そして元の姿に戻りました。「でも、これが昔からの普通の姿です。従妹を訪ねるために、この姿に化けるのを習いました」
家老はぼんやりと狐子を見返しました。「い…とこ?」とだけ言いました。
「はい。ゆきちゃんのお祖母さんが父の姉の娘でした」と狐子は説明しました。
家老はこめかみを両手で摩りました。「ゆき様のお祖母様は雌狐の娘だったと言うのですか。それはありえません。籠城時の殿のお母様は侍の家族から来ました。あの方の奥様は隣国の殿様のお嬢様でした。二人はどこから見ても人間でした」
「その殿のお母様は従妹でしたわよ。人間は人間でも、狐の家系の人間でした。父親は人間の侍でしたが、母親は人間の姿に化けた雌狐でした。狐は他の種類の姿に化けると、その同じ種類と子供ができます。雌狐は妊娠している間、姿を変えることができません」と狐子は言いました。「狐にとって、そういう子は狐ではなく、狐が化けた種類です」
家老はふらふらと立ち上がりました。「色々なことを考えなくてはいけません」と狐子に言うと、若殿の方へ向きました。「そろそろ失礼いたします。お邪魔いたしました」と、うなだれながら、その場を後にしました。
狐子はただ家老の去った後をきょとんと見つめていました。
「かわいそう」とゆきは呟くと、狐子に声をかけました。「元気を出して!」
狐子はただ「はい」とだけ、力なく答えました。そして、自分の姿に戻り、隅で縮こまり、鼻を尻尾で覆って目を閉じました。