目次

  1. 第一章  ゆきの紹介
  2. 第二章  漁師との出会い
  3. 第三章  狐との出会い
  4. 第四章  商人との出会い
  5. 第五章  助けて!
  6. 第六章  都に到着
  7. 第七章  買物
  8. 第八章  若殿との出逢い
  9. 第九章  家老の調査
  10. 第十章  家老の調査報告
  11. 第十一章  忍者の襲撃
  12. 第十二章  ゆきはどこだ?
  13. 第十三章  一本の毛
  14. 第十四章  救出
  15. 第十五章  大名
  16. 第十六章  鬼
  17. 第十七章  家来の不満
  18. 第十八章  鬼の襲撃
  19. 第十九章  鬼の敗北
  20. 第二十章  殿様の会議
  21. 第二十一章  大名の返事
  22. 第二十二章  殿様の返事
  23. 第二十三章  若殿の出陣
  24. 第二十四章  大名の思い付き
  25. 第二十五章  忍者の思い付き
  26. 第二十六章  ゆきの出発
  27. 第二十七章  ゆきの台詞
  28. 第二十八章  老中の再雇用
  29. 第二十九章  狐との会話
  30. 第三十章  狐子の紹介
  31. 第三十一章  市場へ
  32. 第三十二章  呉服屋の中
  33. 第三十三章  面白い本はどこだ?
  34. 第三十四章  市場の中
  35. 第三十五章  庄屋の家の中
  36. 第三十六章  城へ帰る
  37. 第三十七章  狐子との会話
  38. 第三十八章  会議
  39. 第三十九章  旅の準備
  40. 第四十章  初めの村
  41. 第四十一章  女将の到着
  42. 第四十二章  危難の噂
  43. 第四十三章  鬼と遭遇
  44. 第四十四章  破壊された村
  45. 第四十五章  広がる噂
  46. 第四十六章  城への帰還
  47. 第四十七章  女将との会話
  48. 第四十八章  老中の助言
  49. 第四十九章  面会の準備
  50. 第五十章  家来の妻
  51. 第五十一章  茶会の予定
  52. 第五十二章  三本の尻尾
  53. 第五十三章  狐子の話
  54. 第五十四章  話の続き
  55. 第五十五章  老中の話
  56. 第五十六章  寂しげな二人
  57. 第五十七章  居心地悪い茶会
  58. 第五十八章  琵琶法師の到着
  59. 第五十九章  冬の活動
  60. 第六十章  狐の到着
  61. 第六十一章  琵琶法師の話
  62. 第六十二章  旅の初め
  63. 第六十三章  狐の土地へ
  64. 第六十四章  子狐との出会い
  65. 第六十五章  姫との出会い
  66. 第六十六章  晩の会話い
  67. 第六十七章  族長との会話
  68. 第六十八章  八狐との会話
  69. 第六十九章  姫の話
  70. 第七十章  狐との決戦
  71. 第七十一章  狐子の勝負
  72. 第七十二章  若殿との茶会
  73. 第七十三章  城への戻り
  74. 第七十四章  狐一と下女
  75. 第七十五章  新しい制服
  76. 第七十六章  新しい仕事

第一章

ゆきの紹介

昔々、ある小さな村にゆきという娘がおばあさんと二人で暮らしていました。ゆきは、とても美しい子でしたが、二人は大変貧しい生活をしていました。村全体も貧しく、若者の姿もあまり見られませんでした。そして、ゆきと結婚したいという者も、誰一人として現れたことはありませんでした。

「ゆきや、お前の幸せを探すために、都に行った方がいいよ」と毎日おばあさんは言いました。

「おばあさまを独りここに残して都へ出かけることはできません」とその度、ゆきは答えました。

ある日、おばあさんは亡くなりました。おばあさんをお墓に葬ってから、ゆきは、なけなしの家財を集め、都へ向けて出発しました。

第二章

漁師との出会い

海岸

間もなくゆきは海に着きました。砂浜で漁師が網に開いた穴を繕っていました。

「こんにちは、漁師さん。私はゆきと申します」とゆきは言いました。

「こんにちは、ゆきさん」と漁師は答えました。

「よろしければ、私が網を繕うお手伝いをいたします」とゆきは言いました。

「分かりました。ゆきさんが網を繕ってくれるのなら、私は貝を採ります」と漁師は言いました。

それからゆきは砂浜に座りながら網を繕って、その間に漁師は海岸で貝を採りました。

間もなくゆきは網を繕い終わりました。「漁師さん!網を繕いました」と呼びました。

漁師は網をよく見ました。「きれいに修繕できていますよ。前より大分よくなったようです。助かりました。どうもありがとう」と言いました。

「いいえ、あまりうまくできなくてごめんなさい」とゆきは答えました。

「これからどこに行くところなのですか」と漁師は聞きました。

「幸せを探すために都に参るところです」とゆきは答えました。

「そうなんですか。では、頑張ってください」と漁師は言いました。

「頑張ります」とゆきは言いました。

「どうか、感謝の印に貝を半分受け取ってください」と漁師は言いました。

「そんなにいただくことはできません」とゆきは言いました。

「いいえ、つまらないものですよ。この繕っていただいた網で、たんと魚が捕まえられると思いますから」と漁師は言いました。

「本当ですか。では、貝をいただきます。どうもありがとうございます」とゆきは答えました。

それからゆきは貝を懐に入れ、都へ向かいました。

第三章

狐との出会い

しばらく行くと、ゆきは焚き火のそばに座って、兎を焼いている狐に出会いました。

「こんにちは、狐さま。私はゆきと申します」とゆきは言いました。

「こんにちは、ゆきちゃん」と狐は答えました。

「美味しそうな匂いがしますね。私はお腹が少し…すみません、狐さま。よろしければ、その兎を分けていただけませんか。私は貝を少し持っているのですが」とゆきは言いました。

「いいですよ。貝を分けてくれれば、私も兎を分けてあげます。ところで、どうしてそんなに美しいお嬢さんがこのような道を一人で旅しているのですか」と狐は聞きました。

「幸せを探すために都に行くところです」とゆきは答えました。

「気を付けて行くのですよ」と狐は言いました。

「はい。ありがとうございます」とゆきは答えました。

それからゆきは貝を開け始めました。驚いたことに、それぞれの貝の中に大きな真珠が入っていました。

「あの、狐さま、この貝の中に入っている真珠もお受け取りください」とゆきは言いました。

「そんなにもらうことはできません」と狐は答えました。

「一粒だけでも受け取ってください」とゆきは言いました。

「あなたのような気前の良い人間には、これまで一度も会ったことがありません。それでは、真珠を一粒と、数本の尻尾の毛とを交換しましょう。もし身の危険を感じるようなことがあったら、この尻尾の毛に触れながら『助けて』と三回唱えてください。そしたら、私たち一族はあなたを助けるためにそこに現れます。三度までなら助けてあげましょう」と狐は十本くらいの毛を尻尾から抜き取りながら言いました。

「そんな大切なものをいただくことはできません」とゆきは言いました。

「たいした物ではないですよ」と狐は言いました。

「そこまでおっしゃるのなら、ありがたく頂戴します」とゆきは真珠と尻尾の毛を交換しながら言いました。

兎と貝を焼きながら、ゆきは残りの真珠を懐に入れました。そして尻尾の毛を結って腕飾りを作り、自分の手首に巻きました。

二人が兎と貝を食べた後でゆきは「ご馳走さまでした。いただいたばかりで申し訳ないのですが、そろそろ失礼します」と言って町へ向かいました。

第四章

商人との出会い

ゆきは都を目指して旅を続けました。歩き通しだったので、日が沈む頃になるとお腹が減り始めました。ふと足を止めると、ゆきは美味しそうな匂いが辺りに漂っていることに気がつきした。

「どこからあんな美味しそうな匂いがしてくるのかしら」とゆきは思いました。周りを見回すと、道端に天幕が張ってあるのを見つけました。天幕に近付くと、その匂いはいっそう強くなりました。

天幕に着いた時、ゆきは天幕の後ろにいる呉服商を見つけました。その商人は夕食の仕度をしているところでした。

「ごめんください」とゆきは商人に話しかけました。

「どちらさまですか」と商人は尋ねました。

「はい、ゆきと申します。美味しそうな匂いに誘われてまいりました」とゆきは答えました。

「そうですか。かわいそうにお腹を空かしているんですね。そうだ。お茶を入れてくれませんか。一緒に食べましょう」と商人は言いました。

「ありがとうございます」とゆきは答えました。

それから、ゆきは湯を沸かして、お点前を披露しました。

商人は、「確かに良いお茶を使ってはいるのですが、それでも元の味を忘れてしまうほどの結構なお点前でした。そんな見事な茶道を、都以外で目にすることが出来るとは思いもしませんでした」と、驚きました。「どちらでこれを習いましたか」

「祖母が教えてくれました」とゆきは答えました。

「あなたのように美しく、そして見事な茶道で美味しいお茶を入れることの出来る娘さんには、絹の着物がよく似合うと思います。ちょうどここに、綺麗な絹製の着物がございます」と商人は言いました。

「そうですか。そういったものを今まで着たことがありませんでした。ぜひ、着てみたいのですが、お金がありません」と、うつむきながら答えた時、旅の途中で漁師から貝をもらったことを思い出しました。ゆきは懐の中の真珠を取り出しながら、「これと交換していただけませんか」と言いました。

「これほど大きな真珠を今まで見たことがありません」と商人は言いました。「その真珠一粒と引き換えに、私の一番綺麗な絹製の着物をさしあげます」

「これほど綺麗な着物を旅路で着ることはできません。きっと汚してしまうでしょうから、もしよろしければ、包んでくださいませんか」とゆきはお願いしました。

「はい、もちろんですとも。ありがとうございます」と商人は言って、ゆきから真珠をもらい、一番綺麗な着物を包んでゆきに渡しました。

「どうしてあなたのような美しいお嬢さんが、このような道を一人で旅しているのですか」と商人は聞きました。

「幸せを探すために都に行くところなのです」とゆきは答えました。

「そうですか。でも、この道を一人で旅するのは危険ですよ。今夜私のそばで寝た方がいいでしょう。そうすれば、ここで私が護衛をすることができますから。私は、明日、発ちますが、その都の方へは行きません」と商人が言いました。

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、今夜ここで寝させていただきます」とゆきは答えて、持っていた布を地面に広げ始めました。

「地面で寝るのはかわいそうだ。私の天幕で寝てもかまいませんよ。そこの垂れ幕で仕切りますから、ご安心なさい」と商人が言いました。

「はい。では、そうさせていただきます」とゆきは答えました。布を開いたとき、一冊の本が落ちました。

「それは何ですか」と商人は聞きました。

「家系図です。私は家族の最後の子孫なので、他に誰も受け継ぐ人がいません」とゆきは答えました。

第五章

助けて!

次の朝、商人は手紙をゆきに渡して「都に着いた後で、温泉に行ってこの手紙をそこの女将に渡してください。その人は私の姉なのです」と言いました。

「分かりました。必ずその手紙をお姉さんにお届けします」とゆきは言いました。

それからゆきは都へ向かい、商人は別の方へ行きました。

間もなくゆきは浪人らに出会いました。

「こんにちは、お侍さま。私はゆきと申します」とゆきは浪人の頭に言いました。

「ふふふ。なんでそんなに美しい娘がこんな道を旅しているのかな」と頭は言いました。

「幸せを探すために都に行くところです」とゆきは言いました。

「今日はついてるぞ」と頭は言ってゆきを掴みました。

「そうだな」と他の浪人が言いました。

「いや!侍じゃない!山賊だわ!手を離して!助けて助けて助けて!」とゆきは叫びました。

あっという間に一匹、二匹、ついには百匹もの狐が浪人の間に現れて、浪人を咬んで躓かせました。

「畜生!妖怪が!逃げよう!」と浪人は言いました。

「このお嬢さんは俺が守っている。貴様のような奴は彼女に指一本触れてはならんぞ」と狐は浪人の頭に言いました。

それから浪人は皆狐に追われて逃げていきました。

「狐さま、助けてくださってどうもありがとうございます」とゆきは言いました。「真珠をもう一粒差し上げましょうか」

「そんなに貰うことはできませんよ」と狐は答え、「あともう二回まで私を呼んでも構いません。さあ、気を取り直して、旅を続けなさい」と励ましました。

「どうも、ありがとうございます。それでは失礼します」と言って、都へと歩き始めました。

第六章

都に到着

間もなくゆきは都の門に着きました。

「こんにちは。私はゆきと申します。どうぞよろしくお願いします」とゆきは門番に言いました。

「なんで君のような子がこの町に一人で来るんだ」と門番は言いました。

「幸せを探すためです」とゆきは答えました。

「では、この町に仕事があるんだな」と門番は言いました。

「そうです。あっ、それと、この手紙を温泉の女将にさしあげることになっているのです」とゆきは門番に手紙を見せながら言いました。

「それが本当なら、町に入っても構わない。しかし、もし三日以内に仕事が見つからなかったら、町を去らなければならんぞ」と門番は言いました。

「はい、分かりました。すみませんが、温泉はどこですか」とゆきは聞きました。

門番が道順を教えた後で、ゆきは間もなく温泉に来ました。

「ごめんください」とゆきは呼びました。

「いらっしゃいませ」と女将は返事をしながら、出てきました。

「こんにちは。私はゆきと申します。女将さんに話をさせていただいても宜しいですか」とゆきは聞きました。

「こんにちは、ゆきさん。私が女将です」と女将は言いました。「いかがなさいましたか」

「実は、旅路で、とある商人さまと出会いました。商人さまは、この手紙を温泉の女将であるお姉さまに渡してくださいと言いました。こちらをどうぞ」とゆきは手紙を女将に渡しながら言いました。

「どうぞ上がってください。その間に読んでおきますから」と女将は言いました。

「お邪魔します」とゆきは言いました。

「ああ、弟はあなたのお手前は素晴らしいと書いております。そのお手並みを拝見したいと思います。弟から貰った、その新しい絹の着物を着た後で、茶の湯を点ててください。もしあなたが弟の言う通りの方なら、ここで雇いますよ」と女将は言いました。

「はい。でも、私は少し汚れております。こちらの新しい絹の着物を汚したくないと思っているのですが」とゆきは言いました。

「あ、そうですね。どうぞ、あちらがお風呂になっています」と女将は言いました。

お風呂に入って絹の着物を着てから、ゆきはお点前を披露しました。それを見届けてから、女将は、「どうやら弟が申していたよりも、ゆきさんの茶の湯の腕は達者のようですね。こんなに素晴らしいお手前を、十五年以上もの間見たことがありません。失礼をいたしました。どうぞここにお留まりください」と深い会釈をしながら言いました。

「どういたしまして。誠に粗末なものでしたが」とゆきは言いました。「よろしければ、ここで勤めさせていただきたいと思います。でも、私はこの町に着いたばかりです。住まいもなく、お金もありません。こちらに貝から見つけた真珠が少々あるだけです」と、ゆきは懐から真珠を取り出して言いました。

「それでは、その真珠を使って首飾りを作ると良いでしょう。ここにある部屋に住んでも結構です。明日、私とゆきさん、二人で一緒に買物をしましょう。真珠の首飾りを作るのに宝石商に行ったり、絹の着物をもう少し買いに弟の店に行ったりしましょう」と女将は言いました。

「しかし、お金がありません」とゆきは言いました。

「心配しないでください。お金は私がお貸しします。この町一番の茶道家なんですから、すぐにも返すことが出来ますよ」と女将は言いました。

第七章

買物

次の朝ゆきは早く起きました。古い服を着てから、温泉の掃除を始めました。しかし女将はゆきを見て、「この町一番の茶道家がそんなことをする必要はありません。さあ、絹の着物に着替えて買い物に行きましょう。真珠を忘れないようにしてください」と言いました。

女将はゆきの素性が気になるのか、市場に行く間に、色々と質問をしました。

「どちらで茶道を学んだのですか」と女将は聞きました。

「実は、祖母から茶の湯を習いました」とゆきは答えました。

「お母さんや、お父さんは?」と女将は聞きました。

「母も父も私が生まれてから間もなく亡くなりました」とゆきは答えました。

「そうですか。あなたは今、おいくつですか」と女将は聞きました。

「今年で十七歳になります」とゆきは答えました。

「そうですか。お祖母さんのお名前を教えていただけませんか」と女将は聞きました。

ゆきがお祖母さんの名前を教えた頃、最初の店に到着しました。

女将が「その名字…」と尋ねかけた時、番頭が店先に現れました。「あっ、番頭さん、こちらはうちの新しい腕利きの茶道家、ゆきさんです」と紹介しました。

それから女将は次々と店を巡って、ゆきを商人に紹介して回りました。

程なくすると、新しい茶道家について、町の住民が皆口にするようになりました。温泉に行ってゆきの茶の湯を見た人々は皆驚き、ゆきの茶の湯の腕を褒めました。その後の数日間、温泉はかつてないほど賑やかでした。

第八章

若殿との出逢い

城の中でも新しい茶道家の腕について皆が話題にしていました。殿さまの長男が家老に「その新しい茶道家の名高いお点前を、今晩にでも見てみたい。温泉に行って、手筈を整えてくれ」と言いました。

「畏まりました」と家老は言って、温泉へ出かけました。

家老は温泉に到着すると、「女将、茶の湯の予約をしたいのだが」と言いました。

「はい。来週はいかがですか」と女将は言いました。

「今晩はどうだ。若殿さまが城で新しい茶道家のお手前をご覧になりたいとおっしゃっておる」と少し急き立てるように、家老は女将に言いました。

「若君さまですか。はい、はい、今晩の予約を入れておきます。今晩必ず城に行かせます」と女将は快く答えました。

家老が去った後で、女将はゆきのところに行きました。「ゆきちゃん!今晩、若さまが城であなたのお手前を見てみたいそうです。新しい真珠の首飾りと一番きれいな絹の着物を着ていきなさい」と言いました。

その日、温泉は早めに店じまいしました。女将はゆきが城に行くために身支度をするのを手伝いました。その夕刻、ゆきは城に行きました。若殿の部屋に案内された後で、「はじめまして。温泉の茶道家、ゆきと申します。どうぞよろしくお願いします」とゆきは言いました。

「はじめまして、ゆき殿。よろしく」と若殿は言いました。

それからゆきはお点前を披露しました。「あなたは本当に達者な茶道家ですね。毎晩ここに来て、お点前を披露してください」と若殿は言いました。

ゆきは「誠にお粗末ではございますが、お望みでしたら、必ず毎晩ここに来て、お茶を点てさせていただきます」と言って、温泉に帰りました。

ゆきが去った後で、「あんな美しくて達者な茶道家を見たことは今までなかった。姫のような風貌だ。彼女のことをもっと知らなければならん。彼女のことを手を尽くして調べておくように」と若殿は家老に言いました。

家老は「お望みとあれば、何でもいたします」と答えました。

第九章

家老の調査

次の日、家老は温泉に行きました。「女将さん、わしは若殿さまより、新しい茶道家のことを調べ尽くすようにと仰せを賜ってきた。彼女について知っていることを全部教えてください」と言いました。

女将は「そうですね。ゆきは数日前この温泉に来て、弟の手紙を渡しました。二人は道で出会って、ゆきは弟に茶の湯をしました。ゆきは小さな村でお祖母さんに育てられたと言いました。親はゆきが生まれてから間もなく二人とも亡くなったと言いました。家系図の本を持ってきました」と言って、おばあさんの名前を教えて、手紙を見せました。

「そうか。十五年ぐらい前、その名は名高かったようじゃ。その家系図を見てみたい」と家老は言いました。

女将は家老をゆきのところまで導いて「ゆきちゃん!若殿の家老さまがあなたの家系図を見てみたいと仰っています」と言いました。

それからゆきは家老に家系図を見せました。家老は家系図をつぶさに検めました。「この紋はよく覚えておる。本当にあなたの家紋かの」と言いました。

ゆきは「それは分かりません。この本にそう記されているだけですから」と答えて、小さな村の生活と旅路のことを語りました。

それから家老は温泉から去り、使者を小さな村に派遣しました。

毎晩ゆきは城に行って、若殿に茶の湯を振舞いました。ある夕べ、若殿は狐の尻尾の毛で作られた腕飾りに気づきました。「ゆき殿、どうしてそんな腕飾りを手首に巻いているのか」と聞きました。

「この腕飾りですか。実は、幸運のお守りなのです。これは道で出会った狐に頂いた尻尾の毛で作られています」とゆきは答えました。それからゆきは若殿に旅路のことを語りました。

第十章

家老の調査報告

数日後、家老は若殿に報告しました。「若殿さま、例の茶道家を調べ尽くしました。十五年ぐらい前、ある老婆が赤子だった孫娘とある小さな村に落ち着きました。その後、そこで静かに二人で貧しい生活を送りました。数週間前、老婆は死んで、孫娘は村を去りました。

「その日、ある漁師がその村からこの町まで来る途中で、その娘と出会いました。娘は漁師の網を繕って、漁師は娘と貝を分けました。娘は、そのときは毛の腕飾りを手首に巻いていませんでした。

「その夕べ、ある服の商人が(温泉の女将の弟なのです)その道の途中で娘と出会いました。娘は毛の腕飾りを手首に既に巻いていて、貝の中で見つけたという真珠と家系図を持っていました。商人は娘に女将宛の手紙を渡しました。

「次の日、女将への手紙を持ち、毛の腕飾りを手首に巻いていた娘は、この町の門に来ました。温泉への道順を聞きました。その後間もなく、毛の腕飾りを手首に巻いていた娘は温泉に来て、商人からの手紙を女将に渡しました。女将は娘を茶道家として雇いました。

「商人達は皆、娘がゆきと名乗ったことを確認しました。狐と山賊の実在は確認できません。しかし、漁師が娘と会った砂浜と商人の野営地との途中に、焚き火の灰と貝が見つけられました。

「ご存じかもしれませんけど、十五年ぐらい前、ある大名が倒されて城が火事で焼け落ちてしまいました。その大名には、有名な茶道家の母親と赤子の娘がいました。その時、母親と娘は火事で死んだと皆思いましたけど、遺体が全く見つけられませんでした。大名の母親の名前と若い茶道家の祖母の名前は同じです。また、大名の家紋は若い茶道家の家系図にあります」と家老は言いました。

「面白い。父上に教えた方がいい」と若殿は言いました。それから二人は殿さまのところに行って、家老は報告を繰り返しました。家老が終った後で、殿さまは「そなたは、その娘に興味があるのか」と若殿に聞きました。

若殿は「もし父上が了承をしていただければ、茶道家と結婚するつもりでございます」と答えました。

「その茶道家を一目見てみたいと思う」と言いました。

その夕べ、ゆきは殿さまの部屋に招かれました。「はじめまして。温泉の茶道家、ゆきと申します。どうぞよろしくお願いします」と言いました。

殿さまは「そなたの風貌、、、。うむ、懐かしい」と呟きました。

ゆきがお手前をした後で、殿さまは「そなたのおばあさまにうりふたつだ。彼女はよく教えたものだ」と言いました。

ゆきは「左様でございますか。殿さま、よくまあ私の祖母をご存知でしたね?」と聞きました。

殿さまは「そなたのご両親も亡くなる以前存じ上げておった。そなたの父上は偉大な人物で、わしと友達だった」と言いました。

「祖母は親については何も話しませんでした。教えてくださいませんか」とゆきは尋ねました。

「うむ。しかし、まず息子が申したいことがある」と殿さまは言いました。

若殿は「ゆき姫、もし私と結婚してくだされば、必ず幸せにします」と言いました。

「いえ、私は姫ではございません。私のような女は若殿と結婚できません。分かりません」とゆきは言いました。

「君の父上は大名だった」と殿さまは言いました。

「なんと言ったらいいか…。けれどももし若殿さまがそうお望みならば、覚し召すままに」とゆきは言いました。

それから三人で長らく喋りました。

第十一章

忍者の襲撃

一方、ある妬み深い老婆の茶屋が忍者らに会いました。「あのよそから来た茶道家は、お客を横取りするんです!消して欲しいんです!」と言いました。

忍者の長は「そうですか。どんな手立てがいいでしょう?」と聞きました。

茶屋は「どんな手立てでも構いません」と答えて、去りました。

長は側近に「あの茶道家について何か知っているか?」と聞きました。

側近は「数週間前、この町に来ました。温泉で働いています。そして毎晩、城に行きます。若殿は彼女について興味があるそうです。隣にあった国の前の大名の娘かも知れないそうです」と答えました。

「面白い。隣の国の大名も、彼女について興味があるかな。じゃ、娘を今からここに連れてきて、大名に使者を派遣しろ」と長は言いました。

「はっ、長、仰せの通りにいたします」と側近は言って、出かけました。

その夜、ゆきが温泉へ帰る間、忍者はゆきを素早く取り囲んで、猿轡をかませて、手足を縛りました。揉みあっている間に、毛の腕飾りは切れて、地面に落ちてしまいました。

側近はゆきを長のもとへ手足を縛ったまま連れて行きました。「この娘が茶道家です」と言いました。

長は「そうか。若すぎるな。本当に上手かな。この娘の茶の湯を見てみたい。束縛を解いて」と言いました。

猿轡が外させてから、「助けて助けて助けて」とゆきは叫びましたが、狐の毛がないので、何事も起こりませんでした。

「この付近では、いくら叫んでも、誰も助けにはこない」と長は言いました。「一服立ててくれ」

しかたなくゆきはお手前を始めました。終った後で「本当に上手だぞ。大名の興味がなければ、俺はお前を芸者にするつもりだ」と長は言いました。

「めっそうもございません」とゆきは言いました。

「この娘を牢に連れて行って、そこに閉じ込めておけ」と長は言いました。

牢に閉じ込められてから、ゆきは泣きながら眠ってしまいました。

第十二章

ゆきはどこだ?

次の朝、女将が起きると、ゆきが見当たりません。「あの子は一体どこだろう?」と思いました。「まだお城にいるかな?」

それから女将は城に急いで行きました。城に着いてから「温泉の女将です。昨晩、うちの茶道家は若殿に振舞うためにこちらに参りましたけど、温泉に帰ってきませんでした。まだ城におりますか」と守衛に聞きました。

「ここで待つように」と守衛は言いました。

間もなく家老が門に来ました。「昨夜、茶道家は温泉へ帰ったはずじゃ。そちらに着いていませんか」と聞きました。

「まだ戻っておりません」と女将は答えました。

「知らせに感謝致す。調べさせて茶道家を見つけよう。心配には及ばん」と家老は言いました。

それから女将は温泉へ帰り、家老は若殿に報告しました。守衛らはゆきの捜索を始めるように命じられました。

間もなく家老は若殿にまた報告しました。「若殿さま、道の途中でこの切れた毛の腕飾りと絹の切れ端を見つけました。争った形跡がありました」

「そうか。その場所に案内しなさい。守衛と猟犬を連れていってくれ」と若殿は言いました。

そして、若殿たちは城を後にしました。

第十三章

一本の毛

一方、ゆきは目覚めました。「腕飾りがないから、狐は来なかったんだろう」と思いました。「腕飾りが切れた時に、狐の毛が少し着物にくっ付いたかも知れない。もし狐の毛が一本だけでも見つけられるなら、狐を呼ぶことが出来るかもしれない」

それからゆきは死に物狂いで着物で狐の毛を探しました。やっとのことで短い毛を一本見つけました。毛を両手に持ちながら「助けて助けて助けて」と言いました。

あっと言う間に一匹、二匹、ついには百匹の狐が牢に現れました。「狐さま、この牢から助け出してくださいませんか」とゆきは頼みました。

「どうしてもっと早く呼ばなかったのですか」と狐は聞きました。

「実は呼びたかったんですが、不意に襲われましたし、猿轡をかまされてしまいました。争いの最中に毛で作った腕飾りが切れて落ちてしまったんです。この短い毛一本を見つけるまで、呼べなかったんです」とゆきは答えました。

それから狐たちは壁の下に穴を掘って、忍者を追いかけ、牢の鍵を見つけました。

第十四章

救出

一方、家老は若殿を腕飾りを見つけた場所に案内しました。若殿は「犬に匂いを嗅がせなさい」と言いました。

犬は絹の布地を嗅がせられて、吠え始め、道に沿って走り始めました。

間もなく「畜生!妖怪が!」とを聞こえてきました。

「早く!奴らを逃がしてはならない!」と若殿は言いました。

守衛らは若殿と共に忍者を襲いました。一方、忍者の砦の中、ゆきはどよめきの音を聞いて、窓の方に行きました。「若殿さまです!狐さま、若殿さまを助けてくださいませんか」と頼みました。

狐は「そのようなことはできません。若殿は男なので、自分の戦いは自分で戦わければなりません」と答えました。「ここで待っていてください。戦いが終わるまで、君を守ります」

「はい。戦いが終わるまで、ここで待ちます」とゆきは答えました。

それから若殿は守衛らと共に忍者の大部分を捕らえましたが、残りの忍者は逃げました。

「ゆき殿はどこだ」と若殿は忍者に言いました。

「ここです」とゆきは入口で言いました。

「ゆき殿!大丈夫ですか」と若殿は言いました。「これを落としたでしょう?」腕飾りを見せました。

「あっ!それ、無くしてたんです。若殿さま、腕飾りを見つけて、返してくださって、さらには私をも助けてくださるなんて、本当にありがとうございます」とゆきは言いました。

「礼には及ばん」と若殿は答えました。

「狐さま、私を脱獄させて、守ってくださってどうもありがとうございます」とゆきは答えました。

狐は「どういたしまして。他にも君を守ってくれる人がいるようですね。もう一度だけ僕を呼んでも構いません。頑張ってください」と言いました。

「がんばります」とゆきは答えました。

「ゆきさんと結婚するつもりです。もし、狐どのが結婚式に参加していただけたら、大変光栄です」と若殿は言いました。

「そうですか。普段なら私は人間の営みとは関係を持たないのですが、このお嬢さんは特別です。きっと結婚式に参加できるでしょう」と狐は答えました。

第十五章

大名

結婚までの計画を立て始めました。日取りを決めて、殿様に招待状を送りました。

隣の国の大名にも招待状を出しました。しかし、大名は招待状が気に入りません。

「あの女は前の大名の娘なのか?」と大名は忍者の長に言いました。

「大きな町の若殿はそう言っています」と長は答えました。

「娘は前は囚人だったのか?」と大名は聞きました。

「はい」と長は答えました。

「娘が生きていては、我々の悪事がばれてしまう。その若殿の家族は前々から私が大名になることに反対した。若殿が娘の正当な継承者としての力を持てば、私は今の地位を失ってしまうではないか!なんで殺さないのか?!」と大名は叫びました。

「大名さまは茶道家と結婚したいのかも知りませんし、命令をいただいておりませんし…」

「黙れ!考えておるところだ!あっ!私が娘と結婚すれば、誰も継承を阻止できない!」

「素晴らしい考えでございます、大名さま」

「どうしたら結婚できるかな。もうすぐ若殿と結婚するであろう」

「もし結婚式の前に娘を連れ去れば、大名さまは娘と結婚できるかも知れません」

「黙れ!今考えておるところだ。そんなに一度に言われたら、考えることができん。あっ!娘を連れ去れば、結婚できるのか!」

「よい考えでございます。しかし、娘は狐に守られているようでございます」

「そのようだな。どうすれば妖怪を避けて、あの娘を手に入れることができるのか?」

「噂では鬼の助けを得て、前の大名を倒したということです」

「あーもう、話が長くて、ちっとも考えられないのだ!あっ、もう一度鬼の助けを得ればいいのか」

第十六章

大名

次の日、大名は忍者の長と家来と一緒に山へ向かって馬を走らせていました。間もなく岩屋の入口に着きました。

大名は「ここで待て。どんなことが起こっても、着いてきてはいけない」と言いました。

「大名さま、その場所は危ないようです。誰かお供を連れて行った方がいいのでは…」と、長が勧めました。

「この岩屋の住人の力は、私を殺したければ、兵が全員でかかってもかなわないほどのものだ。このより先は、わし一人で行かなければならん」と大名は答えました。

それから大名はろうそくを点して、岩屋の入口に入りました。間もなく大きな洞窟に来ました。いきなり、太い声が聞こえました。「俺さまの住まいに入って来たのは誰だ?」

大名は深く会釈しました。「鬼さま、昔、力をお貸しいただいた者でございます。もう一度手伝ってくださいませんか」と言いました。

鬼は「毎週牛を一匹近くの牧場から取っている。別な味が欲しい時に、娘を一匹百姓の家から取っている。今度手伝ったら、何をくれるのだ?」と言いました。

「前の大名の娘はまだ生きていて、隣の国の大きな町に住んでいるようです。娘と結婚するために、彼女を誘拐してくださいませんか。娘さえ手に入るならば、町を全部滅ぼしても構いません」と大名は答えました。

「なぜ人間の家来を使わないのか」と鬼は聞きました。

「実は、娘は狐で守られているようです。領地にいた忍者が誘拐しようとしましたが、狐が助けてしまいました」と答えました。

「狐?煩わしい奴等だ。昔から狐が大嫌いだ。よしじゃあ、やってみよう」

第十七章

家来の不満

一方、岩室の入り口の前で、忍者の長は家来と待っていました。

家来たちは周りを戦々恐々と見渡していました。その内の一人は「ここは嫌な場所だ。この近くに鬼がいつも攻めてくるそうだね。山に行いってその原因を調べればいいのに、どうして山に行くことを禁止してるのかな」と言いました。

その話を聞くとすぐに、家来は全員静かになっておろおろと忍者の方を伺いました。間もなく、家来の長は大きな声で「そいつはいつも冗談ばかり言っているんだよ」と言って最初の家来を脇へ引き込めて、耳打ちしました。「馬鹿者!あの忍者は大名の目と耳のような者だ。死にたいのか?」

最初の家来の顔が青くなりました。「申し訳ございません、頭。忍者のことを考えていませんでした。実は、家内の家族がこの近くに住んでいて、最近大変な生活を送っています。前の大名の時代…」

「黙れ!それは禁句だぞ」

その瞬間、大名が岩屋から出てきました。「ここでの用事は終わった。城へ戻ろう」と言いました。

馬で城へ戻る間に、忍者の長は大名の隣に座りました。「大名さま、恐れ多くも、家来と一緒にあそこに行くことは、あまり良い考えではなかったかと存じます。そんなことをしたら、家来たちは怖がって、大名様のために戦うことには度胸をなくしてしまうんじゃないでしょうか」と言いました。

「仕方ない。護衛のない旅は安全ではないからな」と大名は答えました。

第十八章

鬼の襲撃

間もなく、若殿とゆきの結婚式の日になりました。いろいろな殿様たちが、結婚式を出席するためにその大きな町に来ました。そして狐も、人間の姿に化けた後で来ました。しかし、隣の国の大名は来ませんでした。

結婚披露宴は城の庭で行われました。綺麗な花が、あちらにも、こちらにも咲いていました。本当に素晴らしい日でした。

突然、町から叫び声が聞こえました。ただちに、家老は大きな町の殿様に近寄りました。「殿様、巨漢の鬼が町の家を壊して城の方へ来るようでございます」と知らせました。

「息子と一緒に兵を駆り集めろ。わしの甲冑と武器を整えさせろ」と殿様は家老に言いました。それから客人たちの方に向いて大きな声で言いました。「皆様、残念ですが、大変なことが起こっています。早く城の中に入ってください」

間もなく、ほとんどの客人たちが城に入った後で、若殿は兵と一緒に外曲輪の上に向かいました。そうこうしているうちに、鬼は外曲輪までやってきました。鬼が見渡したとき、一人の女性が見えました。そのきれいな女性は、恐怖で凍り付くようにして立っていました。「ほほう」と鬼は笑いました。「お前は大名が話していた娘だろう。俺様と来い」と言って手を伸ばして女性を掴み取りました。

それを見た時、若殿は「しまった、ゆきが!やめろ!ゆきを掴んだ手を放せ!」と叫びました。

第十九章

鬼の敗北

鬼は、娘を攫うと、山の方へ向かって歩き出しました。若殿たちは厩に行き、馬に鞍を置いて乗り、鬼を追いかけていきました。

町から去った後、鬼はくんくんと臭いを嗅ぎました。「なんでこんなに狐臭いんだ」と言いました。

「そのお嬢さんは俺が守っている。貴様のような奴は彼女を害してはならんぞ」という声を鬼は聞きました。びっくりした鬼は娘を掴んだ拳の方へ目をやりました。そうこうしているうちに、大きな穴に足を踏み入れてひっくり返ってしまいました。

鬼が立ち上がろうとする前に、すかさず若殿が追いつき、太刀で鬼の首を切り落としました。「ゆき!どこだ!大丈夫か!」と叫びました。

「心配はございません」という声がしました。若殿は、声のする方へ向きました。すると、そこには狐が立っていました。「城へお帰りください。本物のお嬢さんは無事でそこにいます」と狐は言いました。

「狐どの!びっくりしました。でも、私の目には、ゆき殿が鬼に攫われたように映ったのですが」と若殿は言いました。

「こんな風でしたか」と狐は言って、ゆきの姿に化けました。それから、もう一度狐の姿に戻りました。

「これはなんと不思議な。いつもありがとうございます。今後はいつでも私の城へいらしてください。狐どのたちを歓迎いたします」と若殿はいって、馬で城へ帰りました。

第二十章

殿様の会議

間もなく若殿たちは城に帰ってきました。若殿は城の中に入るとすぐ、「ゆき!どこだ!無事であったか?」と呼びました。

すぐにゆきは若殿のところに走りました。「はい。若殿さまは大丈夫ですか。血まみれではないですか」と言いました。

「大丈夫だよ。この血は鬼のものだよ」と若殿は答えました。

家老は若殿のところにやってきました。「若殿さま、殿様は他の殿様と一緒にご会議をなさっています。若殿さまとゆきさまも参加されるようおしゃっております」

それから若殿はゆきと一緒に殿様のところに行きました。

ある殿様は「この襲撃は無法です!その大名は倒されるべきです」と言いました。

他の殿様は「まあまあ。どうしてこの襲撃は大名がしたと分かるのですか」と答えました。

最初の殿様は「鬼とつながりがある大名なんて、他にいますか」と聞きました。

その町の殿様は「鬼の経路を調べています。多分他の国から来たのかもしれません」と言いました。「息子、鬼はどこへ行ったのだ」

「地獄に行きました。この太刀で首を切り落としました」と若殿は答えました。

ある四人目の殿様は「もしその大名が倒されたら、誰がその国を治めるのですか」と聞きました。

その町の殿様は「ゆき、こちらに参れ」と言いました。ゆきが殿様の傍に寄ると、「この者は、その国の正真正銘の君主です。前の大名の唯一の子孫である娘なのです」と言いました。

ゆきは「私でございますか?でも、国を治めるなんて、何も存じ上げません」と言いました。

その町の殿様は「心配は要らぬ、息子は、生まれた時から、国を治める方法を勉強しておる。そなたに助言することができよう」と言いました。

四人目の殿様は「もしその大名が倒されたとしても、この国にそんな豊かな国が与えられるなんて、我々は承知できません」と言いました。

若殿は「弟がおります。もしゆきがその国を治めれば、私はこの国の相続を辞するつもりでございます」と言いました。

二人目の殿様は「前の大名時代には、その国は富裕でしたが、現在の大名の不始末によって、だんだん貧困になっているそうです」といいました。

最初の殿様は「どうしてこのお嬢さんが前の大名の娘だとご存知なのですか」と聞きました。

すると、家老がもう一度調査報告をしました。

その後殿様たちは様々な計画を立てました。

第二十一章

大名の返事

次の日、鬼の足取りを調べた兵が戻って、鬼が大名の国から来たと報告しました。それから、鬼の首を荷車で国境まで運びました。鬼が死んだという話は、あっという間に国中に広まりました。百姓たちは、とても喜びました。しかし、大名は喜びませんでした。

結婚式に参加していたほとんどの殿様たちは、その大名を倒すために、兵を送り出しました。日に日に、兵は到着しました。そして、ゆきの義父は、殿様の頭として隣の国の大名に使者を遣わしました。

その大名はまことに気分を損ねていました。「このような無理な要求を突きつけてくるとは、いったいどういうことだ?前の大名の娘だという女子がこの国を治めるからといって、わしはすぐに退かなければならないのか。その女子は誰だ?百姓の娘だろう」

使者は、「ゆきさまがこちらの国を治めるか否かに関わらず、鬼の襲撃の後で、大名さまの任を解くと我が殿たちはおっしゃっております」と言いました。

「わしはその鬼とは関係がない」と大名は答えました。

「襲撃の時、皆はその鬼が『そいつは大名が話していた娘だろう』と言ったのを聞きました。そして、鬼の足取りを調べて、それがこの国から来たことが分かりました。そういう訳で、殿様たちは大名さまが鬼に関係があると断定し、大名さまの任を解くことを決定いたしました」と使者は言いました。

「その殿がわしに鬼の首を送ったのであれば、同様の返事を彼らに送る。そいつを殺せ、彼の首を送れ」と大名は忍者の長に言いました。

それから使者は忍者に殺され、首を切り落とされて、首はその大きな町へ送られました。

第二十二章

殿様の返事

家来

間もなく大名の家来が使者の首をその町に受け渡しに来ました。多くの家来は気分が沈んでいました。

家来の長は、「申し訳ございませんが、我が殿は殿様の使者の首を切り落とさせて、その首を使者のもとへと送りました。醜態でございますが、どうぞ」とその町の殿様に言いました。「このようなことをなさったり、鬼に百姓を襲わせてしまうような我が殿には、もはやお仕えすることはできません。できることなら、私をあなた様にお仕えさせていただけたいでしょうか、もし、無理ならば、もはや浪人になる道しかございません」

殿様は、「ふむ。家老、これを使者の家族のもとに持っていかせろ」家老が使者の首を持ち去ってから、「皆もそのように考えておるのか」と、隣の国の大名の家来に聞きました。

多くの家来は、「はい」と答えました。しかし、数人は、「家族のことが心配なのでそんなことはできません」残りの者は、「私たちはそんな柔な人間ではございません。隣の国の大名のようなお方にこそ、お仕えしたいと存じます」

「そうか。わしの家来になりたい者は後で家老に話しても良い。残りの者は、この仕打ちに対するわしの返事を持って国へ戻れ。『これは戦だ!』」と殿様は言いました。

第二十三章

若殿の出陣

間もなく戦の準備が整いました。殿様と若殿は兵と一緒に出かけるところでした。「ゆき、行ってくる。私が留守の間、家老から国を治めることを学びなさい」と若殿は言いました。

「お気をつけて、どうぞご無事で」とゆきは答えました。それからゆきは若殿が立ち去るところを見えなくなるまでじっと見送りました。

若殿が帰ってくるのを待つ間、ゆきは毎日一生懸命国の治め方を勉強しました。時々殿様か若殿から手紙を受け取りました。ゆきはそれを熱心に読みました。

家老は「ゆきさまには、国を治める資質がおありです。読み書きは、お祖母様から読み方を学ばれたのでしょうか」と尋ねました。

「そうです。書を読むのが大好きです。でも、私の国には読み物はあまりなかったので、おばあさまの『源氏物語』以外、あまり読んだことがありません」とゆきは答えました。

「さようでございますか。では源氏は、全てお読みになりましたか」と家老は聞きました。

「おばあさまの本は断章でしたので、全ては読んではおりません」とゆきは答えました。

「さようでございますか。ここには『源氏物語』の全ての巻や、他にもいろいろな本がございます。もしお暇があれば、どうぞお読みください」と家老は言いました。

第二十四章

大名の思い付き

味方の殿様の兵が隣の国に進出する間に、その国の兵は城へ退却しました。間もなく殿様は大名の城を包囲し、攻撃しました。

大名はますます怒っていました。「馬鹿な鬼め、なぜ結婚披露宴の間に襲撃して、死んでしまいやがったのだ?」と言いました。

忍者は、「私は鬼のことを存じませんでした」と答えました。

「今そこにいる殿様連中は、襲撃が俺のせいだと責めてやがる!俺は何もしなかったのに!」と大名は言いました。

忍者は、「そうでございますか」と言いました。

大名は、「俺に何ができるだろう?その殿たちの兵は俺のより多いし、俺の家来どもはあの有様だし、打つ手がない」と言いました。

忍者は、「そうでございますか」と繰り返しました。

「あっ!忍者のお前なら、敵陣に入って、その殿と息子を殺すことができるだろう」と大名は言いました。

「そうではございますが、難しそうでございます。狐の襲撃の後で、私の家来がおりませんし、相手方の警護は厳重でございますし…」と忍者は答えました。

「つべこべいわずにやれ!」と大名は命じました。

「はっ、仰せの通りに」と忍者は答え、部屋から出て行きました。

第二十五章

忍者の思い付き

その夜、忍者の長は黒装束を着て、城から出かけて、殿様の野営地にこっそりと入りました。番兵を注意深く回避しながら、忍者は殿様の天幕にゆっくり近づきました。しばらくしてから、先ほどと同じく、忍者は注意深くゆっくり城に帰ってきて、大名のところに行きました。

「あれは終わったのか?」と大名は聞きました。

忍者は大名に近づき、続けました。「終わりでございます」と答えました。

大名は、「よかろう…」と言い始めましたが、あっという間に、忍者は居合いで大名の首を切り落としました。それから忍者は城の門を開け、殿様の兵を入らせて、殿様たちと落ち合いました。

「お約束の通り、当の大名は死んでおります」と忍者は言いました。

「約束の通り、報酬を授けよう。しかし、主人を殺す者を我が国にとどまらせるわけにはいかない。もし、お前が三日後にまだこの国にいるとしたら、命を失うことになるだろう」と殿様は言いました。

「承知いたしました。これほどの報酬ならば、退任できて、武道場を構えることができるでしょう」と忍者は答え、城から立ち去り始めました。

「忍者、待て」と若殿は言いました。「なぜこんな時に、主人を裏切るのだ?」

忍者は、しばしとどまり、このように答えました。「忍の身でございますから、侍のような栄誉はございませんが、十五年間も勤めて参りました。しかし、その間中ずっと我が殿は私をあまりよく評価なさってくれませんでした。今日、我が殿が、何の理由もなしに命を粗末にするのを見るに見かね、ついに堪忍袋の緒が切れました。仮に私があなた方二人を殺したとしても、他の殿様のどなたかが我が殿の命を狙うと思いませんか」

「そうだろう」と殿様は答えました。

「そのようにお察しいたしました」と忍者は答え、城から立ち去りました。

第二十六章

ゆきの出発

その城が、殿様の手中に落ちた後しばらくして、殿様は自分の城に帰ってきました。ゆきは、「お義父さま、おかえりなさいませ。若殿さまはどちらにいらっしゃいますか。ご無事でございますか」と尋ねました。

殿様は、「心配無用だ。息子はあの国の城に留まっている。ゆき、早く息子と逢いにそこに行くべきだ。家老はその旅支度に手を貸してくれるだろう」と答えました。それからゆきは家老の助けを借りて旅の支度を整えました。

一方、敗北した大名の国のあちらこちらで、このような会話がありました。

「前の大名の娘が来るそうだ」

「へえ?その家族は皆死んでいるんじゃないか?」

「その娘は祖母とともに逃げて、その祖母が秘密に育てたそうだ。最近、その娘はその隣の国の若殿と結婚したそうだ」

「面白そうだね。その娘を見に行こう」

しばらくして、ゆきは馬車に乗って、その国へ向かいました。国境に着いた時、老若男女の様々人々が道に立ち並んでいました。ゆきはこのような会話を聞きました。

「ゆきだ!」

「えっ、どこに?」

「あの馬車に!」

「見えない!」

ゆきはその馬車の御者に「止めてください!あの人たちに話があります」と言いました。

ゆきと共に乗っている従者は、「そのお考えは、いかがでしょうか。おやめなさった方がよろしいかと存じますが」と言いました。

「この国を治めることになるなら、あの人たちの助けを借りることが最善ではありませんか。それ故に、話すつもりです」とゆきは答えました。

第二十七章

ゆきの台詞

ゆきは立ち上がり、馬車の屋根に登りました。すると、大きな喝采が沸き起こりました。ゆきは静かにしなさいという合図をしました。だんだん人込みは静かになりました。

はっきりと大きな声で、ゆきはこのように言いました。

「私は前の大名の娘、ゆきです。父上が攻め滅ぼされた時、祖母が私を連れて小さな村に逃げていき、そこで私は祖母によって人知れず育てられました」

「数ヶ月前、祖母は亡くなり、その後、私は隣の国の、大きな町に行きました。幸運と好機のおかげで、数週間前その町の若殿さまに嫁ぎました」

「その結婚式の日に、この国から来た鬼がその町を襲撃し、私を連れ去ろうとしたけれど、狐どののおかげで若殿さまがその鬼の首を切り落とすことができたんです」と言うと、もう一度喝采が沸き起こりました。

「その結婚式に参加していた殿様たちは、この国の大名を倒すことを決心しました。その大名は任を解かれることを拒んだので、殿様たちはその大名を滅ぼすために戦を始めました。落城した時、その大名は死にました」とゆきが言うと、またしても喝采が沸き起こりました。

「私が前の大名の娘であり、最後の子孫でもあるので、殿様たちは私に、若殿さまと共に、この国を治めさせることを決心しました。そういう訳でここに来ました。城へ行く途中なのです」

「父上の時代にこの国は豊かでしたが、戦に敗れた後の大名時代に貧しくなりました。私の夢はこの国がもう一度豊かになることです。けれども、この夢を叶えるには、皆さんの助けが必要なんです」とゆきが言うと、怒涛のような大喝采が沸き起こりました。ゆきが馬車の屋根に腰を下ろしてから、馬車は城の方へ進みました。あちらこちらにゆきは馬車を止めさせて、その台詞を繰り返しました。

第二十八章

老中の再雇用

後ほど、ゆきは城に着き、若殿との再会を喜びました。

次の朝、若殿はゆきの従者と話した後で、ゆきにこう言いました。「なぜ百姓らに演説したのだ。そういうことを姫がするのは、いかがなものか。」

ゆきは、「大名の娘ではありますが、姫のような生い立ちはありません。百姓たちに囲まれて育ったので、彼らの心がよく分かります。百姓は地位や職が変わることを好みません。だから、昔の伝統に立ち返る、ということを話したのです」と答えました。

若殿は、「私の妻であるという立場を考えて、そういうことはしないでほしい」とたしなめました。

「それはどういう意味でしょうか?」と、ゆきは様々な思いが込み上げてきて、「私がこの国を治めるようにと父上さまがおっしゃったことや、あなたが私を補助してくれるようにとおっしゃってくださったことをお忘れなのですか?それとも、私はあなたの妻として黙って奥に控えていれば良いだけの人間だということでしょうか」そういい終えると、自分の部屋に戻り、泣き崩れてしまいました。

少しして、小姓がゆきを見つけました。「ゆきさま、見知らぬ男の方が門にいらっしゃいました。その方はお父上にお仕えしていたとおっしゃっております」と言いました。

ゆきは涙を拭き、「その人をここに連れてきてくれませんか」と言いました。

小姓が去ってから、ゆきは心を落ち着けました。しばらくして、小姓は男と一緒に戻って来ました。

ゆきは、「外で待っていてください」と小姓に言いました。小姓が去ってから、「父上に仕えていたとおっしゃったようですが、証拠はありますか」と男に尋ねました。

男は、「こちらは私の印鑑でございます。お父上の時代、これを使って多数の公文書に印をお押ししました。その時の城は焼け落ちてしまいましたが、いくつかの公文書は、もしかしたら焼け残っているかもしれません」と答えました。

「このような証印はたしかに見覚えがあります」とゆきは言いました。戸の方へ向かって、「入ってください」と小姓を呼びました。

小姓は中に入り、「はい」と言いました。

ゆきは、「私の荷物の中から、古い本を探し出し、ここに持ってきてください」と命じました。

小姓が小走りに出て行ってから、ゆきは、「父上の治世が終わった後、どこで、何をしていたのですか」と聞きました。

男は、「あの後、逃げ延びた先で、その土地の殿にお仕えしておりました。こちらをどうかお読みください」と、手紙をゆきに渡しました。

ゆきはその手紙を読んでから、「あの殿は結婚式においででしたね。しかし、私はそこであなたとはお会いしませんでしたが、どうしてでしょうか」と尋ねました。

「あの時、私は殿の代理として城に残っていたのでございます。しかし、この国を元主君の娘御さまがお治めになるということをお聞きしまして、懐かしさのあまり居ても立ってもいられなくなり、殿にお願いしてお暇をもらい、こちらに急いで駆けつけたという訳でございます」と男は答えました。

ちょうどその時、小姓が戻ってきて、家系図の本をゆきに渡しました。ゆきはその本を開き、そこに押されている印を男の印鑑と見比べました。間もなく、「あっ!確かにこれは同じ印です」と興奮して声を出しました。

「そうでございます。私は、あの日を良く覚えております。ゆきさまの生まれた日でございました」と男は答えました。

「それでは、私の後についてきてください」とゆきは言って、若殿のところに向かいました。「旦那さま、この者は私の父上に仕えていたと申しております。もし本当に信頼のおける人物であるなら、老中として迎え入れるつもりです」と言って、手紙を若殿に渡しました。

若殿は手紙を読んで、「よく分かった。かの国の舵を取っていたのは彼であったのか」と答えました。

第二十九章

狐との会話

ある日、ゆきは城の庭を一人で歩いていました。少しして、岩陰に腰を下ろしたまま泣き出してしまいました。

すると、聞き覚えのある声がしました。「大切な人よ、どうして泣いているのですか。まだ幸せに巡り会えないのですか」

ゆきは躍り上がって立ちました。「あっ!びっくりしました。狐どの、すみません。こんなところにいらっしゃったとは。ちょっとお待ちください。あちらの茶室でお茶でも入れますから」

「いえ、いえ、結構です。ここに座って、あなたの悩みをお聞きしましょう」狐がそのように言うと、ゆきはまた岩に座り込んでしまいました。

「生活のすべてがあまりにも目まぐるしく変わっていきますし、相談できる友達もおりません。殿は優しい方ですが、昼間は忙しくて私のことなど蚊帳の外になっております。新しい老中は政治についていろいろと教えてくれますが、やはり私より殿のそばでお仕えしていますので、私はいつも自分が役立たずになってしまったような感じがしています。それにこの頃は何故か胸が痛くなったり、毎朝吐き気がしたり…」と、ゆきはしくしく泣きはじめました。

「失礼ですが、最近、月の物はありましたか」と狐は聞きました。

ゆきは、「あの、結婚式の前でした…六、七週間だったでしょうか」と答えました。

狐は、「あなたは百姓育ちだったと思いますが、そういうことについて何か教えてもらったことはありませんか。ゆきさん、その吐き気はつわりです。あなたは妊娠しているのです」と言いました。

ゆきは、また飛び上がりました。「妊娠?私のお腹に赤ちゃんがいるのですか。今すぐ殿にお伝えしなければいけません」

「待って、待ってください」と狐はゆきを止めました。「それは後にした方がいい。今はまず、他の悩みについて話しましょう。生活の変化についていけなくなったような感じがある時、静かな場所で気晴らしでもしてみたら良いですよ」

「気晴らしといっても、どんな事をすればいいのですか」とゆきは聞きました。

狐は、「いろいろあるでしょう。縫い物とか、料理とか、読書とか…」と言うと、ゆきは顔を上げました。

「読書ですか。本を読むのは大好きです。でも…」そう言うと、ゆきはまた顔をうつむけました。「でも、このごろは読むといっても、政治に関したものばかりしか読んでいなくて…」

「この城には面白い本がありませんか」と狐は聞きました。

「ないみたいです。前の大名は読書が好きではないようでした」とゆきは答えました。「父上の城にはたくさん面白い本があるのですが」

「お父上に本を貸していただけるよう、お願いの手紙を書いてみてはどうですか。あるいは、この町の商人をあたって面白い本を探してみませんか」と狐は尋ねました。

「この町の市場では、まだ買い物をしたことがありません。私と一緒に行ってくださいませんか」とゆきは聞きました。

狐は、「ご主人と一緒に行った方がいいのですが、それが無理なら私があなたと行きましょう。でも、その前に他の悩みについて話しましょう。城の女性達とは上手くやっていますか」と言いました。

ゆきは、「いいえ、皆私を避けているようです。私が百姓の出身だからと言って蔑んだり、着ている着物が殿の妻に相応しくないと悪口を言ったり。そういう訳で、彼女たちは私と話もしてくれません」と答えました。

狐は、「茶道家のような格好をしていたのでは、殿の妻として相応しくないでしょうね。買い物に行った時、ついでに着物も買いましょう。その大きな町には、誰か顔見知りがいますか」と言いました。

ゆきは、「あの…温泉の女将さんがいます」と答えました。

狐は、「女将さんですか。彼女なら人を使うことが出来るでしょう。あなたの身の回りの世話をしてもらうために、城で働いてもらうことにすれば良いかもしれませんよ。それに、私の娘たちのうちの一匹が人間について興味津々です。もうすぐここへ訪ねてくると思います」と言いました。

「娘さんがここへ訪ねてくるなんて、楽しみです」とゆきは答えました。

狐は、「もう一つ悩みがありますね。お年はおいくつですか」と聞きました。

ゆきの答えは、「十七歳です」

狐は、「十七歳ですか。あなたが男であって、生まれた時からずっと政治のことを勉強してきたのなら、国を治めることについての問題はないのですが。あなたには、まだまだ経験が足りません。女が国を治めるなどということは非常に稀なことですよ。男であるご主人が実権を握りたがるのは自然なことです。難しい問題ですね。しかし、もしあなたがこのまま勉強を続け、ご主人と老中との会議に必ず出席したり、気の利いた質問や良い提案が出来るようになるならば、そのうち政治の深い部分にまで参加することを許されるかもしれませんよ」と言いました。

第三十章

狐子の紹介

それからゆきは狐と一緒に若殿のところに行きました。

若殿は、「ああ、狐どの、ようこそお出でなさいました。突然のご訪問はどういった訳でしょうか」と聞きました。

狐は、「つい今し方、近くで鼠狩りをしていると、聞き覚えのある声で、誰かが泣いているのが聞こえました。その声の主を探し当てて驚きました。いったい、どうしてゆきどのが泣いているのだろうかと。若殿さまと結婚して、お父上の国に帰ってきたのだから、すでに幸せを手に入れたのじゃないかと思っていました。そして、ゆきどのから悩みの相談を受けたのです」と言いました。

若殿は、「なんと。ゆきが泣いていたのですか。どのような悩みがあると聞きましたか」と問いました。

狐は、「それについて触れる前に、まずはゆきどのから、嬉しいお知らせをご報告なさった方がいいでしょう」と、ゆきの方へ向きました。

ゆきは、「私は妊娠したようです」と言いました。

若殿は、「真か。それが真なら、大変喜ばしい」と言いました。

狐は言いました、「ゆきどのの悩みは三つあります。まず一つ目。近頃、生活の変化が大きいので、気分が落ち着かないことがあるようです。私が静かな気晴らしを勧めると、ゆきどのは読書が好きだということが分かりました。ただ、ここには面白い本がないようでようでしたので、お父上に、面白い本をお貸し願う手紙をお書きになり、また市場でも探してみるといいでしょうと勧めました」

「次の悩みはというと、ゆきどのが百姓のように育ち、いまだに茶道家のような着物を着ているので、それを好ましく思わない人がいるということです。それ故に、市場で殿の妻として相応しい着物を探し、また大きな町の温泉の女将へ、ここではお仕え願う手紙を送るようにと勧めました。それに、私の娘の内の一匹が人間について興味津々のようですから、もうすぐこちらへ訪ねてくると思います」

「三つ目の悩みは、ゆきどのがこの国の政治から疎外されていると感じていることです。言うまでもなく、ゆきどのは勉強を続けて、あなたと老中との会議に出席した方がいいと勧めました。会議で気の利いた質問を投げかけたり、良い提案を待ち出してみるのも勧めました」

若殿は、「会議に参加したいというのなら、明日の会議に出席しても良いでしょう。市場への買出しには、代わりに使いを送ってあげましょう」と言いました。

ゆきは、「代わりの使いですか。でも、私が自分で買い物をしたいのです。一緒には行きませんか。それが無理なら、狐どのと行ってもよろしいでしょうか」と頼みました。

その途端に、小さな声が聞こえました。「私も行きたい」

狐は、「悪戯っ子、姿をあらわせ。いつから私たちを見ていたのか」と棚の方へ向かって呼びかけました。

棚の下から、鼠が出てきたと思うと、あっという間に十五、六歳の女の子の姿に変わりました。

「まぁ、父上ったら。『悪戯っ子』じゃなくって、『狐子』と呼んでください」と言いました。

彼女は背が低くて、長い赤毛や悪戯っぽく輝く黒目をして、とても高級そうな着物を着ていました。

「私は、今まで、京都でいろいろなうわさ話を聞き集めていたのよ。それから家に帰る途中で、父上の『私の娘の一匹が人間について興味津々です』と話す声が聞こえたの。私のことだとすぐに分かったけど、なんで『一人』じゃなくて『一匹』なんて言うの?この、私の姿が『一匹』に見える?。とにかく、父上の話し声を聞いてから、鼠の姿に化けて声の方に這っていったわ。そしたら父上は女の子と話しているじゃない。きっと、あれが例のゆきという娘さんなんだろうと思って、父上が女の子と一緒に出るところに、ついてきたの。買い物のことを聞いたときは、さすがにもう黙っていられなくなっちゃって」

狐は、「この子がもう一度口を開く前に紹介をしておいた方がよさそうですね。これが今話した娘です。狐子や、こちらはこの国の新しいお殿様と、前に話したゆきどのだよ」と言いました。

狐子は、「初めまして。私もゆきさまと一緒に買い物に行けると嬉しいのですが。こちらに、何日か訪ねに参ってもよろしいですか」と言いました。

若殿は言いました、「初めまして」

ゆきは、「初めまして、よろしくね。一緒に市場へ行きましょう」と答えました。

若殿は、「私は忙しいので一緒には行けません。狐どのたちとなら、行ってもいいでしょう」と言いました。

狐は、「お殿様も時々はお休みになられた方がよろしいかと存じます。もしお気が変わりましたら、ご一緒に参りたいと存じます。それではまた後ほどこちらへ参ります」と、人間の姿に化けて、ゆきと狐子と一緒に立ち去りました。

第三十一章

市場へ

ゆきは狐たちと一緒に市場へ向かう途中、狐子といろいろなことについて話し合いました。

ゆきは、「京都から来たばかりなの?面白そうね。でも遠くない?私も行きたいんだけど、何日くらいかかるの?」と問いました。

狐子は答えました、「狐のおまじないのおかげで、あっという間に着いちゃうわよ。まぁ、人間なら数週間はかかるでしょうね」

ゆきは、「狐子ちゃん、それは、他の人と一緒でも大丈夫なの?」と聞きました。

狐子は、「それは無理。狐のおまじないは、自分にしか効かないの」と答えました。

ゆきは、「それは残念だわ。京都では、お姫様がそういう着物を着るの?」と尋ねました。

「そうよ。公家のお姫様だって着てるんだから」と狐子は答えました。

そんなふうにおしゃべりを続けながら、女の子たちは狐の後に付いていきました。

一方、その城下町の人々はゆきたちを見て、このように話していました。

「あそこに娘さんがいるね」

「あの赤毛の娘さんのことかい?」

「違う。あの赤毛と話してる娘さんだよ」

「ああ、それがどうした?」

「あの人、ゆきさまだと思わないか?」

「そうだ、そうだ。この前、ゆきさまが馬車の屋根の上に乗っていたのを、俺は見たよ。その時も同じような着物を着ていたから、あれはゆきさまに間違いない。それにしても、殿様の奥さんが市場に行くというのも珍しいな。おい、付いていってみたいか?」

「そうだね。面白そうだね。付いて行こう」

「先に行っててくれ。付いていくのもいいが、俺はまず先に家に寄ってからにするよ。うちのかみさんがゆきさまに会いたいと言ってたから教えてやらないと」

「そりゃいい思い付きだ。家の子供たちもゆきさまに会いたいと言ってたよ。家族揃ってみんなで市場へ行ってみよう」

道中のあちらこちらから、そのような会話をする人が出てきました。早速、ゆきたちの後をつけ始める人もいれば、家族・親類・友達を集めて大勢で市場へ向かう人たちもいました。

第三十二章

呉服屋の中

しばらしくて、ゆきたちは市場に着きました。そして、そこで呉服屋を探しました。

「いらっしゃいませ!きれいなお召し物がたくさんございますよ」と呉服屋は声を掛けてきました。

ゆきは、「このような着物は、ありますか」と、狐子の着物を指差しました。

呉服屋は、「あいにく、そのような高級な着物はございません。京都の新物なのでございましょう。しかし、私の兄は仕立て屋でございます。ゆきさまの採寸をした後に、お連れの方のお着物を数刻お貸しいただければ、数日後には、同じような着物が仕立て上がるかと存じます。お待ちになる間、お連れの方はどうぞ何でもお好きな着物をお召しください」と言いました。

狐子は、「それじゃあ、ちょっと探してくるわね」と、急いで店の着物を選び始めました。

ゆきは、「あの、私をご存知なのでしょうか。以前どちらかでお会いしましたか」と聞きました。

呉服屋は、「お話したことはございませんが、ゆきさまがこの町にご到着なさった時、私は馬車の屋根の上にお立ちになったゆきさまのお顔を拝見し、お声をお聞きしたことがございます。ですから、あなたがこの店にいらっしゃった時、ゆきさまのようだと感じました。その後お声をお聞きして、確かにゆきさまに違いないと存じました。私はこれから一時失礼いたしまして、兄を連れて参ります。どうぞこのままお待ちください」と、言い残して店から出て行きました。

ゆきは、「あの、皆は私の顔や声を覚えているかしら」と疑問を口にしました。

狐は、「店の外を見ると、その答えが分かりますよ」と、店の入り口の方を指差しました。

店の外では、たくさんの人々が市場に集まってきていました。あちらこちらで、このような話し声が聞こえます。

「父さん、ゆきさまはどこにいらっしゃるの?」

「母さん、あの店に入ったそうだ」

「どの店の?」

「あの呉服屋のようだ」

「お父さん、見えない!肩車!」

「ほら、太郎、上がって」

ゆきは戸の陰から外を覗いて、さっと身を引きました。「あんなに多くの人達がこっちを見ているわ。どうしましょう」

狐は、「これが国境で馬車の上に立って人々に話しかけていた、あの気丈なゆきどのでしょうか」と言いました。

ゆきは、「あれとこれとでは全然違います。今からこの人波を歩かなくてはならないなんて。それに、あの時は父上の家臣が私と共に旅していましたから」と答えました。

狐は、「心配しなくて結構ですよ。あの声を聞いてみてください。彼らはただ、ものめずらしいだけなのです。その上、ゆきどのは一人ではありません。狐が二匹」

店の奥から、狐子は叫びました、「二人!」

狐は続けました、「…横にいます。危険があれば、一匹の狐」

「一人!」

「でも、百騎の家臣が守っているより安全です」

狐子はゆきのそばに来ました。「父上の言う通りよ。それより、この着物はどう?」

ちょうどその時、仕立て屋を連れて、呉服屋は戻り、ゆきの採寸を始めました。

第三十三章

面白い本はどこだ?

仕立て屋がゆきの採寸をして、狐子が着物を着替えた後で、ゆきは言いました、「あの、すみません。面白い本を手に入れるには、どこへ行けばいいですか」

呉服屋は、「時々、本を売る行商人がこの町に参りますが、今おりません。兄さん、どう思う?」と言いました。

仕立て屋は答ました、「本さえお借りできれば、この町にいる代書屋が本をお作りいたしますよ。どのような本をお探しでしょうか」

ゆきは、「『源氏物語』という本が大好きなんです。この町には、そんな本を持っている人がいますか」と聞きました。

仕立て屋は、「この町の庄屋さまは、文士だとの評判ですので、そのような本をお持ちかと存じます。お前、どう思う?」と呉服屋に聞きました。

呉服屋は、「その通りでございます。それに、代書屋なら本をお持ちの方を知っているでしょう」と答えました。

ゆきは、「その方々はどちらにいらっしゃいますか」と尋ねました。

呉服屋は、「代書屋の店は、この店から見て、市場の反対側でございます」と言いました。

仕立て屋は、「はい、それに、さっき私がこちらに戻って参ります途中、この店の前で町の庄屋さまが立っていらっしゃるところを拝見いたしました」と加えました。

ゆきは、「そうですか。では、参りましょう」と、出口へ向かって歩き始めましたが、途中で足を止めて、商人たちへもう一度向きました。「呉服屋さん、私を庄屋さんに紹介してくれませんか」

呉服屋は、「ゆきさまのお役に立つことができるならば光栄でございます」と、ゆきと狐たちに連れ立って行きました。

第三十四章

市場の中

市場

ゆきたちが店を出るとすぐに、大きな喝采が沸き起こりました。一人の老人が箱の上に登って、静かにしなさいという合図をしました。人込みが静かになった後で、呉服屋は、「ゆきさま、こちらは今お話した、町の庄屋でございます」と、箱の上の老人を示しました。「庄屋さま、こちらはゆきさまとお連れの方でございます」

ゆきは、「初めまして、庄屋どの。こちらは私を手伝ってくれている、新しい友達の狐子とその父上です。よろしくお願いします」と言いました。

庄屋は箱から下りました。「初めまして、ゆきさま。こちらは家内と息子・娘たちの家族でございます。こちらこそよろしくお願いいたします」と、そばに立っている人たちを紹介しました。

ゆきは、「初めまして」と庄屋の家族に言って、庄屋の方へ向きました。「お聞きしたいことがございます。後でお宅に邪魔してもよろしいでしょうか。でも、まず、この市場にいる方々に紹介していただけませんか」

庄屋が「もちろん」と言うが早いか庄屋の妻は、「あなた、失礼ですが、私たちは家に帰って、食事を準備をしておきます」と、立ち去ろうとしました。

四、五歳の男の子は、「おばあさん、おじいさんと一緒に残ってもいい?」と言いました。

庄屋の妻は、「おじいさんは大事なお話をしているから、私と帰りなさい」と答えました。

ゆきは、「問題ありません。あの子は私たちと一緒にいても構いませんよ」と言いました。

十一、二歳の女の子は、「おばあさん、私も残っていい?あの子のお守りをしなくちゃ」と聞きました。

ゆきは、「賑やかでいいけれども、皆が私たちといたら、おばあさんを手伝ってあげる人がいないでしょ?その食事の時、また会いましょう」と言いました。

庄屋の妻は、「そう仰っていたたければ、助かります。では、この二人以外の者は皆、帰りましょう」と、立ち去りました。

それから、ゆきたちは市場のあちらこちらに行って、いろいろな商人やその町の有力者などに紹介されました。

庄屋の孫息子は狐子と話していました。「ねえ、どうしてお姉さんの髪はそんな色なの?」と聞いたり、「その顔、おかしい!他のを作って」と言ったり、くすくす笑ったりしました。

庄屋の孫娘はゆきと話していました。「お姉さまは姫に生まれたのに、百姓の中で育って、大きな町で有名な茶道家になったんでしょ。すごい!そして、若殿と結婚できて、お父さまの国に帰ってきたんですね。まるでおとぎ話のようだわ」といったり、ため息をついたりしました。

代書屋

やっと代書屋に着きました。ゆきは、「代書屋さん、『源氏物語』のような本さえ借りてここに持ってくれば、あなたが写本を作ってくださるそうですね」と言いました。

代書屋は答えました、「その通りでございます」

ゆきは続けました、「でも、久しぶりに故郷に帰ってきたばかりですので、どなたからそのような本をお借りすればよいのか分かりません。教えていただけませんか」

代書屋は、「『源氏物語』でしたら、あの方にお聞きになるのがよろしいかと存じます」と、町の庄屋を示しました。

ゆきは、「ありがとうございます」と、次の店へ向かいました。

すべての店を訪ね終えて、人々がほとんど去った後で、ゆきたちは呉服屋に戻りました。そこで狐子は元の着物に着替え、それから皆で庄屋の家へと向かいました。

第三十五章

庄屋の家の中

間もなく、ゆきたちは庄屋の家に着き、庄屋の妻が玄関先で、出迎えました。「ゆきさま、この粗末な拙宅にようこそおこしくださいました。おかえりなさいませ、ご主人さま」と言いました。

ゆきは「お邪魔します」と言い、庄屋は、「今、戻った」と言ってから、家の中に入りました。あっという間に、兄弟・従兄弟たちが、ゆきと一緒にいた庄屋の孫たちを取り囲みました。しばらくして、「何をしてたの?」とか、「ゆきさまはどんな人?」と話す声が聞こえました。その後、孫の男の子は狐子のところに行って手を掴み、「お姉さん、またおかしい顔を作って」と言って、子供たちの方に連れて行きました。程なく、子供たちの間からわいわい笑う声が聞こえてきました。

やがて、庄屋の妻は娘たちに手伝ってもらいながら食事を出しました。食事が終わった後で、ゆきは庄屋と内々に話しました。

ゆきは、「庄屋どのは文士だとお聞きしたのですが」と言いました。

庄屋は、「そういうわけではございませんが、時々本を読むのを楽しみにいたしております」と答えました。

ゆきは、「『源氏物語』のような本を市場で探していたところ、呉服屋さんも代書屋も、庄屋どのに聞いてみたら良いと言いました」と言いました。

庄屋は、「『源氏物語』のことでしたら、家内とお話になるのが宜しいかと存じます」と答えました。

ゆきは、「分かりました。奥さまとお話する前に、何か私に仰りたいことはございますか」と聞きました。

庄屋は、「この国の、村から町へ通じている道はあまり良くないそうでございます。百姓にとって作物をこの町へ運ぶのは難しいそうでございます」と言いました。

ゆきは、「はい。殿に必ずこのことを報告しておきましょう。では、奥さまにお話を伺っても宜しいですか」と言いました。

それから庄屋は妻を呼び出しました。ゆきは本を探していることを告げました。「そのような本をお持ちでしょうか」と聞きました。

庄屋の妻は、「ございます」と言って、ゆきを他の部屋に導きました。ゆきが驚いたことに、そこには数十冊の本がありました。

ゆきは、「こんなにたくさん本があるなんて!一冊お借りしてもよろしいですか」と聞きました。

庄屋の妻は、「ゆきさまは有名な茶道家であるということをお聞きしました。もしゆきさまの茶道を拝見させていただけるなら、何冊でもお貸しいたします」と答えました。

それからゆきは皆の前でお茶を点てました。その後で、ゆきは庄屋の妻の助けを借りながら面白い本を選び、狐たちと一緒に城へ戻りました。

第三十六章

城へ帰る

ゆきたちが城に帰ってきた時、日はもう暮れていました。若殿は城門でゆきたちを待っていました。「ゆき、一体なぜこんなに遅くまで帰ってこなかったのだ。市場はとっくに閉まっているに。それに、一冊の本しか持ち帰っていないようだが。今までずっと待っていたのに。どこにいたのだ?」と聞きました。

ゆきは、「ほとんどの時間は、市場にいました。あそこにいる仕立て屋は狐子と同じような着物を作っていますよ。それに、町の庄屋に会いました。その方は私たちと一緒に市場のあちらこちらに行って、いろいろな方に紹介してくださいました。その後で、お宅に行って、夕食を食べて、庄屋と内々にお話をしました。そしてその方の奥さんがこの本を貸してくださいました」と言いました。

狐は、「その通りです」と言いました。

ゆきは、「どうしてそのように厳しい口調でお話になるのですか。私は赤子ではありません。祖母が亡くなった後で、一人であの大きな町に歩いて行ったではありませんか」

若殿は、「しかし…」

ゆきは、「結婚式の前、毎晩城から一人で帰ったではありませんか。忍者が襲撃した後、そのまま続けたではありませんか」

若殿は、「しかし…」

ゆきは、「それに、今回私は一人ではありませんでした。この狐どのは私を何度も助けてくださったではありませんか。この方と一緒にいるのに安全でないとすると、一体どこに安全なのかとお考えでしょうか」

若殿は、「しかし…」

ゆきは、「明日の会議でお会いしましょう」と、そのまま自分の部屋に帰って行きました。

若殿は、「しかし、心配しなかったら、そのように話さないだろう」と言いました。

狐は、「ご心配ではあられましょうが、それでも優しく話された方が宜しいかと存じます」と言いました。

若殿は、「どうしよう?」と聞きました。

狐は「これからゆきどのを一人の大人として扱った方が宜しいかと存じます。私はそれで失礼させていだきますが、ついでに鼠を探してみることにいたします」と、自分の姿に戻って、立ち去りました。

狐子は、「私が使わせていただけるお部屋を見せていただいてから、ゆきちゃんのお部屋を訪ねてもいいですか。もしかして私がお話をすれば、ゆきちゃんは落ち着くかも知れません」と言いました。

それから若殿は狐子に彼女の部屋に、次いでゆきの部屋に連れて行かせました。

第三十七章

狐子との会話

狐子がゆきの部屋に着いたとき、ゆきは暗い隅で座ったまま、本を抱いて泣いていました。狐子は、「ゆきちゃん、さあ、涙を拭いて。大切な本が濡れちゃうよ」と言いました。

ゆきは、「どうして殿は私のことを怒っているの?」と尋ねました。

狐子は、「そんなことはないわよ。ゆきちゃんの帰りが遅くなったから、殿はご心配だったのよ。だから、ついつい本当の気持ちよりきついお言葉になっちゃったのね。ゆきちゃんが去った後、殿はがっくり肩を落としていらしたわ」と答えました。

ゆきは、「本当?」と、涙を払いました。

狐子は、「うそなんかじゃないよ。書くつもりの手紙があったじゃない。ほら、蝋燭に火を点けて、その手紙を書いてみようよ」と言いました。

それからゆきは狐子と話し合いながら、殿様と女将へ、二通の手紙を書きました。書き終わった後で、狐子は自分の部屋に戻りました。ゆきは蝋燭の火を吹き消してから寝ました。

第三十八章

会議

次の朝、会議の前に、ゆきは老中のところに行きました。「この二通の手紙を、あの大きな町に送りたいのですが、自分の印鑑がないので、まだ封じていません。このまま封をして、町へ届ける後で、私に相応しい印鑑を作ってくださいませんか」と聞きました。

老中は、「かしこまりました。ゆきさまのお父上と同じような印鑑ではいかがでしょうか」と答えました。

ゆきは、「それなら、嬉しいです。よろしくお願いします」と、立ち去りました。

少しして、ゆきは若殿と老中の会議に参加し、庄屋との会話のことを報じました。「その道について、どういう手を講じるおつもりでしょうか。老中どの、父上の時代からあのように荒れた道だったのですか」と尋ねました。

老中は、「そのころのことを思い出しますと、良い道というほどはありませんでしたが、今よりはずっとましでございました」と答えました。「当時、それぞれの村は、税の一部を免除される代わりに、担当区分の道を整備する義務を負っていました。ひょっとすると、後の大名がその取り決めを変えてしまったのかも知れません」と答えました。

若殿は老中に、「現在はどういうことになっているのかを調査してください」と、ゆきの方へ向かいました。「ゆき、このことに留意してくれてありがとう。昨夜は、つい厳しい物言いになってしまい、悪かったと思っている。狐どのが言ったように、これからはあなたを一人の大人として扱った方がいいようです」

ゆきは顔を赤らめました。「いいえ、遅くなると分かった時点で誰かに言付けを頼むべきでした」と言いました。「でも、私はまだこの国をよく知りません。お腹が大きくなる前に、それぞれの村を訪ねて、さまざまな問題や農民の不満などを直に聞いておきたいと思っています」

若殿は、「ここに止まっ…」と、ふと立ち止って、狐の言葉を思い出しました。「分かりました。しかし今回ばかりは私も一緒に行こうと思います。老中は私の代理として城に残りなさい」

老中は、「馬車がそのような狭くて凸凹した道を通ることはできないと存じます。ゆきどのは乗馬がおできでしょうか」と言いました。

ゆきは、「馬に乗ったことは一度もありません」と言いました。

若殿は老中に、「馬屋の者に気性の優しい牝馬を選ばせて、出発までゆきに毎日乗り方を教えてほしい。それに、それぞれの村に使者を送っておきなさい」と命じました。

それから他のことについても話しました。

第三十九章

旅の準備

狐子は、ゆきが村を訪ねて回る予定を聞いた時、「私も行きたい」と言い出しました。若殿はそれを承諾しました。

旅が始まるまで、ゆきは会議に参加したり、老中から政治、馬屋の者から馬に乗り方を学んだりして、忙しく暮らしました。一方、狐子は城の女性たちを調べていました。そして人間の姿で彼女たちに向かって、このように言うこともありました。

「この着物が気に入ったの?京都のお姫さまは皆このような着物を着ているのよ。ところで、市場にいる仕立て屋はゆきちゃんのためにこれと同じような着物を作ってるわ。あ、ゆきちゃんと言えば、あなたたち、彼女のお茶会を見たことあるの?私は京都の一番有名な茶道家を見たことがあるんだけど、それでもゆきちゃんのお点前を見た時は、思わず息を呑んじゃったわ。ゆきちゃんに優しく尋ねてみたら、あなたたちも出席させてもらえるかも」

狐子は他の姿に化けて現れることもありました。侍女や、小姓や、猫の姿に化けて、城のあちらこちらで、いろいろな会話を聞くのです。もし、ゆきの悪口を話している人がいたら、たちまちその人は指に針を刺してしまったり、床板に躓いたり、何か持っている物を落としたりしました。薄紙をはぐように、いつの間にか悪口を言う人たちはいなくなり、ゆきのお点前を見せてほしいと頼んでくる人たちは多くなっていきました。

出発の前日に、若殿は盛大な宴を催しました。城で仕えている者たちは残らず招待されました。宴が一段落したところで、ゆきは新しい着物に着替え、お茶を点てました。その様子を見るや、皆は感動のあまり、しきりにゆきを賞賛し始めました。

第四十章

初めの村

次の朝、ゆきと若殿は家来と一緒に初めの村へ出かけました。しばらくすると、道が狭くなるにつれ二頭の馬は肩を並べて歩くことはできなくなりました。さらに道が凸凹になるにつれて、かろうじて一頭だけなら歩ける、というほどの悪路になりました。若殿は、「酷いな。道がほとんどこのような状態なら、兵をどこかへ早く送るような事態の時に、まったく使い物にならない。このままではいけないぞ」と言いました。

ついに、ゆきたちは村に到着しました。しかし、村の住民はいないようでした。しばらく捜索した後で、一人の老人を見つけました。

家来の一人が、「じじい、みんなはどこだい?」と聞きました。

老人は、「お侍さまが村にくれば、わしら百姓は苦しみます。それでもお殿さまがじきじきに来るよりはましであろうと思っておりました。今日、お殿さまがここに来るおつもりということを聞いて、村の者は皆逃げ出したまま身を隠しております。わしは先の短い身ですので、ここに一人残っております」と言いました。

その家来は、「畜生!」と、刀を抜こうとしましたが、「止めなさい!」と声を聞いて、ゆきの方へ向きました。「私は村の人々を傷つけるつもりはありません。その人を放しなさい」とゆきは命じました。その家来は若殿がこっくりとうなずくのを見た後、老人を放しました。

ゆきは馬から降りて、老人のところに近づきました。「おじいさん、父上の時代にも農民がそのように扱われることがありましたか」と聞きました。

老人は突然にやりと笑いました。「お父上でございますか。もしお父上とおっしゃったのなら、あなたはゆきさまでございましょう」と言いました。「百姓の生活はいつもつらいものではございますが、これほどつらい時代は今までありませんでした。お父上の時代、お侍が理由もなく百姓を殺すようなことがあれば、お父上は直ちにそのお侍を罰したものでした。しかし、後のお殿さまは、どのようなことがあろうと、お侍を罰するということが全くありません。反対に、百姓は取るに足らない理由のために罰を受けております」

ゆきは、「侍でも、農民でも、罰するかどうかを決める前に公正な裁きをすべきです」と言いました。「他の住民を探して、私が皆と会いたいと言っていることを告げてください」

それから老人は出かけ、一人一人、村の住民を集めました。ほとんどの村人が集まった後で、若殿とゆきは農民の言い分を聞きたり、その村に道を整備する担当区分、免除する税の部分を決めたり、責任者を任じたりしました。

第四十一章

女将の到着

ゆきたちはその村に二日間いました。その後、次の村へ向かって出発しました。ゆきと若殿はいい領主だといううわさが広まりました。村人は、次第に、ゆきたちを歓迎してくれるようになりました。

一方、城の中にはゆきのことを妬んで、悪口を言い始める者もいました。「彼女が城にいた間は、誰かが城で彼女の悪く言うと、その人はすぐに何らかの災難に遭っていたようだ。彼女が城を出てから、そんな災難はあまり起こらなくなった。それに、若いのに、どうしてあんなにお茶のお点前が達者なのだろう?うわさでは、彼女は狐と通じているらしい。彼女も化け物かも知れない。あるいは、物の怪の類いかも知れない」などと言う出す者も現れました。

その頃、大きな町にある温泉の女将が城に着きました。ゆきがいないので、女将は老中にゆきの手紙を見せました。「ゆきさまをお手伝いするためにこちらに参ったのです。ゆきさまがお留守だということでしたら、私は何をいたしましょうか」と聞きました。

老中は、「ゆきさまは、あなたが城においでになると、確かにおっしゃっていました。ゆきさまが村をお訪ねしている間に、この城内のことをよく知っておいた方がいいでしょう。お部屋は、ゆきさまの隣室をお使いください」と答えました。

それから女将は城内をあちらこちら歩いて回りました。しばらくすると、ある人についての、悪いうわさ話が耳に入り始めました。初め、女将は「彼女?その『彼女』は誰かしら」と思いましたが、まだ彼女は城の者をよく知らなかったので、何も言いませんでした。しかし、徐々に、その人たちが話しているのは、ゆきのことだと分かってきました。そのことに気づいてから、老中のところへ行き、悪いうわさについて報告しました。

老中は答えました、「分かりました、ありがとう。しかし、人のうわさ話を止めることはできません。そのうわさを集めてくれませんか。ゆきさまがお帰になられたら、そのことをお知りになりたいでしょう」と言いました。

それから女将は、悪いうわさを聞くたびに、その詳細を日記に書き続けました。

第四十二章

危難の噂

ゆきたちが山に近づくと、鬼や天狗などが村を襲撃している、という妙な噂を耳にしました。家来の長は若殿に言いました、「殿、危険でございます。城にお戻りになる方が良いかと存じます。このままお進みになるのであれば、女の方々を城にお帰しするべきかと存じます」

若殿は、「私はもう城に戻るようにとゆきに命じたが、彼女はそれを断固として拒否した。それに、狐子は…」

「鬼なんて怖くないわ」と言う声が聞こえました。狐子は若殿の近くにいました。「鬼なんて、力だけで、頭は空っぽですもの」

「鬼が父上の城を襲撃した時、狐子のお父さんがあそこにいなかったら、私は家来どもと共に何もできなかったに違いない…とにかく、ゆきを説得して城に戻してくれないか」と若殿は尋ねました。

「もう無駄です。命令される前は、城へ戻ろうと思っていたのに、命令されてからは、逆に続けようと決意してしまったようです。あの子は気骨があるよ。頑張れ!…どうせ、鬼などがいた方が、このつまらない旅は賑やかになるでしょう」と、狐子はゆきの方へ向かって歩きました。

若殿は家来に、「全員が鬼や天狗などを見つけ出せるように注意しておいて欲しい。驚いては駄目だ」と命じてから、「つまらない旅の方がいい」と呟きました。

第四十三章

鬼と遭遇

少しして、ゆきたちが森を通り抜ける間に、斥候が戻ってきて報告しました。「殿、一町ほど向こうで、倒れた巨木が道をふさいでおります。その先へ進むことはできないようでございます」

若殿は家来に聞きました、「他にも道があるだろう?」

「あの村は狭い谷の中にあるので、他の道はございません」と答えました。

「今すぐ、城へ戻ってくれますか」と若殿はゆきに尋ねました。

「私はそれぞれの村を訪ねたいと申しました。安全で行きやすい村だけを選んで訪ねたいと申した覚えはございません。すべての村を訪ね終えてから、戻るつもりです」とゆきは答えました。

若殿はため息をつきました。「仕方ない。斧を持っていって、あの丸木を切り開きなさい」と命じました。

それから、ゆきたちはその丸木のそばに集まりました。三人の家来が、斧でその木を切り始めました。ところが、斧が木に当たるや否や、その木は激しく動き始め、怒号が辺りに響き渡りました。「どこのどいつが俺様の昼寝を邪魔してやがる?」木だと思っていたものは、なんと鬼の足でした!

鬼は立ち上がりました。ゆきたちの馬は怯えてしまって、あちこちへ走り回りました。ゆきは馬から振り落とされて、地面にたたきつけられ、気絶しました。一帯はひどい混乱状態に陥ってしまいました。

「俺様は、弟に会うためにここに来たのに、あいつの岩屋には誰もいない。この辺りの人間がまだ生きていた時に、俺様に食われる前に、すでに弟を殺していたに違いない。お前ら、何か知っていることがあるか?」

「出たわね、この木偶の坊、私の父がその鬼を退治させたのよ。兄弟そろって間抜け面の見本市でもやるつもりだったのかしら。戦うだけ無駄ね」狐子は自分の姿に戻り、少し離れて座ったまま、のんびりと毛づくろいを始めました。

「お前のように小さな女狐が俺様の相手になるはずもない。ほう、生意気にも尻尾が二本か。どれ、ひねりつぶしてやろう」と、鬼は松の木を引き抜いて、まるで棍棒のように狐子のいるところへ振り下ろしました。その松の木を持ち上げてみると、狐子は影も形もなくなっていました。「軽いもんだわい」

「あらこっちよ、のろまちゃん。その松の木を枕に、お昼寝するところだったわ」と笑う声が聞こえました。狐子は少し離れた所に立っていました。その瞬間、鬼の方へ駆けてきたかと思うと、狐子は鬼の踵を噛んで、また遠ざかりました。

「畜生!止めろ!うっとうしい女狐め、そこを動くな!」と、鬼は棍棒を振り回りました。

狐子はそのようにして、徐々に鬼をゆきたちのいる場所から離していきました。

一方、家来たちは馬を捕まえた後、少し落ち着きました。若殿はゆきの目を覚まそうとしました。「ゆき!起きなさい!逃げるんだ!」

ゆきの目が開き始めました。「あの、何があったの?頭が痛い…」と、ゆきは目を丸くして言いました。「鬼だったの?どこ?」と、神経質に辺りを見回し、離れたところにいる鬼に気づきました。「誰かが鬼に追われているのですか」

若殿は、「狐子だよ。鬼が狐子を追い続けている。今のうちに、さあ逃げよう!」と言いました。

ゆきは、「それが侍のお言葉でしょうか。女子に戦わせて、ご自分の方はお逃げになるとは。それに、あの鬼を止めなければ、これからまた何人の農民が殺されてしまうことか。侍の義務は国を守ることではございませんか。農民は国の生きた血です。農民を失えば、国が滅んでしまうことでしょう」

「あそこを見て!狐子が噛んだ踵のところに、狐火が憑いています。あそこを深く切れば鬼は必ずひっくり返るでしょう!真の侍なら出来るはずです」とゆきは言いました。

「そうか!見えるぞ!よし、やってみる」と、刀を抜こうとしましたが、「殿、お待ちください」と言う声が聞こえました。家来がゆきたちに近づいてきました。

「ご再考なされた方が良いかと存じます。農民は国の生きた血ではありますが、殿は国の御心でございます。お世継ぎがいらっしゃらない殿に、万が一のことでもございますれば…。すぐにでも、隣国が攻め込んできて、我が国を滅ぼしてしまうことでしょう」

「我ら侍の最も大切な義務は殿を守ることでございます。この刀と、拙者の父がゆきさまのお父上にお仕え致しました。しかし、その後の大名に仕えたことは、拙者にとって真に不名誉なことでありました。ですから、拙者がこの責務をお引き受け致します。たとえ我が命を落とそうとも、あの鬼を倒すことで汚名を返上致したいと存じております。殿は最後の決定打をお願い致します」

若殿がゆっくりとうなずくと、家来は鬼の方へ向きました。木から木まで走ってぬけ、鬼の方を窺いながる少し待ち、また次の木の方へ向かって走りました。若殿も同じように、家来の後ろを少し離れてついて行きました。そしてようやく、家来は鬼の近くまでたどり着きました。もう一度、鬼がまだ気づかないのをそっと確かめてから、息を殺して鬼の踵のそばに駆けつけ、力いっぱい刀で深く切り込みました。鬼は激高しながら切られた足を持ち上げようとしましたが、松の木の棍棒を振り回したので、釣り合いを失い、ついに地面でひっくり返りました。

鬼が倒れたのを見て、すぐに若殿は鬼の頭のところへ駆けつけ、刀を抜き、一振りで鬼の首を切り落としました。一段落した後で、家来が立っていた辺りを見ましたが、そこには誰もいませんでした。「おい、どこだ?大丈夫か?」と呼びました。

家来は答えました、「こちらにおりますが、身動きできないのでございます。鬼の足が拙者の腕の上にあるのです」

それから、家来たちは彼を鬼の足の下から助け出しました。一方、狐子は人間の姿に化け、若殿のところに行きました。「とっても楽しかったわ。今度はどんな鬼に会うかしら」と言いました。

「やれやれ」と若殿は苦笑いしながら言いました。

第四十四章

破壊された村

鬼を退治した後で、ゆきたちは村の方へ旅を続けました。村に着いた時、あちこちに壊れた家が見えましたが、人は誰もいませんでした。

家来の一人が、ある壊れかけた家に走っていき、「父さん!母さん!どこだ!大丈夫か?」と叫びました。

「おじさん!」と言う声が聞こえました。七、八歳の女の子がその家来のところに走っていきました。「鬼が出たの!お家がめちゃめちゃにされて!お母さんとお父さんが食べられちゃって!怖かったからずっと穴に隠れてたの!」と、泣き出しました。

家来は、「落ち着いて、落ち着いて。鬼は死んだよ。お腹がぺこぺこだろう。兄弟はどこ?」と言いました。

「弟も妹もまだ穴にいる」と、泣きなから指差しました。

「おじいさんや、おばあさんは?」と家来は聞きました。

「知らない!」と答えました。

「じゃ、兄弟を集めて、何か食べよう」と家来は言いました。

それから家来は、子供たちをゆきたちのところに連れて行き、食べ物を与えました。若殿は、生き残った者を探すために、村の方々に家来を送りました。

しばらくして、家来たちは戻り、二、三十人の農民を連れてきました。ほとんどは子供でした。「殿、どこもかしこも捜索致しましたが、この者たちしかいないようでございます」と報告しました。

若殿は、「五十世帯の中から生き残った者は、たったのこれだけか?被害は甚大だぞ」と言いました。はじめに子供を見つけた家来の方へ向きました。「この村との関係は何だ?」

「拙者の家内はこの村から参りました。家内の父はこの村の長で、この子たちは家内の兄の子供なのでございます」と答えました。

ゆきは、「この村人たちを、いかがなさるおつもりですか」と聞きました。

若殿は、「ここに何も残っていないので、他の村か城下町に連れて行く他ないだろう」と答えました。

ゆきは、「何も残っていないとおしゃるのですか。あちらをご覧ください!あれでも何もないとおしゃいますか」と、田んぼ一面に実った稲穂を指差しました。「あれは国の宝ではございませんか。あの田をすぐにでも刈り取らないと、この村からの米収は無くなってしまいます。つまり、この村からの税収も無くなるということです」

「それよりも、この人たちが他の村に連れて行かれたら、一体どのような生活を送ることになるとお思いですか。よそ者として、とても貧しく暮らすことになるに違いないでしょう。私はそのように育ちましたから、よく分かるのです。それでもまだ、他の村などに連れて行くおつもりですか」とゆきは言いました。

「ふむ。それでは何か良い考えでもあるかい?」と若殿は聞きました。

ゆきは、「はい。仮住まいや食料の確保が必要です。まず、壊された家の中から一、二軒を建て直し、倒された米倉のお米が腐ってしまわないように、運び込んで保管しましょう。それに、隣の村や城に使者を送って、彼らの親戚や手伝ってくれる人を呼び集めましょう。家を再建した後に収穫を始め、それから改めて米倉を作ればいいかと存じます」と答えました。

若殿は言いました、「分かった。よし、それでは使者と一緒に城へ帰りなさい」

「何をおしゃいますか。あれらの田んぼが刈り入れが終わるまで、ここに残るつもりです。この侍たちの中で、米の収穫の経験がある者は何人いますか。私はあの子くらいの年頃から、毎年収穫を手伝っていたのです。ですから、今年も収穫を手伝うつもりです」と、ゆきは七、八歳の女の子を指差しました。

若殿は、「なんと。ここに残るつもりならば、ゆきは妊娠中の身ゆえ、あの子たちを子守りくらいにしておいた方がいいだろう」と言いました。

ゆきは、「私より狐子の方が、子守りが上手です。あちらをご覧ください!狐子のお話や面白い顔のおかげで、あの子たちの泣き顔が笑顔になりました。それに、毎年妊婦が田んぼを刈り取るのを見てきました。私が田んぼで働く方が役に立つでしょう」と答えました。

若殿はため息をつきました。「賛成するしかないだろう」と、家来の中から使者を選びました。

第四十五章

広がる噂

ゆきたちが家を建て直したり、米を刈り入れたりしているうちに、だんだん他の村や城下町から手伝ってくれる人たちが到着し始めました。一週間ほどで米の収穫が終わり、ゆきと若殿は今後の村のことを話し合いました。そして、誰がどの田んぼを受け継ぐか、誰がどの孤児を育てるか、というようなことを決めました。

若殿一行について話が、国中に伝わりました。「殿が、またもや鬼の首を切り落とした。まさに豪傑と呼ぶに相応しい」とか「殿とゆきさまが、鬼に襲われた村を再興させた。本物の名君だ」などと、農民たちは口々に褒め称えました。

一方、城の中では、ゆきの行動について「彼女は田んぼで働いたそうだ。百姓の心が染み付いているのだろう。全く我等が殿に似つかわしくない妻だ」とか「なんと、殿を泥まみれで働かせたそうだ。魔術を使う物の怪に違いない」とか「狐の姿に化けて、鬼と戦ったそうだ。前から言っているように、彼女は化け物だ」などと、悪い噂が広まっていました。 女将は日記にいろいろな噂を黙々と記録し続けました。

そしてついに、ゆきたちはその村の復旧を終え、残った村もすべて訪ね、城へ帰ってきました。

第四十六章

城への帰還

ゆきたちが城に向かう途中、狐に会いました。「狐どの、こんにちは」とゆきは言いました。

狐は答えました、「こんにちは、ゆきどの。失礼ですが、狐子と一緒に行かなければなりません。狐の会議がありますから」

ゆきは、「狐の会議ですか。狐子ちゃんに何か問題でも起こりましたか」と聞きました。

狐子は、「別に、心配しないで。きっと鬼を退治した時のことね。すぐに帰って来られると思うわ。それでは行ってきます」と、自分の姿に戻り、父親と一緒に歩き出したかと思うと、あっという間に消えました。

しばらくするとゆきたちが城下町に着きました。老若男女、町中の人々が道に並んで待っていました。その中を通って城へ向かう間、大きな喝采が沸き続けました。しかし、城内はとても静かでした。ゆきは城のあちこちから悪意に満ちた目で眺められているように感じました。

しかし、見覚えのある顔に気づきました。女将がゆきの方に歩いて来ましです。「女将さん!来てくれたのですね!やっと願いが叶いました!」と、泣き出しました。

女将は、「ゆきさま、お待ちしておりました。どうか落ち着いてください。ご妊娠中の体ながら国のあちらこちらにいらっしゃった後で、お疲れでございましょう。馬からお降りになって、お部屋にお戻りください。お風呂が沸いております」と、ゆきが馬から降りるのを手伝い、部屋へ連れて行きました。

第四十七章

女将との会話

次の日、ゆきが朝ごはんを食べた後で、女将は、「昨日は、気が動転なさっていたようです。何かにお困りでしょうか。私に出来ることはございませんか」と、ゆきの前に座りました。

ゆきは、「私が元々女将さんの下で働いていたのですから、二人だけの時は、敬語を使わなくても結構ですよ」と、ため息をつきながら、窓の外を指差しました。「外に出ている間は自由を感じました。でも城内にいる時は、籠の鳥みたい」

「何かをしようとすると、すぐに反感を買ってしまうし。狐子ちゃんがここにいた時は、だんだんよくなっている感じがしていたのですが。でも、狐子ちゃんは狐どのと一緒に遠くへ行ってしまいました。私が城に帰ってきた時、笑顔で迎えてくれる人はいませんでした」

女将は、「その狐子さんというのは、どんな人ですか」と尋ねました。

ゆきは含み笑いをしました、「人ではないんです。実は、狐子ちゃんは狐どのの娘です。人間のことにすごく興味があるから、常に人間の姿をしていますけど。とても明るくて、勇敢な女の子です。村を訪ねる間に鬼と遭遇した時、狐子ちゃんは狐の姿に戻り、たった一人で鬼と戦いました」

女将は、「狐子さんが狐の姿で鬼と戦ったのですか。噂では、ゆき様が狐に化けて鬼を退治なさったと」と、自分の部屋に行き、日記を持って戻ってきました。「私が城で働き始めてから、ゆき様についてのお噂を耳にするたびに、それらをこの日記に書いて参りました。お読みください」

それからゆきは日記に書かれた噂を読み始めました。順に目を通しながら、「ここの意味がさっぱり分かりません」とか、「ここの部分は狐子ちゃんのことです」とか、「これは私のしたことですが、事実と全く違います」と女将に言いました。

第四十八章

老中の助言

その日の会議で、老中は、「子供を見つけた家来を、村の村長にお取立てなさったのでございますか」と聞きました。

若殿は答えました、「そうだ。ゆきの考えだった」

老中は続けました、「しかし、その家来の妻が、村に戻りたくないと申しているようでございます。ゆき様のお考えだということでしたら、一度、ゆき様が彼女にお会いになってはいかがでしょうか」

ゆきは、「私?でも、誰も私のことが好きではないようです」と言いました。

老中は、「城に到着してから、ゆき様はこの城の者たちとお付き合いなさらないようでございますが、例の悪い噂をしている者たちは、ゆき様のことをよく存じていないでしょう。もし、ゆき様が少しでもお付き合いを持たれましたら、そのような噂は消えて行くはずでございます」と助言しました。

ゆきはため息をつきました。「では、その女の人と話してみます。今晩、私の部屋に来させてください」

第四十九章

面会の準備

ゆきは自分の部屋に戻って、女将と話をしました。「女将さん、今晩、村長に任命されたあの家来の妻と会います。彼女のことで、何か知っていることはありますか」

女将は答えました、「彼女は子供が二人います。ゆき様のお怒りに触れたので、彼女は遠い村に送られてしまう、という噂が広がっています」

ゆきは驚いていました。「私が彼女に怒っている?どういうわけで私が怒るのでしょうか」

女将は、「しばしば悪い噂が広がっているのは彼女が原因のようです。今回は、ゆき様にそのことがばれてしまったと思っているのでしょう」と答えました。

ゆきは尋ねました、「彼女と会う時の助言は何かありますか」

女将は、「まず、お茶をお点てになり、心が落ち着いた後に、問題についてお話をなされば良いかと存じます」と答えました。

ゆきは、「では、相応しい着物を選んでください。私は茶道具を準備します」と、準備を始めました。

第五十章

家来の妻

夜になり、その家来の妻はゆきの部屋に入ってきました。彼女はそわそわしていました。「ゆき様、私について何かお聞きであれば、それは出鱈目です。信じないでください」と言いました。

ゆきは、「ただ今お湯が沸きました。お茶を飲んだ後でゆっくり話しましょう」と、お茶を点て始めました。

お茶を楽しんだ後で、ゆきは、「あの村はあなたの故郷なのに、戻りたくないそうですね。どうしてなの?」と聞きました。

家来の妻は、「あそこで鬼の襲撃に怯えながら暮らすことが、私にはとても苦痛でした。夫と結婚した後は村に絶対戻らないと誓ったのです。この約束はこの城の人たちも知っていることですので、ゆき様も当然ご存知かと思います。今回私を村に戻すというのは、悪い噂を流した私への罰でございますか」と聞きました。

ゆきは、「それは知りませんでした。私はただお兄さんの子供のことだけを考えていました。その子達しかおじいさんの田んぼを相続する者がいないのです。でも、彼らは若すぎるから、十分に成長するまで、誰かが彼らの面倒を見なければなりません。親類の中で、世話をしてくれる身寄りがありますか」と尋ねました。

家来の妻ははっと息をのみました。「兄の子供が孤児になったのですか。知りませんでした。彼らをここに呼び寄せてもよろしいでしょうか。ここでなら、私が育てることができます」

ゆきは首を振りました。「ここだと、農業のことを全然知らずに育つでしょうね。皆が城で暮らしたら、いったい誰が相続した田んぼを耕すのですか」

家来の妻は震えました。「でも、鬼が怖いのです。他の鬼が襲って来たら、どうしたらいいのでしょうか」

ゆきは、「殿は、すでに二頭の鬼の首を切り落としています。次にまた鬼が来たら、殿はすぐに兵を率いて駆けつけ、前のように首を切り落として下さるに違いありません。今回の旅において、それぞれの村に早く行き来できるように、殿は道を修繕する手筈を整えました。心配しないでください」と、もう一度お茶を点てました。その後、家来の妻は夫と一緒にその村に住むことにしぶしぶ同意しました。

第五十一章

茶会の予定

家来の妻がゆきの部屋を出てから、女将が入ってきました。「ゆき様、お茶会はいかがでしたか」

ゆきは溜息をつきました。「はじめは渋っていましたが、ようやくうなずいてくれました。家族と一緒にあの村に行って、お兄さんの子どもたちを育てることに同意してくれました」そしてまた溜息をつきました。「こういう話をするのは苦手です」

女将は茶道具を片付け始めました。「国を治めることになれば、そのような会話はいつも必要になると思います。つまり、それは政治ですね」

ゆきは、「そうですね」と、苦笑いをしました。「彼女が城を出れば、例の悪い噂は無くなると思いますか」

女将は首をかしげました。「そうはならないでしょうね。噂話が好きな人は多いですから。でも、城中の者がゆき様のことをよく分かってくれば、悪口を広めるようなことはしなくなるでしょうね」

ゆきは、「どうやれば、彼女たちに私のことを分かってもらえると思いますか」と尋ねました。

女将は、「一人一人とお茶会を催すのがよいかと思います。でも、誰がはじめのお客になるかは難しい問題ですね」と、服を着替えているゆきを手伝いながら言いました。

ゆきはくすくすと笑い出しました。「難しくないと思いますよ。今晩が、そのはじめのお客でしたから」

女将も笑いました。「そうですね。さて、問題は、次のお客を誰にするかということになりますね。はじめのお客はお茶会の後でここから追放されたように見えてしまったので、城内の者がお茶会を怖がり始めるかも知れません」

ゆきは、「そうですね」と答えながら、棚に置かれた二冊の本を見つけました。そしてその二つの本が、どちらも同じ内容だということに気付きました。「私がここを離れていた間に、庄屋さんの奥さんから借りた本の写本が出来上がっていたようですね。それでは、彼女が次のお客というのはどうですか」

女将は、「良い考えだと存じます」と、二人は庄屋の妻に招待状を書いて送りました。

そういうわけで、数日後、庄屋の妻が城にやって来ました。茶会の間、ゆきは借りていた本を返し、他の本を借りる約束をしました。

間もなく、この茶会の噂が城内に広まっていきました。それから、城内の女性が一人一人ゆきと楽しむ茶会の招待状を受け取り始めました。初めに、彼女らはびくびくしながらゆきの部屋に行きましたが、それぞれが自分の参加した茶会を楽しんだという話が広まると、茶会に来る客がだんだん心を開いていきました。それぞれの茶会の前に、女将はその茶会の客に関する情報をゆきに教えておきました。そして、ゆきはその客の好きなことや嫌いなこと、家族のことなどを茶会の間に話し合いました。こうして、ゆきについての悪い噂はだんだん無くなりました。

第五十二章

三本の尻尾

ある秋空の日、ゆきは 庭で日向ぼっこをしながら、座って本を読んでいました。突然、誰かが落ち葉の中を歩いているような足音が、ゆきの耳に入ってきました。辺りを見渡すと、見覚えのある赤毛の女の子が見えました。

「狐子ちゃん!おかえり!」と、重い体でゆっくりと立ち上がりました。

「ただいま!ああ、ゆきちゃん、お腹がすっかり大きくなったわね。赤ちゃんが蹴るのがもう分かるの?」と狐子が聞くと、ゆきは「そうよ。さわってみて!」と、狐子の手を取って、自分のお腹に置きました。

「強いわ!いつ生まれるかしら?」と狐子が尋ねると、ゆきは「春らしいの。多分、花見のころ」と答えました。

「わあ!きっと桜のように華やかな子が産まれたわね」と狐子が言うと、ゆきは「それはそうと狐子ちゃん、ここを離れてから、何をしていたの?心配しないでと言ってたけど、長い間戻ってこなかったから、気になってたの。その後、変わりはない?」と聞きました。

狐子は、「心配しないで大丈夫よ。鬼との喧嘩のおかげで、尻尾をもう一本付けることを許してもらったの。見て!」と、自分の元の姿に戻り、背中の後ろに後れる数本の尻尾を見せました。

ゆきは、「可愛い!」と、尻尾を指折り、数え始めました。「一、二、三…尻尾が三本見えるわ。ええと、前は二本の尻尾だったっけ?狐子ちゃんはいつも人間の姿だったから気が付かなかったよ」

狐子は人間の姿に化け、「前は二本だったの。お父さんが得意気な顔をしてたわ」と笑った後、ふいに溜息をつきました。「でも、お父さんが言うには、私の尻尾が三本になったから、一族をもっと繁栄させるために、すぐにでも結婚すべきだって。それからひっきりなしに、他の家族から来たつまんない男に私を紹介するのよ。本当にうんざりなんだけど。みんなの興味は人間のことより私の尻尾をくんくんと嗅ぐことにしかないのよ」と言って、顔をしかめました。

ゆきは、「それは残念ね。まだお嫁に行きたくないの?」

狐子は、「結婚はしたいけど、そんな男たちはちょっとね…」

ゆきは、「どんな人がいいの?」

狐子は両手を胸に置いて、目を見上げ、微笑んでから、長い息をつきました。そして「老中」とだけ言いました。

「へえ?何?どういうこと?」

「老中のような人がいいの。優しいし、頭がいいし、世の中のことをよく知っているし」

「でも、年を取り過ぎているじゃない?」

「構わないわ。昔から彼のことが好きなの。とにかく、狐の一生は人間のと違うのよ。私は何歳だと思うの?」

「ええと。十五、六歳かしら?」

狐子は二、三歳の女の子の姿に化けました。「今、何歳?」と、次は八十代の老女の姿に化けました。「今度は?」と言って、元の姿に戻りました。「実は、狐としてはまだ若いんだけど、私の年は老中と変わらないのよ」

ゆきは額に手を当てて考え込んでしまいました。「分からない。理解できない。混乱して、頭が痛くなってきたわ。どうやって老中を知るようになったの?」

狐子は、「長い話だよ。日がもうすぐ沈むから、部屋に行こう」と、ゆきの手を取り、城の門へ向かって歩き始めました。

第五十三章

狐子の話

二人がゆきの部屋に着いた時、女将が洗濯したものを棚に入れていました。ゆきは息をついた後で、「女将さん、狐子ちゃんが帰ってきたんです。狐子ちゃん、こちらはわたしが働いていた温泉の女将さんなんです」と紹介しました。

狐子と女将が挨拶を交わした後で、ゆきは、「女将さん、今晩狐子ちゃんと二人でささやかな夕食を楽しむつもりだと殿に伝えてください。それから、今晩のお客の約束を延期して、台所から二人前の料理を運ばせてください」と頼みました。

女将が去ってから、二人は窓側の隅に腰を降ろしました。「今、どうやって老中を知るようになったのかを教えてくれない?」

「うん。何から話したらいいかしら。ああ、分かった」

「昔々、ある狐の女性が侍を愛してしまいましたとさ。しばらくして、二人は結婚しましたが、殿様の命令に従い、その侍はすぐに出陣しました。二、三ヶ月が過ぎた後で、兵たちは城へ戻ってきましたが、その中に夫の姿を見つけることはできませんでした。夫のことについて尋ねると、彼は戦死してしまったと教えられました」

「妻の狐は悲しみに打ちひしがれて、できるだけ早く自分の家族のところに戻ろうと決めました。でも、すでに妊娠してしいることが分かっていたので、まだ戻ってはいけないのだと考えました。人間の子を狐の中で育てるのは難しいと思ったからです。そういうわけで、狐は侍の家族のところに移り住みました」

ゆきは話を遮りました。「どうしてまだ帰ることができないの?狐と人間の子供ってどんなの?」

狐子は答えました。「見た目は人間の姿になることが多いの。人間の中で育てば、たいてい神童だということになるわね。でも狐の中だと小狐にさえ勝てない、弱い狐になってしまうわ」

ゆきが「へぇ。そういうものなの」と答えると、廊下の方から声がしました。「入るよ」と言う声で、若殿だと分かりました。

二人が「もちろん」と言うと、若殿は障子を開け、部屋の中に上って来ました。そして「狐子、おかえり」と挨拶をしました。

ゆきは、「狐子ちゃんがうちの老中との関係を話してくれています」と説明すると、「私も聞いていいかな」と、答えを待たないでゆきの隣に腰を降ろしました。

狐子は続けました。「とにかく、妊娠してしまった妻の狐は、戦死した夫の家族の家に移り住みました。来る日も来る日も、狐は悲しみに打ちひしがれたままで、お腹はどんどん大きくなり続けました。そしてついに、狐は赤ちゃんを産みました。でも、その子の姿を見ることを拒もうと、はっきりと心に決めたのでした。いくら義母が頼んでも、きっぱりと断りました。一度見てしまうと、離れるのが耐えられなくなると考えたからです」

「その夜、狐は家を出て近くの川に飛び込み、自分の家族のところに帰りました。その後二度と人間の土地に戻ることはありませんでした。そして、今でも自分の住みかに独りで暮らしています。それでも、その子のことを忘れていませんでした。弟の狐に自分の子を守ってくれるように頼み、約束をしました。」

「その翌朝、侍の家族は嫁の不在に気付き、彼女を捜して、村中を歩き回りました。しかし、とうとう最後は川で溺れ死んだと思い込んだのです」

「そういう騒ぎの中、侍の母親は二、三日前に農家の赤ちゃんが亡くなったことを思い出し、その赤ちゃんの母親を乳母として迎え入れました」

ゆきは声を上げました。「その子が老中なのかしら?」と聞くと、狐子は答えました。「違うよ。女の子だったわ」

「年が経つにつれ、狐の娘はすくすくと育ち、綺麗に、賢くなっていきました。その娘の特別な才能は茶道でした。縁があってその国の若殿の目を引き、すぐに二人は結婚しました。狐の弟が姪っ子を守り続け、普段は遠くから見守っていましたが、時々人間の姿に化け、姪っ子のところを訪ねたりしました」

「間もなく、狐の娘に息子が産まれました。同じ頃、狐の弟にも娘が産まれました」 「ああ、夕食の準備が整ったようね。また後で続けるわ、いただきます!」と狐子が言うと、ゆきと若殿は後ろを振り返りました。二人が狐子の話に聞き入っている間に、女将は女中に命じて三人前のお膳を用意させていたのです。いつの間にか暗くなっていたので、女将は蝋燭に火をつけました。

第五十四章

話の続き

三人が「ごちそうさまでした」と言うと、すぐにゆきと若殿は話を続けてほしいと頼みました。

ゆきが、「その時の男の子が、今の老中なのかしら?」と言うと、若殿は「違う。老中はその殿の家系ではないよ。だけど、その狐親子は誰かということを、私達は知ってるね」と狐子に言いました。

狐子は顔が真っ赤になりました。「話は、どこまでだったかしら?ああ、思い出した」

「月日が経ち、若殿の息子は強くて勇敢に育ちました。その城の同じ歳の者は皆、彼に忠誠を尽くしましたし、隣の国の若殿も盟友となるここを望みました」

「その小狐も成長していました。従姉は人間なので、必然的に興味の対象は人間のことになりました。人間の姿に化けることが出来るようになってからは、父親と一緒に従姉を訪ねることもありました。そうこうしている内に、従姉の息子の仲間達と知り合いになりました」

「若殿の息子は、成人してから、政治上の駆け引きのために隣国の姫と結婚しました。しばらくすると、二人の間に娘が産まれましたが、母親の方は産後の肥立ちが悪く、すぐに亡くなってしまいました」

「その頃から、時代は不穏な状況へと流れていきました。それぞれの国は将軍の命令を無視して、隣国と戦い始めました。日本のあちこちで戦がありました。こうして戦国の世が始まったのです」

「狐の里でも戦が始まりました。狐の一族は様々な妖怪に攻撃されました。そういうわけで数ヶ月の間、狐は姪っ子を見守ることができなくなりました。でも、娘が従姉と一緒に住みたいと頼んだので、望み通りにさせることにしました」

「娘が城に着いた時、城内は混乱の坩堝と化していました。殿様や若殿が戦死してしまった後で、従姉の息子は兵たちを再び集め、城に退却したばかりでした。敵の殿様は鬼と組んでいるという噂が城内のあちこちに広まっていました。一方、殿になった若者は籠城のための準備を進めていました。他の国に助けてくれるように使者を送りましたが、亡くなった妻の国からさえも、返答はありませんでした」

「小狐は手伝ってあげようとしましたが、その時は尻尾が一本しかない狐でしたから、まだ強い呪いを使うことができませんでした」

「しばらくすると、敵軍が城の外に着きました。そして籠城は始まりました」

「時々、敵営の中に巨漢の鬼が見えました。鬼が国のあちこちを荒らし回っているという噂は城内に広まっていました」

「ようやく、近隣諸国の若殿たちが秘密裏に城に入ってきました。しかし彼らは、援軍に来てはいるが、ここの殿様は若く、どのくらいの技量を持っているのかも分からない。しかも我々の国も危険にさらされており、他の加勢を受けるあてもない。にもかかわらず殿たちの反対を押し切って来ているのだ、と言いました」

「籠城の数日間で、小狐は城の人たちと親しくなりました。その中には殿の腹心の家来がいました。小狐はその男の人が好きになりました」

「日に日に、城の兵糧は減っていきました。でも結局のところ、落城の原因は飢餓ではなく敵の総攻撃だったのです。ある日、鬼がまた敵営に姿を現し、敵の大将と相談していたようでした。そしてついに、鬼は敵軍と一緒に城を攻撃することに合意をしたようでした。間もなく、鬼は大きな岩を城郭に投げつけ、破壊し始めました。同時に、敵兵たちは全員隊列を組んで、一斉に攻撃を仕掛けてきました」

「一方、城内では、殿は兵たちを集め、士気を鼓舞しながら外郭を守らせていました。でも心の中で、これで終わりかと覚悟をしていたのです」

「殿が外郭の方へ向かう前に、小狐は声をかけました。殿、失礼いたします。秘密の出口をお見つけいたしました。ご覧くださいませんか、と。殿は、私が行くことはできないが、母上に見せて赤子と一緒に三人で逃げてくれ、と答えました。それから小狐は深く頭を下げ、従姉を捜すために立ち去りました」

若殿は口を挟みました。「人間のお嬢さんの姿をしてるとしても、その小狐がそれほど丁寧に喋ることが出来るとは、ちょっと信じにくいな」と、狐子の顔を見つめました。

狐子の顔はまた真っ赤になりました。ゆきは若殿の方に顔を向けました。「あなた、どうしてそのような事を言うのです?これは狐子ちゃんの話だから、狐子ちゃんの好きな言い方でいいんじゃないでしょうか?」と、また狐子の方へ向きました。「それから、何が起こったの?」

狐子はまた続けました。「従姉を捜す途中、小狐は秘かに心を寄せている殿の家来と出会いました。そこで、殿の命令に従ってお母様と姫様と一緒に秘密の出口から逃げるために、お二人を捜しているのですが手を貸してくださいませんかと頼みました。彼は、そうしたいのだが、殿がまだここに残るおつもりなら自分だけ逃げるということはできない。出口までしか行ってあげられないと答えました。それから二人は一緒に殿の家族を捜しました。

「間もなく、従姉の部屋に着きました。おばさま、殿が私とお嬢様と三人で逃げるようにおっしゃいました。ご一緒してくださいませんか、と話しました」

「従姉は、息子がそう言うのなら従った方が良いでしょう。荷物をまとめるので少し待つように、と答えました。小狐たちも手伝ったのですぐにそれは終わりました。従姉はその中に彼女にとって大切な本を二冊入れた後、従姉の孫娘を背負って歩きながら、小狐に先導されて城の地下へ降りて行きました」

「辿り着いた所には地下道の入口がありました。殿の家来は、私は戻らなければなりません。さようなら、と言いました。小狐は、さようならなんて言わないでください。また会えると信じています、と答えました」

「それから彼は戦に戻り、残った三人は地下道を入って行きました」

「この地下道は小狐が見つけたものというより、彼女が作ったものでした。籠城の始めから、毎夜秘密に少しずつ掘り進んでいたのです。前日の夜に、努力の甲斐あって外に通じたのでした」

「穴の中をしばらく歩くと、小狐たちは地下道の出口に着きました。辺りを見回すと、そこは城を囲む敵営の背後でした。城の方を見ると、分厚い黒煙がもうもうと上がっていました」

「息子よ、なぜこんな若さで死んでしまうの?親が子供の葬儀を見ることになるなんて、と従姉は泣き伏しました」

「小狐は従姉の泣き顔の前に屈みこんで、言いました。おばさま、殿が討ち死になさるとは限りませんよ。今はそれよりお嬢様のことを考えてください、と」

「従姉は涙を流しながら孫娘を抱きしめて立ち上がりました。ここにもう留まることができないのなら故郷に戻りたい、と言って城に背を向け、歩き始めました。小狐はその後ろに付いて歩き、狐のおまじないを使って二人の足跡を消し去りました」

「従姉の故郷に着いてみると、そこには壊された家しかありませんでした。明らかに鬼が村を攻撃したのでした。ここにも留まることができないらしい。私のかけがえのない思い出の場所は全部破壊されてしまった。一体どこへ行けばいいのかしら、と嘆きながら従姉はうなだれました。小狐は、隣の国にある小さな村を知っています。そこなら密かに暮らすことができるでしょう。いかがでしょうか、と言いました。それから三人はその村の方へ向かって歩きました」

「その村は狐の里にごく近い所にありました。小狐は、従姉があそこにいるなら、父上の姪っ子を守るという約束を果たせるだろうと思いました。そういう理由から、近くの村に従姉を連れと来たのです」

「従姉がその村に住まいを見つけたのを確かめた後で、小狐は自分の住処に帰って、父上に籠城や従姉との旅のことを伝えました。それから小狐は、例の若い家来が籠城で生き残ったかどうか確認するために、あちこちで彼のことを尋ね回りました。数ヶ月後になってようやく、殿が鬼に殺されたのを見た後に、その家来が数人の兵や若殿と共に地下道で城から逃げたということを知りました。でも彼の消息は結局つかめませんでした。それからは、人間のことを良く知りたいと思って、日本各地を旅するようになりました」

「一方、父上は姪っ子を見守り続けました。姪っ子は孫娘を育て、読書や茶道を教えました。その村で暮らして十数年という長い年月のうちに、狐が見守っていた姪っ子も老婆となり、やがて静かに人生の幕を閉じました。少し経ったある日、身寄りのなくなった孫娘はその村を出ました。そしてしばらく後に小狐の父親に会いました」

ゆきは声を出しました。「え?その子が私なの?」狐子がうなずいた後で、「狐子ちゃんや狐どのは私の血縁者なの?どうして前に教えてくれなかったの?」

狐子はこう答えました。「伯母の願いだったの。でも、ここを離れている間、伯母と私はよく話し合ったものよ。私がゆきちゃんと仲良くなったから、ついに伯母はこの話をすることを許してくれたの」

ゆきはまた聞きました。「昔好きだった人がここの老中で、彼のことをまだ想っているのなら、数週間私たちと一緒に国中を旅して回ったのはどうしてなの?」

狐子は溜息をつきました。「昔からあの人のことよりむしろ人間自体に興味があったし、彼が私のことを覚えているかどうかさえ分からなかったし。それに、ずっと会っていなかったから、ちょっと恥ずかしかったの。でも、例のお見合いの間抜けな雄狐たちに会わされてから、彼ともう一度会ってみたいと思うようになったの」

ゆきが悪戯っぽく笑いました。「今晩はどう?」

若殿は声を上げました。「うん。いい考えだ」と言うと、女将の方を見ました。「老中のところに行って、ここに来るように言いなさい。狐子は隠れて待っていなさい」と命じました。

女将は深く黙礼をして、立ち去りました。一方、狐子は猫の姿に化け、棚の上に飛び乗りました。

第五十五章

老中の話

しばらくして女将が老中と一緒に戻ってきました。老中は、「殿、ご用命を承ります」と言いながら頭を下げました。

若殿は中に入るように手招きしました。「ここに来なさい。聞きたいことがあるから」と言いながら狐子がさっきまで座っていた場所を指さしました。

ゆきは声を上げました。「どのように父上様とお会になられたり、父上様の時代にどのようなことをなされたのでしょうか。また、どういう経緯で他国の殿の代理となられたのかお話しください」

老中は深く頭を下げ、そして指示された場所に腰を下ろしました。「私の父はこの国の侍で、幼い頃より殿に仕えておりました。そのようなわけで、自分と年を同じくする殿のお孫様を、度々お見かけする機会がございました。時折、お孫様は同じ年頃のお子様がたと、こっそりと城を抜け出されては外でお遊びになっていました。そして次第に、お孫様とお話できるようになったのでございました」

「武術の稽古の間、お孫様はいつもお子様の中では、一番の剣士でございました。そして他の方々同様、この私もお孫様にお仕えできれば幸いと思っておりました」

「私のできることと言えば武術などではなくお役所仕事などでございました。ですから、すぐに城の中に殿の命令や殿への報告を写したりいたしました」

「お孫様は立派な若者になられ、すぐに隣国の姫とご結婚なさいました。しばらくして、二人の間でお嬢様がお産まれになりました。私が、どの名前を家系図に書き込むかと申したとき、ゆきという返答をなさいました」

「その頃、政事は難しい局面にさとかかっていました。田舎侍と大名、大名と大名、大名と将軍、これらの関係は緊張の度を増し、ついには破局を迎えることになったのです。それはまるで山火事の梢から梢へと火の手が飛び移ていくような勢いで、妖怪が田舎侍を嗾けているという噂が広まる同時に、田舎侍に攻撃され、攻め滅ぼされる大名が増えていきました」

「同じように、この国も賊軍に攻撃されました。殿は忠臣を集め、その賊軍を追い払うために城からお出陣しました。しかし、その途中、狭い谷の中で迎え撃たれました。どこからか投げられた岩で中堅にいらっしゃた殿は命を奪われ、先陣にいらっしゃった若殿もお付きの者共々、敵軍に素早く取り囲まれ、討ち死になさいました。後詰めでいらっしゃったお孫様はできるだけ多くの潰走していた兵たちを再び集め、整然と城へ退いていらっしゃいました」

「殿になったお孫様が城に帰ってくるやいなや、籠城のための準備を始めました。その内は近隣諸国への助けてくれるようにという手紙を私にお書かせになりました」

「そういう手紙の返答を受ける前に、敵軍が城の外に見えました。包囲が始まったのです」

「その頃、私は城内のあちらこちらで手伝っている赤毛のお嬢様の存在に気付きました。そのお嬢様には見覚えはあまりありませんでしたが、その内、城内の至るる所でお見受けするようになり、意識するようになりました。たちまち彼女は私の心を虜にしてしまったのでございます」

「時折、敵営の中に巨大な鬼が見えました。そのような鬼が岩を投げて元殿を殺したそうでございます」

「少しすると、近隣諸国から数人の若殿が秘密裏に城に入ってきました。その中には我が殿の父上がいたのでございます。これは可能な限りの援兵であるという若殿の父親たちからの返答を持えていました」

「数ヶ月が過ぎた後、その鬼がまた敵営に見えた時に、殿が兵たちを集め、外郭を守れと命令しました。敵軍が総攻撃を始めたようでしたので、武士ではない私も武器を手に入れに参りました。その途中、私の心を捉まえた女の子にお出会いしました。お嬢様の言うことには、殿の家族と一緒に逃げろと殿が仰ったの事でした。また私にも手伝ってくださいと懇願されました。できるだけ手伝ってあげるが、殿の命令がなければ、逃げる事など出来ないというように答えました。それからお嬢様と一緒に殿のお母様の部屋に参りました」

「殿の家族を集めた後、お嬢様と一緒に連れて城の地下へ下りて行きました。そこに辿り着くと、すぐに地下道の入口が分かりました。子供の頃、私がそこでよく遊んだものでしたが、その入口は知りませんでした。一体どうやって、誰が、いつ、その地下道を作ったのかが想像できませんでした」

「お嬢様達と別れた後で、武器探しを続けようとすると、すぐに数人の傷ついた兵や援兵のために来た若殿に出会いました。お嬢様達と一緒にいた間、城壁が破壊され、殿が戦没したようでございました。外を見ると、全ては混乱していました。もう一度殿が本当に死んでしまったのでしょうかと若殿達に尋ねると、我が殿の父上がご確認になられたとの事でした」

「それから若殿たちをお嬢様たちが入っていった地下道に連れてまいりました。地下道を出た後で、お嬢様達の足跡など探そうと致しましたが、それらしい跡は何もございませんでした」

「若殿たちは自分の国に戻る分かれ際、各々が兵たちに一緒に行こうと勧誘しました。私にもそのような勧誘を下さったが、お嬢様たちの跡を見付ける事しか考えることはできませんでした」

「空が暗くなるまで一人でその辺りを調べました。次の朝、寝ている間にお母様の故郷を思い出したので、そこへ向かって出ました。しかし、そこに着いても、誰もいませんでした。それから浪人になって、あちらこちらに回り歩き、赤毛のお嬢さんに会ったことがあるかと誰彼となく尋ねました。やはり、ほとんどの返答は会ったことはないというものだったが、時折、そのようなお嬢さんの姿を見たという答えが返ってきました。そのような時、そのお嬢さんは今どこにいるかと聞くと、もう出た後で、どこに行ったのかは分からないという返答ばかりでした」

「二年ほどそのような事が続きました。ようやく、籠城していた当時の若殿が一人、殿様になったという話を聞きましたので、その方の国に行って、仕え始め、あのお嬢様のことを忘れようとしました。そうして、ゆき様がここに戻ってくるまで、あそこに仕え続けたのでございます」

ゆきは声を出しました。「その間、 他の女のことが好きになったでしょうね」

老中は、「違います。捜すのを止めはしましたが、私の心はまだあのお嬢様の方に向き続けています」と、首を横に振りました。

若殿は問いました。「して、その娘の名前は何という?」

「はは、ココと申します」と老中が畏まって答えます。すると、狐子は矢庭に棚から飛び降り、当時の姿に化けるが早いか、さっと老中の背後に歩き寄り、「あの時、まだお会いしましょうとこの私が申しましたか」と何事もなかったかのように言いました。

さすがに愚鈍な老中も狐子から身を竦めるように、慌て飛び退き、「いっ、一体いつの間に!?」そして、なおも奮える手で狐子の頬を恐る恐る触れながら「あっ、あなたには何も変わっていません。ほっ、本物ですか。…狐に化かされているのではあるまいな」と。放心の体で呻くように呟きました。

狐子は気に障ったような表情で、「どうしてそのような質問をするのですか。狐が好きじゃないのですか」と尋ねました。

老中は、「べっ、別に…。あなたが狐が好きと言うのなら、私も狐が大好きです」と、困惑の色を浮かべながら、やっとのことで答える様子です。

狐子はくすくすと笑いながら「私がずっと狐なら、いかがですか」と訊きました。

老中は首を振りました。「それはありえません。ココはどこから見ても人間でしたよ。あのお嬢さんが狐だったとは思えません」

狐子は紙と筆を取って、漢字を二字書きました。漢字を指さしながら、こう言いました。「これは私の名前です。狐の子供ですから、狐子と申します」

老中はまだ首を振っていました。「あなたは人間です。そんな美しいお嬢さんが動物だということはありえません」

「でも本当に狐ですわよ。これが自然な姿なのです」と言うと、狐の姿に化け、三本の尻尾を腰の上で振りました。「他の姿にもなれます」と、猫、鼠、十一〜二歳の男の子の姿に化けてみせ、そして元の姿に戻りました。「でも、これが昔からの普通の姿です。従妹に訪ねるために、この姿に化けるのを習いました」

老中はぼんやりと狐子を見返しました。「い…とこ?」とだけ言いました。

「はい。ゆきちゃんのお祖母さんが父の姉の娘でした」と狐子は説明しました。

老中はこめかみを両手で摩りました。「ゆき様のお祖母様は雌狐の娘だったと言うのですか。それはありえません。籠城時の殿のお母様は侍の家族から来ました。あの方の奥様は隣国の殿様のお嬢様でした。二人はどこから見ても人間でした」

「その殿のお母様は従妹でしたわよ。人間は人間でも、狐の家系の人間でした。父親は人間の侍でしたが、母親は人間の姿に化けた雌狐でした。狐は他の種類の姿に化けると、その同じ種類と子供ができます。雌狐は妊娠している間、姿を変えることができません」と狐子は言いました。「狐にとって、そういう子は狐ではなく、狐が化けた種類です」

老中はふらふらと立ち上がりました。「色々なことを考えなくてはいけません」と狐子に言うと、若殿の方へ向きました。「そろそろ失礼いたします。お邪魔いたしました」と、うなだれながら、その場を後にしました。

狐子はただ老中の去った後をきょとんと見つめていました。

「かわいそう」とゆきは呟くと、狐子に声をかけました。「元気を出して!」

狐子はただ「はい」とだけ、力なく答えました。そして、自分の姿に戻り、隅で縮こまり、鼻を尻尾で覆って目を閉じました。

第五十六章

寂しげな二人

次の日、狐子が老中に会おうとすると、彼は「まだ考えています。それに、忙しいです」としか言わなくて、狐子に背を向けてしまいました。

狐子はゆきのところに行きました。「老中さんが私に会いたがらないらしい。どうしよう?」と訊きました。

ゆきは「分からない」と言うと、女将が声を出しました。

「あの方、どうして狐子様のことが好きになったのでしょうねえ」

「あ!分かった」と狐子は言って、部屋を出ました。

それから狐子は城のあちこちに行って、誰でも困っている者に会うと、手伝いました。特に、泣いている子供がいると、すぐに狐子はその子に近付いていきました。やがて、その憂い顔は笑顔になりました。

しばらくして、このような会話が城の中によく聞かれるようになりました。

「狐子という人を知ってる?」

「その赤毛の子?うん。昨日、息子が走って、転んで、膝を痛めちゃった。あっという間に、彼女が息子の横に来て立ち上がらせた。私がそこに着いたとき、息子は泣かずにむしろ笑ってた。血を膝から拭い取ると、傷が治ってた」

「旦那は殿と一緒に旅してた。その途中、あの子が妖怪に化け、鬼と戦ったと言った。そのような者に子供と仲良くさせるとはいいことかしら?」

「へえ?妖怪より狐に化けたそうね。狐は妖怪じゃなくて、神様の使者よね」

「二人はあの赤毛の子を話してる?この頃、彼女が庭に座りながら、城の方を見たり溜息をついたりしたところを見たの」

「そう?私、転んでた息子と一緒に帰るところ、彼女の溜息が聞こえたの」

狐子と老中の再会の数週間後、若殿がゆきと話しました。「最近、老中は国のことに集中できなくなったらしい」

ゆきは頷きました。「そうですね。会議のとき、いつも溜息をついたり壁の方をきょとんと見つめたりしているようですね。前は、再び質問をする必要はありませんでした。最近、三回訊いても返事がない場合は増えていますね」

「彼は、狐子と会いたくないようで、実は会いたいらしい。二人に再会させた方がいい」と若殿はゆきの顔を見やりながら言いました。

「分かりました。今晩の茶会のお客を替えます」とゆきは言うと、女将を見つけ、その晩のお客を狐子と老中に替えました。

第五十七章

居心地悪い茶会

老中がゆきの部屋の障子を開けると、狐子がもうその中に座っていました。「すみません。間違えたようです」と老中が言って、去ろうとしましたが、ゆきが老中の腕を掴み、「間違いはありません」と言って、顔が赤くなっていた狐子の脇に座らせました。

ゆきはお茶を淹れてから、「あっ!何かを忘れたようです。ちょっと待ってください」と言って、廊下に出ました。そこで黙って立って、聴きました。

二人は居心地悪そうに、部屋に留まっていました。時々一人は相手の方を盗み見ましたが、相手と目が合うことに気づくと、すぐさま二人は慌てて目を逸らしました。

ようやく二人は「ごめんなさい」と一緒に言いました。

老中はさっそく狐子の方に目線を向けました。「謝らないでください!全ては私のせいですよ。あなたを信じ続けましたのに」と強く言いました。

見返している狐子は老中の手を掴みました。「いえいえ、そう言わないでください!あなたのせいじゃない。早く、事実を言っておきさえすれば…」と答えました。

短い時間だけ、二人はただ黙って座りながら手を手にとって相手の眼を見つめたが、、二人にとって、数時間のようでした。ふいに、障子が開けました。ゆきがお菓子を持って帰ってきました。「ただいま」と顔の真っ赤になった二人に言いました。

それから二人はお互いを捜し求めていた時のことについて話しました。例えば、どこに行ったのかということや、いつ、どこで互いの軌跡を辿っていったのかということなど。

「ある日、ある村で赤毛の娘に会ったと言う老女に出会いました。そういう娘が数日前、どこかへ出ましたが、どこへ行くか分からないと言いました。それを覚えていますか?」

「ああ、覚えています。あのおばあさんの息子が城に籠城していて、故郷に逃げていっていたという噂を聞きました。だから、そこに行きましたが、別の人だった。彼は落城の時からあなたに会ったことはなかったといいました」

そのような会話は夜遅くまで続きました。ようやく、二人は笑顔になってそれぞれ自分の部屋に戻りました。

第五十八章

琵琶法師の到着

それから老中と狐子が二人でいることが増えました。一緒に庭を歩いたりご飯を食べたりしました。そして、二人はよくゆきの茶会の客になりました。時々若殿もその茶会に参加しました。

しばらくすると、空気が冷たくなって、雪が降り始めました。冬が来たのです。

その頃、小姓がゆきのところに来ました。「ゆき様、誰かが門の近くにいらっしゃいます。琵琶法師だとおっしゃって、ゆき様のお話を少しでも耳にしてから、すぐさま技の全てを習ってみたくなって、ここに飛んできたとおっしゃいます。ゆき様とお会いになりたいと願っております。いかがでしょうか?」と言いました。

ゆきは頷きました。「はい。その者と会ってみたいです」とゆきが答えると、小姓は会釈をして、去りました。ゆきは茶道の準備を始めながら、「女將さん、殿と狐子ちゃんを探し、ここにくるように願ってください」と声をかけました。

「老中はいかがでしょうか」と女將は訊きました。

「はい。老中も招待してください」とゆきがいうと、女將は首を傾けてから立ち去りました。

しばらくすると小姓は琵琶や色々な本を持っている男を連れてきました。男は深く会釈をしながら、「はじめまして、ゆき様。琵琶法師の私はゆき様について興味深い噂を伺ったので、お話を正確にお聞きしたく、こちらに参りました。ゆき様は読書がお好きだそうでございますから、この本をさしあげるために持ってまいりました。どうぞ、よろしくお願いいたします」

ゆきはお茶を点てて淹れました。「お茶をどうぞ。どのような本ですか」と言いました。

琵琶法師は本を置いてゆきに見せました。「日本の歴史と小説と和歌がございます」と言うと、お茶を飲んでみました。「素晴らしい!京都でもこのような美味しいお茶をいただいたことがございません。それでも、お点前の方がお珍しゅうございます」

ゆき