若殿達が部屋に入ってから、若殿は声を上げました。「狐どの、狐子さんはいつでもここにいるのに、どうしてこのような吹雪の晩まで待ったのですか」
「狐なら、どこかへ行きたければ、悪天候など問題にはならぬのです。この子の決心を待っているのは私だけではありません。紹介した狐たちと、彼らの族長たちもいます。狐子はいつ、誰と結婚するかとしつこく尋ねる周りの声に負けて、娘の思いを尋ねようとやってきたのです」と狐は言うと、狐子の方を見ました。「お前、誰か心に決めた相手でもいるのか?」
狐子は溜息をつきました。「まだ分からない」と彼女が言うと、家老は顔を伏せました。「でも、あんな、人間に興味がない狐なんかと結婚したくない」
狐は頷きました。「なるほど。ではこちらの、お前と結婚したいと言うこの人間のことはどうなのだ?」
狐子は家老の方を見ました。「そうね。この方と結婚したいと思っていましたが、伯母上のことを思い出すと、少し不安になってしまったのです」狐子は琵琶法師の方を振り返りました。「この琵琶法師は人間のことを知っているに違いないが…そんな天涯孤独の狐なんかと結婚したいかどうかもまだ分からないの」
家老は肩を落としました。「私が何年も夢見て、ようやく叶うと思ったのに、全ては幻だったのか。二年も捜し回って、その後も十数年待ちに待った相手にやっと再開できたと思ったら、よりによってそれが彼女を不安にさせることになってしまったとは。諦めた方がいいだろう」と言って、立ち去ろうとすると、狐子は彼の手を掴んで引き止めました。狐子は「ごめんなさい!そんなつもりじゃなかったんです」と言いました。そして家老を隅に連れて行くと、狐子は家老と声を潜めて話を始めました。
狐はその光景を見ると、「娘は決められないと言ったが、心の中では、決まっているようだな」と呟きました。琵琶法師の方へ向かい、「いつも人間の姿をしている狐は珍しい。娘がそういうことをするのは彼女の伯母のせいだよ。お前は、どうして人間の姿をして人間の中に住み続けているのだ?」と尋ねました。
「私が望んでこのような姿をしているわけではないのでございます。ただ、せざるを得ないのでございます。ある日、私が幼いころ、一匹で林で遊んでからうちへ帰ると住みかに天狗が群れて集まっていました。古木の穴に隠れて、天狗がいなくなるのを待ちました。それから私は住みかに恐る恐る近付くと、そこには倒れた家族の姿しかありませんでした。父も母も兄弟も皆殺されてしまったのでございます」
「恐しくてその場を逃げ出し、後ろも振り返らずに一目散に林を走り抜けました。しばらくすると、疲れてお腹が空いてきて、人間の道のそばに横たわりました。そうしている内に、歌が聞こえてきました。ぼんやりとしながら、ふと見上げると、人間の老人が歌いながら近付いてくるのが見えました。彼が私の側に来ると、歌うのを止めて、『神様に届きますように』と、乾し肉を道端に置きました。それから老人はまた歌いながら歩いていきました。私は肉を食べてから彼の後をつけていきました」
「その晩、その老人は町に着いて、建物に入りました。私は路地に隠れて待ちました。次の朝、彼が建物を出て旅を続けると、私はついていきました。日が高くなると、彼は道端では持っていた包みを広げると、食べ物の一部を地面に置いて祈りを捧げてから、食事を始めるのでした」
「そのようなことが数日間続きました。ついに、姿を変えるまじないを覚えてから、私は勇気をふりしぼり、彼が昼食をとっている間に人間の少年の姿に化けて、彼に近付いていきました」
「『小狐さま、こんにちは。これは粗末なものですが、もしよろしければどうぞ』と、彼は食事を私の前に差し出しました」
簡単に正体が見破られたのでしばらく呆然とその場に立ち竦んでおりました。そして、尻尾でもしまい忘れたかと背中を触ったり、髭でもあるかと顔を撫てみたりしました。そして、やっと我に返り、声を上げました。『へえ?じいさん、どうして僕を「小狐」なんて呼ぶの?ちゃんと人間の子の姿をしてるんじゃないだろう?』」
老人は静かに笑いました。『小狐さま、わしは山のように年をとってはおりますが、この耳と目はまだそれほど衰えてはおらんのですよ。それに、これほど長く世の中を見て回っておりますと、もちろん不思議な経験をすることは山ほどありますのじゃ。小狐が毎日毎日ふわふわと後につけてきていたと思ったら、突然落ち葉の中から振って湧いたように男の子が現れたのですから、あなたが小狐さまだなとだなと知るのは分けないことでございます』」
「『なにしろ、僕に「さま」なんてつけないでおくれよ。僕は特別に偉い狐なんかじゃなくて、平凡な者だよ』と言うと、老人の隣に腰を下ろし、貪るように食べ始めました。それから、彼はいつも私のことを『平凡』と呼びました」
「数年間私はその琵琶法師の老人と共にあちこちを渡り歩き、彼はまるで私が弟子でもあるかように琵琶などの楽器の弾き方や様々な歌を教えてくれました。しかしながら、ある日、道を歩いていると彼は胸を押さえて、そのまま倒れこんでしまいました。私は助けたいと思いましたが、何もできませんでした。『平凡や、お前は子供のないわしにとって息子のような者だ。別れるのは辛いが、わしはこの世を去る時が来たようじゃ。わしは全てをお前に遺。達者でな』とそう言い残すと、私の胸の中で息を引き取りました。私の師匠―いや、私の唯一の友達―はこうして亡くなってしまったのでございます」
「道端の咲き乱れる野の花の中に彼を葬りました。それから私は少年の姿をやめ、若者に化けて、当てのない旅を続けました。その旅は連れ合いもなく、寂しいものでしたので、だんだん狐と棲んでいた頃を懐かむようになりました。それで、狐の住処があるという噂を探し始めました」
「時折、そういう噂を辿っていくと、住処を見つけることがありました。しかしながら、せっかく見つけて訪ねていっても、『お前のような、尻尾が一本しかない、人間被れした、どこの馬の骨とも分からぬ奴には用はない。出ていけ!』とすげなく追い返されるのが常でした。それから、人間の世界に戻って、琵琶法師のように国から国へ、城から城へ、宿から宿へと次の噂を探して歩き続けました」
「ようやく、今年の秋、狐と関係がある国の新しい大名についての噂を聞きました。その国に近付いて噂を調べると、大名よりゆきという大名の妻が狐と関係が深いようでした。それに、ゆき様についての面白い噂を山のように聞きました」
「こちらに着くと、前の所より優しく扱われました。特に驚いたことは、他にも人間の姿をしている狐がこちらに住んでいるということです。よろしくお願いします」と突然言うと琵琶法師は、狐の方へ向かって深く頭を下げました。
狐は首を傾げました。「まだ尻尾が一本しかないんだと?お前、渡り歩きながら、何もまじないなど習わなかったのか?」
「その間、まじないなどを教えてくれる者はいなかったのです。でも時折自分で練習している内に、たまたま簡単なまじないだけは出来るようになりました。最近では、狐子さんが教えてくださいます」と琵琶法師は言って、狐子の方を見ました。
「そうか」狐の目は琵琶法師の視線を辿って狐子の方を向きました。「狐子や、ここに来なさい」と言うと、狐子は「はい、父さん」と言い、飛び上がって狐のところに来ました。家老は狐子の後に付いて行きました。
「本当にこの者にまじないを教えているのか?」と狐は訊くと、狐子は頷きました。「そうです、お父様。その代わりに、私が知らなかったまじないを教えてくれているよ」と答えました。「簡単なまじないでも、とても便利なの」
狐は軽く頷きました。「そうか。よし、今度我が住処でお前の実力を試してみよう。そうすれば、お前が何本の尻尾に値するか分かるだろう」
「そうなんですか。でも、それは自分で決められることではございません。なぜなら春までこちらの殿様にご奉公いたすことになっておりますので、勝手にお暇することはできません」と琵琶法師は言って、若殿に目をやりました。
「やれやれ」と狐は呟いてから、若殿の方を向きました。「では、若殿、この琵琶法師の狐を数日間貸してもらえませんか。彼の実力を調べたいのです。娘の狐子はこの間彼のまじないの師になったようですから、彼女も一緒に三匹…」
「三人!」と狐子が言ったが、狐はそれに構わず「で行ってきます」と続けました。
若殿は頷きました。「琵琶法師の音楽は本当に楽しいのだが、ここにいる間、争いごとになるようです。しばらく休んだほうがいいでしょうね。しかし、二週間ほど後に、父上がここにお越しになられることになっております。その前に、彼を連れ帰ってきてください」
「もちろん」と狐が言うと、狐子たちに向かって声をかけました。「狐子や、この琵琶法師の者の実力を試しに行くぞ。一緒に来なさい」
「はい、父さん」と狐子は言いました。
家老は声を上げました。「殿、狐さまが許せば、狐子さんと一緒に行きたいです。数日間休ませていただきませんか。よろしくお願いします」と言いながら深く頭を下げました。
「ふむふむ。父上を訪ねるための準備がまだ終わらないので、難しいところだな」と若殿が言いうと、ゆきは声をかけました。
「あなた、許してください。家老の代わりに私が留守を取り仕切りますから」と言いました。
「そうか?意外だな。お前も行きたいと言い出すかと思っていたが」と、若殿は優しくゆきの頬を触れました。
「行きたいですが、いくら行きたくても、今は行ってはいけないのですもの」とゆきは言って、大きくなった腹を摩りました。
若殿は頷いて、狐に向かいました。「よし。この怠け者の家老と琵琶法師を一週間以内に連れて戻ってきてくれれば、二人が行っても構いません」