目次もくじ

  1. 第一章だいいっしょう  ゆきの紹介しょうかい
  2. 第二章だいにしょう  漁師りょうしとの出会であ
  3. 第三章だいさんしょう  きつねとの出会であ
  4. 第四章だいよんしょう  商人しょうにんとの出会であ
  5. 第五章だいごしょう  たすけて!
  6. 第六章だいろくしょう  みやこ到着とうちゃく
  7. 第七章だいななしょう  買物かいもの
  8. 第八章だいはっしょう  若殿わかとのとの出逢であ
  9. 第九章だいきゅうしょう  家老かろう調査ちょうさ
  10. 第十章だいじっしょう  家老かろう調査報告ちょうさほうこく
  11. 第十一章だいじゅういっしょう  忍者にんじゃ襲撃しゅうげき
  12. 第十二章だいじゅうにしょう  ゆきはどこだ?
  13. 第十三章だいじゅうさんしょう  一本いっぽん
  14. 第十四章だいじゅうよんしょう  救出きゅうしゅつ
  15. 第十五章だいじゅうごしょう  大名だいみょう
  16. 第十六章だいじゅうろくしょう  おに
  17. 第十七章だいじゅうななしょう  家来けらい不満ふまん
  18. 第十八章だいじゅうはっしょう  おに襲撃しゅうげき
  19. 第十九章だいじゅうきゅうしょう  おに敗北はいぼく
  20. 第二十章だいにじっしょう  殿様とのさま評議ひょうぎ
  21. 第二十一章だいにじゅういっしょう  大名だいみょう返事へんじ
  22. 第二十二章だいにじゅうにしょう  殿様とのさま返事へんじ
  23. 第二十三章だいにじゅうさんしょう  若殿わかとの出陣しゅつじん
  24. 第二十四章だいにじゅうよんしょう  大名だいみょうおも
  25. 第二十五章だいにじゅうごしょう  忍者にんじゃおも
  26. 第二十六章だいにじゅうろくしょう  ゆきの出発しゅっぱつ
  27. 第二十七章だいにじゅうななしょう  ゆきの演説えんぜつ
  28. 第二十八章だいにじゅうはっしょう  家老かろう再取立さいとりた
  29. 第二十九章だいにじゅうきゅうしょう  きつねとの会話かいわ
  30. 第三十章だいさんじっしょう  狐子ここ紹介しょうかい
  31. 第三十一章だいさんじゅういっしょう  市場いちば
  32. 第三十二章だいさんじゅうにしょう  呉服屋ごふくやなか
  33. 第三十三章だいさんじゅうさんしょう  面白おもしろほんはどこだ?
  34. 第三十四章だいさんじゅうよんしょう  市場いちばなか
  35. 第三十五章だいさんじゅうごしょう  庄屋しょうやいえなか
  36. 第三十六章だいさんじゅうろくしょう  しろかえ
  37. 第三十七章だいさんじゅうななしょう  狐子こことの会話かいわ
  38. 第三十八章だいさんじゅうはっしょう  評議ひょうぎ
  39. 第三十九章だいさんじゅうきゅうしょう  たび準備じゅんび
  40. 第四十章だいよんじっしょう  最初さいしょむら
  41. 第四十一章だいよんじゅういっしょう  女将おかみ到着とうちゃく
  42. 第四十二章だいよんじゅうにしょう  危難きなんうわさ
  43. 第四十三章だいよんじゅうさんしょう  おにとの遭遇そうぐう
  44. 第四十四章だいよんじゅうよんしょう  破壊はかいされたむら
  45. 第四十五章だいよんじゅうごしょう  ひろがるうわさ
  46. 第四十六章だいよんじゅうろくしょう  しろへの帰還きかん
  47. 第四十七章だいよんじゅうななしょう  女将おかみとの会話かいわ
  48. 第四十八章だいよんじゅうはっしょう  家老かろう助言じょげん
  49. 第四十九章だいよんじゅうきゅうしょう  面会めんかい準備じゅんび
  50. 第五十章だいごじっしょう  家来けらいつま
  51. 第五十一章だいごじゅういっしょう  茶席ちゃせき予定よてい
  52. 第五十二章だいごじゅうにしょう  三本さんぼん尻尾しっぽ
  53. 第五十三章だいごじゅうさんしょう  狐子ここはなし
  54. 第五十四章だいごじゅうよんしょう  はなしつづ
  55. 第五十五章だいごじゅうごしょう  家老かろうはなし
  56. 第五十六章だいごじゅうろくしょう  さびしげな二人ふたり
  57. 第五十七章だいごじゅうななしょう  茶室ちゃしつにて
  58. 第五十八章だいごじゅうはっしょう  琵琶法師びわほうし到着とうちゃく
  59. 第五十九章だいごじゅうきゅうしょう  ふゆ活動かつどう
  60. 第六十章だいろくじっしょう  きつね到着とうちゃく
  61. 第六十一章だいろくじゅういっしょう  琵琶法師びわほうしはなし
  62. 第六十二章だいろくじゅうにしょう  たびはじ
  63. 第六十三章だいろくじゅうさんしょう  きつね土地とち
  64. 第六十四章だいろくじゅうよんしょう  子狐こぎつねとの出会であ
  65. 第六十五章だいろくじゅうごしょう  ひめとの出会であ
  66. 第六十六章だいろくじゅうろくしょう  ばん会話かいわ
  67. 第六十七章だいろくじゅうななしょう  族長ぞくちょうとの会話かいわ
  68. 第六十八章だいろくじゅうはっしょう  八狐はちことの会話かいわ
  69. 第六十九章だいろくじゅうきゅうしょう  ひめはなし
  70. 第七十章だいななじっしょう  きつねとの決戦けっせん
  71. 第七十一章だいななじゅういっしょう  狐子ここ勝負しょうぶ
  72. 第七十二章だいななじゅうにしょう  若殿わかとのとの茶席ちゃせき
  73. 第七十三章だいななじゅうさんしょう  しろもど
  74. 第七十四章だいななじゅうよんしょう  狐一こいち下女げじょ
  75. 第七十五章だいななじゅうごしょう  あたらしい着物きもの
  76. 第七十六章だいななじゅうろくしょう  あたらしい仕事しごと
  77. 第七十七章だいななじゅうななしょう  広子ひろこ小猫こねこ
  78. 第七十八章だいななじゅうはっしょう  狐子ここからのため
  79. 第七十九章だいななじゅうきゅうしょう  琵琶法師びわほうし告白こくはく
  80. 第八十章だいはちじっしょう  のろいを
  81. 第八十一章だいはちじゅういっしょう  おまも
  82. 第八十二章だいはちじゅうにしょう  家老かろうとの面会めんかい
  83. 第八十三章だいはちじゅうさんしょう  頭痛ずつう
  84. 第八十四章だいはちじゅうよんしょう  殿様とのさま到着とうちゃく
  85. 第八十五章だいはちじゅうごしょう  殿様とのさまとの茶席ちゃせき
  86. 第八十六章だいはちじゅうろくしょう  狐一こいち家来達けらいたち
  87. 第八十七章だいはちじゅうななしょう  喧嘩けんか
  88. 第八十八章だいはちじゅうはっしょう  小姓こしょうをやめる
  89. 第八十九章だいはちじゅうきゅうしょう  殿様とのさまとの会話かいわ
  90. 第九十章だいきゅうじっしょう  狐一こいち親衛長しんえいちょう
  91. 第九十一章だいきゅうじゅういっしょう  殿様とのさまきつね
  92. 第九十二章だいきゅうじゅうにしょう  ゆきの陣痛じんつう
  93. 第九十三章だいきゅうじゅうさんしょう  ゆきの

第一章だいいっしょう

ゆきの紹介しょうかい

昔々むかしむかし、あるちいさなむらにゆきというむすめがおばあさんと二人ふたりらしていました。ゆきは、とてもうつくしいでしたが、二人ふたり大変たいへんまずしい生活せいかつをしていました。むら全体ぜんたいまずしく、若者わかもの姿すがたもあまりられませんでした。そして、ゆきと結婚けっこんしたいというものも、だれ一人ひとりとしてあらわれたことはありませんでした。

「ゆきや、おまえしあわせをさがすために、みやこったほうがいいよ」と毎日まいにちおばあさんはいました。

「おばあさまをひとりここにのこしてみやこかけることはできません」とそのたび、ゆきはこたえました。

ある、おばあさんはくなりました。おばあさんをおはかほうむってから、ゆきは、なけなしの家財かざいあつめ、みやこけて出発しゅっぱつしました。

第二章だいにしょう

漁師りょうしとの出会であ

海岸

もなくゆきはうみきました。砂浜すなはま漁師りょうしあみいたあなつくろっていました。

「こんにちは、漁師りょうしさん。わたしはゆきともうします」とゆきはいました。

「こんにちは、ゆきさん」と漁師りょうしこたえました。

「よろしければ、わたしあみつくろうお手伝てつだいをいたします」とゆきはいました。

かりました。ゆきさんがあみつくろってくれるのなら、わたしかいります」と漁師りょうしいました。

それからゆきは砂浜すなはますわりながらあみつくろって、そのあいだ漁師りょうし海岸かいがんかいりました。

もなくゆきはあみつくろわりました。「漁師りょうしさん!あみつくろいました」とびました。

漁師りょうしあみをよくました。「きれいに修繕しゅうぜんできていますよ。まえより大分だいぶんよくなったようです。たすかりました。どうもありがとう」といました。

「いいえ、あまりうまくできなくてごめんなさい」とゆきはこたえました。

「これからどこにくところなのですか」と漁師りょうしきました。

しあわせをさがすためにみやこまいるところです」とゆきはこたえました。

「そうなんですか。では、頑張がんばってください」と漁師りょうしいました。

頑張がんばります」とゆきはいました。

「どうか、感謝かんしゃしるしかい半分はんぶんってください」と漁師りょうしいました。

「そんなにいただくことはできません」とゆきはいました。

「いいえ、つまらないものですよ。このつくろっていただいたあみで、たんとさかなつかまえられるとおもいますから」と漁師りょうしいました。

本当ほんとうですか。では、かいをいただきます。どうもありがとうございます」とゆきはこたえました。

それからゆきはかいふところれ、みやこかいました。

第三章だいさんしょう

きつねとの出会であ

しばらくくと、ゆきはのそばにすわって、うさぎいているきつね出会であいました。

「こんにちは、きつねさま。わたしはゆきともうします」とゆきはいました。

「こんにちは、ゆきちゃん」ときつねこたえました。

美味おいしそうなにおいがしますね。わたしはおなかすこし…すみません、きつねさま。よろしければ、そのうさぎけていただけませんか。わたしかいすこっているのですが」とゆきはいました。

「いいですよ。かいけてくれれば、わたしうさぎけてあげます。ところで、どうしてそんなにうつくしいおじょうさんがこのようなみち一人ひとりたびしているのですか」ときつねきました。

しあわせをさがすためにみやこくところです」とゆきはこたえました。

けてくのですよ」ときつねいました。

「はい。ありがとうございます」とゆきはこたえました。

それからゆきはかいはじめました。おどろいたことに、それぞれのかいなかおおきな真珠しんじゅはいっていました。

「あの、きつねさま、このかいなかはいっている真珠しんじゅもおりください」とゆきはいました。

「そんなにもらうことはできません」ときつねこたえました。

一粒ひとつぶだけでもってください」とゆきはいました。

「あなたのような気前きまえ人間にんげんには、これまで一度いちどったことがありません。それでは、真珠しんじゅ一粒ひとつぶと、数本すうほん尻尾しっぽとを交換こうかんしましょう。もし危険きけんかんじるようなことがあったら、この尻尾しっぽれながら『たすけて』とさんかいとなえてください。そしたら、わたしたち一族いちぞくはあなたをたすけるためにそこにあらわれます。三度さんどまでならたすけてあげましょう」ときつねじっぽんくらいの尻尾しっぽからりながらいました。

「そんな大切たいせつなものをいただくことはできません」とゆきはいました。

「たいしたものではないですよ」ときつねいました。

「そこまでおっしゃるのなら、ありがたく頂戴ちょうだいします」とゆきは真珠しんじゅ尻尾しっぽ交換こうかんしながらいました。

うさぎかいきながら、ゆきはのこりの真珠しんじゅふところれました。そして尻尾しっぽってうでかざりをつくり、自分じぶん手首てくびきました。

二人ふたりうさぎかいべたあとでゆきは「ご馳走ちそうさまでした。いただいたばかりでもうわけないのですが、そろそろ失礼しつれいします」とってまちかいました。

第四章だいよんしょう

商人しょうにんとの出会であ

ゆきはみやこ目指めざしてたびつづけました。あるとおしだったので、しずころになるとおなかはじめました。ふとあしめると、ゆきは美味おいしそうなにおいがあたりにただよっていることにがつきました。

「どこからあんな美味おいしそうなにおいがしてくるのかしら」とゆきはおもいました。まわりを見回みまわすと、道端みちばた天幕てんまくってあるのをつけました。天幕てんまく近付ちかづくと、そのにおいはいっそうつよくなりました。

天幕てんまくいたとき、ゆきは天幕てんまくうしろにいる呉服商ごふくしょうつけました。その商人しょうにん夕食ゆうしょく仕度したくをしているところでした。

「ごめんください」とゆきは商人しょうにんはなしかけました。

「どちらさまですか」と商人しょうにんたずねました。

「はい、ゆきともうします。美味おいしそうなにおいにさそわれてまいりました」とゆきはこたえました。

「そうですか。かわいそうにおなかかしているんですね。そうだ。おちゃれてくれませんか。一緒いっしょべましょう」と商人しょうにんいました。

「ありがとうございます」とゆきはこたえました。

それから、ゆきはかして、お点前てまえ披露ひろうしました。

商人しょうにんは、「たしかにいおちゃ使つかってはいるのですが、それでももとあじわすれてしまうほどの結構けっこうなお点前てまえでした。そんな見事みごと茶道さどうを、みやこ以外いがいにすることが出来できるとはおもいもしませんでした」と、おどろきました。「どちらでこれをならいましたか」

祖母そぼおしえてくれました」とゆきはこたえました。

「あなたのようにうつくしく、そして見事みごと茶道さどう美味おいしいおちゃれることの出来できむすめさんには、きぬ着物きものがよく似合にあうとおもいます。ちょうどここに、綺麗きれい絹製きぬせい着物きものがございます」と商人しょうにんいました。

「そうですか。そういったものをいままでたことがありませんでした。ぜひ、てみたいのですが、おかねがありません」と、うつむきながらこたえたときたび途中とちゅう漁師りょうしからかいをもらったことをおもしました。ゆきはふところなか真珠しんじゅしながら、「これと交換こうかんしていただけませんか」といました。

「これほどおおきな真珠しんじゅいままでたことがありません」と商人しょうにんいました。「その真珠しんじゅ一粒ひとつぶえに、わたし一番いちばん綺麗きれい絹製きぬせい着物きものをさしあげます」

「これほど綺麗きれい着物きもの旅路たびじることはできません。きっとよごしてしまうでしょうから、もしよろしければ、つつんでくださいませんか」とゆきはおねがいしました。

「はい、もちろんですとも。ありがとうございます」と商人しょうにんって、ゆきから真珠しんじゅをもらい、一番いちばん綺麗きれい着物きものつつんでゆきにわたしました。

「どうしてあなたのようなうつくしいおじょうさんが、このようなみち一人ひとりたびしているのですか」と商人しょうにんきました。

しあわせをさがすためにみやこくところなのです」とゆきはこたえました。

「そうですか。でも、このみち一人ひとりたびするのは危険きけんですよ。今夜こんやわたしのそばでほうがいいでしょう。そうすれば、ここでわたし護衛ごえいをすることができますから。わたしは、明日あしたちますが、そのみやこほうへはきません」と商人しょうにんいました。

「ありがとうございます。では、お言葉ことばあまえて、今夜こんやここでさせていただきます」とゆきはこたえて、っていたぬの地面じめんひろはじめました。

地面じめんるのはかわいそうだ。わたし天幕てんまくてもかまいませんよ。そこのまく仕切しきりますから、ご安心あんしんなさい」と商人しょうにんいました。

「はい。では、そうさせていただきます」とゆきはこたえました。ぬのひらいたとき、一冊いっさつほんちました。

「それはなんですか」と商人しょうにんきました。

家系図かけいずです。わたし家族かぞく最後さいご子孫しそんなので、ほかだれひとがいません」とゆきはこたえました。

第五章だいごしょう

たすけて!

つぎあさ商人しょうにん手紙てがみをゆきにわたして「みやこいたあとで、温泉おんせんってこの手紙てがみをそこの女将おかみわたしてください。そのひとわたしあねなのです」といました。

かりました。かならずその手紙てがみをおねえさんにおとどけします」とゆきはいました。

それからゆきはみやこかい、商人しょうにんべつほうきました。

もなくゆきは浪人ろうにんらに出会であいました。

「こんにちは、おさむらいさま。わたしはゆきともうします」とゆきは浪人ろうにんかしらいました。

「ふふふ。なんでそんなにうつくしいむすめがこんなみちたびしているのかな」とかしらいました。

しあわせをさかすためにみやこくところです」とゆきはいました。

今日きょうはついてるぞ」とかしらってゆきをつかみました。

「そうだな」とほか浪人ろうにんいました。

「いや!さむらいじゃない!山賊さんぞくだわ!はなして!たすけてたすけてたすけて!」とゆきはさけびました。

あっという一匹いっぴき二匹にひき、ついには百匹ひゃっぴきものきつね浪人ろうにんあいだあらわれて、浪人ろうにんんでつまずかせました。

畜生ちくしょう妖怪ようかいが!げよう!」と浪人ろうにんいました。

「このおじょうさんはおれまもっている。貴様きさまのようなやつ彼女かのじょゆび一本いっぽんれてはならんぞ」ときつね浪人ろうにんかしらいました。

それから浪人ろうにんみなきつねわれてげていきました。

きつねさま、たすけてくださってどうもありがとうございます」とゆきはいました。「真珠しんじゅをもう一粒ひとつぶげましょうか」

「そんなにもらうことはできませんよ」ときつねこたえ、「あともう二回にかいまでわたしんでもかまいません。さあ、なおして、たびつづけなさい」とはげましました。

「どうも、ありがとうございます。それでは失礼しつれいします」とって、みやこへとあるはじめました。

第六章だいろくしょう

みやこ到着とうちゃく

もなくゆきはみやこもんきました。

「こんにちは。わたしはゆきともうします。どうぞよろしくおねがいします」とゆきは門番もんばんいました。

「なんできみのようながこのまち一人ひとりるんだ」と門番もんばんいました。

しあわせをさがすためです」とゆきはこたえました。

「では、このまち仕事しごとがあるんだな」と門番もんばんいました。

「そうです。あっ、それと、この手紙てがみ温泉おんせん女将おかみにさしあげることになっているのです」とゆきは門番もんばん手紙てがみせながらいました。

「それが本当ほんとうなら、まちはいってもかまわない。しかし、もし三日みっか以内いない仕事しごとつからなかったら、まちらなければならんぞ」と門番もんばんいました。

「はい、かりました。すみませんが、温泉おんせんはどこですか」とゆきはきました。

門番もんばん道順みちじゅんおしえたあとで、ゆきはもなく温泉おんせんました。

「ごめんください」とゆきはびました。

「いらっしゃいませ」と女将おかみ返事へんじをしながら、てきました。

「こんにちは。わたしはゆきともうします。女将おかみさんにはなしをさせていただいてもよろしいですか」とゆきはきました。

「こんにちは、ゆきさん。わたし女将おかみです」と女将おかみいました。「いかがなさいましたか」

じつは、旅路たびじで、とある商人あきんどさまと出会であいました。商人あきんどさまは、この手紙てがみ温泉おんせん女将おかみであるおねえさまにわたしてくださいといました。こちらをどうぞ」とゆきは手紙てがみ女将おかみわたしながらいました。

「どうぞがってください。そのあいだんでおきますから」と女将おかみいました。

「お邪魔じゃまします」とゆきはいました。

「ああ、おとうとはあなたのお手前てまえ素晴すばらしいといております。そのお手並てなみを拝見はいけんしたいとおもいます。おとうとからもらった、そのあたらしいきぬ着物きものあとで、ちゃててください。もしあなたがおとうととおりのかたなら、ここでやといますよ」と女将おかみいました。

「はい。でも、わたしすこよごれております。こちらのあたらしいきぬ着物きものよごしたくないとおもっているのですが」とゆきはいました。

「あ、そうですね。どうぞ、あちらがお風呂ふろになっています」と女将おかみいました。

風呂ふろはいってきぬ着物きものてから、ゆきはお点前てまえ披露ひろうしました。それを見届みとどけてから、女将おかみは、「どうやらおとうともうしていたよりも、ゆきさんのちゃうで達者たっしゃのようですね。こんなに素晴すばらしいお手前てまえを、十五じゅうごねん以上いじょうものあいだたことがありません。失礼しつれいをいたしました。どうぞここにおとどまりください」とふか会釈えしゃくをしながらいました。

「どういたしまして。まこと粗末そまつなものでしたが」とゆきはいました。「よろしければ、ここでつとめさせていただきたいとおもいます。でも、わたしはこのまちいたばかりです。まいもなく、おかねもありません。こちらにかいからつけた真珠しんじゅ少々しょうしょうあるだけです」と、ゆきはふところから真珠しんじゅしていました。

「それでは、その真珠しんじゅ使つかって首飾くびかざりをつくるといでしょう。ここにある部屋へやんでも結構けっこうです。明日あしたわたしとゆきさん、二人ふたり一緒いっしょ買物かいものをしましょう。真珠しんじゅ首飾くびかざりをつくるのに宝石ほうせきしょうったり、きぬ着物きものをもうすこいにおとうとみせったりしましょう」と女将おかみいました。

「しかし、おかねがありません」とゆきはいました。

心配しんぱいしないでください。おかねわたしがおしします。このまち一番いちばん茶道家さどうかなんですから、すぐにもかえすことが出来できますよ」と女将おかみいました。

第七章だいななしょう

買物かいもの

つぎあさゆきははやきました。ふるふくてから、温泉おんせん掃除そうじはじめました。しかし女将おかみはゆきをて、「このまち一番いちばん茶道家さどうかがそんなことをする必要ひつようはありません。さあ、きぬ着物きもの着替きかえてものきましょう。真珠しんじゅわすれないようにしてください」といました。

女将おかみはゆきの素性すじょうになるのか、市場いちばあいだに、色々いろいろ質問しつもんをしました。

「どちらで茶道さどうまなんだのですか」と女将おかみきました。

じつは、祖母そぼからちゃならいました」とゆきはこたえました。

「おかあさんや、おとうさんは?」と女将おかみきました。

ははちちわたしまれてからもなくくなりました」とゆきはこたえました。

「そうですか。あなたは今、おいくつですか」と女将おかみきました。

今年ことし十七じゅうななさいになります」とゆきはこたえました。

「そうですか。お祖母ばあさんのお名前なまえおしえていただけませんか」と女将おかみきました。

ゆきがお祖母ばあさんの名前なまえおしえたころ最初さいしょみせ到着とうちゃくしました。

女将おかみが「その名字みょうじ…」とたずねかけたとき番頭ばんとう店先みせさきあらわれました。「あっ、番頭ばんとうさん、こちらはうちのあたらしい腕利うでききの茶道家さどうか、ゆきさんです」と紹介しょうかいしました。

それから女将おかみ次々つぎつぎみせめぐって、ゆきを商人しょうにん紹介しょうかいしてまわりました。

ほどなくすると、あたらしい茶道家さどうかについて、まち住民じゅうみんみなくちにするようになりました。温泉おんせんってゆきのちゃ人々ひとびとみなおどろき、ゆきのちゃうでめました。そのあと数日間すうじつかん温泉おんせんはかつてないほどにぎやかでした。

第八章だいはっしょう

若殿わかとのとの出逢であ

しろなかでもあたらしい茶道家さどうかうでについてみな話題わだいにしていました。殿とのさまの長男ちょうなん家老かろうに「そのあたらしい茶道家さどうか名高なだかいお点前てまえを、今晩こんばんにでもてみたい。温泉おんせんって、手筈てはずととのえてくれ」といました。

かしこまりました」と家老かろうって、温泉おんせんかけました。

家老かろう温泉おんせん到着とうちゃくすると、「女将おかみちゃ予約よやくをしたいのだが」といました。

「はい。来週らいしゅうはいかがですか」と女将おかみいました。

今晩こんばんはどうだ。若殿わかとのさまがしろあたらしい茶道家さどうかのお手前てまえをごらんになりたいとおっしゃっておる」とすこてるように、家老かろう女将おかみいました。

若君わかぎみさまですか。はい、はい、今晩こんばん予約よやくれておきます。今晩こんばんかならしろかせます」と女将おかみこころよこたえました。

家老かろうったあとで、女将おかみはゆきのところにきました。「ゆきちゃん!今晩こんばんわかさまがしろであなたのお手前てまえてみたいそうです。あたらしい真珠しんじゅ首飾くびかざりと一番いちばんきれいなきぬ着物きものていきなさい」といました。

その温泉おんせんはやめにみせじまいしました。女将おかみはゆきがしろくために身支度みじたくをするのを手伝てつだいました。その夕刻ゆうこく、ゆきはしろきました。若殿わかとの部屋へや案内あんないされたあとで、「はじめまして。温泉おんせん茶道家さどうか、ゆきともうします。どうぞよろしくおねがいします」とゆきはいました。

「はじめまして、ゆき殿どの。よろしく」と若殿わかとのいました。

それからゆきはお点前てまえ披露ひろうしました。「あなたは本当ほんとう達者たっしゃ茶道家さどうかですね。毎晩まいばんここにて、お点前てまえ披露ひろうしてください」と若殿わかとのいました。

ゆきは「まことにお粗末そまつではございますが、おのぞみでしたら、かなら毎晩まいばんここにて、おちゃてさせていただきます」とって、温泉おんせんかえりました。

ゆきがったあとで、「あんなうつくしくて達者たっしゃ茶道家さどうかたことはいままでなかった。ひめのような風貌ふうぼうだ。彼女かのじょのことをもっとらなければならん。彼女かのじょのことをくして調しらべておくように」と若殿わかとの家老かろういました。

家老かろうは「おのぞみとあれば、なんでもいたします」とこたえました。

第九章だいきゅうしょう

家老かろう調査ちょうさ

つぎ家老かろう温泉おんせんきました。「女将おかみさん、わしは若殿わかとのさまより、あたらしい茶道家さどうかのことを調しらくすようにとおおせをたまわってきた。彼女かのじょについてっていることを全部ぜんぶおしえてください」といました。

女将おかみは「そうですね。ゆきは数日すうじつまえこの温泉おんせんて、おとうと手紙てがみわたしました。二人ふたりみち出会であって、ゆきはおとうとちゃをしました。ゆきはちいさなむらでお祖母ばあさんにそだてられたといました。おやはゆきがまれてからもなく二人ふたりともくなったといました。家系かけいほんってきました」とって、おばあさんの名前なまえおしえて、手紙てがみせました。

「そうか。十五じゅうごねんぐらいまえ、そのなまえ名高なだかかったようじゃ。その家系かけいてみたい」と家老かろういました。

女将おかみ家老かろうをゆきのところまでみちびいて「ゆきちゃん!若殿わかとの家老かろうさまがあなたの家系かけいてみたいとおっしゃっています」といました。

それからゆきは家老かろう家系かけいせました。家老かろう家系かけいをつぶさにあらためました。「このもんはよくおぼえておる。本当ほんとうにあなたの家紋かもんかの」といました。

ゆきは「それはかりません。このほんにそうしるされているだけですから」とこたえて、ちいさなむら生活せいかつ旅路たびじのことをかたりました。

それから家老かろう温泉おんせんからり、使者ししゃちいさなむら派遣はけんしました。

毎晩まいばんゆきはしろって、若殿わかとのちゃ振舞ふるまいました。あるゆうべ、若殿わかとのきつね尻尾しっぽつくられたうでかざりにづきました。「ゆき殿どの、どうしてそんなうでかざりを手首てくびいているのか」ときました。

「このうでかざりですか。じつは、幸運こううんのおまもりなのです。これはみち出会であったきつねいただいた尻尾しっぽつくられています」とゆきはこたえました。それからゆきは若殿わかとの旅路たびじのことをかたりました。

第十章だいじっしょう

家老かろう調査報告ちょうさほうこく

数日後すうじつご家老かろう若殿わかとの報告ほうこくしました。「若殿わかとのさま、れい茶道家さどうか調しらくしました。十五じゅうごねんぐらいまえ、ある老婆ろうば赤子あかごだった孫娘まごむすめとあるちいさなむらきました。そのあと、そこでしずかに二人ふたりまずしい生活せいかつおくりました。数週間すうしゅうかんまえ老婆ろうばんで、孫娘まごむすめむらりました。

「その、ある漁師りょうしがそのむらからこのまちまで途中とちゅうで、そのむすめ出会であいました。むすめ漁師りょうしあみつくろって、漁師りょうしむすめかいけました。むすめは、そのときはうでかざりを手首てくびいていませんでした。

「そのゆうべ、あるふく商人あきんどが(温泉おんせん女将おかみおとうとなのです)そのみち途中とちゅうむすめ出会であいました。むすめうでかざりを手首てくびすでいていて、かいなかつけたという真珠しんじゅ家系かけいっていました。商人あきんどむすめ女将おかみあて手紙てがみわたしました。

つぎ女将おかみへの手紙てがみち、うでかざりを手首てくびいていたむすめは、このまちもんました。温泉おんせんへの道順みちじゅんきました。そのもなく、うでかざりを手首てくびいていたむすめ温泉おんせんて、商人あきんどからの手紙てがみ女将おかみわたしました。女将おかみむすめ茶道さどうとしてやといました。

商人しょうにんたちみなむすめがゆきと名乗なのったことを確認かくにんしました。きつね山賊さんぞく実在じつざい確認かくにんできません。しかし、漁師りょうしむすめった砂浜すなはま商人あきんど野営やえいとの途中とちゅうに、はいかいつけられました。

「ごぞんじかもしれませんけど、十五年ごじゅうねんぐらいまえ、ある大名だいみょうたおされてしろ火事かじちてしまいました。その大名だいみょうには、有名ゆうめい茶道さどう母親ははおや赤子あかごむすめがいました。そのとき母親ははおやむすめ火事かじんだとみなおもいましたけど、遺体いたいまったつけられませんでした。大名だいみょう母親ははおや名前なまえわか茶道さどう祖母そぼ名前なまえおなじです。また、大名だいみょう家紋かもんわか茶道さどう家系かけいにあります」と家老かろういました。

面白おもしろい。父上ちちうえおしえたかたがいい」と若殿わかとのいました。それから二人ふたり殿とのさまのところにって、家老かろう報告ほうこくかえしました。家老かろうおわったあとで、殿とのさまは「そなたは、そのむすめ興味きょうみがあるのか」と若殿わかとのきました。

若殿わかとのは「もし父上ちちうえ了承りょうしょうをしていただければ、茶道さどう結婚けっこんするつもりでございます」とこたえました。

「その茶道さどう一目ひとめてみたいとおもう」といました。

そのゆうべ、ゆきは殿とのさまの部屋へやまねかれました。「はじめまして。温泉おんせん茶道さどう、ゆきともうします。どうぞよろしくおねがいします」といました。

殿とのさまは「そなたの風貌ふうぼう、、、。うむ、なつかしい」とつぶやきました。

ゆきがお手前てまえをしたあとで、殿とのさまは「そなたのおばあさまにうりふたつだ。彼女かのじょはよくおしえたものだ」といました。

ゆきは「左様さようでございますか。殿とのさま、よくまあわたし祖母そぼをご存知ぞんじでしたね?」ときました。

殿とのさまは「そなたのご両親りょうしんくなる以前いぜんぞんげておった。そなたの父上ちちうえ偉大いだい人物じんぶつで、わしと友達ともだちだった」といました。

祖母そぼおやについてはなにはなしませんでした。おしえてくださいませんか」とゆきはたずねました。

「うむ。しかし、まず息子むすこもうしたいことがある」と殿とのさまはいました。

若殿わかとのは「ゆきひめ、もしわたし結婚けっこんしてくだされば、かならず幸しあわせにします」といました。

「いえ、わたしひめではございません。わたしのようなおんな若殿わかとの結婚けっこんできません。かりません」とゆきはいました。

きみ父上ちちうえ大名だいみょうだった」と殿とのさまはいました。

「なんとったらいいか…。けれどももし若殿わかとのさまがそうおのぞみならば、おぼすままに」とゆきはいました。

それからさんにんながらくしゃべりました。

第十一章だいじゅういっしょう

忍者にんじゃ襲撃しゅうげき

一方いっぽう、あるねたふか老婆ろうば茶屋ちゃや忍者にんじゃらにいました。「あのよそから茶道家さどうかは、おきゃく横取よこどりするんです!してしいんです!」といました。

忍者にんじゃおさは「そうですか。どんな手立てだてがいいでしょう?」ときました。

茶屋ちゃやは「どんな手立てだてでもかまいません」とこたえて、りました。

おさ側近そっきんに「あの茶道家さどうかについてなにっているか?」ときました。

側近そっきんは「数週間前すうしゅうかんまえ、このまちました。温泉おんせんはたらいています。そして毎晩まいばんしろきます。若殿わかとの彼女かのじょについて興味きょうみがあるそうです。となりにあったくにまえ大名だいみょうむすめかもれないそうです」とこたえました。

面白おもしろい。となりくに大名だいみょうも、彼女かのじょについて興味きょうみがあるかな。じゃ、むすめいまからここにれてきて、大名だいみょう使者ししゃ派遣はけんしろ」とおさいました。

「はっ、おさおおせのとおりにいたします」と側近そっきんって、かけました。

そのよる、ゆきが温泉おんせんかえあいだ忍者なんじゃはゆきを素早すばやかこんで、猿轡さるくつわをかませて、手足てあししばりました。みあっているあいだに、腕飾うでかざりはれて、地面じめんちてしまいました。

側近そっきんはゆきをおさのもとへ手足てあししばったままれてきました。「このむすめ茶道家さどうかです」といました。

おさは「そうか。わかすぎるな。本当ほんとう上手じょうずかな。このむすめちゃてみたい。束縛そくばくいて」といました。

猿轡さるぐつわはずさせてから、「たすけてたすけてたすけて」とゆきはさけびましたが、きつねがないので、何事なにごとこりませんでした。

「この付近ふきんでは、いくらさけんでも、だれたすけにはこない」とおさいました。「一服いっぷくててくれ」

しかたなくゆきはお手前てまえはじめました。おわったあとで「本当ほんとう上手じょうずだぞ。大名だいみょう興味きょうみがなければ、おれはおまえ芸者げいしゃにするつもりだ」とおさいました。

「めっそうもございません」とゆきはいました。

「このむすめろうれてって、そこにめておけ」とおさいました。

ろうめられてから、ゆきはきながらねむってしまいました。

第十二章だいじゅうにしょう

ゆきはどこだ?

つぎあさ女将おかみきると、ゆきが見当みあたりません。「あの一体いったいどこだろう?」とおもいました。「まだおしろにいるかな?」

それから女将おかみしろいそいできました。しろいてから「温泉おんせん女将おかみです。昨晩さくばん、うちの茶道家さどうか若殿わかとの振舞ふるまうためにこちらにまいりましたけど、温泉おんせんかえってきませんでした。まだしろにおりますか」と守衛しゅえいきました。

「ここでつように」と守衛しゅえいいました。

もなく家老かろうもんました。「昨夜さくや茶道家さどうか温泉おんせんかえったはずじゃ。そちらにいていませんか」ときました。

「まだっておりません」と女将おかみこたえました。

らせに感謝かんしゃいたす。調しらべさせて茶道家さどうかつけよう。心配しんぱいにはおよばん」と家老かろういました。

それから女将おかみ温泉おんせんかえり、家老かろう若殿わかとの報告ほうこくしました。守衛しゅえいらはゆきの捜索そうさくはじめるようにめいじられました。

もなく家老かろう若殿わかとのにまた報告ほうこくしました。「若殿わかとのさま、みち途中とちゅうでこのれた腕飾うでかざりときぬはしつけました。あらそった形跡けいせきがありました」

「そうか。その場所ばしょ案内あんないしなさい。守衛しゅえい猟犬りょうけんれていってくれ」と若殿わかとのいました。

そして、若殿わかとのたちはしろあとにしました。

第十三章だいじゅうさんしょう

一本いっぽん

一方いっぽう、ゆきは目覚めざめました。「うでかざりがないから、きつねなかったんだろう」とおもいました。「うでかざりがれたときに、きつねすこ着物きものにくっいたかもれない。もしきつね一本いっぽんだけでもつけられるなら、きつねぶことが出来できるかもしれない」

それからゆきは物狂ものぐるいで着物きものきつねさがしました。やっとのことでみじか一本いっぽんつけました。両手りょうてちながら「たすけてたすけてたすけて」といました。

あっと一匹いっぴきひき、ついには百匹ひゃっぴききつねろうあらわれました。「きつねさま、このろうからたすしてくださいませんか」とゆきはたのみました。

「どうしてもっとはやばなかったのですか」ときつねきました。

じつびたかったんですが、不意ふいおそわれましたし、猿轡さるぐつわをかまされてしまいました。あらそいの最中さいちゅうつくったうでかざりがれてちてしまったんです。このみじか一本いっぽんつけるまで、べなかったんです」とゆきはこたえました。

それからきつねたちはかべしたあなって、忍者にんじゃいかけ、ろうかぎつけました。

第十四章だいじゅうよんしょう

救出きゅうしゅつ

一方いっぽう家老かろう若殿わかとのうでかざりをつけた場所ばしょ案内あんないしました。若殿わかとのは「いぬにおいをがせなさい」といました。

いぬきぬ布地きれじがせられて、はじめ、みち沿ってはしはじめました。

もなく「畜生ちくしょう妖怪ようかいが!」とこえてきました。

はやく!やつらをがしてはならない!」と若殿わかとのいました。

守衛しゅえいらは若殿わかとのとも忍者にんじゃおそいました。一方いっぽう忍者にんじゃとりでなか、ゆきはどよめきのおといて、まどほうきました。「若殿わかとのさまです!きつねさま、若殿わかとのさまをたすけてくださいませんか」とたのみました。

きつねは「そのようなことはできません。若殿わかとのおとこなので、自分じぶんたたかいは自分じぶんたたかわなければなりません」とこたえました。「ここでっていてください。たたかいがわるまで、きみまもります」

「はい。たたかいがわるまで、ここでちます」とゆきはこたえました。

それから若殿わかとの守衛しゅえいらととも忍者にんじゃ大部分だいぶぶんらえましたが、のこりの忍者にんじゃげました。

「ゆき殿どのはどこだ」と若殿わかとの忍者にんじゃいました。

「ここです」とゆきは入口いりぐちいました。

「ゆき殿どの大丈夫だいじょうぶですか」と若殿わかとのいました。「これをとしたでしょう?」うでかざりをせました。

「あっ!それ、くしてたんです。若殿わかとのさま、腕飾うでかざりをつけて、かえしてくださって、さらにはわたしをもたすけてくださるなんて、本当ほんとうにありがとうございます」とゆきはいました。

れいにはおよばん」と若殿わかとのこたえました。

きつねさま、わたし脱獄だつごくさせて、まもってくださってどうもありがとうございます」とゆきはこたえました。

きつねは「どういたしまして。ほかにもきみまもってくれるひとがいるようですね。もう一度いちどだけぼくんでもかまいません。頑張がんばってください」といました。

「がんばります」とゆきはこたえました。

「ゆきさんと結婚けっこんするつもりです。もし、きつねどのが結婚式けっこんしき参加さんかしていただけたら、大変たいへん光栄こうえいです」と若殿わかとのいました。

「そうですか。普段ふだんならわたし人間にんげんいとなみとは関係かんけいたないのですが、このおじょうさんは特別とくべつです。きっと結婚式けっこんしき参加さんかできるでしょう」ときつねこたえました。

第十五章だいじゅうごしょう

大名だいみょう

結婚けっこんまでの計画けいかくはじめました。日取ひどりをめて、殿様とのさま招待状しょうたいじょうおくりました。

となりくに大名だいみょうにも招待状しょうたいじょうしました。しかし、大名だいみょう招待状しょうたいじょうりません。

「あのおんなまえ大名だいみょうむすめなのか?」と大名だいみょう忍者にんじゃおさいました。

おおきなまち若殿わかとのはそうっています」とおさこたえました。

むすめまえ囚人しゅうじんだったのか?」と大名だいみょうきました。

「はい」とおさこたえました。

むすめきていては、我々われわれ悪事あくじがばれてしまう。その若殿わかとの家族かぞく前々まえまえからわたし大名だいみょうになることに反対はんたいした。若殿わかとのむすめ正当せいとう継承けいしょうしゃとしてのちからてば、わたしいま地位ちいうしなってしまうではないか!なんでころさないのか?!」と大名だいみょうさけびました。

大名だいみょうさまは茶道さどう結婚けっこんしたいのかもりませんし、命令めいれいをいただいておりませんし…」

だまれ!かんがえておるところだ!あっ!わたしむすめ結婚けっこんすれば、だれ継承けいしょう阻止そしできない!」

素晴すばらしいかんがえでございます、大名だいみょうさま」

「どうしたら結婚けっこんできるかな。もうすぐ若殿わかとの結婚けっこんするであろう」

「もし結婚式けっこんしきまえむすめれば、大名だいみょうさまはむすめ結婚けっこんできるかもれません」

だまれ!いまかんがえておるところだ。そんなに一度いちどわれたら、かんがえることができん。あっ!むすめれば、結婚けっこんできるのか!」

「よいかんがえでございます。しかし、むすめきつねまもられているようでございます」

「そのようだな。どうすれば妖怪ようかいけて、あのむすめれることができるのか?」

うわさではおにたすけをて、まえ大名だいみょうたおしたということです」

「あーもう、はなしながくて、ちっともかんがえられないのだ!あっ、もう一度いちどおにたすけをればいいのか」

第十六章だいじゅうろくしょう

おに

大名

つぎ大名だいみょう忍者にんじゃおさ家来けらい一緒いっしょやまかってうまはしらせていました。もなく岩屋いわや入口いりぐちきました。

大名だいみょうは「ここでて。どんなことがこっても、いてきてはいけない」といました。

大名だいみょうさま、その場所ばしょあぶないようです。だれかおともれてったかたがいいのでは…」と、おさすすめました。

「この岩屋いわや住人じゅうにんちからは、わたしころしたければ、へい全員ぜんいんでかかってもかなわないほどのものだ。このよりさきは、わし一人ひとりかなければならん」と大名だいみょうこたえました。

それから大名だいみょうはろうそくをともして、岩屋いわや入口いりぐちはいりました。もなくおおきな洞窟どうくつました。いきなり、ふとこえこえました。「おれさまのまいにはいってたのはだれだ?」

大名だいみょうふか会釈えしゃくしました。「おにさま、むかしちからをおしいただいたものでございます。もう一度いちど手伝てつだってくださいませんか」といました。

おには「毎週まいしゅううし一匹いっぴきちかくの牧場まきばからっている。べつあじしいときに、むすめ一匹いっぴき百姓ひゃくしょういえからっている。今度こんど手伝てつだったら、なにをくれるのだ?」といました。

まえ大名だいみょうむすめはまだきていて、となりくにおおきなまちんでいるようです。むすめ結婚けっこんするために、彼女かのじょ誘拐ゆうかいしてくださいませんか。むすめさえるならば、まち全部ぜんぶほろぼしてもかまいません」と大名だいみょうこたえました。

「なぜ人間にんげん家来けらい使つかわないのか」とおにきました。

じつは、むすめきつねまもられているようです。領地りょうちにいた忍者にんじゃ誘拐ゆうかいしようとしましたが、きつねたすけてしまいました」とこたえました。

きつねわずらわしい奴等やつらだ。むかしからきつね大嫌だいきらいだ。よしじゃあ、やってみよう」

第十七章だいじゅうななしょう

家来けらい不満ふまん

一方いっぽう岩室いわむろぐちまえで、忍者にんじゃおさ家来けらいっていました。

家来けらいたちはまわりを戦々恐々せんせんきょうきょう見渡みわたしていました。そのうち一人ひとりは「ここはいや場所ばしょだ。このちかくにおにがいつもめてくるそうだね。やまいってその原因げんいん調しらべればいいのに、どうしてやまくことを禁止きんししてるのかな」といました。

そのはなしくとすぐに、家来けらい全員ぜんいんしずかになっておろおろと忍者にんじゃほううかがいました。もなく、家来けらいおさおおきなこえで「そいつはいつも冗談じょうだんばかりっているんだよ」とって最初さいしょ家来けらいわきめて、耳打みみうちしました。「馬鹿者ばかもの!あの忍者にんじゃ大名だいみょうみみのようなものだ。にたいのか?」

最初さいしょ家来けらいかおあおくなりました。「もうわけございません、かしら忍者にんじゃのことをかんがえていませんでした。じつは、家内かない家族かぞくがこのちかくにんでいて、最近さいきん大変たいへん生活せいかつおこっています。まえ大名だいみょう時代じだい…」

だまれ!それは禁句きんくだぞ」

その瞬間しゅんかん大名だいみょう岩屋いわやからてきました。「ここでの用事ようじわった。しろもどろう」といました。

うましろもどあいだに、忍者にんじゃおさ大名だいみょうとなりすわりました。「大名だいみょうさま、おそおおくも、家来けらい一緒いっしょにあそこにくことは、あまりかんがえではなかったかとぞんじます。そんなことをしたら、家来けらいたちはこわがって、大名だいみょうさまのためにたたかうことには度胸どきょうをなくしてしまうんじゃないでしょうか」といました。

仕方しかたない。護衛ごえいのないたび安全あんぜんではないからな」と大名だいみょうこたえました。

第十八章だいじゅうはっしょう

おに襲撃しゅうげき

もなく、若殿わかとのとゆきの結婚式けっこんしきになりました。いろいろな殿様とのさまたちが、結婚式けっこんしき出席しゅっせきするためにそのおおきなまちました。そしてきつねも、人間にんげん姿すがたけたあとました。しかし、となりくに大名だいみょうませんでした。

結婚けっこん披露ひろうえんしろにわおこなわれました。綺麗きれいはなが、あちらにも、こちらにもいていました。本当ほんとう素晴すばらしいでした。

突然とつぜんまちからさけごえこえました。ただちに、家老かろうおおきなまち殿様とのさま近寄ちかよりました。「殿様とのさま巨漢きょかんおにまちいえこわしてしろほうるようでございます」とらせました。

息子むすこ一緒いっしょへいあつめろ。わしの甲冑かっちゅう武器ぶきととのえさせろ」と殿様とのさま家老かろういました。それから客人きゃくじんたちのほういておおきなこえいました。「皆様みなさま残念ざんねんですが、大変たいへんなことがこっています。はやしろなかはいってください」

もなく、ほとんどの客人きゃくじんたちがしろはいったあとで、若殿わかとのへい一緒いっしょ外曲輪そとくるわうえかいました。そうこうしているうちに、おに外曲輪そとくるわまでやってきました。おに見渡みわたしたとき、一人ひとり女性じょせいえました。そのきれいな女性じょせいは、恐怖きょうふこおくようにしてっていました。「ほほう」とおにわらいました。「おまえ大名だいみょうはなしていたむすめだろう。俺様おれさまい」とってばして女性じょせいつかりました。

それをとき若殿わかとのは「しまった、ゆきが!やめろ!ゆきをつかんだはなせ!」とさけびました。

第十九章だいじゅうきゅうしょう

おに敗北はいぼく

おには、むすめさらうと、やまほうかってあるしました。若殿わかとのうまやき、うまるといそいでおにいかけていきました。若殿わかとの従者達じゅうしゃたちあわてて若殿わかとのあといました。

一方いっぼう、町まちけたおには、「なんでこんなにきつねぐさいんだ」と、あたりのにおいをくんくんとぎながらいました。

すると、むすめつかんだこぶしなかから、「このおじょうさんはおれまもっている。貴様きさまのようなやつがこのかたきずつけることはゆるさんぞ」と、そのむすめのものとはおもえない、ふとこえこえてきました。

それをいたおに何事なにごとかとおもい、こえのするほういたそのときおおきなあなあしまり、ひっくりかえってしまいました。

おにたおれたその瞬間しゅんかん坂道さかみちがりかどからうまった若殿わかとのあらわれました。おにうでばして地面じめんから三尺さんしゃくからだげ、がろうとしましたが、そのおにひろ背中せなかに、若殿わかとのっていたうまからうつり、かたなふとおにくびをスパッととしました。おにくびは、ごとりとにぶおとててち、あた一面いちめんうみになりました。くびると同時どうじに、おにからだふたたたおれ、しばらくのあいだその巨大きょだいからだはもうんでいることにがついていないかのようにふるえていました。おにからだからりた若殿わかとのは、かおまでもしぶきがかかりましたが、自分じぶんかおまっていることよりも、ゆきの安否あんぴほうがかりでなりませんでした。「ゆき!どこだ!大丈夫だいじょうぶか!」とあたりを見回みまわし、さけびました。

心配しんぱいはございません」と、おぼえがあるこえがし、若殿わかとのこえのするほうかおけると、そこにはきつねっていました。「しろへおかえりください。本物ほんもののおじょうさんは無事ぶじしろにいます」ときつねいました。

若殿わかとのは「きつねどの!これはこれはおどろきました。しかし、わたしには、ゆき殿どのおにさらわれたようにうつったのですが」と若殿わかとのまるくしながら、きつねたずねると、きつねすこわらいながら、「こんなふうでしたか」とって、ゆきの姿すがたけました。それから、もう一度いちどきつね姿すがたもどりました。

「これはなんとかいな!」若殿わかとのおどろいてこえをあげました。若殿わかとのはゆきの無事ぶじると、ほぅ…っとむねろしました。いままでの緊張きんちようほぐれたのか、一瞬いっしゅん、よろよろとたおれそうになりましたが、きつねほうなおると、ふかあたまげ、「いつもありがとうございます。今後こんごはいつでもわたししろへいらしてください。おれいげたいので」と、言葉ことばのこし、うましろかえりました。若殿わかとのっていく姿すがたながめながら、「それなら今度こんどまたゆき殿どのってみるかな」とつぶやきました。

第二十章だいにじっしょう

殿様とのさま評議ひょうぎ

もなく若殿わかとのたちはしろかえってきました。若殿わかとのしろなかはいるとすぐ、「ゆき!ゆきはどこだ!無事ぶじであったか?」とおおきなこえでゆきの名前なまえびました。

若殿わかとのこえは、玄関げんかんからとおはなれた場所ばしょにいたゆきにも充分じゅうぶんとどくほど、おおきなものでした。ゆきが、はや気持きもちをおさえつつ、あし玄関げんかんかうと、そこには、なんと若殿わかとのまみれでっていました。

おどろいたゆきは、「若殿わかとのさまこそご無事ぶじでございましたか。まみれではございませんか」とたずねると、若殿わかとのは、「心配しんぱいらぬ。これはおにかえびただけだ」とこたえました。まみれではありましたが、その笑顔えがおは、いつもの若殿わかとのやさしい笑顔えがおでした。

ゆきが、よごれた若殿わかとのかおこうとしたそのとき家老かろう若殿わかとののところにってました。家老かろう若殿わかとのかおたとたん、安堵あんどみをかべながら、「若殿様わかとのさま無事ぶじなによりでございます。ご帰還きかんなされたばかりでおつかれのところとは存じますが、殿とのがおびでございます。只今ただいま近隣諸国きんりんしょこく城主様達じょうしゅさまたち一緒いっしょ評議ひょうぎをなさっています。若殿様わかとのさまとゆきさま参加さんかされるようおっしゃっておられます」と、早口はやくちいました

若殿わかとのは「うむ。った。ゆき、い」とい、評議ひょうぎへゆきと一緒いっしょかいました。

そこではちょうどひげ大名だいみょうが「此度こたび襲撃しゅうげき言語道断ごんごどうだんです!あの大名だいみょうめるべきです」といきりっているところでした。

すると、丸禿まるはげの大名だいみょうが「まあまあ。どうしてかげいといているのがあの大名だいみょうだとえるのですか」とたずねました。

ひげ大名だいみょうは「おにとつながりのある大名だいみょうなんて、ほかかんがえられますか」と、興奮こうふんしながらかえしました。

城主じょうしゅは「まあまあ、お二人ふたりともすこいて…いまおにがどのようにしてこのくにまでやってたのか、家来けらい調しらべさせています。ほかくにからたのかもしれませんよ」と、二人ふたりをなだめるようにいました。そして、若殿わかとのほうき、「息子むすこよ、おにはどこへったのだ」ときました。

地獄じごくへとおくってやりました。この太刀たちくびとしてやりましたから」といつもはやさしい微笑びしょう印象的いんしょうてき若殿わかとの満面まんめんににやりとほこらしげなみをかべていました。

その様子ようすると、むねっていてもしばらく言葉ことばまっている若殿わかとの父上ちちうえ横目よこめに、いままでだまっていていた、ふとった大名だいみょうが「もしその大名だいみょう今回こんかい襲撃しゅうげき黒幕くろまくだと証明しょうめいされ、われらがったとしましょう。そうなると問題もんだいはそのあとのことです。いったいだれわって…そ、その、そのくにおさめることになるのですか」ときました。

城主じょうしゅは「ゆき、こちらにまいれ」と、すこつよ口調くちょうで、ゆきをしました。ゆきが殿様とのさまそばると、「あのくに正統せいとう継承者けいしょうしゃはこのものです。このものいてほかにはおりますまい。親友しんゆうであったさき大名だいみょう唯一ゆいいつわす形見かたみなのです」といました。

ゆきは、城主じょうしゅかんがえをそこではじめてりました。「わたしがでございますか?でも、くにおさめるなんて、とんでもないことでございます」と、おどろまるくして、どこかにかくれたい様子ようすいました。

城主じょうしゅは「心配しんぱいらぬ。息子むすこまれたときから、わしのもとくにおさめることをまなんできておる。そなたに助言じょげんすることができよう」といました。

ふとった大名だいみょうは「大名だいみょう討伐とうばつ領地りょうちけんはまったく別問題べつもんだいです。討伐とうばつ結果けっかによりこのくにゆたかな領地りょうちくわわることは我々われわれとしては承知しょうちしかねますな」といました。

それにこたえるように若殿わかとのは「わたくしにはおとうとがおります。もし、ゆきがそのくにおさめることになれば、わたしはこのくに跡目あとめがぬつもりでございます」といました。

丸禿まるはげの大名だいみょうは「たしかに、先代せんだい大名だいみょうくなるまであのくにはとてもゆたかなくにでしたが、いまだいになってからは悪政あくせいによって、きゅうまずしくなっているといううわさです」といいました。

ひげ大名だいみょう不思議ふしぎそうに「そもそもどうしてこのおじょうさんがさき大殿おおとの娘御むすめごだとご存知ぞんじなのですか」ときました。

そこで、家老かろうあらためて、ゆきの素性すじょうについての調査ちょうさ結果けっか報告ほうこくしました。

そのあと隣国りんこく大名だいみょうたちはひざわせて、その大名だいみょう打倒だとうのための様々さまざま計画けいかくてました。

第二十一章だいにじゅういっしょう

大名だいみょう返事へんじ

つぎおに足取あしどりを調しらべにったへいもどってきました。へいはなしによると、おにとなりくにからたようでした。早速さっそく兵達へいたちおにくび荷車にぐるま国境くにざかいまではこびました。おにんだというはなしは、あっという国中くにじゅうひろまりました。百姓ひゃくしょうたちは、とてもよろこびましたが、ゆきをれる計画けいかくがうまくいかなかったので、大名だいみょうよろこぶことが出来できませんでした。

そのうち、ゆきたち婚礼こんれい参加さんかしていた近隣諸国きんりんしょこく領主達りょうしゅたちのほとんどは、その大名だいみょうたおすために、へいおくしてきました。続々ぞくぞくいくさ準備じゅんびのためにへい到着とうちゃくしました。そして、ゆきの義父ぎふとなった殿様とのさまが、総大将そうだいしょうとしてとなりくに大名だいみょうたいし、ゆきに領主りょうしゅ地位ちいゆずるように使者ししゃつかわしました。

その行為こうい大名だいみょう大変たいへん気分きぶんそこね、「このようなわけのからん要求ようきゅうきつけてくるとは、いったいどういうことだ?どうしてわしがまえ大名だいみょうむすめだと名乗なの女子おなごにこのくにゆずらねばならんのだ。そもそもそのおんな何者なにものだというのだ?所詮しょせん百姓ひゃくしょうむすめだろう」と、をつりげて、使者ししゃ怒鳴どならしました。

使者ししゃは、「ゆきさまがこちらのくにおさめるかいなかにかかわらず、おに襲撃しゅうげきけんで、あなたさまには領主りょうしゅ退しりぞいていただかねばならぬと殿達とのたちもうしております」と、はらってこたえました。

「わ…わしはそんなおにのことなどらぬ!!」と、いかりのあまりみみまでにしながら大名だいみょうこたえました。

使者ししゃは、「襲撃しゅうげきとき、そのおにが『そいつは大名だいみょうはなしていたむすめだろう』とったのをみないておりました。そして、おに足取あしどりを調しらべると、このくにからたことが判明はんめいしました。もはやのがれはできますまい。ここは領地りょうちをおゆずりになられるのが得策とくさくかとおもわれます」といました。

大名だいみょうは「そなたのあるじがわしにおにくびおくったように、わしもおなじようにしてやろう。そやつのくびをはねておくかえしてやれ」と家来けらい怒鳴どなりつけました。

使者ししゃは、その言葉ことばくやいなや身構みがまえましたが、かたなきかけたその瞬間しゅんかん、すでにくびちゅうんでいました。くび大名だいみょうのところまでころがるまえに、だまりにくずおれる使者ししゃからだ背後背後で、忍者にんじゃおさがもうまったかたないているのをて、大名だいみょう満足まんぞくげにほそめました。

そして、使者ししゃくびあるじもとおくかえされることとなったのです。

第二十二章だいにじゅうにしょう

殿様とのさま返事へんじ

もなく大名だいみょう使つかいが使者ししゃくびをそのまちわたしにました。そして、殿様とのさま御前おまえで、使つかいはおもめたようにしました。

おそれながら殿とのは、あなたさまつかわされた使者ししゃくびねさせ、わたくしおくりつけるようにとめいじました。おたしかめください。このようなことを平気へいきでしたり、おに百姓ひゃくしょうおそわせるような理不尽りふじんあるじには、もはやおつかえすることはできません。ずうずうしいことは重々じゅうじゅう承知しょうちうえですが、あなたさまにおつかえさせていただくわけにはまいりませんでしょうか。ねがいをとどけていただけない場合ばあいは、浪人ろうにんになる覚悟かくごもできております」その使者ししゃ眼差まなざしは、真剣しんけんそのものでした。

殿様とのさまは、そのひとみつめながら、「ふむ。家老かろう、このくび家族かぞくもととどけ、丁重てちょうほうむってやれ」といつけました。そして家老かろうくびはいったはこると、「そなたの仲間なかまおなじようにかんがえておるのか」と、使者ししゃきました。

大名だいみょう使者ししゃは、あたまげたまましばらくかんがえたのち、おそるおそるかたはじめました。「殿とのはとてもおそろしいおかたなので、みな殿とのおそれ、本音ほんねかたものなどおりません。ですから、あくまでわたくし推測ういそくですが、殿とのもとりたがっているものすくなくはないでしょう。しかし、一族いちぞくたいする報復ほうふくおそれ、くにられないものもおりますし、なかには殿とののようなきびしいおかたこそしんあるじだとかんがえる者達ものたちもおるようでございます」と、殿様とのさまぐにつめながらこたえました。

「そうか。わしの家来けらいになりたいのなら、あと家老かろうはなしてみるがかろう。しかし、わしの軍勢ぐんぜいはいまえに、この仕打しうちにたいするわしの返事へんじってくにもどれ。わしの返事へんじはこうだ。『貴殿きでんむねうち、よくかった。そちらがそうるならこちらにもかんがえがある。お覚悟かくごされよ』とな。そしてできるだけおおくの叛意はんいものれてここへもどってまいれ」そして殿様とのさまこえげてさけびました。「これはいくさだ!」

第二十三章だいにじゅうさんしょう

若殿わかとの出陣しゅつじん

もなくしていくさ準備じゅんびととのいました。殿様とのさま若殿わかとのへい一緒いっしょかけるところでした。「ゆき、行ってくる。わたし留守るすあいだ家老かろうからくにおさかたまなびなさい」と若殿わかとのいました。

「おをつけて、どうぞご無事ぶじで」とゆきは心配しんぱいそうにこたえました。若殿わかとの笑顔えがおで「うむ」とこたえ、颯爽さっそううまり、戦場せんじょうかっていきました。ゆきはその出陣しゅつじんえなくなるまでじっと見送みおくりました。

若殿わかとのかえってくるのをあいだ、ゆきは毎日まいにちあさからばんまで一生懸命いっしょうけんめいくにおさかた勉強べんきょうしました。時々ときどき殿様とのさま若殿わかとのからの手紙てがみることもありました。殿様とのさま手紙てがみ内容ないようはほとんどは、いくさ報告ほうこく家老かろうへの命令めいれいでしたが、若殿わかとのからの手紙てがみ内容ないよう大半たいはんは、ゆきへのおもいをつづったもので、それはまるで恋文こいぶみのようでした。ゆきはその手紙てがみを、自分じぶん宝物たからものれている化粧箱けしょうばこなか保管ほかんし、まえかならずそれをかえしながら、若殿わかとの無事ぶじいのっていました。そんな行為こうい日課にっかになりつつあった、あるのことです。

その指導しどうわったとき自分じぶん部屋へやでお点前てまえ練習れんしゅうしにもどろうとするゆきに、家老かろうが「ゆきさまには、くにおさめる資質ししつがおありです。きは、お祖母様ばあさまからまなばれたのでしょうか」とたずねました。

ゆきはめ、「そうです。書物しょもつむのが大好だいすきです。でも、わたしむらにはものがあまりなかったので、おばあさまの『源氏物語げんじものがたり以外いがい、あまりんだことがありません」とこたえました。

すると、家老かろうは、「さようでございますか。では源氏物語げんじものがたりは、すべておみになりましたか」と家老かろうくと、ゆきはすこ残念ざんねんそうに「おばあさまのほん数章すうしょうけておりましたので、すべてをんではおりません」とこたえました。

「さようでございますか。ここには『源氏物語げんじものがたり』の全巻ぜんかんと、ほかにもいろいろなほんがございます。もしおひまがあれば、どうぞおみください」と家老かろうやさしくいました。

第二十四章だいにじゅうよんしょう

大名だいみょうおも

殿様とのさま同盟軍どうめいぐんとなりくにると、そのくにへい大名だいみょうしろ退却たいきゃくし、もなく殿様とのさまはそのしろ包囲ほういし、攻撃こうげきはじめました。

大名だいみょう激高げっこうし、忍者にんじゃいました。「馬鹿ばかおにめ、なぜあのとき襲撃しゅうげきんでしまったのだ?」

すると忍者にんじゃは、「わたしおにのことはぞんじませんでした」と冷静れいせいこたえました。

大名だいみょうは、「あの連中れんちゅうは、襲撃しゅうげきがわしのせいだとめておる!わしがめいじたわけでもないのに!」といながら座布団ざぶとんり、はじめました。

忍者にんじゃは、「左様さようでございますか」とまばたきもせずこたえました。

大名だいみょうかれた座布団ざぶとんゆかげ、舌打したうちをし「どうすればいい?こうは多勢たぜいであるうえに、わしの家来けらいどもはあの有様ありさまだし、がない」とあわれっぽいこえいました。

忍者にんじゃ表情ひょうじょうえずに、「左様さようでございますか」とかえしました。

そのこえ反感はんかんもっているのに気付きづかなかったのか、大名だいみょうは、「そうだ!忍者にんじゃのおまえなら、敵陣てきじんはいって、あの殿との息子むすこころすことができるだろう」とい、かがやきをもどした忍者にんじゃほうへやっとはじめてけました

「それはそうでございますが、そう簡単かんたんにはいきますまい。きつね襲撃しゅうげきさいわたし家来けらいすべうしないましたし、相手方あいてがた警護けいご厳重げんしゅうでございます」と忍者にんじゃつめたくこたえました。

忍者にんじゃ大名だいみょうとは反対はんたいに、冷静沈着れいせいちんちゃくそのものでした。大名れんちゅうは、その冷静れいせいさの理由りゆうからないまま、それにたいしていかりをますます増幅ぞうふくさせました。大名だいみょうはいらいらしながら「つべこべいわずにやれ!」とさけびました。

おおせのとおりに」と忍者にんじゃこたえ、部屋へやからきました。ふすままると、それまでっていた部屋へや温度おんどがふっともと突然とつぜんもどったようでしたが、それすらも大名だいみょうづかないようでした。

第二十五章だいにじゅうごしょう

忍者にんじゃおも

そのよる忍者にんじゃおさ黒装束くろしょうぞくつつみ、しろからし、殿様とのさま野営地やえいちしのみました。番兵ばんぺい注意深ちゅういぶかくぐりながら、忍者にんじゃ殿様とのさま本陣ほんじんにゆっくりちかづいてゆきました。しばらくして、忍者にんじゃしたときおなじように、注意深ちゅういぶかおとてずにしろもどり、大名だいみょうもと報告ほうこくきました。

大名だいみょうが「ことんだのか?」ときました。

忍者にんじゃ大名だいみょうちかづき、「はい」とこたえました。

大名だいみょうが「よかろう…」といかけたそのとき最後さいご言葉ことばえるまえに、忍者にんじゃおともなくかたなき、大名だいみょうくびを、そのするどかたなとしていました。のついたかたなをそっといたあと忍者にんじゃしろもんけ、へいむかれて、殿様とのさまたちといました。

忍者にんじゃは、「お約束やくそくとおり、大名だいみょう始末しまついたしました」と忍者にんじゃ殿様さのとまいました。

殿様とのさまおもそうなふくろわたし、「約束やくそく報酬ほうしゅうだ、れ。しかし、主人しゅじんころすのにすようなもの領内りょうないにとどまらせるわけにはいかない。早々そうそうるのだ。さもなくばおまえいのち保障ほしょうできぬ」と殿様とのさまいました。

承知しょうちいたしました。これほどのものをいただきましたので、もはや宮仕みやづかえをする必要ひつようはございません。自分じぶん道場どうじょうでもかまえてやっていこうとおもっております」と忍者にんじゃこたえ、しろからろうとしました。

「そなた、て」と若殿わかとのいました。「なぜ、われらに寝返ねがえったのだ?」

忍者にんじゃは、しばしとどまり、「しのびのでございますから、さむらいのような栄誉えいよはございませんが、殿とのために、十五年間じゅうごねんかん全身全霊ぜんしんぜんれいささげていました。しかし、その期間きかん殿とのわたしをあまり評価ひょうかしてくださいませんでした。しかし、わたしはそれでも、殿とののためにといままで我慢がまん我慢がまんかさねていましたが、今日きょうになりはじめて、殿との自分じぶんまもることしかあたまになく、家来けらいいのちかるかんがえておられるのをり、ついに堪忍袋かんにんぶくろれてしまいました。かりわたし殿とのをこの危機ききからたすけたとしても、すぐに他国たくにがまた殿とのいのちねらうでしょう」

「そうなるだろうな」と殿様とのさまこたえました。

「それがわたしこたえでございます」と忍者にんじゃこたえ、しろからりました。

第二十六章だいにじゅうろくしょう

ゆきの出発しゅっぱつ

隣国りんこくしろが、殿様とのさま手中しゅちゅうちたあとしばらくして、殿様とのさま自分じぶんしろもどりました。ゆきは、「お義父上ちちうえさま、おかえりなさいませ。若殿わかとのさまはどちらにいらっしゃいますか。ご無事ぶじでございますか」とたずねました。

殿様とのさまは、「心配しんぱい無用むようだ。息子むすこはあのくにしろとどまっている。ゆき、いまから息子むすこいにきなさい。旅支度たびしたく家老かろうしてくれるだろう」とこたえました。それからゆきは家老かろうたすけをり、旅支度たびしたくととのえました。

一方いっぽう敗北はいぼくした大名だいみょうくにのあちらこちらで、このようなうわさいました。

まえ殿様とのさま姫君ひめぎみるそうだ」

「なんと?まえ殿様とのさま一族いちぞくみなすでにんでしまったはずだが…」

「ゆきという姫君ひめぎみ祖母そぼとともにげて、祖母そぼひそかにそだてていたらしい。最近さいきん、その姫君むすめとなりくに若殿わかとの結婚けっこんしたそうだ」

面白おもしろそうだね。その姫君ひめぎみこう」

しばらくして、ゆきは駕籠かごって、若殿わかとのくにかいました。国境くにざかいには、老若男女ろうにゃくなんにょわずおおくの人々ひとびとけていました。ゆきはこんな会話かいわみみにしました。

「あの一行いちぎょうがゆきさまじゃないだろうか!」

「えっ、どこに?」

「ほら、あの駕籠かごに!」

「よくえないぞ!」

ゆきはいの従者じゅうしゃに「めてください!あのものたちにはなしがあります」といました。

うまでゆきにしたがっていた従者じゅうしゃが、「それはいかがなものでしょうか。おやめになったほうがよろしいかとぞんじますが」といました。

「このくにおさめることになるなら、あのものたちのたすけをりることが最善さいぜんではありませんか。どうしてもはな必要ひつようがあるのです」とゆきはこたえました。

第二十七章だいにじゅうななしょう

ゆきの演説えんぜつ

ゆきは駕籠かごり、そのそばにあるいわのぼりると、おおきな喝采かっさいこりました。ゆきは村人むらびと興奮こうふんせいすように両手りょうてげ、そのまましずかになるのをちました。人込ひとごみがしずかになっていくのを見届みとどけてからおおきなこえではっきりと、ゆきはこういました。

わくたしまえ大名だいみょうむすめ、ゆきです。父上ちちうえほろぼされたとき祖母そぼわたくしれてちいさなむらび、わたしはそこでひとれずそだてられました」

数ヶ月すうかげつまえ祖母そぼくなり、そのあとわたくし隣国りんごくみやこきました。幸運こううん機会きかいむぐまれて、数週間前すうしゅうかんまえそのまち若殿わかとのさまにとつぎました」

「その結婚式けっこんしきに、このくにからおにまち襲撃しゅうげきし、わたくしろうとしました。でも、きつねどののおかげで若殿わかとのさまはそのおにくびとすことができたのです」とうと、もう一度いちど喝采かっさいこりました。

「その結婚式けっこんしき参加さんかしていた殿様とのさまたちは、このくに大名だいみょうたおすことを決心けっしんしました。その大名だいみょうにん退くことをこばんだので、殿様とのさまたちはその大名だいみょうほろぼすためにいくさはじめました。落城らくじょうしたとき、その大名だいみょうにました」とゆきがうと、またしても喝采かっさいこりました。

わたくしまえ大名だいみょうむすめであり、最後さいご子孫しそんでもあるので、殿様とのさまたちはわたくしに、若殿わかとのさまとともに、このくに統治とうじするようおっしゃいました。そういうわけでここにました。しろ途中とちゅうなのです」

父上ちちうえ時代じだいにはこのくにゆたかだったときましたが、父上ちちうえいくさやぶれ、あの大名だいみょう時代じだいになると、このようにまずしくなりました。わたくしゆめはこのくにをもう一度いちどゆたかにすることです。けれども、このゆめかなえるには、みなさんのたすけが必要ひつようなんです」とゆきがうと、れんばかりの大喝采だいかっさいこりました。ゆきはいわからり、駕籠かごふたたってから、かごかごすだれげたまま、しろほうすすみました。あちらこちらで、ゆきは駕籠かごめさせて、その演説せりふかえしました。

第二十八章だいにじゅうはっしょう

家老かろう再取立さいとりた

そののち、ゆきはしろき、若殿わかとのとの再会さいかいよろこびました。

つぎあさ若殿わかとのはゆきの従者じゅうしゃはなしたあとすこしぶかおをしながら、ゆきにこういました。「なぜ百姓ひゃくしょうらに演説えんぜつしたのだ。そういうことをひめがするのは、いかがなものかな…?」

ゆきは、「大名だいみょうむすめではありますが、ひめとしてそだったわけではありません。百姓ひゃくしょうたちのなかそだったので、かれらの気持きもちがよくかります。百姓ひゃくしょう自分達じぶんたち生活せいかつわってしまうのをおそれているので、変革へんかくなどこのみません。だから、むかし生活せいかつもどるということをはなしたのです」と、反論はんろんしました。

若殿わかとのは、「わたしおこっているのではない…ただ、わたしつまであるという立場たちばわきまえて、そういうことはしないでほしいのだ」と、すこ興奮気味こうふんぎみのゆきを、なだめるようにったのですが、ゆきにはその言葉ことばぎゃく白々しろじろしくこえました。

ゆきは「それはどういう意味いみでしょうか?わたしがこのくにおさめるようにと父上ちちうえさまがおっしゃったことや、あなたにわたし補助ほじょしてくれるようにとおっしゃってくださったことをおわすれなのですか?それとも、わたしはあなたのつまとしてだまっておくひかえていればいだけの人間にんげんだということでしょうか!?」そういいえると、くるりとうしろをき、自分じぶん部屋へやかいしました。はしりながら、あふれてくるなみだまりませんでした。しかし、そんなことにかま余裕よゆうもありませんでした。自分じぶん部屋へやふすまをぴしゃりとめ、そのままふとしました。

すこしして、部屋へやそとから「ゆきさま、見知みしらぬおとこかたが、ゆきさまにおいしたいともうしております。殿どのにおつかえしていたと本人ほんにんっていますが…」という小姓こしょうこえこえてきました。

ゆきはなみだき、「そのかた謁見えっけんにおとおししてください」といました。

小姓こしょうったあと、ゆきはこころけてから、謁見えっけんかいました。そこには、小姓こしょうおとこがいました。

ゆきは、「そとっていてください」と小姓こしょういました。小姓こしょうってから、「父上ちちうえつかえていたとのことですが、なにあかしになるようなものはありますか」とおとこたずねました。

おとこは、「ここにわたし印鑑いんかんがございます。お父上ちちうえ時代じだい、この印鑑いんかん多数たすう公文書こうぶんしょ押印おういんしてきました。その当時とうじしろちてしまいましたが、もしかしたらのこった公文書こうぶんしょもあるかもしれません。印影いんえい見覚みおぼえはございませんか?」とこたえました。

「このような印章いんしょうはたしかに見覚みおぼえがあります」とゆきはいました。ぐちかって、「はいってください」と小姓こしょうびました。

小姓こしょうなかはいり、「はい」といました。

ゆきは、「わたし部屋へやから、家系図かけいずほんをここにってきてください」とめいじました。

小姓こしょう小走こばしりにってから、ゆきは、「父上ちちうえ治世ちせいわったあと、どこで、なにをしていたのですか」ときました。

おとこは、「あのあとびたさきで、その土地とち殿とのにおつかえしておりました。こちらをどうかおみください」と、手紙てがみをゆきにわたしました。

ゆきはその手紙てがみんでから、「あの殿との結婚式けっこんしきにおいででしたね。しかし、あなたはおかけしませんでしたが、どうしてでしょうか」とたずねました。

「あのときわたし殿との代理だいりとしてしろのこっていたのでございます。しかし、このくに元主君もとしゅくん娘御むすめごさまがおおさめになるということをき、なつかしさのあまりてもってもいられなくなり、殿とのにおねがいしておひまをいただき、こちらにいそいでけつけた次第しだいでございます」とおとここたえました。

ちょうどそのとき小姓こしょうもどってきて、家系かけいほんをゆきにわたしました。ゆきはほんひらき、そこにされているいんおとこ印鑑いんかん見比みくらべました。そしてすぐに、「やっぱり!たしかにこれはおなしるしです」と興奮こうふんしてこえしました。ゆびしめしている印影いんえいのちょうどそばにはゆきの名前なまえ誕生日たんじょうびいてありました。

左様さようでございます。わたしは、あのをよくおぼえております。ゆきさまのまれたわたしがそれをいていんしました」とおとここたえました。

「それでは、わたしあとについてきてください」とゆきはい、若殿わかとののところにかいました。「旦那だんなさま、このものわたし父上ちちうえつかえていたともうしております。もし本当ほんとう信頼しんらいのおける人物じんぶつであるなら、重臣じゅうしんとしてむかれたいのですが」とって、手紙てがみ若殿わかとのわたしました。

若殿わかとの手紙てがみんで、「よくかった。かのくにかじっていたのはかれであったのか」とこたえ、そのおとこ家老かろうてました。

第二十九章だいにじゅうきゅうしょう

きつねとの会話かいわ

その若殿わかとのあさからばんまで執務室しつむしつこもり、まつりごとわれていました。一方いっぽう、ゆきはしろ女達おんなたちしたしくなろうとしましたが、彼女達かのじょたちはゆきを大名だいみょうむすめではなく百姓ひゃくしょうむすめだとでもいたげに、ゆきをけ、殿とのつまとしてあつかいませんでした。

ある、ゆきがしろにわ一人ひとりあるいていると、日々ひびなやみやつらいことなどがふいにぐるぐるとあたままわり、ゆきはついに岩陰いわかげこしろししてしまいました。

ゆきがしくしくいていると、うしろでおぼえのあるこえがしました。「大切たいせつひとよ、どうしていているのですか。まだしあわせにめぐえないのですか」

ゆきはかおげ、うしろをくと、そこにはあの見覚みおぼのある動物どうぶつっていました。「おひさしぶりですね、ゆきさん」こえぬしは、きつねでした。

ゆきは、「びっくりしました。こんなところにいらっしゃるとは、おもいもしませんでした。でも、またおいできてうれしいです。ばなしもなんですから、あちらの茶室ちゃしつでおちゃ一服いっぷくしませんか?」といました。

するときつねりながら「いえ、いえ、結構けっこうです。わたしはここにおちゃみにたわけではありませんから…ここにすわって、あなたのなやみをおきしましょう」と、きつねやさしくゆきにいました。その言葉ことばいたゆきは、いわにへたりみ、せきったようにはなはじめました。

生活せいかつのすべてがあまりにもまぐるしくわっていくうえに、相談そうだんできる友達ともだちもおりません。殿とのやさしいかたですが、昼間ひるまいそがしくてわたし蚊帳かやそとです。あたらしい家老かろう政治せいじについていろいろとおしえてくれますが、やはりわたしより殿とののそばでおつかえしていますので、わたしはいつも自分じぶん役立やくだたずで、みんなの足手あしてまといなようながしています」と、ゆきはさめざめとはじめました。

きつねは「生活せいかつ変化へんかについていけないがするときは、しずかな場所ばしょ気晴きばらしでもしてみたらいですよ」といました。

気晴きばらしといっても、どんなことをすればいいのですか」と、ゆきはかおせながらいました。

きつねが、「いろいろあるでしょう。ものとか、料理りょうりとか、読書どくしょとか…」とうと、ゆきはかおげ、「読書どくしょですか。ほんむのは大好だいすきです。でも…」そううと、ゆきはまたうつむきました。「でも、このごろはむといっても、政治せいじかんしたものばかりしかんでいなくて…」

「このしろには面白おもしろほんがありませんか」ときつねきました。

「ないようです。まえ大名だいみょう読書どくしょきではなかったようなので」とゆきはこたえました。「義父ちちうえしろにはたくさん面白おもしろほんがあるのですが」

「お父上ちちうえほんしていただけるよう、おねがいの手紙てがみいてみてはどうでしょう?。あるいは、このまち商人あきんどをあたって面白おもしろほんさがしてみませんか?」ときつね提案ていあんしました。

ゆきは「このまち市場いちばでは、まだものをしたことがありません。だれわたし一緒いっしょかけてくれないのです。狐殿きつねどの、どうか、わたし一緒いっしょってくださいませんか?」ときました。

きつねは、「ご主人しゅじん一緒いっしょったほうがいいのでしょうが、それが無理むりならわたしがあなたときましょう。でも、そのまえほかなやみについてもうかがいましょう。しろ女性じょせいたちとは上手うまくやっていますか」と、ほそめながらたずねました。そのひとみは、まるでゆきのすべてをかっているようにえました。

するとゆきは、すこあいだいたあと伏目ふしめがちにこたえました。「…いいえ、みなわたしけているようです。わたし百姓ひゃくしょうそだちだからとってさげすんだり、ている着物きもの殿とのつま相応ふさわしくないと悪口わるくちったり。そういうわけで、みなわたしはなしもしてくれません」

きつねは、ふうむとうなずきながら、「茶道家さどうかのような格好かっこうをしていたのでは、殿とのつまとして相応ふさわしくないでしょうね。ものったとき、ついでに着物きものいましょう。お父上ちちうえみやこには、だれ顔見知かおみしりがいますか?」といました。

ゆきは、「あの…温泉おんせん女将おかみさんがいます」とこたえました。

きつねは、「女将おかみさんですか。女将おかみさんならひと使つかうことが出来できるでしょう。あなたのまわりの世話せわをしてもらうために、だれかにしろはたらいてもらうようおねがいすればいかもしれませんよ。それに、わたしむすめのうちの一匹いっぴき人間にんげん非常ひじょう興味きょうみっています。もうすぐここへたずねてくるとおもいます」といました。

それをいたゆきはばああっと笑顔えがおになり、「むすめさんがここへたずねてくるなんて、たのしみです」とこたえました。

きつねは、「ほかにもなになやみがあるのではないでしょうか?たとえば政治せいじのことなど。あなたはまだおわかい。たしかおとし十七じゅうななおさえてあいだもないはず。あなたがおとこであって、まれたときからずっと政治せいじのことを勉強べんきょうしてきたのなら、くにおさめることはなん問題もんだいもないのでしょうが、あなたには、まだまだ経験けいけんりません。おんなくにおさめるなどということは非常ひじょうまれなことですよ。おとこであるご主人しゅじん自分じぶん政務せいむりたがるのは自然しぜんなことです。むずかしい問題もんだいですね。しかし、もしあなたがこのまま勉強べんきょうつづけ、ご主人しゅじん家老かろうとの評議ひょうぎ出席しゅっせきし、いた質問しつもん提案ていあん出来できるようになれば、そのうち政治せいじふか部分ぶぶんにまで参加さんかすることをゆるされるかもしれませんよ」といました。

ゆきは「そうですね。みんなと仲良なかよくすることが出来できるようになれば、このむねいたみや、などもなおるかもしれません」といました。

きつねは、「むねいたみや…??このようなことをわたしからもうすのは不躾ぶしつけではありますが、一番いちばん最近さいきんつきのものはいつごろだったのでしょう?」ときました。

ゆきは、「あの、祝言しゅうげんまえでした…二ヶ月にかげつほどまえだったでしょうか」とこたえると、きつねは、「ゆきさん、貴方あなた情緒じょうしょ不安定ふあんていなのも無理むりはない。そのはきっとつわりです。あなたは妊娠にんしんしているのです」といました。

ゆきは、がっておどろきました。「妊娠にんしんわたしのおなかあかちゃんがいるのですか…??」しばらく呆然ぼうぜんとしていたゆきでしたが、おもいだしたように「いますぐ殿とのにおつたえしなければいけません!」と、しろいてそうとしました。そのゆきのまえにはきつねがもう歩道ほどうをふさいでいました。

って、ってください」ときつねいました。

「なぜめるのです!はやく、はやくこのことを殿とのにおにおつたえしなければ!!」となか錯乱状態さくらんじょうたいにあるゆきはきつねけてしろ入口いりぐちかってしました。しかし、その途中とちゅうなにかにがついたかのように、あしめて、見下みおろしながらをおなかて、ふたた小走こばしりですすみました。

きつねくびりながらくすくすとわらいました。「百年ひゃくねんちかきているのに、まだまだ人間にんげんおんなからないな」とつぶやき、ゆきについてきました。

第三十章だいさんじっしょう

狐子ここ紹介しょうかい

それからゆきは、草履ぞうりぐことをわすれるほど興奮こうふんしながら若殿わかとののところにりました。

ふすまのけるやいなや、「旦那だんなさま、大変たいへんすごいことが!あかちゃんが!」とさけびながら、若殿わかとのもとはしり、かれ両手りょうてにぎり、つくえからきました。

若殿わかとのは、何事なにごとかとぽかんとしたまま、「て、て。け。なにいたいのだ?わたしいそがしいのをっているだろう?」といぶかっていると、いたふすまそとからゆきについてきつねこえをかけました。「ゆき殿どの身籠みごもったようです」

それをくと、若殿わかとのは、「まことか。それがまことなら、大変たいへんよろこばしい」と、興奮こうふんのあまりゆきをきました。

二人ふたりがようやくくと、若殿わかとのは、「ああ、きつねどの、失礼しつれいしました。ようこそおでくださいました。突然とつぜんのご訪問ほうもんはどういったわけでしょうか」ときました。

きつねは、「ついいまがたちかくでねずみりをしていると、だれかがいているのがこえたのです。どこかでいたことのあるこえだな…とおもい、そのこえのするほうってみると、そこには、すわんでいていらっしゃるゆき殿どのがおられたのです。大変たいへんおどろきました。いったい、どうしてゆき殿どのいているのだろうかと。若殿わかとのさまと結婚けっこんして、お父上ちちうえくにかえってきたのだから、わたしはてっきり、しあわせな日々ひびごしていらっしゃることだろうとおもっていましたが、そうではなかったようです。ゆき殿どのは、わたしなやみをけてくださいました」と、若殿わかとのかおをまっすぐにつめながらいました。

それをいた若殿わかとのおどろき、「なんと。ゆきがいていたのですか。いま様子ようすると、ついいまがたいていたとはしんじられません。どのようななやみがあるともうしましたか」といました。

きつねいました。「ゆき殿どのなやみはみっつあります。まずひと近頃ちかごろ生活せいかつ変化へんかおおきいので、気分きぶんかないことがあるようです。わたしなに気晴きばらしをすすめると、ゆきどのは読書どくしょきだということがかりました。ただ、ここには面白おもしろほんがないようでしたので、お父上ちちうえに、面白おもしろほんをおくださるように手紙てがみをおきになるように、また市場いちばでもさがしてみるといいでしょうとすすめました」

つぎなやみはというと、ゆきどのが百姓ひゃくしょうのようにそだち、いまだに茶道家さどうかのような着物きものているので、それをこのましくおもわないひとがいるということです。それゆえに、市場いちば殿とのつまとして相応ふさわしい着物きものい、またおおきなまち温泉おんせん女将おかみへ、ここでおつかねが手紙てがみおくるようにとすすめました。女将おかみはきっとゆき殿どのささえになってくれるでしょう。それに、わたしむすめうち一匹いっぴき人間にんげんについて興味津々きょうみしんしんのようですから、もうすぐこちらへたずねてくるでしょう。あのもゆきどののちからになれるとおもいます」

なやみは、ゆきどのがこのくに政治せいじから疎外そがいされているとかんじていることです。うまでもなく、ゆきどのは勉強べんきょうつづけて、あなたと家老かろうとの評議ひょうぎ出席しゅっせきしたほうがいいとすすめました。評議ひょうぎいた質問しつもんげかけたり、提案ていあんしてみることもすすめました」

若殿わかとのは、「評議ひょうぎ参加さんかしたいというのなら、明日あした評議ひょうぎ出席しゅっせきしてみるのもいいでしょう。着物きものほんのことなら、しろ御用商人ごようしょうにんべばよいではないか」とまつりごと背負せおいでつかれているようにいました。

ゆきは、「おかかえの商人しょうにんがあるのでございますか。でも、わたし自分じぶんものをしたいのです。一緒いっしょってくださいませんか。それが無理むりなら、きつねどのとってもよろしいでしょうか」とたのみました。

その途端とたんに、ちいさなこえこえました。「わたしきたい」

きつねは、「悪戯いたずら姿すがたをあらわせ。いつからわたしたちをていたのか」とたなほうかってびかけました。

たなしたから、ねずみてきたとおもうと、あっという十五じゅうごろくさいおんな姿すがたわりました。

「まぁ、父上ちちうえったら。『悪戯いたずら』じゃなくって、『狐子ここ』とんでください」といました。

そのむすめひくくて、なが赤毛あかげで、悪戯いたずらっぽくかがや黒目くろめをして、とても高級こうきゅうそうな着物きものていました。

わたしは、いままで、きょうでいろいろなうわさばなしたのしくいていたのよ。それからうちかえ途中とちゅうで、このくにわたすと、とおくから父上ちちうえの『わたしむすめのうちの一匹いっぴき人間にんげん非常ひじょう興味きょうみっています』とはなこえこえたの。わたしのことだとすぐにかったけど、なんで『一人ひとり』じゃなくて『一匹いっぴき』なんてうの?この、わたし姿すがたが『一匹いっぴき』にえる?とにかく、父上ちちうえはなごえいてから、ねずみ姿すがたけてこえほういそいでいったわ。そしたら父上ちちうえおんなはなしているじゃない。きっと、あれがれいのゆきというむすめさんなんだろうとおもって、父上ちちうえおんな一緒いっしょるところに、ついてきたの。もののことをいたときは、さすがにもうだまっていられなくなっちゃって」と早口はやくちでまくしたてました。

きつねは、「このがもう一度いちどくちひらまえ紹介しょうかいをしておいたほうがよさそうですね。これがいまはなしたむすめです。狐子ここや、こちらはこのくにあたらしいお殿様とのさまと、まえはなしたゆきどのだよ」といました。

狐子ここは、「はじめまして。わたしもゆきさまと一緒いっしょものけるとうれしいのですが。しばらくこちらにまってもよろしいですか」といました。

若殿わかとのが「はじめまして」とうと、ゆきは、「はじめまして、よろしくね。一緒いっしょ市場いちばきましょう」とこたえました。

若殿わかとのは、「わたしいそがしいので一緒いっしょにはけなくてすまない。きつねどのたちとなら、ってもいいでしょう」とい、すこ安心あんしんそうにつくえもどりました。

きつねは、「お殿様とのさま時々ときどきはおやすみになられたほうがよろしいかと存じます。もしわられましたら、ご一緒いっしょまいりたいとぞんじます。それではまたのちほどこちらへまいります」と、人間にんげん姿すがたけて、ゆきと狐子ここ一緒いっしょりました。

第三十一章だいさんじゅういっしょう

市場いちば

ゆきは狐達きつねたち一緒いっしょ市場いちばかう途中とちゅう狐子ここといろいろなことについてはなしました。

ゆきは、「きょうからたばかりなの?きょう面白おもしろそうね。でもとおくない?わたしきたいのだけど、何日なんにちくらいかかるの?」ときました。

狐子こここたえました、「きつねのおまじないがあれば、あっといういちゃうわよ。まぁ、人間にんげんなら数週間すうしゅうかんはかかるでしょうね」

ゆきは、「狐子ここちゃん、それは、ほかひと一緒いっしょでも大丈夫だいしょうぶなの?」ときました。

狐子ここは、「それは無理むりきつねのおまじないは、自分じぶんにしかかないの」とこたえました。

ゆきは、「それは残念ざんねんだわ。きょうでは、お姫様ひめさまがそういう着物きものるの?」とたずねました。

「そうよ。公家くげのお姫様ひめさまだっててるんだから」と狐子こここたえました。

そんなふうにおしゃべりをつづけながら、おんな子達こたちきつねあとについてきました。

一方いっぽう、その城下町じょうかまち人々ひとびとはゆきたちて、このようにはなしていました。

「あそこにむすめさんがいるね」

「あの赤毛あかげむすめさんのことかい?」

ちがう。あの赤毛あかげはなしてるむすめさんだよ」

「ああ、それがどうした?」

「あのひと、ゆきさまだとおもわないか?」

「そうだ、そうだ。このまえ、ゆきさまいわうえ演説えんぜつしていたのを、おれたよ。そのときおなじような着物きものていたから、あれはゆきさま間違まちがいない。それにしても、殿様とのさま奥方おくがた市場いちばくというのもめずらしいな。おい、ついてかないか?」

「そうだな。面白おもしろそうだな。ついてこう」

さきっててくれ。ついてくのもいいが、おれはまずうちってからにするよ。うちのかみさんがゆきさまてみたいとってたからおしえてやらないと」

「そりゃいいおもきだ。うち子供達きどもたちもゆきさまたいとってたよ。家族かぞくそろってみんなで市場いちばってみよう」

あちらこちらで、ゆきに気付きづいた人達ひとたちがささやきはじめました。早速さっそく、ゆきたちあとをつけはじめるひともいれば、家族かぞく親類しんるい友人達ゆうじんたちあつめて大勢おおせい市場いちばかう人達ひとたちもいました。

第三十二章だいさんじゅうにしょう

呉服屋ごふくやなか

しばらくして、ゆきたち市場いちばき、そこで呉服屋ごふくやさがしました。おもいのほかはやつかりました。ゆきが「ごめんください」となかはいると、「いらっしゃいませ!きれいな反物たんものがたくさんございますよ」と、おくからやさしそうな初老しょろう男性だんせいてきました。

ゆきが、「これとおんじような着物きもの仕立したてることはできますか」と、狐子ここ着物きもの指差ゆびさたずねると、呉服屋ごふくやおどろいたように、「このような仕立したてははじめてました。おそらく、きょう新作しんさくなのでございましょう。わたしどもは呉服屋ごふくやですので反物たんものあつかいには自信じしんがございますが、そのような高級こうきゅうな、つくったこともないしな上手うま仕立したてられるかどうか…。しかし、わたしあにはこのまち一番いちばん仕立したでございます。あになら仕立したてることができるでしょう。ゆきさま採寸さいすんをしたあとに、おれのかたのお着物きものをしばらくおしいただければ、数日後すうじつごには、おなじような着物きものをおとどけできるかとぞんじます。おちいただくあいだ、おさまにはこちらにございます、おきな着物きものをおしになっていただければよろしいかとぞんじます」といました。

狐子ここうれしそうに、「それでは、ご好意こういあまえさせていただきます」と、いそいそとみせ着物きものえらはじめました。

ゆきが、「あの、なぜこんなに親切しんせつにしてくださるのですか?」とたずねると、呉服屋ごふくやは、「以前いぜん、ゆきさまがこのまちにいらっしゃったときわたし駕籠かごりて演説えんぜつをされたゆきさまのおかお拝見はいけんし、おこえいていたのでございます。さきほど、あなたさまがこのみせはいっていらしたときより、そのとき女性じょせいとずいぶんたおかただとおもっておりました。そして、いましがたおこえをおきし、ゆきさま間違まちがいないと確信かくしんいたしました。わたしはあのときのおはなしに、たいそうこころたれ、確信かくしんしたのです。ゆきさま我々われわれ味方みかただと。そのようなおかたからのご注文ちゅうもんに、わたしとしましては精一杯せいいっぱいのことをしないわけにはいかないでしょう」と、微笑ほほえみながらこたえました。さらに呉服屋ごふくやは、「わたしはこれからすこ失礼しつれいさせていただき、あにれてまいります。どうぞこのままおちください」と、のこしてみせからきました。

ゆきは、「まあ、なんとご親切しんせつなおかたでしょう…それにしても、あのかたわたしかおこえおぼえておいでだとは、おどろきだわ」といました。

きつねはいたずらっぽくわらいながら、「みせそとれば、その理由りゆうかりますよ」と、みせぐちほう指差ゆびさしました。

するとそこには、ゆきのかお一目いちもくようとする人々ひとびとが、いながらみせそとあつまっていたのです。

とうさん、ゆきさまはあの女性じょせい?」

「とっても綺麗きれいひとだね」

「どのみせにあのお姫様ひめさまがいるの?」

「どうやら、あの呉服屋ごふくやにいらっしゃるようだよ」

「おとうさん、お姫様ひめさま姿すがたたいよう!肩車かたぐるまして!」

「ほら、息子むすこや、がって」

人々ひとびとのざわめくごえみせそとからこえてきます。ゆきがおそるおそるかげからそとのぞくと、そこにはゆきを一目見ひとめみようとする、人々ひとびとがたくさんあつまってきていました。ゆきはおどろきとずかしさのあまり、またかおめてしまいました。「狐殿きつねどの!あんなに大勢おおぜいひとたちがこっちをているわ。どうしましょう」

きつねは、わらいながら「そんなにおろおろするものではありませんよ。いわうえ御自分ごじぶん意見いけんべられていたあのときおなじように、もっと堂々どうどうとしていらっしゃればよいのです」といました。

ゆきは、「あのときいまとでは全然ぜんぜんちがいます。いまからこのひとだかりのなかあるかなくてはならないなんて。それに、あのとき義父上ちちうえ家臣かしんわたしともたびをしてくださいました。しかしいまわたしとあなただけなのですよ」とこたえました。

きつねは、「まあまあ。そんなに心配しんぱいしなくても大丈夫だいじょうぶですよ。あのこえいてみてください。かれらはただ、ものめずらしいだけなのです。そのうえ、ゆき殿どの一人ひとりではありません。きつねひき

二人ふたり!」と、みせおくから、狐子ここきつね言葉ことばさえぎってさけびました。

きつね狐子ここをちらっとつづけました、「…そばにいます。きつね一匹いっぴきで」

一人ひとり!」

百人ひゃくにん家臣かしんまもっているより安全あんぜんです。なにがあっても、われらがいれば、二百人にひゃくにんへいより心強こころつよいですよ」

狐子ここはゆきのそばにました。「父上ちちうえとおりよ。それより、この着物きものはどう?」

ちょうどそのとき呉服屋ごふくやあに仕立したれ、もどってました。そして、ゆきの採寸さいすんはじまりました。

第三十三章だいさんじゅうさんしょう

面白おもしろほんはどこだ?

仕立したがゆきの採寸さいすんをして、狐子ここ着物きもの着替きがえると、ゆきは呉服屋ごふくやあにである仕立したにおずおずと「あの、つかぬことをおうかがいいたしますが、面白おもしろほんさがしているのですが、どこかお心当こころあたりはございませんでしょうか」とたずねました。

呉服屋ごふくやは、「時々ときどきほん行商人ぎょうしょうにんがこのまちまいりますが、残念ざんねんながらここのところ、とんとかけませんなあ」といました。

ゆきが「そうですか…」とつぶやくと、呉服屋ごふくやは、「にいさん、どうおもう?」と仕立したたずねてくれました。

すると仕立したは、「ほんさえおりできれば、このまちにいる代書屋だいしょやほんをおつくりいたしますよ。どのようなほんをおさがしでしょうか」とゆきにきました。

ゆきはばっと笑顔えがおになり、「『源氏物語げんじものがたり』が大好だいすきなんです。このまちに、おちのかたはいらっしゃるかしら」ときました。

仕立したあごをやり、ふうむとうなずき、「このまち庄屋しょうやさまは、なかなかの読書家どくじょかだとの評判ひょうばんですので、そのようなほんをおちかもしれませんね…おいおまえ、どうおもう?」と呉服屋ごふくやきました。

呉服屋ごふくやは、「たしかに。それに、代書屋だいしょやならだれがどんなほんっているのかをっているでしょう」とこたえました。

ゆきは、「庄屋しょうやさんと代書屋だいしょうやさんですか。その方々かたがたはどちらにいらっしゃいますか」とたずねました。

呉服屋ごふくやは、「代書屋だいしょやみせは、市場いちば反対側はんたいがわでございます」といました。

仕立したは、「はい、それに庄屋様ですが、さきほどわたしがこちらにもどってまいりますとき、ちょうどこのみせまえで、見物人けんぶつにんなか庄屋様しょうやさま姿すがたをおかけしました。ゆきさま採寸さいすんをいたしにいそいでいたので、かる会釈えしゃくだけしました」とくわえました。

ゆきは、「そうですか。では、ってみます」と、みせようとしましたが、途中とちゅうあしめて、商人しょうにんたちのほうなおりました。「呉服屋ごふくやさん、わたし庄屋しょうやさんに紹介しょうかいしてくださいませんか」

呉服屋ごふくやは、「ゆきさまがたのおやくてるならよろこんで」とい、ゆきときつねたちのあとについてみせました。

第三十四章だいさんじゅうよんしょう

市場いちばなか

市場

ゆきたちがみせると、おおきな喝采かっさいこりました。一人ひとり老人ろうじんはこうえのぼり、しずかにしなさいとみななだめると、群集ぐんしゅうしずかになりました。そのあと呉服屋ごふくやは、「ゆきさま、こちらがいまはなしした、まち庄屋しょうやでございます」と、その老人ろうじんを、「庄屋様しょうやさま、こちらはゆきさまとおれのかたでございます」と、ゆきを紹介しょうかいしました。

ゆきはすこしはにかみながら、「はじめまして、庄屋殿しょうやどの。こちらはわたし手伝てつだってくれている、あたらしい友達ともだち狐子こことその父上ちちうえです。よろしくおねがいします」といました。

庄屋しょうやはこからり、深々ふかぶかあたまげてゆきに挨拶あいさつをし、そばにっている家族かぞくを、まごいたるまで紹介しょうかいしました。

ゆきは庄屋しょうや家族かぞく挨拶あいさつかえしたあと庄屋しょうやほうなおり、「『源氏物語げんじものがたり』のような面白おもしろほんいにましたが、ここにはほん商人あきんどさんがいないようですね。でも、呉服屋ごふくやさんたち庄屋殿しょうやどのならほんしてくださるかもしれないとおっしゃったので、あなたにおいしたくなりました」といました。

庄屋しょうやあたまげ、「もちろん、うちいただけるなら、奥方様おくがたさまには何冊なんさつほんりていただいてもうれしゅうございます。いまていただけますか」と、市場いちばみわたした屋敷やしきほうにちらりとをやりました。

ゆきはしばらくくびかたむけてから、「お邪魔じゃましたいのですが、そのまえに、この市場いちばのおみせ方々かたがたを、わたし紹介しょうかいしていただけないでしょうか?」とたずねました。

庄屋しょうやが「もちろん」とうとすぐに、庄屋しょうやつまが、「あなた、ゆきさまがおでくださるのでしたら、わたしたちはここで失礼しつれいして、一足先ひとあしさきうちかえり、食事しょくじ準備じゅんびをしておきます」とろうとしました。

すると、まだおさなさののこおとこ庄屋しょうやつまに、「おじいさんと一緒いっしょのこってもいい?」といました。

それをいたもう一人ひとりおんなが、「おばあさん、わたしのこっていい?おとうとのおりをしておじいさんとゆきさま邪魔じゃましないように見張みはってなくちゃ」と庄屋しょうやつまいました。

庄屋しょうやつまは、「おじいさんは大事だいじなおはなしをしているから、わたしかえりましょう」とこたえました。

ゆきは、「大丈夫だいじょうぶです。かまいませんよ。わたし一緒いっしょにいらっしゃい」と、やさしく孫達まごたちいました。そして、のこりの子供達こどもたちかえりました。「にぎやかでいいですけれども、みな私達わたしたちといたら、おばあさんを手伝てつだってあげるひとがいないでしょう?食事しょくじとき、またいましょう」といました。

庄屋しょうやつまは、「そうってくださってたすかります。では、ほかものみなかえりましょう」と、りました。

それから、ゆきたち市場いちばあるまわり、いろいろな商人あきんどやそのまち有力者ゆうりょくしゃなどを紹介しょうかいしてもらいました。

そのあいだ庄屋しょうや孫息子まごむすこ狐子ここはなしていました。そのかえ狐子ここに、「ねえ、どうしておねえさんのかみはそんないろなの?」といたり、くるくるとわる狐子ここ表情ひょうじょうに、「そのかお、おかしい!ねえねえ、もっと面白おもしろかおして」とせがんだり、たのしく談笑だんしょうしていました。

その一方いっぽう市場いちばあるきながら庄屋しょうや孫娘まごむすめはゆきとはなしていました。「おねえさまはお姫様ひめさまとしてまれたのに、百姓ひゃくしょうなかそだって、おおきなまち有名ゆうめい茶道家さどうかになったんでしょ。すごいのね!それから、若殿様わかとのさま結婚けっこんして、おとうさまのくにかえってきたんですね。まるでおとぎばなしのようだわ」と、羨望せんぼう眼差まなざしでゆきをつめながらいました。

代書屋

二人ふたりたのしく談笑だんしょうしながら、代書屋だいしょやかいました。ゆきが代書屋だいしょやけ、「代書屋だいしょやさん、ほんをここにってくれば、写本しゃほんつくってもらえるそうですね。庄屋殿しょうやどのほかに『源氏物語げんじものがたり』のようなほんしていただけそうなかたをごぞんんじないでしょうか」

代書屋だいしょやは、「そのことでしたら、庄屋様しょうやさまにおたずねになるのがよろしいかとぞんじます。ほん行商人ぎょうしょうにんるたびに、あのおかたはいつもさきかれます」と、まち庄屋しょうやかる目礼もくれいしました。

ゆきは、「ありがとうございます」とおれいい、つぎみせかいました。

すべてのみせたずえて、人々ひとびとがほとんどったあと、ゆきたちは呉服屋ごふくやもどりました。そこで狐子ここもと着物きもの着替きがえ、それからみな庄屋しょうやいえへとかいました。

第三十五章だいさんじゅうごしょう

庄屋しょうやいえなか

しばらくして、ゆきたち庄屋しょうやいえきました。庄屋しょうやつま玄関先げんかんさきで、「ゆきさま拙宅せったくにようこそおこしくださいました。おかえりなさいませ、あなた」と笑顔えがお出迎でむかえました。

「ただいま」という庄屋しょうやこえつづき、ゆきが「お邪魔じゃまします」とって、いえなかはいるやいなや、あっというに、ゆきと一緒いっしょにいた庄屋しょうやまごたちを、その兄弟きょうだい従兄弟いとこたちがかこみました。しばらくして、「なにをしてたの?」とか、「ゆきさまはどんなひと?」とはなこえがその人垣ひとがきなかからこえました。そのあと、ゆきたち一緒いっしょにいた庄屋しょうや孫息子まごむすこは、ゆきのうしろからはいってきた狐子ここのところにつかみ、「おねえちゃん、市場いちばときのように、またおかしなかおをして」と狐子ここって、子供こどもたちのなかってきました。ほどなくして、狐子ここ百面相ひゃくめんそうている庄屋しょうや孫達まごたちあいだからわらいのじったはしゃぐこえこえてきました。そんなたのしそうなこえきながら、庄屋しょうやつまむすめたちに手伝てつだわせながら食事しょくじ支度したくをしました。湯気ゆげが、美味おいしそうなにおいとともに、台所だいどころからただよってきました。ふと、ゆきはおばあさんと一緒いっしょんでいたころのことをおもしました。みずしかったけれど、おばあさんと一緒いっしょたのしかった日々ひび…。そんななつかしいおもひたっていると、庄屋しょうやつまと、むすめが「ゆきさまのおくちうかかりませんが」といながら、おぼん食事しょくじせてってきました。

ほかほかのてごはんさかなかい煮付につけ、お漬物つけもの、そして沢山たくさん山菜類さんさいるい、おみおつけも、まだ湯気ゆげっています。うみさちやまさちをこんなにもそろえることがどれだけ大変たいへんなことか、ゆきにはよくかっていたので、なお一層いっそう庄屋しょうやつま心遣こころづかいがこころみました。ゆきはそれをこころからありがたく、美味おいしくいただきました。

食事しょくじわったあとで、ゆきは庄屋しょうやに、「庄屋殿しょうやどの読書家どくしょかだとおきしたのですが」とたずねました。

庄屋しょうやは、「それほどではございませんが、時々ときどきほんむのをたのしみにしております」とこたえました。

ゆきは、「まえもうげましたが、『源氏物語げんじものがたり』のようなほん市場いちばさがしていたところ、呉服屋ごふくやさんが、庄屋殿しょうやどのいてみたらいとおしえてくれました」とうと、庄屋しょうやは、「それでしたら、家内かないとおはなしになるのがよろしいかとぞんじます」とおしえました。

ゆきは、『源氏物語げんじものがたり』についての助言じょげんがもらえ、とてもうれしくなり「このおれいというわけではないのですが、なにわたしにおやくてることがありますか。なにちからになれたらうれしいのですが」と、庄屋しょうやたずねました。

すると庄屋しょうやは、神妙しんみょう面持おももちで、「このまちから唯一ゆいいつむらつうじているみちのことですが…。ここ数年すうねん荷車にぐるまとおれないほどわるくなったそうでございます。整備せいびもされず、大雨おおあめながされたり、沿道えんどうがわ木々きぎしげってきたりして、道幅みちはばせまくなっている箇所かしょもあるといております。百姓達ひゃくしょうたち作物さくもつをこのまちはこぶのに大層難儀たいそうなんぎをしているようでございます」といました。

百姓ひゃくしょうそだちのゆきは、百姓達ひゃくしょうたちくるしみをき、むねいためました。「そうですか。ずいぶん苦労くろうされているのですね…。殿とのかなら報告ほうこくしておきます。一刻いっこくはや改善かいぜん必要ひつようですね」それから、二人ふたりくにについてはなみました。囲炉裏いろりえそうになるまで、二人ふたり会話かいわは、途切とぎれることなく、つづきました。

やがて、興奮こうふんしていた孫達まごたち一人ひとり二人ふたりとあくびをしはじめ、一人ひとりずつ、布団ふとんかされました。きつねが「失礼しつれいですが、もうよるおそうございます。殿とのがゆき殿どののおもどりをおちかねかとぞんじますが、よろしいのでございましょうか」と二人ふたり会話かいわくちはさむと、ゆきはふとほんことおもし、庄屋しょうやつまにそのことについてたずねてみました。

庄屋しょうやつまは、数十冊すうじっさつほんがある部屋へやにゆきを案内あんないしました。おどろくゆきを横目よこめに、庄屋しょうやつまは、「どうぞ何冊なんさつでもおちください。ゆきさまのおやくてるならば、こんなにうれしいことはございません」庄屋しょうやつま言葉ことばこころたれたゆきが、「ほんのおれいに、なにわたし出来できることがあるでしょうか?」とくと、つまは「おれいですか…?」と、ゆきのおもいがけないもうおどろいたかおをしていましたが、しばらくして、「ゆきさま有名ゆうめい茶道家さどうかでいらっしゃるということをおきしました。もしゆきさまのお点前てまえ拝見はいけんさせていただけたら大変たいへんうれしいのですが」と、すこしはにかみながらうかがいました。

ゆきは「もちろん、茶道具さどうぐをしばらくりてもよかったら、みなせます。茶道さどうがつまらないなら、茶道具さどうぐ関係かんけいなく、きっとわたしのせいでしょう」とい、みなまえでおちゃてました。それは、もの魅了ひりょうする、素晴すばらしい所作しょさでした。そのあとで、ゆきは庄屋しょうやつまたすけをりながら面白おもしろそうなほんえらび、きつねたちと一緒いっしょしろもどりました。

第三十六章だいさんじゅうろくしょう

しろかえ

ゆきがきつね狐子ここ一緒いっしょしろかうと、ときそらにあった太陽たいようもすっかりれて、わりにもうそらたかのぼったもちつきあわかえみちれていました。若殿わかとのがいらいらしながら、ゆきのかえりをいまいまかとちわびていると、ようやくゆきたちが、しろもんかってあるいてくるのがえました。若殿わかとのはゆきたち一同いちどうもとはしりました。ゆきたちが「まあ殿との!いったい…」と最後さいご言葉ことばまえに、若殿わかとのは「ゆき、なぜこんなにおそくまでかえってこなかったのだ。市場いちばはもうとっくにまっている時間じかんだろう。それに、ものをしているとおもっていたのに、本一冊ほんいっさつしかかえっていないようだが、いままでどこにいたのだ?ずっとっていたのだぞ」と、いきらせながらいました。

ゆきが若殿わかとののそんな姿すがたすこ狼狽ろうばいしながら、「あの…市場いちばにいました。市場いちば仕立したさんが狐子ここのとおなじような着物きものつくってくれるとったのです。それから、まち庄屋しょうやさんにったり、一緒いっしょ市場いちばのあちらこちらにったり、いろいろなかた紹介しょうかいしてくださったりしました。そのあと、おたくにお邪魔じゃま夕食ゆうしょくをいただいて、したしくおはなしをいたしました。そして、奥様おくさまがこのほんしてくださったのです」と説明せつめいするのをけて、きつねが、「そのとおりです」とくわえました。

ゆきはさらにつづけました。「どうしてそのようにきびしい口調くちょうでおっしゃるのですか。わたし子供こどもではありません。祖母そぼくなったあと一人ひとりであのおおきなまちあるいてったではありませんか」

若殿わかとのが、「しかし…」と口籠くちごもると、ゆきは、「結婚けっこんするまえは、毎晩まいばんしろから一人ひとりかえったではありませんか。忍者にんじゃおそわれたあとも、それをそのままつづけたではありませんか」とさえぎりました。

「しかし…」

「それに、今回こんかいわたし一人ひとりではありませんでした。こちらのきつねどのはわたし何度なんどたすけてくださったではありませんか。このかた一緒いっしょにいるのに安全あんぜんでないとすると、一体いったいどこにいるのが、安全あんぜんとおかんがえでしょうか」

「しかし…」

ゆきは、「それでは、おやすみなさいませ」とはなつと、そのまま自分じぶん部屋へやかえってきました。

若殿わかとのは、「しかし、心配しんぱいでなかったら、このようにいはしない」と、すこ戸惑とまどったようで溜息ためいきをつきました。

きつねが、「ご心配しんぱいではあられましょうが、もうすこおだやかな口調くちょうはなされたほうよろしいかとぞんじます」とさとすようにうと、若殿わかとのは、「どうしたらいいのだ?」とかえしました。

「これからゆきどのを一人ひとり大人おさなとしてあつかったほうよろしいかとぞんじます。わたしはこれで失礼しつれいさせていだきますが、ついでにねずみさがしてみることにいたします」とうと、きつねは、人間にんげん姿すがたから本来ほんらい姿すがたもどって、りました。

狐子ここは、「わたし使つかわせていただけるお部屋へや拝見はいけんしてから、ゆきちゃんのお部屋へやたずねてもいいですか。わたしがおはなしをすれば、ゆきちゃんもくかもれません」といました。

そして若殿わかとの下女げじょび、狐子ここ部屋へや案内あんないし、いでゆきの部屋へやれてくようもうけました。

第三十七章だいさんじゅうななしょう

狐子こことの会話かいわ

狐子ここがゆきの部屋へやはいると、ゆきはすみすわってゆかをじっとつめたまま、ほんかかえてなみだながしていました。それを狐子ここは、ゆきのかたうしろからたたき、「ゆきちゃん、さあ、なみだいて。大切たいせつほんれちゃうよ」

狐子ここ背中越せなかごしにやさしくこえをかけると、ゆきは狐子ここけたまま、「殿とのわたしのことをおこっているのかしら?」と、なみだぬぐいながらたずねました。

狐子ここは「きらいになったわけじゃないわよ。ゆきちゃんのかえりがおそくなったから、殿との心配しんぱいだったのよ。だから、ついつい本当ほんとうのお気持きもちよりきついお言葉ことばになっちゃったのね。ゆきちゃんがいなくなったあと殿とのはとてもさびしそうだったわ」と、やさしく元気げんきづけるようにいました。

ゆきは、狐子ここほうき、「本当ほんとう?」と、まだなみだのこ狐子ここつめながらたずねました。狐子ここは、「うそなんかじゃないわよ。それより、手紙てがみかなくちゃいけないとっていたじゃない。ほら、蝋燭ろうそくけて、その手紙てがみいてみましょうよ」と、ゆきのかたをぽんとたたきました。

ゆきは、狐子こここもったやさしさをかんりました。その二人ふたりはゆらゆらとれる蝋燭ろうそくあかりしたで、殿様とのさま女将おかみあて手紙てがみきました。

第三十八章だいさんじゅうはっしょう

評議ひょうぎ

つぎあさ評議ひょうぎまえに、ゆきは家老かろうのところにき、「この二通につう手紙てがみを、あのおおきなまちおくりたいのですが、自分じぶん印章いんしょうがないので、まだふうじていません。このままふうをして、まちとどけたあとで、わたし相応ふさわしい印鑑いんかんつくってくださいませんか」とたずねました。

家老かろうは、「かしこまりました。では、ゆきさまのお父上ちちうえおなじような印鑑いんかんではいかがでしょうか」とこたえました。

ゆきは、父親ちちおやおなじような印鑑いんかんはいるとおもうと、うれしくなり、家老かろうにおれいい、そのりました。

すこしして、ゆきは若殿わかとの家老かろう評議ひょうぎ参加さんかし、まち人達ひとたちれいみちのことでこまっているということを報告ほうこくしました。「あのみちは、いつごろからあのような状態じょうたいなのでしょうか?ただちに改善かいぜんさせなくてはなりません」とゆきがうと、家老かろうは、当時とうじのことをおもすように、「みちというほどではありませんでしたが、いまよりはずっとましでございました。当時とうじ、それぞれのむらは、ぜい一部いちぶ免除めんじょされるわりに、みち整備せいびする義務ぎむっていました。ひょっとすると、あと大名だいみょうがそのめをえてしまったのかもれません」とこたえました。

若殿わかとの家老かろうに、「現在げんざいはどういうことになっているのかを調査ちょうさしてくれ。すぐにだ!」とうと家老かろうはははっとい、部屋へやしました。そして若殿わかとのは、一度いちど咳払せきばらいをし、ゆきのほうきました。「ゆき、このことをつたえてくれてありがとう。昨夜さくやは、ついきびしい物言ものいいになってしまい、わるいことをしてしまったと反省はんせいしている。きつねどのがったように、これからはあなたを一人ひとり大人おとなとしてあつかったほうがいいようだ」と、やさしいみをかべながら、ゆきにいました。その笑顔えがおは、いままでゆきが若殿わかとの笑顔えがおなかで、一番いちばんやさしい笑顔えがおでした。

そんな笑顔えがおて、ゆきはかおをぽっとあからめながら、「いいえ、おそくなるとかった時点じてんだれかに言付ことづけをたのむべきでした」と、すこしうろたえたように、うつむ加減かげんいました。「…しかしくにのこととなるとはなしべつです。まだこのくにをよくりません。おなかおおきくなるまえに、それぞれのむらたずねて、さまざまな問題もんだい農民のうみん不満ふまんなどをじかいておきたいとおもっています」と、若殿わかとのつめながら、きっぱりとした調子ちょうしいました。

若殿わかとのは、「ここにとどまっ…」といかけると、ふと口籠くちごもって、きつね言葉ことばおもしました。「かりました。しかし今回こんかいばかりは、わたし一緒いっしょこうとおもいます。家老かろうわたし代理だいりとしてしろのこりなさい」と、たったいまもどってきた家老かろうつよ口調くちょういました。すると、家老かろうは、「あのようなせまくて凸凹でこぼこしたみち駕籠かごでの往来おうらい無理むりでございましょう。ゆきさま乗馬じょうばをなさいますか」と、ゆきにたずねました。

ゆきがうまったことは一度いちどもないとこたえると、若殿わかとの家老かろうに、「うまやもの気性きしょうやさしい牝馬ひんばえらばせて、出発しゅっぱつまでゆきに毎日まいにちかたおしえてやってほしい。それと、それぞれのむら使者ししゃおくっておきなさい」とめいじました。

それからほかのことについてもはなしました。

第三十九章だいさんじゅうきゅうしょう

たび準備じゅんび

ゆきがむらたずねることをみみにした狐子ここは、「わたしきたい」とし、若殿わかとのはそれをゆるしました。

たびるまで、ゆきは評議ひょうぎったり、家老かろうから統治とうちについての心得こころえおそわったり、うまやものからうまかたまなんだりして、いそがしくらしていました。その一方いっぽう狐子ここしろ女性じょせいたちの言動げんどう調査ちょうさしていました。人間にんげん姿すがた彼女かのじょたちにざり、「この着物きものったの?きょうのおひめさまはみなこのような着物きものているのよ。市場いちば仕立したは、ゆきちゃんのためにこれとおなじような着物きものつくってるわ。あ、ゆきちゃんとえば、あなたたち、彼女かのじょのお点前てまえたことある?わたしきょう一番いちばん茶道家さどうかたことがあるのだけど、それでもゆきちゃんのお点前てまえときはあまりのうつくしさに、おもわずいきんじゃったわ。おねがいしたら、もしかしたらあなたたちもせてもらえるかもね」などと、しろ女性達じょせいたちにいうこともありました。

またときには狐子ここほか姿すがたけてあらわれることもありました。侍女じじょや、小姓こしょうや、ねこ姿すがたけて、しろのあちらこちらで、いろいろな会話かいわくのです。もし、ゆきの悪口わるくちはなしているひとがいたら、すかさずおまじないでそのひとゆびはりしたり、床板ゆかいたつまずかせたり、っているものとさせたりしたのです。たまたまゆきがそばにいて、狐子ここのいたずらにこまっている者達ものたちたすけたこともありました。ゆきのこころやさしさ、うつくしさは、ごとにみなつたわり、悪口わるくちわりに、「お点前てまえせてほしい」という言葉ことばしろにはうようになったのです。

むらへの出発しゅっぱつ前日ぜんじつに、若殿わかとのしろつかえている者達ものたちすべてをまねいた盛大せいだいうたげもよおしました。うたげ一段落ひとだんらくしたところで、ゆきはあたらしい着物きもの着替きがえ、おちゃてました。ゆきの着物きもの優雅ゆうがさとお点前てまえのと見事みごとさに、みな感動かんどうのあまり言葉ことばうしなってしまいました。そして、そのあとしきりにゆきをめたたえました。

第四十章だいよんじっしょう

最初さいしょむら

つぎあさ、ゆきと若殿わかとの家来れらいとも最初さいしょむらかいました。しばらくすると、みちせまくなり、二頭にとううまかたならべてあるくことができなくなりました。さらにみちがでこぼこになるにつれて、かろうじて一頭いっとうとおるのがやっとの悪路あくろになってしまいました。若殿わかとのは、「ひどいな。みちがずっとこのような状態じょうたいつづくならば、へいをどこかへきゅう派遣はけんさせたいときに、まったく使つかものにならないではないか。このままほうっておくわけにはいかない」といました。

なんとかゆきたち一行いっこうむら到着とうちゃくすることができました。しかし、むらには人気ひとけがありませんでした。家来達けりいたちがしばらくさがまわると、そのうちの一人ひとりが、ぽつんとっている一人ひとり老人ろうじんつけました。

その家来けらいが、「おい、じじい、ほかものはどうした?」とくと、老人ろうじんつらそうにいました。「おさむらいぎさまがむらにくれば、理由りゆうもなくわしら百姓ひゃくしょうころしたり、わしらのつまむすめ純潔じゅんけつけがしたり、来年らいねんえるためのこめまでげたりするので、わしらはくるしみます。それでもお殿とのさまがじきじきにられるよりはましであろうとおもっておりました。今日きょう、お殿とのさまがここにいらっしゃるおつもりということをうかがいまして、むらものみなし、かくしております。わしはどうせさきみじかですので、ここに一人ひとりのこっておりました」

その家来けらいが、「無礼ぶれいものさむらい悪口わるくちえばどうなるかおしえてやるぞ!」と、かたなこうとしましたが、「おめなさい!」というするど制止せいしこえひびきました。おもわずくと、そこにはゆきがいました。「私共わたしどもむら人々ひとびときずつけるつもりはありません。そのひとはなしなさい」とゆきはめいじました。ゆきの言葉ことば若殿わかとのあご合図あいずするのをると、家来けらい老人ろうじんはなしました。

ゆきはうまからりて、老人ろうじんのところにちかづきました。「おじいさん、父上ちちうえ時代じだいにも農民のうみんがそんなあつかいをけることがありましたか」ときました。

すると、老人ろうじん突然とつぜんかおげ、動揺どうようしたように、「まさか、いま父上ちちうえとおっしゃいましたか。もしや、あのおかたをお父上ちちうえとおっしゃるのなら、あなたはゆきさまではございませんか」と、おそるおそるゆきにたずねました。ゆきはこくりとうなずきました。すると、老人ろうじんは、「やっぱりそうですか…。ゆきさま、どうかおきください。百姓ひゃくしょう生活せいかつはいつもつらいものではございますが、これほどつらい時代じだいいままでありませんでした。貴方あなたのお父上ちちうえ時代じだいは、おさむらい理由りゆうもなく百姓ひゃくしょうころすようなことはありませんでした。まんいちそのようなことがあれば、お父上ちちうえただちにそのおさむらいばっされたものです。しかし、後代こうだいのお殿とのさまは、どのような事情じじょうがあろうと、いつもわるいのは百姓ひゃくしょうということになり、けっしておさむらいばっすることなどありません。それどころか、百姓ひゃくしょうるにらぬやつらだとわれて、ぎゃくばちけております」

ゆきはすこ憤慨ふんがいしたように、「それは本当ほんとうひどはなしです。さむらいも、農民のうみんも、公正こうせいさばきをけるべきでしょう」といました。老人ろうにんはずっとだまっていました。うべき言葉ことば見当みあたらないのでしょう。すこしの沈黙ちんもくあと、ゆきは「ほか住民達しゅうみんたちに、わたしみないたいとっているとつたえてください」といました。

その老人ろうじんは、「かりました」とい、いそいで村人むらびとあつめました。ほどなく、村人むらびと一人ひとり、また一人ひとりあつまってきました。ほとんどすべての村人むらびとあつまってから、若殿わかとのとゆきは農民のうみん一人ひとり一人ひとりはなしきました。そして、むらがそのあたりのみち整備せいびするおかえしに、ぜいかるくすると約束やくそくしました。

第四十一章だいよんじゅういっしょう

女将おかみ到着とうちゃく

ゆきたちはそのむら二日ふつかかん滞在滞在したあとつぎむらけて出発しゅっぱつしました。ゆきと若殿わかとのはいい領主りょうしゅだといううわさがひろまるにつれ、村人むらびとたちも次第しだいに、ゆきたちを歓迎かんげいしてくれるようになりました。

その一方いっぽうで、城内じょうないではねたみから、ゆきのよくないうせさながものてきました。「あのおんなしろにいたころは、あのおんな悪口わるぐちっているものかならなにかしらの災難さいなんっていたようだ。あのおんなしろはなれてから、そんな災難さいなんはぴたりとこらなくなったらしい。あのおんな災難さいなんこしたにちがいない」「あのおんなわかいのに、どうしてあんなにおちゃのお点前てまえ達者たっしゃなのだろう?うせさでは、彼女かのじょきつねつうじているらしい。彼女かのじょきつねで、きつね妖術ようじゅついを使つかうのかもれない。あるいは、ものたぐいかもれない。前代ぜんだい大名だいみょうたおれたとき有名ゆうめい茶道家さどうかでいらっしゃったご母堂様ぼどうさま城内じょうないんだというはなしもあるよ」などと、とんでもないことをものまであらわれました。

そのころ、ゆきが手紙てがみ来訪らいほう依頼いらいこしていた、婚礼こんれいまえやとった女将おかみが、しろ到着とうちゃくしました。女将おかみ門番もんばんにゆきからもらった手紙てがみせ、部屋へやとおされると、家老かろうがそこでっていました。女将おかみがゆきからのねがいで、ここにむねつたえると、家老かろういまゆきはここにいないといました。女将おかみおどろき、「ゆきさまがお留守るすだということでしたら、わたしなにをしたらよいのでしょうか」と家老かろうきました。

家老かろうは、「あなたのことはうかがっております。ゆきさまむら訪問ほうもんされているあいだに、あなたは、この城内じょうないのことをよくっておいたほうがいいでしょう。お部屋へやは、ゆきさま隣室りんしつをお使つかいください」とこたえました。

それから女将おかみはゆきの隣室りんしつとおされ、自分じぶん荷物にもつ整理せいりなどをしてから、城内じょうないをあちこちまわりました。数日間後すうにちかんご何人なんにんかの女中じょちゅう井戸いどまわりにあつままって噂話うわさばなしをするのをかけるようになりました。はじめ、女将おかみはいったいだれのことをはなしているのかと不思議ふしぎおもっていましたが、まだ彼女かのじょしろのことをよくらなかったので、なにいませんでした。しかし、徐々じょじょにそのひとたちがはなしているのは、ゆきのことだとかってきました。女将おきみはそれを早速さっそく家老かろう報告ほうこくしました。

家老かろうは、「そのけんかんしては承知しょうちしました。しかし、ひとくちてられません。うわさをとめることはできないでしょう。だからといってそのまま放置ほうちしておくわけにもいきません。ゆきさまうわさにはいつも注意ちゅういはらっていてくれませんか。ゆきさまがおかえりになられたら、おつたえしたほうがいいでしょう」といました。

それから女将おかみは、わるいうわさをくたびに、その詳細しょうさい日記にっききとめていきました。

第四十二章だいよんじゅうにしょう

危難きなんうわさ

ゆきたちが、やまちかくまで辿たどいたときおに天狗てんぐなどがむら襲撃しゅうげきしている、というみょううわさみみにしました。家来けらいおさは、早速さっそくそれを若殿わかとの報告ほうこくしました。「殿とのむらくのは大変たいへん危険きけんでございます。このまましろにおもどりになるほう得策とくさくだとおもいます。もしそのままおすすみになるのであれば、女子衆おなごしゅうしろにおかえしするべきかとぞんじます」

それをいた若殿わかとのは、こまったかおをしながら、「わたしはもうしろもどるようにめいじたが、彼女達かのじょたちはそれをがんとしてれんのだ。それに、狐子ここは…」と、若殿わかとの最後さいごまで言葉ことばえるまえに、「おになんてこわくないわ」とこえ背中越せなかごしにこえてきました。若殿わかとのがそのほうくと、そこにはいたずらっのようなみをかべた狐子ここっていました。「おになんて、ちかるだけで、あたまくらっぽですもの」と、くすくすとわらいながら狐子ここうと、若殿わかとのは、「たしかに、狐殿きつねどの狐子ここにとっては、おになどとるにたらないものなのかもしれないな。おにわれらのしろ襲撃しゅうげきしたとき狐子ここのお父上ちちうえがあそこにおられなかったら、わたし家来けらいなにもできなかったにちがいない…狐子ここ、とにかく、ゆきにしろもどるように説得せっとくしてくれないか」と若殿わかとの狐子ここたのみました。

すると狐子ここは、きっぱりと「それはもう無駄むだです。命令めいれいされるはえは、しろもどもないわけではなかったようだけど、命令めいれいされてからは、ぎゃくしろもどらないと決意けついしてしまったようです。あの頑固がんこところがあるから。わたしはあの味方みかたですわ。…かえって、おになどがいたほうが、このつまらないたびにぎやかになっていいでしょうしね」とこたえると、狐子ここきびすかえし、ゆきのほうかってあるしました。

若殿わかとの家来けらいに、「みなものあやしいものの気配けはいかりなきよう心得こころえしい。不意ふいはつかれたくないからな」とめいじてから、「つまらないたびほうがいいのだが」とつぶやきました。

第四十三章だいよんじゅうさんしょう

おにとの遭遇そうぐう

すこしして、ゆきたちもりとおける途中とちゅう偵察ていさつからもどってきた家来けらいげました。「殿との一町いっちょうほどさきで、たおれた巨木きょぼくみちをふさいでおります。さきすすむことは不可能ふかのうおもわれます」

若殿わかとの家来けらいたずねました。「ほかとおれるみちはないのか?」

「あのむらせまたにおくにあるので、ほかみちはございません」と家来けらいこたえました。

「そうか…」と若殿わかとのつぶやき、ゆきのほうきました。そして、「もうしろもどろう」と若殿わかとのはゆきをうながしました。

ゆきはきっとしたかおつきでくびり、「わたしはそれぞれのむらたずねたいともうしました。安全あんぜんきやすいむらだけをえらんでたずねたいともうしたおぼえはございません。すべてのむらたずえてから、もどるつもりです」と、若殿わかとのをじっとつめながらこたえました。

若殿わかとのはゆきのつめました。ゆきのひとみ真剣しんけんそのものでした。若殿わかとのいきをつきながら、「仕方とかたない。おのっていき、ひらいて、なんとか道を通れるようにしなさい」とめいじました。

それから、ゆきたち倒木とうぼくのそばにあつまり、三人さんにん家来れらいが、おのろうとしました。ところが、おのたった途端とたん、そのはげしくうごはじめ、怒号どごうあたりにひびわたりました。「俺様おれさま昼寝ひるね邪魔じゃまするのはどこのどいつだ?」だとおもっていたものは、なんとおにあしだったのです!

おにはゆっくりとがりました。ゆきたちうまは、おに気迫きはくされ、興奮こうふんあばしました。ゆきがなだめるためにでながらこえをかけようとした、まさにそのときです。普段ふだん大人おとなしいがいま興奮こうふんした牝馬めうま前足まえあし地面じめんたかげ、必死ひっしにしがみつくゆきを一気いっき地面じめんたたきつけたのです。あたりはひどい混乱状態こんらんじょうたいおちいってしまいました。

おには、「俺様おれさまは、おとうとうためにここにたのに、あいつの岩屋いわやにはだれもいやしなかった。このあたりの人間にんげんが、俺様おれさまいてあいつらをまえに、すでにおとうところしてしまったにちがいない。おまえら、なにっていることがあるか?」といました。そのこえはまるで雷鳴らいめいのように、あた一面いちめんとどろきました。

すると「たわね、この木偶でくぼうわたしちちがそのおに退治退治させたのよ」とおにひくこえとは真逆まぎゃくに、かねのようなはずこえこえました。そのこえぬし狐子ここでした。狐子ここは、いしうえすわりながら「兄弟きょうだいそろって間抜まぬづら見本市みほんいちでもやるつもりだったのかしら。たたかうだけ無駄むだね」狐子ここはドロンと自分じぶん姿すかたもどり、いしすわったまま、のんびりとづくろいをはじめました。

おにはにやりとし、「おまえのようなちびの女狐めぎつね俺様おれさま相手あいてになるはずもない」といました。狐子ここなん反応はんのうもせず、今度こんどはの尻尾しっぽづくろいをしはじめました。「尻尾しっぽ二本にほんだろうが、百本ひゃっぽんだろうが、俺様おれさまには関係かんけいない。たたきつぶしてやる」とうと、おにまつき、それをまるで棍棒こんぼうのようにあやつり、狐子ここけてろしました。おにげると、そこには狐子ここかげかたちもありませんでした。あたまがよくないおには、くぎつように狐子ここのことをしつぶしたつもりで、「かるいもんだわい」と満足まんぞくこえうと、「あらこっちよ、のろまちゃん。そのまつまくらに、お昼寝ひるねするところだったわ」とわらこえうしろからこえました。狐子ここすこはなれたところっていました。つぎ瞬間しゅんかんおにかってけてきたかとおもうと、狐子ここおにかかとんで、またとおざかりました。

畜生ちくしょうめろ!うっとうしい女狐めぎつねめ、そこをうごくな!」と、おにまつまわしました。

狐子ここはそんなふうにして、徐々じょじょおにをゆきたちのいる場所ばしょからとおざけていきました。

そのおかげで、家来けらいたちはうまつかまえたあとすこくことができました。若殿わかとのはゆきのまそうとしました。「ゆき!きなさい!げるんだ!」

ゆきはけました。「あの、なにがあったの?あたまいたい…」とうと、ゆきはまるくしてつづけました。「おにだったの?どこ?」と、慎重しんちょうあたりを見回みまわし、おにすこしずつとおざかっていることにづきました。「だれかがおにわれているのですか」

若殿わたとのは、「狐子ここだよ。狐子ここわれらからおにとおざけている。いまのうちだ、さあげよう!」といました。

ゆきは、「それがさむらいのお言葉ことばでしょうか。女子おなごたたかわせて、ご自分じぶんはおげになるとは。それに、あのおにめなければ、これからまた何人なんにん農民のうみんころされてしまうことか。さむらいのつとめはくにまもることではございませんか。農民のうみんくにきたです。農民のうみんうしなえば、くにほろんでしまうことでしょう」

「あそこをて!狐子ここんだかかとのところに、狐火きつねびいています。あそこをふかればおにかならずひっくりかえるでしょう!しんさむらいなら出来できるはずです」とゆきはいました。

「そうか!えるぞ!よし、やってみる」と、若殿わかとのかたなこうとしましたが、「殿との、おちください」とこえこえました。家来けらいがゆきたちちかづいてきました。

「おかんがなおしください。農民のうみんくにきたではありますが、殿とのくに御心みこころでございます。お世継よつぎがいらっしゃらない殿とのに、まんいちのことでもございますれば…」

われ家来けらいもっと大切たいせつなつとめは殿とのまもることでございます。拙者せっしゃちちは、このかたなともにゆきさまのお父上ちちうえにおつかいたしておりました。しかし、かたなちちからゆずけた拙者せっしゃは、お父上ちちうえたおした大名だいみょうつかえることとなりました。これは拙者せっしゃにとってせっしゃ不名誉ふめいよなことでありました。ですから、そのお役目やくめわたしめにごめいじください。たとえいのちえてでも、あのおにたおすことで汚名おめい返上へんじょういたしたいのです。殿とのにはとどめの一太刀ひとたちをおねがいたします」

若殿わかとのがゆっくりとうなずくと、家来けらいおにほうきました。あいだはしりぬけ、おに様子ようすうかがいながらすこち、またつぎかげかってはしりました。若殿わかとのおなじように、家来けらいうしろをすこはなれてついてきました。そしてようやく、家来けらいおにちかくまでたどりきました。もう一度いちどおにがまだづいていないのをたしかめてから、おにかかとのそばにり、ちからいっぱいかたなろしました。おに激高げきこうしながらられたあしげようとしましたが、まつ棍棒こんぼうのようにまわしていたので、重心じゅうしんうしない、ついには地面じめんにひっくりかえってしまいました。

おにたおれたのをて、すぐに若殿わかとのおにあたまのところにり、かたなき、一振ひとふりでおにくびとしました。一段落いちだんらくしたあとで、あしりつけた家来けらいっていたあたりをましたが、そこにはだれもいませんでした。「おい、どこだ?大丈夫だいじょうぶか?」とびかけると、家来けらいこたえました。「こちらにおりますが、身動みうごきできないのでございます。おにあし拙者せっしゃうでっているのです」

家来けらいたちはかれおにあししたからしました。一方いっぽう狐子ここ人間にんげん姿すがたけ、若殿わかとののところにもどってきました。「とってもたのしかったわ。今度こんどはどんなおにうかしら」といました。

「やれやれ」と若殿わかとの苦笑にがわらいしながらいました。

第四十四章だいよんじゅうよんしょう

破壊はかいされたむら

おに退治たいじしたあとで、ゆきたちはたにおくむらけてたびつづけました。むらいたとき、あちこちにこわれたいええましたが、ひとだれもいませんでした。

家来けらい一人ひとりが、あるこわれかけたいえはしっていき、「とうさん!かあさん!どこにいるのですか!大丈夫だいじょうぶですか?」とさけびました。

すると「おじさん!」とこえがして、くずれかけたいえなかから、しち八歳はっさいおんながその家来けらいのところにはしってきました。おんなころ興奮こうふんした様子ようすで「おにたの!おうちがめちゃめちゃにされて!おかあさんとおとうさんがべられちゃって!こわかったからずっとあなかくれてたの!」と、しました。

家来けらいは、「いて、いて。おにはもうんだよ。おなかがぺこぺこだろう?」とい、おんなころあたまやさしくでました。おんなきじゃくりながら、こくりとうなずきました。家来けらい微笑ほほえみながら「あとでおなかいっぱいごはんべようね。兄弟達きょうだいたち一緒いっしょに」といました。

おんなは「おとうといもうともまだあなにいる」と、きなから指差ゆびさしました。「おじいさんや、おばあさんは?」と家来けらいたずねると、「らない!」とかなしそうにこたえました。

「じゃあ、兄弟きょうだいあつめて、なにべよう」と家来けらいいました。

それから家来けらいは、あななかかくれていた子供達こどもたちを、ゆきたちのところにれてき、っていたほしいなどをあたえました。子供達こどもたちはよほどおなかいていたのでしょう。夢中むちゅうになってべていました。そんな子供達こどもたち横目よこめに、若殿わかとのは、のこったものさがすために、むら四方しほう家来けらいおくりました。

しばらくして、家来達けらいたちもどり、三十人さんじゅうにん子供達こどもたちと、ごくわずかの大人おとなれてもどってきました。家来けらいは「殿との、どこもくまなく捜索そうさくいたしましたが、このものたちしかいないようでございます」と報告ほうこくしました。

若殿わかとのは、「五十世帯ごじゅうせたいなかからのこったものは、たったのこれだけか…?被害ひがい甚大じんだいだぞ」とつぶやきました。そして、はじめに子供こどもつけた家来けらいほうへくるりとき、「おまえはこのむらにどういうゆかりがあるのだ?」とたずねました。

家来けらいは、「拙者せっしゃ家内かないはこのむらからまいりました。家内かないちちはこのむらおさで、このたちは家内かないあに子供こどもなのでございます」とこたえました。

ずっとだまっていたゆきがくちひらき、若殿わかとのに「この村人達むらびとたちを、いかがなさるおつもりですか」とたずねました。

若殿わかとのは、「こんななにもないところにんでいても仕方しかたがないであろう。村人むらびとは、わたしほかむら城下町じょうかまちれてこう」とこたえました。

ゆきは、「なにのこっていないとおっしゃるのですか。あちらをごらんください!あれでもなにもないとおっしゃいますか」と、んぼ一面いちめんみのった稲穂いなほ指差ゆびさしました。「あれはくにたからではございませんか。あのをすぐにでもらないと、このむらからのこめ収穫しゅうかくくなってしまいます。つまり、このむらからの税収ぜいしゅうくなるということです」

「それよりも、このひとたちがほかむられてかれたら、一体いったいどのような生活せいかつおくることになるとおおもいですか。よそものとして、とてもまずしくらすことになるにちがいないでしょう。わたしはそのようにそだちましたから、よくかるのです。それでもまだ、ほかむらなどにれてくおつもりですか」とゆきはいました。

「ふむ。それではなにかんがえでもあるのか?」と若殿わかとのきました。

ゆきは、「はい。仮住かりずまいまいや食料しょくりょう確保かくほ必要ひつようです。まず、こわされたいえなかからいち二軒にけんなおし、たおされた米倉こめぐらのおこめくさってしまわないように、はこんで保管ほかんしましょう。それに、となりむらしろ使者ししゃおくって、かれらの親戚しんせき手伝てつだってくれるひとあつめましょう。いえ再建さいけんしたあと収穫しゅうかくはじめ、それからあらためて米倉こめぐらつくればいいかとぞんじます」とこたえました。

若殿わたとのいました、「かった。よし、それではそなたはしろかえりなさい」

なにをおっしゃいますか。あれらのんぼのれがわるまで、ここにのこるつもりです。このさむらいたちのなかで、こめ収穫しゅうかく経験けいけんがあるもの何人なんにんいますか。わたしはあのくらいの年頃としごろから、毎年まいとし収穫しゅうかく手伝てつだっていたのです。ですから、今年ことし収穫しゅうかく手伝てつだくうつもりです」と、ゆきはしち八歳はっさいおんな指差ゆびさしました。

若殿わかとのは、「なんと。ここにのこるつもりならば、ゆきは身重みおもゆえ、あのたちの子守こもりくらいにしておいたほうがいいだろう」といました。

ゆきは、「わたしより狐子ここほうが、子守こもりが上手じょうずです。あちらをごらんください!狐子ここのおはなし面白おもしろかおのおかげで、がおのあのたちが笑顔えがおになりました。それに、毎年まいとし身重みおもおんないねるのをてきました。わたしんぼではたらほうやくつでしょう」とこたえました。

若殿わかとのはためいきをつきました。「賛成さんせいするしかないだろう」と、家来けらいなかから使者ししゃえらびました。

第四十五章だいよんじゅうごしょう

ひろがるうわさ

ゆきたちがいえなおしたり、いねれたりしているうちに、だんだんほかむら城下町じょうかまちからものたちがあらわはじめました。一週間いっしゅうかんほどでこめ収穫しゅうかくわり、ゆきと若殿わかとのむら今後こんごはないました。そして、だれがどのんぼをぐか、だれがどの孤児こじそだてるか、といったことひとひとつをめました。

若殿わかとの一行いっこうについてのはなしが、国中くにじゅうつたわりました。「殿とのが、またもやおにくびとした。まさに豪傑ごうけつぶに相応ふさわしいおかただ!」とか「殿とのとゆきさまが、おにおそわれたむら再興さいこうなされた。まこと名君めいくんだ」などと、農民のうみんたちは口々くちぐちたたえました。

一方いっぽうしろなかでは、ゆきの行動こうどうについて「彼女かのじょんぼではたらいているそうだ。百姓ひゃくしょうこころいているのだろう。まった我等われら殿とのにはつかわしくないつまだ」とか「なんと、殿とのどろまみれではたらかせたそうだ。魔術まじゅつ使つかものちがいない」とか「きつね姿すがたけて、おにたたかったそうだよ。かねてからの噂通うわさどおり、彼女かのじょものなの」などと、わるうわさひろまっていました。 女将おかみ日記にっきにいろいろなうわさ黙々もくもく記録きろくつづけました。

そしてついに、ゆきたちはそのむら復旧ふっきゅうえ、のこったむらもすべてたずね、しろかえってきました。

第四十六章だいよんじゅうろくしょう

しろへの帰還きかん

ゆきたちしろかう途中とちゅうきつねいました。ゆきは「きつねどの、こんにちは」といました。

きつねは「こんにちは、ゆきどの。もうわけありませんが、狐子ここ一緒いっしょまいらねばなりません。きつね評議ひょうぎがありますので」と、ぺこりとあたまげました。

ゆきは、「きつね評議ひょうぎですか。狐子ここちゃんになに問題もんだいでもこったのですか」と、心配しんぱいそうにたずねました。

狐子ここは、「べつに、心配しんぱいしないで。きっとおに退治たいじしたときのことね。すぐにかえってられるとおもうわ。それではってきます」とったあときつね姿すがたもどり、父親ちちおや一緒いっしょあるしたかとおもうと、まるでかぜのようなはやさでえてしまいました。

しばらくするとゆきたちは城下町じょうかまちきました。老若男女ろうにゃくなんにょ町中まちじゅう人々ひとびと道端みちばたならんでっていました。そのなかとおってしろかうあいだおおきな喝采かっさいむことはありませんでした。ってわって、しろ中庭んかにわはとてもしずかでした。ゆきはしろまどというまどから悪意あくいちたながめられているようにかんじました。

そんなとき、ゆきはふと見覚みおぼえのあるひとが、自分じぶんかってあるいてていることにづきました。ゆきはうれしさのあまり、おおきなこえで「女将おかみさん!てくれたのですね!やっとねがいがかないました!」とい、泣き出なきだしてしまいました。

女将おかみは、「ゆきさま、おちしておりました。どうかいてくださいませ。身重みおものおからだながらくにのあちらこちらにおかけなさって、さぞやおつかれでございましょう。うまからおりになって、お部屋へやにおもどりください。湯殿ゆどの支度したくととのえてございます」と、ゆきがうまからりるのを手伝てつだい、部屋へやれてきました。

第四十七章だいよんじゅうななしょう

女将おかみとの会話かいわ

つぎ、ゆきがあさはんべたあと女将おかみは、ゆきのまえすわり、「昨日きのうは、動転どうてんなさっておられたようですね。なにかおこまりでしょうか。わたし出来できることはございませんか」と、やさしくたずねました。

ゆきは、「元々もともと女将おかみさんのしたはたらいていたのですから、二人ふたりだけのときは、使つかわなくても結構けっこうですよ」とい、したいていきをつきました。女将おかみがゆきの言葉ことばうなずきながらも「ご遠慮えんりょなさらず、なんでもおっしゃってください」とうと、ゆきはまどそと指差ゆびさし、「そとているあいだ自由じゆうかんじていました。でも城内じょうないにいるときは、まるでかごなかとりになったがします。なにかをしようとすると、すぐに反感はんかんってしまいますし…。狐子ここちゃんがここにいたときは、だんだんよくなっているかんじがしていたのですが、狐子ここちゃんはきつねどのと一緒いっしょとおくへってしまいました。わたししろかえってきたとき笑顔えがおむかえてくれたひとだれもいませんでした」と、かなしそうにいました。

女将おかみが「その狐子ここさんというかたは、どんなひとなのですか」とたずねると、ゆきはふくわらいをしました。「じつうと、狐子ここちゃんはひとではないんです。きつねどののむすめなんです。人間にんげんのことにすごく興味きょうみがあるから、つね人間にんげん姿すがたをしていますけどね。とてもあかるいおんなです。むらたずねる途中とちゅうおに遭遇そうぐうしたのですが、狐子ここちゃんはきつね姿すがたもどって、たった一人ひとり勇敢ゆうかんおにたたかったのですよ」

女将おかみは、「狐子ここさんがきつね姿すがたおにたたかったのですね。うわさでは、ゆきさまきつねけておに退治たいじなさったと…」とったあと自分じぶん部屋へやき、日記にっきってもどってきました。「わたししろはたらはじめてから、ゆきさまについてのおうわさみみにするたびに、それらをこの日記にっきいておきました。どうぞおみください」

それからゆきはその日記にっきかれたうわさはじめました。じゅんとおしながら、「この意味いみがさっぱりかりません」とか、「この部分ぶぶん狐子ここちゃんのことです」とか、「これはわたしのしたことですが、事実じじつまったちがいます」などと女将おかみいました。

第四十八章だいよんじゅうはっしょう

家老かろう助言じょげん

その評議ひょうぎ家老かろうは、「あのとき子供こどもつけた家来けらいを、むらおさにお取立とりたてになったのはゆきさまのおかんがえでございますか」とたずねました。

若殿わかとのははっきりとこたえました。「そうだ。ゆきのかんがえだ」

それをいた家老かろうは、「しかし、そのものつまが、むらにはもどりたくないともうしているようでございます。ゆきさまのおかんがえだということでしたら、一度いちど、ゆきさまがそのものにおいになってはいかがでしょうか」と、ゆきにいました。

ゆきは、「わたしがですか?でも、だれわたしのことをよくはおもっていないようです」と、うつむ加減かげんいました。

家老かろうは、「ゆきさまはこのしろにおしになられて以来いらいしろ者達ものたちとはほとんど機会きかいがございませんでした。ゆきさまのことをあまりよくぞんげておらぬゆえ、わるうわさてているのではないでしょうか。もし、その者達ものたちがゆきさまのお人柄ひとがられさえすれば、そのようなうわさはたちまちえるはずでございます」と、やさしく助言じょげんしました。

ゆきはふぅっとちいさくいきをつきました。「では、そのものはなしをしてみましょう。今晩こんばんわたし部屋へやるようにつたえてください」

第四十九章だいよんじゅうきゅうしょう

面会めんかい準備じゅんび

ゆきは家来けらいつまのことをかんがえながら自分じぶん部屋へやもどってて、窓際まどぎわわりました。女将おかみくしでゆきのかみはじめると、ゆきは女将おかみはなしはじめました。「女将おかみさん。今晩こんばんあたらしい村長むらおさつまうことになりました。そのひとのことを、なにかご存知ぞんじですか」

女将おかみかみでながら、家来けらいつまのことをおもそうとして、しばらくだまみました。やがて、「あぁ、そうそう、子供こども二人ふたりおります。ゆきさまのおいかりにれたので、一家いっかとおむらおくられてしまうといううわさひろがっているのでございます」と女将おかみうと、ゆきはがり、女将おかみほうきました。「わたしおこっているですって?どうしてそんなことになっているのでしょうか」

女将おかみくしほおかるたたき、「ゆきさまわるうわさひろめたのはそのものなのじゃないですか?ゆきさまがそのことをごぞんじになり、おいかりなのだとおもっているのでしょう」とこたえました。

ゆきはいきをつきました。「そんなひとって、わたしはなしをしても、きちんといてくれないのではないでしょうか」

女将おかみくしをしまい、「まず、おはなしをなさるまえに、一服いっぷくのおちゃで、そのものかせてはいかがでしょう。それから、ゆっくりと問題もんだいについておはなしなさればよろしいかとぞんじます」とこたえました。

ゆきはうなずいて、「そうですね。それではおちゃせき相応ふさわしい着物きものえらんでいただけますか。そのあいだわたし茶道具ちゃどうぐ支度したくをします」と、準備じゅんびはじめました。

第五十章だいごじっしょう

家来けらいつま

よるになり、その家来けらいつまがゆきの部屋へやはいってきました。彼女かのじょはそわそわしていました。「ゆきさまわたしについてなにをおきであっても、それは出鱈目でたらめなことでございます。しんじないでください」といました。

ゆきは、「ちょうどいまきました。おちゃんだあとでゆっくりはなしましょう」と、おちゃはじめました。

ちゃんだあとで、ゆきは、「あのむらはあなたの故郷こきょうなのに、もどりたくないそうですね。どうしてなの?」ときました。

家来けらいつまは、「あのむらおに襲撃しゅうげきおびえながららしていました。それは、わたしにはとてもつらいことでした。結婚けっこんしたあとむら絶対ぜったいもどるまいとこころめたのです。わたしがそうおもっていることはこのしろ人達ひとたちみなっていることでございますので、ゆきさま当然とうぜん存知ぞんじかとおもっておりましたが…。今回こんかいわたしどもをむらもどすというのは、わたしがゆきさまわるうわさながしたというはなしをおきなっての処罰しょばつでございますか」ときました。

ゆきは、「あなたがそのように決心けっしんしていたとはりませんでした。わたしはただあなたのおにいさんの子供達こどもたちのことだけをかんがえていました。あの子達こたちしかおじいさんの田畑たはた相続そうぞくするものがいないのです。でも、あの子達こたちはまだおさなすぎるから、十分じゅうぶん成長せいちょうするまで、だれかが面倒めんどうてやらねばなりません。ほかに、世話せわをしてくれる身寄みよりがありますか」とたずねました。

家来けらいつまははっといきをのみました。「あに子供達こどもたち孤児こじになっていたのですか。りませんでした。かれらをここにせてもよろしいでしょうか。ここでなら、わたしそだてることができます」

ゆきはくびりました。「ここだと、田畑たはたのことをまったらずにそだつでしょうね。みなしろらしたら、いったいだれがおじいさんからいだ田畑たはたたがやすのですか」

家来けらいつまふるえました。「でも、おにこわいのです。またおにおそってたら、どうしたらいいのでしょうか」

ゆきは、「殿とのは、すでに二匹にひきおにくびとしています。またおにても、殿とのはすぐにへいひきいてけつけ、まえのようにくびとしてくださるにちがいありません。今回こんかいたびあいだに、それぞれのむらはやできるように、殿とのみち修繕しゅうぜんする手筈てはずととのえました。心配しんぱいしないでください」と、もう一度いちどちゃてました。そうして、ようやく家来けらいつまおっと一緒いっしょにそのむらむことにしぶしぶ同意どういしました。

第五十一章だいごじゅういっしょう

茶席ちゃせき予定よてい

家来けらいつまがゆきの部屋へやてから、女将おかみはいってきました。「ゆきさま、お茶席ちゃせきはいかがでしたか」

ゆきは溜息ためいきをつきました。「はじめはしぶっていましたが、ようやく承知しょうちしてくれました。家族かぞく一緒いっしょにあのむらって、おにいさんのわす形見がたみどもたちをそだてることに同意どういしてくれました」そしてまた溜息ためいきをつきました。「こういうはなしをするのは苦手にがてです」

女将おかみ茶道具ちゃどうぐ片付かたづはじめました。「くにおさめるとなれば、そのようなことはけてはとおれないでしょう。それがまさにまつりごとというものなのですね」

ゆきは、「そうですね」と、苦笑にがわらいをしました。「そのものしろれば、れいわるうわさくなるとおもいますか」

女将おかみくびかるよこりました。「そうはならないでしょうね。噂話うわさばなしきなものおおいですから。でも、城中じょうちゅうものがゆきさまのことをよくかってくれれば、悪口わるくちひろめるようなことはしなくなるでしょうね」

ゆきは、「どのようにすれば、彼女かのじょたちにわたしのことをかってもらえるとおもいますか」とたずねました。

女将おかみは、「一人一人ひとりひとりをおびになり、おちゃててもてなすのが一番いちばんかとおもわれます。でも、だれからおびになるべきかはむずかしい問題もんだいですね」と、ゆきの着替きがえを手伝てつだいながらいました。

ゆきはくすくすとわらしました。「むずかしくなどないとおもいますよ。今晩こんばんもう、その最初さいしょのお客様きゃくさまをもてなしたのですから」

女将おかみわらいました。「そうですね。さて、問題もんだいは、つぎのおきゃくだれにするかということになりますね。はじめのおきゃくはお茶席ちゃせきあとでおしろから追放ついほうされたようにもえかねません。そうなると、城内じょうないものはお茶席ちゃせきこわがりはじめるかもれません」

「そうですね」とこたえながら、ゆきがふとたなをやると、そのうえにあるさつほんとどまりました。そしてそのふたつのほんが、どちらもおな内容ないようだということに気付きづきました。「わたしがここをはなれているあいだに、庄屋しょうやさんのおくさんからりたほん写本しゃほん出来上できあがっていたようですね。それでは、彼女かのじょつぎのおきゃくというのはどうですか」

女将おかみは、「かんがえだとぞんじます」とこたえ、二人ふたり庄屋しょうやつま招待状しょうたいじょういておくりました。

そういうわけで、数日後すうじつご庄屋しょうやつましろにやってました。茶会ちゃかいせきで、ゆきはりていたほんかえし、ほかほんりる約束やくそくをしました。

もなく、庄屋しょうやつまたのしんだというはなし城内じょうないひろまっていきました。それから、城内じょうない女性じょせいのもとに一人ひとりまた一人ひとり招待状しょうたいじょうとどはじめました。はじめはみなびくびくしながらゆきの部屋へやきましたが、ばれたものたちがたのしんだというおわさがだんだんひろまると、みな招待状しょうたいじょう心待こころまちにするようになっていきました。それぞれの茶席ちゃせきまえに、女将おかみはそのきゃくかんする情報じょうほうをゆきにおしえておきました。そして、ゆきはそのきゃくきなことやきらいなこと、家族かぞくのことなどをそのせきはないました。こうして、ゆきについてのわるうわさはだんだんえていきました。

第五十二章だいごじゅうにしょう

三本さんぼん尻尾しっぽ

そのようにして数週間すうしゅうかんぎました。ある秋空あきぞら、ゆきはにわ日向ひなたぼっこをしながら、すわってほんんでいました。ふと、だれかがうえある足音あしおとこえました。あたりを見渡みわたすと、見覚みおぼえのある赤毛あかげむすめえました。

狐子ここちゃん!おかえり!」と、ゆきはおもからだでゆっくりとがりました。

「ただいま!わあっ、ゆきちゃん、おなかがすっかりおおきくなったわね。あかちゃんがるのがもうかるの?」と狐子ここくと、ゆきは「そうよ。さわってみて!」と、狐子ここって、自分じぶんのおなかきました。

力強ちからづよりね!いつまれるのかしら?」と狐子ここたずねると、ゆきは「はるらしいの。多分たぶん、お花見はなみのころね」とこたえました。

「わあ!きっとさくらのようにはなやかなまれるわよ」と狐子ここうと、ゆきは「それはそうと狐子ここちゃん、ここをはなれてから、どうしてたの?心配しんぱいしないでとっていたけど、なかなかもどってこなかったから、になってたの。そのわりはないの?」ときました。

狐子ここは、「心配しんぱいしないで大丈夫だいじょうぶよ。おにとのあらそいのおかげで、尻尾しっぽをもう一本いっぽんしっぽけることをゆるしてもらったの。て!」と、こつね姿すがたもどり、背中せなかうしろにれるすうほん尻尾しっぽせました。

ゆきは、「可愛かわいい!」と、指差ゆびさしてかぞはじめました。「いちさん三本さんぼんあるわ。ええと、まえ二本にほんだったかしら?狐子ここちゃんはいつも人間にんげん姿すがただったからおぼえてないわ」

狐子ここ人間にんげん姿すがたけ、「まえ二本にほんだったの。おとうさんが得意気とくいげかおをしてたわ」とわらったあと一転いってんして憂鬱ゆううつそうに溜息ためいきをつきました。「でも、もう尻尾しっぽさんぼんになったのだから、一族いちぞく繁栄はんえいのために、すぐにでも結婚けっこんすべきだって、おとうさんがうのよ。それでひっきりなしに、つまんないおとこわたし紹介しょうかいするの。本当ほんとうにうんざりするわ。みんな人間にんげんのことなんかよりわたし尻尾しっぽをくんくんぐことにしか興味きょうみがないのよ」とって、かおをしかめました。

「それは残念ざんねんね。まだおよめきたくないの?」

結婚けっこんはしたいけど、そんなおとこたちとはちょっとね…」

「どんなひとがいいの?」

狐子ここ両手りょうてむねいて、かおげ、微笑ほほえんでから、ながいきをつきました。そして「家老かろう」とだけいました。

「えぇ?なに?どういうこと?」

家老かろうのようなひとがいいの。やさしいし、あたまがいいし、なかのことをよくっているしね」

「でも、としちがいすぎない?」

かまわないわ。むかしからかれのことがきなの。それに、きつね一生いっしょう人間にんげんのとちがうのよ。わたし何歳なんさいだとおもう?」

「ええと。十五じゅうごろくさいかしら?」

狐子ここさんさい女の子おんなのこ姿すがたけました。「いま何歳なんさいぐらいにえる?」とってから、つぎ八十代はちじゅうだい老女ろうじょ姿すがたけました。「今度こんどは?」とって、もと姿すがたもどりました。「けている姿すがた自分じぶん年齢ねんれい関係かんけいないのよ。ただ、性格せいかくわせた姿すがたほう気持きもちいいから、いつもむすめ格好かっこうをしているの。きつねとしてはまだまだ若輩者じゃくはいものだけど、じつ家老かろうどしとあまりわらないのよ」

ゆきはひたいててかんがんでしまいました。「そうなのね。でもちょっとって。どういうことなのかしら。混乱こんらんして、あたまいたくなってきたわ。いつから家老かろうのことをきだったの?どうやってったの?」

狐子ここは、「ながはなしよ。がもうすぐしずむから、部屋へやきましょうよ」と、ゆきのって、しろもんかってあるはじめました。

第五十三章だいごじゅうさんしょう

狐子ここはなし

二人ふたりがゆきの部屋へやくと、女将おかみ洗濯せんたくものを行李こうりにしまっているところでした。ゆきは身重みおも身体からだ狐子ここ足早あしばやかれてきたのでいきらしていました。ゆきはみだれたいきととのえてから、「女将おかみさん、狐子ここちゃんがかえってきたんですよ。狐子ここちゃん、こちらはわたし以前いぜんはたらいていた温泉おんせん女将おかみさんなんです」とおたがいを紹介しょうかいしました。

狐子ここ女将おかみ挨拶あいさつわすのをって、ゆきは、「女将おかみさん、狐子ここちゃんがもどってきたので、狐子ここちゃんと一緒いっしょ夕食ゆうしょくたのしむつもりなんです。台所だいざころ食事しょくじ用意よういたのんでから、そのように旦那様だんなさまつたえていただけますか?それから、今晩こんばん予定よていしていたおきゃく明日あしたにしてもらうようつたえていただけませんか?」とたのみました。

女将おかみってから、二人ふたり縁側えんがわこしろしました。「どうやって家老かろういになったのかをおしえてくれない?」

「うん。なにからはなしたらいいかしら。ああ、そうね。昔々むかしむかし、ある雌狐めぎつねさむらいこいちました。やがて、二人ふたり結婚けっこんしましたが、二人ふたり生活せいかつながつづきませんでした。殿様とのさま命令めいれいで、さむらいはすぐにいくさってしまったのです。三ヶ月さんかげつぎたころいくさわり、侍達さむらいたちしろもどってきましたが、雌狐めぎつねはそのなかおっと姿すがたつけることはできませんでした。雌狐めぎつねおっとのことをたずねてみると、にしたとつたえられました」

雌狐めぎつねかなしみにちひしがれて、おっとのいないむら一人ひとりらすよりも、できるだけはや自分じぶん家族かぞくのところにもどりたいとおもいました。でも、すぐにもどわけにはいきませんでした。雌狐めぎつねのおなかなかにはあたらしいいのち宿やどっていたのです。きつねなか人間にんげんそだてるのはむずかしいことがかっていたので、もどってむことができなかったのです。それで、雌狐めぎつねさむらい家族かぞくのところにうつみました」

ゆきははなしさえぎりました。「どうしてもどることができなかったの?きつね人間にんげんあいだ子供こどもってどういうふうなの?」

狐子こここたえました。「人間にんげん姿すがたになることがおおいの。人間にんげんなかそだてば、たいてい神童しんどうだということになるわね。でもきつねなかだと成長せいちょうして大人おとなになっても子狐こきつねにさえてない、よわきつねになってしまうのよ」

ゆきが「へぇ。そういうものなの」とこたえると同時どうじに、廊下ろうかから「よいか」という若殿わかとのこえがしました。

二人ふたりが「どうぞおはいりください」とうと、若殿わかとのふすまけ、部屋へやなかはいってて、「狐子ここ、おかえり」といました。

ゆきが、「狐子ここちゃんはうちの家老かろうむかしからのいだったそうなのよ。いま出会であったころはなしをしてもらっているんです」と説明せつめいすると、「おれいていいかな」と、返事へんじたずにゆきのとなりこしろしました。

狐子ここつづけました。「とにかく、子供こどもさずかった雌狐めぎつねは、くなったおっと家族かぞくいえうつんだのです。も、雌狐めぎつねかなしみにちひしがれたままでしたが、おなか順調じゅんちょうにどんどんおおきくなりつづけました。そしてついに、雌狐めぎつねあかちゃんをみました。しかし、雌狐めぎつねは、おっとのことをあきらめたときから、まれたけっしてるまいと、つよこころめていたのでした。いくら義母ぎぼたのんでも、きっぱりとことわりました。一目ひとめでもてしまうと、はなづらくなるとおもったのです」

「そのよる雌狐めぎつねいえちかくのかわみ、自分じぶん家族かぞくのところにかえりました。しかし、自分じぶんではなにもできないものの、ではなかったので、おとうとまれた子供こども見守みまもってくれるようにとたのんだのです。そして、二度にど人間にんげん土地とちもどることなく、じついまでも自分じぶん住処すみかひとりでらしています。とおはなれていても、雌狐めぎつね一時いちじわすれることなく子供こどものことをおもつづけているのです」

雌狐めぎつねがいなくなった翌朝よくあささむらい両親りょうしんよめ不在ふざい気付きづき、村中むらじゅうさがまわりました。でも、どこにもつからなかったので、とうとう最後さいごかわおぼんだのだろうとうきらめたのです」

「そんなさわぎのなかさむらい母親ははおや数日すうじつまえ近所きんじょ農家のうかあかぼうくしたおんながいたことをおもし、乳母うばとしてむかれました」

ゆきがこえげて、「その家老かろうなの?」とくと、「ちがうのよ。そのおんなだったの」と狐子こここたえました。

雌狐めぎつねむすめはすくすくとさだち、としつにつれ、綺麗きれいかしこくなっていきました。また、むすめ茶道さどうにもけていました。えんあって、むすめんでいるくに若殿わかとのき、すぐに二人ふたり結婚けっこんしました。雌狐めぎつねおとうとめいをずっと見守みまもつづけていました。普段ふだんとおくから見守みまもっていましたが、時々ときどき人間にんげん姿すがたけ、めいのところをたずねることもありました」

もなく、雌狐めぎつねむすめ息子むすこまれました。おなころ雌狐めぎつねおとうとにもむすめまれたのです」

そこまではなすと、狐子ここふすまほうにふっとけて「ああ、夕食ゆうしょく準備じゅんびととのったようね。またあとつづけるわ、さきにいただきましょう!」とい、ゆきと若殿わかとのうしろをかえりました。二人ふたら狐子ここはなしっているあいだに、女将おかみ女中じょちゅうめいじて三人分さんにんぶんのおぜん用意よういさせていたのです。いつのにかくらくなっていたので、女将おかみ蝋燭ろうそくをつけました。

第五十四章だいごじゅうよんしょう

はなしつづ

はしくかかぬかのうちにゆきと若殿わかとのはなしつづけてほしいとたのみました。

ゆきが、「そのときおとこが、いま家老かろうなの?」とうと、若殿わかとのが「いやちがうだろう。うちの家老かろうはその殿との家系かけいではないはずだよ。だけど、その弟狐おとうとぎつね親子おやこのことは、私達わたしたちってるとおもうけれどね」と狐子ここいました。

狐子ここかおにしながら「はなしは、どこまでしましたっけ?ああ、おもした」とはなしつづけました。

月日つきひち、雌狐めぎつねまごつよくて勇敢ゆうかん若者わかもの成長せいちょうしました。城内じょうないおな年頃としごろものみな雌狐めぎつねまご忠誠ちゅうせいくしましたし、となりくに若殿わかとの雌狐めぎつねまご盟友めいゆうとなることをのぞみました」

弟狐おとうとぎつねむすめ成長せいちょうしていました。従姉いとこ人間にんげんらしていたということもあり、人間にんげんつよ興味きょうみようになりました。人間にんげん姿すがたけられるようになってからは、父親ちちおや一緒いっしょ従姉いとこたずねることもありました。そのうちに、雌狐めぎつねまご仲間達なかまたちうようになりました」

「そのころ弟狐おとうとぎつねむすめ従姉いとこたずねては、きつねらしくいたずらしてたのしんでいました。武術ぶじゅつよりほんほうほんすきだという一人ひとり武家ぶけ少年しょうねんほんみながら廊下ろうか弟狐おとうとぎつねむすめほうあるいてときのことでした。弟狐おとうとぎつねむすめがまじないで少年しょうねんあるすこさきゆかいたげたので、少年しょうねんつまずいてころんでしまいました。弟狐おとうとぎつねむすめはくすくすとわらいましたが、少年しょうねんかおると、わらいをころして、少年しょうねんがるのを手伝てつだいました。そのときすこしだけ少年しょうねん言葉ことばわしましたが、それがきっかけで従姉いとこ訪問ほうもんするたびに、少年しょうねんにもうようになり、だんだん仲良なかよくなっていきました。やがて、少年しょうねん城主じょうしゅ家来けらいとなりました」

雌狐めぎつねまご成人せいじんするとすぐ、政治的せいじてききにより隣国りんごくひめ政略結婚せいりゃくけっこんしました。しばらくすると、二人ふたりあいだむすめまれましたが、母親ははおやかた産後さんご肥立ひだちがわるく、すぐにくなってしまいました」

「そのころから、次第しだい不穏ふおん空気くうきただよ時代じだいになってきました。それぞれのくに将軍しょうぐん命令めいれい無視むしして、隣国りんごくたたかはじめました。全国にほんいたるところでいくさこりました。そうして戦国せんごくはじまったのです」

きつねさといくさまれました。ちから狐達きつねたちおそれられ、それゆえ攻撃こうげき対象たいしょうえらばれたのです。きつね一族いちぞく様々さまざま妖怪ようかい攻撃こうげきされました。そういうわけで数ヶ月すうかげつあいだ弟狐おとうとぎつねめいである雌狐めぎつめむすめ見守みまもることができなくなりましたが、むすめ従姉いとこ一緒いっしょみたいとたのんだので、のぞどおりにさせることにしました」

弟狐おとうとぎつねむすめしろいたとき城内じょうない混乱こんらん坩堝るつぼしていました。殿様とのさま若殿わかとのいくさくなってしまい、若殿わかとの息子むすこである雌狐めぎつねまご侍達さむらいたちふたたあつめ、しろ退却たいきゃくしたばかりでした。てき大将たいしょうおにんでいるといううわさ城内じょうないのあちこちにひろまっていました。一方いっぽう城主じょうしゅになった雌狐めぎつねまごつぎめられることにたいして、しろまもるための準備じゅんびすすめていました。ほかくに援軍えんぐんってくれるように使者ししゃおくりましたが、隣国りんこくくなったつまくにからさえも、返答へんとうられませんでした」

弟狐おとうとぎつねむすめ手伝てつだいたかったのですが、そのとき尻尾しっぽ一本いっぽんしかなかったので、まだつよすべ使つかうことができませんでした」

「しばらくすると、敵軍てきぐんしろかこはじめ、籠城ろうじょうはじまりました」

時々ときどき敵陣営てきじんえいなか巨大きょだいおにえました。おにくにのあちこちをらしまわっているといううわさ城内じょうないひろまっていました」

「そのだんになってやっと近隣諸国きんりんしょこく雌狐めぎつねまご盟友達めいゆうたちが、少数しょうすうさむらいともひそかにしろにやってきました。雌狐めぎつね孫達まごたちよろこびましたが、盟友達めいゆうたちは、「援軍えんぐんてはみたものの、われらはみなわかく、どのくらいの技量ぎりょうっているともれない。それに我々われわれこに危険きけんにさらされており、他国たこく援軍えんぐんけるあてもない。われらはそんななか父上達ちちうえたち反対はんたいって参上さんじょうしているのです」とくるしいむねうちはなしました」

籠城ろうじょう数日間すううじつかんで、弟狐おとうとぎつねむすめしろひとたちとしたしくなりました。そのなかにはいま城主じょうしゅになった雌狐めぎつねまご腹心ふくしん家来けらいとして、立派りっぱ成長せいちょうしたかつて幼馴染おさななじみ少年しょうねん姿すがたがありました。弟狐おとうとぎつねむすめはそのおとこひときになりました」

に、しろ兵糧ひょうろうっていきました。しろなかではとぼしい食料しょくりょうをみんなでってなんとかえをしのいでいましたが、結局けっきょくみなよわってきたころてき総攻撃そうこうげきい、落城らくじょうしてしまいました。」

ゆきはくちはさみました。「どんなふう総攻撃そうこうげきされたの?」

狐子ここはしばらくかんがんでから、「あるおに姿すがたがまた敵陣営てきじんえいえました。てき大将たいしょう相談そうだんしていたようでした。そしてついに、おに敵軍てきぐん一緒いっしょしろ攻撃こうげきすることを了解りょうかいしたようでした。もなく、おにおおきないわ城郭じょうかくげつけて、こわはじめました。同時どうじに、敵兵てきへい一斉いっせい攻撃こうげき仕掛しかけてきました」

一方いっぽう城内じょうないでは、殿とのは、家来達けらいたち士気しき鼓舞こぶしながら外堀そとぼりまもらせていました。しかし、現実げんじつは、心中しんちゅうではもはやこれまでとひそかに覚悟かくごめていたのです」

殿との外堀そとぼりほうかうまえに、弟狐おとうとぎつねむすめこえをかけました。『殿との失礼しつれいいたします。秘密ひみつあながありました。ぜひ一緒いっしょにいらしてください』殿とのは、『わたしくことはできないが、母上ははうえ赤子あかご一緒いっしょ三人さんにんげてくれ』とこたえました。そこで弟狐おとうとぎつねむすめふかあたまげ、従姉いとこである城主じょうしゅ母親ははおやさがすためにりました」

そこで若殿わかとのくちはさみました。「弟狐おとうとぎつねむすめがそれほど丁寧ていねいしゃべることが出来できるとは、ちょっとしんじがたいな」とって、狐子ここかお訳知わけしがおつめました。

狐子ここかおはまたになりました。ゆきは若殿わかとのほうかおけました。「あなたは、どうしてそのようなことうのです?狐子ここちゃんがはなしているのだから、狐子ここちゃんのきなようにはなしてもかまわないでしょう?」と、また狐子ここほうきました。「それから、なにこったの?」

狐子ここはまたつづけました。「従姉いとこさが途中とちゅうで、弟狐おとうとぎつねむすめ秘かひそかこころせている殿との家来けらい出会であいました。そこで、『殿との命令めいれいしたがって殿との母上様ははうえさま姫様ひめさま一緒いっしょ秘密ひみつ出口でぐちからげるために、お二人ふたりさがしているのですがしてくださいませんか』とたのみました。家来けらいは、『そうしたいのだが、殿とのがまだここにのこるおつもりなら自分じふんだけげるということはできない。出口でぐちまでなら一緒いっしょけるが、そこからさきってあげられない』とこたえました。弟狐おとうとぎつねむすめはがっかりしましたが、仕方しかたのないことと納得なっとくしました。それから二人ふたり一緒いっしょ殿との家族かぞくさがしました。

もなく、従姉いとこである殿とのはは部屋へやきました。従姉いとこ孫娘まごむすめ一緒いしょにそこにいました。『殿とのわたしにお孫様まごさま三人さんにんげるようにおっしゃいました。おともいたしますのでおいそぎください』とはなしました」

城主じょうしゅははは、『息子がそううのならしたがったほういでしょう。荷物にもつをまとめるのですこってください』とこたえました。城主じょうしゅはは手荷物てにもつ自分じぶんにとって大切たいせつほん二冊入にさついれたあと孫娘まごむすめきました。そして、弟狐おとうとぎつねむすめ先導せんどうされてしろ地下ちかりてきました」

辿たどいたところには地下道ちかどう入口いりぐちがありました。そこまで同行どうぎょうしてきた殿との家来けらいは、『わたしもどらなければなりません。もうおにかかることはできないとおもいますが、どうぞお達者たっしゃで』といました。弟狐おとうとぎつねむすめは、『もうえないだろうなんてわないでください。またえるとしんじています』とこたえました」

「それからかれいくさもどり、のこった三人さんにん地下道ちかどうはいってきました」

「この地下道ちかどうじつ弟狐おとうとぎつねむすめつけたものではなく、彼女かのじょつくったものでした。籠城ろうじょうはじまったときから、毎夜秘密まいよひみつのうちにすこしずつすすめていたのです。前日ぜんじつよるに、努力どりょく甲斐かいあってそとつうじたのでした」

あななかをしばらくあるくと、弟狐おとうとぎつねむすめたちは地下道ちかどう出口でぐちきました。あたりを見回みまわすと、そこはしろかこ敵陣営てきじんえい背後はいごでした。しろほうると、分厚ぶあつ黒煙こくえんがもうもうとがっていました。しろはすでにちていたのです」

「『息子むすこよ、なぜこんなわかさでんでしまうの?おや子供こどもより長生ながいきすることになるなんて』と城主じょうしゅははくずれました」

弟狐おとうとぎつねむすめ従姉いとこかたささえて、いました。『殿とのになさったとはかぎりませんよ。いまはそれよりお孫様まごさまのことをかんがえてください』と」

雌狐めぎつねむすめなみだながしながらも孫娘まごむすめきしめてがりました。『ここにはもうわたしめる場所ばしょはありません。故郷こきょうもどりたい』とってしろけ、あるはじめました。弟狐おとうとぎつねむすめはそのうしろにいてあるき、まじないを使つかって二人ふたり足跡あしあとりました」

雌狐めぎつねむすめ故郷こきょういてみると、そこにはこわされたいえしかありませんでした。おにむら襲撃しゅうげきしたのだということはだれにもあきらかでした。『ここにもとどまることができないようね。わたしのかけがえのないおも場所ばしょ全部破壊ぜんぶはかいされてしまいました。一体いったいどこへけばいいのかしら』となげきながら従姉いとこはうなだれました。弟狐おとうとぎつねむすめは、『となりくににあるちいさなむらっています。そこならひそかにらすことができるでしょう。いかがでしょうか』といました。雌狐めぎつねむすめうなずいたので三人さんにんはそのむらほうかってあるきました」

「そのむらきつねさとにごくちかところにありました。弟狐おとうとぎつねむすめは、従姉いとこがあそこにいるなら、父上ちちうえは、めい見守みまもるという約束やくそくたせるだろうとおもいました。それで、ちかくのむら従姉いとこれてたのです」

従姉いとこがそのむらまいをつけたのをたしかめたあとで、弟狐おとうとぎつねむすめ自分じぶん住処すみかかえって、ちち籠城ろうじょう従姉いとことのたびのことをつたえました。それから弟狐おとうとぎつねむすめは、きなあのひと籠城ろうじょうのこったかどうか確認かくにんするために、あちこちできなそのもののことをたずまわりました。殿とのおにころされた数ヶ月後すうかげつごに、ようやくその家来けらいが、数人すうにん侍達さむらいたち援軍えんぐんていた隣国りんこく若殿達わかとのとも地下道ちかどうしろからげたということをりました。でもそれ以上にじょう消息しょうそく結局けっきょくつかめませんでした。そのあと弟狐おとうとぎつねむすめ人間にんげんのことをりたいとおもって、各地かくちたびするようになりました」

一方いっぽう弟狐おとうとぎつねめい見守みまもつづけました。雌狐めぎつねむすめ孫娘まごむすめそだて、読書どくしょ茶道さどうおしえました。そのむららして十数年じゅうすうねんというなが長年月ねんげつのうちに、弟狐おとうとぎつね見守みまもっていためい老婆ろうばとなり、やがてしずかに人生じんせいまくじました。すこったある身寄みよりのなくなった孫娘まごむすめはそのむらました。そしてしばらくして弟狐おとうとぎつねいました」

ゆきはこえしました。「え?もしかしてそのわたしなの?それで、狐子ここちゃんが弟狐おとうとぎつねむすめなの?」狐子ここがうなずいたあとで、「狐子ここちゃんやきつねどのはわたし血縁者けつえんしゃだったの?どうしてもっとはやくにおしえてくれなかったの?」といました。

狐子ここはこうこたえました。「伯母おばねがいだったの。ここをはなれているあいだ伯母おばわたしはよくはなったのよ。わたしがゆきちゃんと仲良なかよくなったから、伯母おばはやっとこのはなしをすることをゆるしてくれたの」

ゆきはまたきました。「きだったひとというのが家老かろうなのね!いまもまだおもっているのなら、数週間私達すうしゅうかんわたし一緒いっしょ国中くにじゅうたびしてまわったのはどうしてなの?」

狐子ここ溜息ためいきをつきました。「むかしから人間自体にんげんじたい興味きょうみがあったし、あのひとわたしのことをおぼえているかどうかさえからないでしょう。それに、ずっとっていなかったから、ちょっとずかしかったの。でも、れいのお見合みあ相手あいて間抜まぬけな雄狐おすきつねたちにわされてから、かれのことがあたまからはなれなくなって…かれともう一度いちどはなしてみたいとおもうようになったの」

ゆきが悪戯いたずらっぽくわらいました。「今晩こんばんはどう?」

若殿わかどのこえげました。「うん。いいかんがえだ」とうと、女将おかみほうました。「家老かろうのところにって、ここにるようにつたえなさい。狐子ここかくれて待っていなさい」とめいじました。

女将おかみふか黙礼もくれいをして、りました。一方いっぽう狐子ここねこ姿すがたけ、たなうえりました。

第五十五章だいごじゅうごしょう

家老かろうはなし

しばらくして女将おかみ家老かろう一緒いっしょもどってきました。家老かろうは、「殿とのわたしをおびとうかがいましたが」といながらあたまげました。

若殿わかとのなかはいるように手招てまねきしました。「ここになさい。きたいことがあるのだ」といながら狐子ここがさっきまですわっていた場所ばしょゆびさしました。

ゆきはいかけました。「どのようにして父上ちちうえ出会であい、父上ちちうえのもとでどのようなことをしていたのかはなしてくれませんか。また、どういう経緯けいい他国たこく城代じょうだいとなったのかはなしてください」

家老かろうふかあたまげ、そして指示しじされた場所ばしょこしろしました。「わたくしちちは、おさなころよりゆきさまのおまれになったくに殿とのつかえておりました。殿とののお孫様まごさまわたしはあまりわらない年頃としごろでしたので、この若君わかぎみをおかけする機会きかいが、わたしには度々たびたびございました。時折ときおり若君わかぎみ城内じょうないにいるおな年頃としごろ子供達こどもたちって、こっそりとしろされてはそとあそんでいらっしゃいました。そして次第しだいに、若君わかぎみとおはなしできるようになったのでございます」

武術ぶじゅつ稽古けいこあいだ若君わかぎみはいつも子供達こどもたちなかでは、一番いちばん剣士けんしでございました。そしてほか方々かたがた同様どうよう、このわたし若君わかぎみにおつかえしたいとのぞんでおりました」

わたしにできることとえば武術ぶじゅつなどではなく書類しょるい仕事しごとなどでございました。なので、もなくしろなか殿との命令めいれい殿とのへの報告ほうこくうつしたりするようになりました」

若君わかぎみ立派りっぱ若者わかものになられ、すぐに隣国りんこくひめとご結婚けっこんなさいました。しばらくして、二人ふたりあいだひめがおまれになりました。若君わかぎみに、『どのような名前なまえ家系図かけいずまれますか』とおたずねしたところ、『ゆき』とご返事へんじなさいました」

「そのころ政局せいきょくむずかしい局面きょくめんにさしかかっていました。さむらい大名だいみょう大名だいみょう大名だいみょう大名だいみょう将軍しょうぐん、これらの関係かんけい緊張きんちょう度合どあいしていき、ついには破局はきょくむかえることになったのです。それはまるで山火事やまかじからへとうつっていくようないきおいでした。妖怪ようかいさむらいをけしかけているといううわさひろまるのと同時どうじに、さむらい攻撃こうげきされ、ほろぼされる大名だいみょうえていきました」

おなじように、ゆきさま故国ここくもまた、賊軍そくぐん攻撃こうげきされたのです。自分じぶんちからほこり、それを過信かしんしていた殿とのは、若殿わかとのしろのこるようにご説得せっとくされたにもかかわらず、忠臣ちゅうしんあつめ、その賊軍そくぐんはらうためにしろからご出陣しゅつじんされました。しかし、その途中とちゅうせまたになかむかせにわれたのです。たいなかほどにいらっしゃった殿とのんでくるいわたりいのちとされ、先陣せんじんにいらっしゃった若殿わかとのもおきのもの共々ともども敵軍てきぐん素早すばやかこまれ、になさいました。後詰ごづめでいらっしゃった若君わかぎみ敗走はいそうしていたへいたちをふたたあつめ、やっとのことでしろ退いていらっしゃいました」

あらたに殿とのになった若君わかぎみしろかえってくるやいなや、しろまもるための準備じゅんびはじめました。近隣諸国きんりんしょこく援軍えんぐん手紙てがみくようにともわたしめいじられました」

「しかしそれらの手紙てがみ返事へんとうまえに、敵軍てきぐんしろそとあらわれ、包囲ほういはじまったのです」

「そのころわたし城内じょうないのあちらこちらで手伝てつだっている赤毛あかげのお嬢様じょうさま存在そんざい気付きづきました。少年しょうねんころから、そのお嬢様じょうさま時折ときおり殿とののお母上ははうえもと訪問ほうもんにいらっしゃっていて、何度なんどかおにかかったこともございました。しろ包囲ほういされてしまっては訪問ほうもんされることもあるまいとおもっておりましたが、そのあと城内じょうないいたところでお見受みうけするようになり、意識いしきするようになりました。たちまち彼女かのじょわたしこころとりこにしてしまったのでございます」

時折ときおり敵営てきえいなか巨大きょだいおにえました。いわげて殿とののお祖父様じいさまころしたのは、そのようなおにだったそうでございます」

すこしすると、近隣諸国きんりんしょこくから数人すうにん若殿わかとの秘密裏ひみつりしろはいってこられました。そのなかにはとなりくに若殿様わかとのさま、つまり殿とののお父上様ちちうえさまがいらっしゃったのです。これは可能かのうかぎりの援軍えんぐんであるという若殿わかとの父君ちちぎみたちからの返答へんとうたずさえていらっしゃいました」

数ヶ月すうかげつぎたあと、そのおにがまた敵営ときえいえたときに、殿とのへいあつめ、『外郭がいかくまもれ』と命令めいれいしました。敵軍てきぐん総攻撃そうこうげきはじめたようでしたので、勘定方かんじょうかたわたし武器ぶきたたか覚悟かくごでやってまいりました。その途中とちゅうわたしこころとらえたお嬢様じょうさまにおいしました。嬢様じょうさまわたしにこう懇願こんがんされました。『殿とのからのめいで、殿との家族かぞくがしてげねばなりません。おをおしくださいませんか』」

わたしは『手助てたすけいたしますが、最後さいごまで殿とののおそばでおつかえするのが家臣かしんつとめでございます。皆様みなさまだけでおげくださいませ』、ともうしました。それからお嬢様じょうさま一緒いっしょ殿とののお母上ははうえ部屋へやまいりました」

殿とののお母上ははうえおさな姫様ひめさまは、お嬢様じょうさまれられ、しろ地下ちかりてきました。辿たどくと、すぐに地下道ちかどう入口いりぐちがありました。子供こどもころわたしはそこでよくあそんだものでしたが、そんな入口いりぐちがあることはりませんでした。一体いったいどうやって、だれが、いつ、その地下道ちかどうつくったのかは想像そうぞうできませんでした」

「お嬢様達じょうさまたちわかれたあとに、武器ぶきりにこうとすると、すぐに数人すうにんきずついたへい加勢かせいのために隣国りんこく若殿わかとのたちに出会であいました。すでに城壁じょうへき破壊はかいされ、殿とのになされたとのことでございました。そとると、すべてが混乱こんらんしていました。もう一度いちど殿との本当ほんとうにおくなりになられたのか』と隣国りんこく若殿達わかとのたちにおたずねすると、そのうちのお一人ひとりがご確認かくにんになられたとのことでした」

「そこで、隣国りんこく若殿わかとのたちをお嬢様じょうさまたちがはいっていった地下道ちかどうにご案内あんないしました。地下道ちかどうあとで、お嬢様達じょうさまたち足跡あしあとなどさがそうといたしましたが、それらしきあとなにもございませんでした」

若殿達わかとの自分じぶんくにもどときのこったへい一緒いっしょれてきました。わたしにもそうするようにすすめてくださいましたが、そのときにはお嬢様達じょうさまたち行方ゆくえしかわたしあたまにありませんでした」

そらくらくなるまで一人ひとりでそのあたりを調しらべました。つぎあさ殿とののお母上ははうえ故郷こきょうおもしたので、そこへもってみました。しかし、そこにも、だれもいませんでした。それから浪人ろうにんとなり、あちらこちらをめぐあるき、赤毛あかげのおじょうさんをかけなかったかと誰彼たれかれかまわずたずねました。時折ときおり、そのようなおじょうさんの姿すがたたというこたえがかえってきましたが、もうったで、どこにったのかはからないとわれるばかりでした」

二年にねんほどそのようなことつづきました。ようやく、籠城ろうじょうときにおいした隣国りんこく若殿わかとの一人ひとりが、殿様とのさまになったというはなしきましたので、そのかたくにって、つかはじめ、あのお嬢様じょうさまのことをわすれようとしました。そうして、ゆきさまがここにもどってくるまで、あちらにつかつづけたのでございます」

ゆきがくちはさみました。「ほかおんなのことがすききになったでしょうね」

家老かろうは、「いいえ。さがすのをめはしましたが、わたしこころはまだあのお嬢様じょうさまのことをおもつづけています」と、くびよこりました。

若殿わかとのいました。「して、その名前なんという?」

「はは、ココともうします」と家老かろうかしこまってえました。すると、狐子ここがいきなりたなからり、当時とうじ姿すがたけるやいなや、さっと家老かろう背後はいごあゆり、「あのとき、またおいしましょうともうげたのは、このわたしではなかったですか」といました。

さすがに愚鈍ぐどん家老かろう狐子ここからとおざけるように、あわ退き、「いっ、一体いったいいつのに!?」そして、なおもふるえる狐子ここほおおそおそさわれながら「あっ、あなたはなにわっていません。ほっ、本物ほんものですか。…きつねかされているのではあるまいな」と。放心ほうしんからだうめくようにつぶやきました。

狐子ここさわったような表情ひょうじょうで、「どうしてそのような質問しつもんをするのですか。きつねきじゃないのですか」とたずねました。

家老かろうは、「べっ、べつに…。あなたがきつねきとうのなら、わたしきつね大好だいすきです」と、困惑こんわくいろかべながら、やっとのことでこたえました。

狐子ここはくすくすとわらいながら「わたし本当ほんとうきつねだったら、いかがですか」ときました。

家老かろうくびりました。「それはありえません。ココはどこからても人間にんげんでしたよ。あのおじょうさんがきつねだったとはおもえません」

狐子ここかみふでって、漢字かんじ二字にじきました。漢字かんじゆびさしながら、こういました。「これはわたし名前なまえです。きつねいて、狐子ここもうします」

家老かろうくびりました。「あなたは人間にんげんです。それほどにうつくしいおじょうさんが動物どうぶつだということはありえません」

「でも本当ほんとうきつねなのです。自然しぜん姿すがたをおにかけます」とうと、きつね姿すがたけ、三本さんぼん尻尾しっぽこしうえりました。「ほか姿すがたにもなれます」と、ねこねずみ十一じゅういち二歳にさいおとこ姿すがたけてみせ、そして人間にんげんむすめ姿すがたもどりました。「でも、これがむかしからの普通ふつう姿すがたです。従姉いとこたずねるために、この姿すがたける方法ほうほうならいました」

家老かろうはぼんやりと狐子ここ見返みかえしました。「い…とこ?」とだけいました。

「はい。ゆきちゃんのお祖母ばあさんはちちあねむすめでした」と狐子ここ説明せつめいしました。

家老かろうはこめかみを両手りょうてさすりました。「ゆきゆきのお祖母様ばあさま雌狐めすぎつねむすめだったとうのですか。それはありえません。ゆきさまのお祖母様ばあさま武家ぶけのご出身しゅっしんです。どこから拝見はいけんいたしましてもきつねきつねではなく人間にんげんでした」

「ゆきちゃんのお祖母様ばあさま従姉いとこでしたのよ。人間にんげん人間にんげんでも、きつね血筋ちすじいた人間にんげんでした。父親ちちおや人間にんげんさむらいでしたが、母親ははおや人間にんげん姿すがたけた雌狐めすぎつねでした。きつねほかもの姿すがたけて子供こどもむと、そのもの子供こどもになるのです。雌狐めすぎつね身籠みごもりのあいだは、姿すがたえることができません」と狐子ここいました。「だから、ゆきちゃんのお祖母様ばあさまきつねではなく人間にんげんなのです」

家老かろうはふらふらとがりました。「色々いろいろなことをかんがえなくてはいけません」と狐子ここうと、若殿わかとのほうきました。「そろそろ失礼しつれいいたします。お邪魔じゃまいたしました」と、うなだれながら、そのあとにしました。

狐子ここはただ家老かろうったあとをきょとんとつめていました。

「かわいそう」とゆきはつぶやくと、狐子こここえをかけました。「元気げんきして!」

狐子ここはただ「はい」とだけ、ちからなくこたえました。そして、自分じぶん姿すがたもどり、すみちぢこまり、はな尻尾しっぽおおってじました。

第五十六章だいごじゅうろくしょう

さびしげな二人ふたり

つぎ狐子ここ家老かろうおうとすると、かれは「いろいろと思案しあんしなければならないことがございますゆえ、いまはなせないのです」としかこたえずに、狐子ここけてしまいました。

狐子ここはゆきのところにきました。「家老かろうさんがわたしいたがらないの。どうしよう?」ときました。

ゆきは「からないわ。どうしたらいいのかしら」とうと、女将おかみはそれとなく、「あのおかた、どうして狐子ここさまのことがきになったのでしょうねえ」と一言ひとことくちしました。

「あ!かった」と狐子ここって、いそいで部屋へやきました。

それから狐子ここしろのあちこちにって、こまっているものがいれば、だれにでも親切しんせつにしました。とくに、いている子供こどもがいると、すぐに狐子ここはそのりました。そのがおるうちに笑顔えがおになりました。

しばらくするとしろなか狐子ここはなしがよくささやかれるようになりました。

狐子ここというひとってる?」

赤毛あかげ?うん。昨日さくじつ、うちのころんで、ひざいちゃったら、あのむすめがさっとんできてがらせたの。わたし息子むすこそばったときには、もうニコニコわらってたわ。ひざぬぐると、もうきず跡形あとかたもなかったのよ」

「うちの亭主ていしゅ殿様とのさま一緒いっしょたびをしていたんだけれど、その途中とちゅう、あの妖怪ようかいけて、おにたたかったとっていたわ。そんなあやしいもの子供こどもちかづけるのはいかがなものかしら?」

「へえ?わたし妖怪ようかいではなくて、きつねけたといたわ。きつね妖怪ようかいじゃなくて、神様かみさま使者ししゃよね」

「ねえ、あの赤毛あかげはなしをしてるの?わたしたわよ。このごろ、あのむすめにわにぽつんとすわって、おしろほうては溜息ためいきをついたりしていたのよ」

「そう!そうえば、わたし息子むすこれて一緒いっしょかえ途中とちゅうで、あのむすめ溜息ためいきいたことがあるわ」

狐子ここ家老かろう再会さいかいして数週間すうしゅうかんあと若殿わかとのはゆきとはなしました。「どうやら、最近さいきん家老かろう政務せいむ集中しゅうちゅうできなくなっているらしい」

ゆきはうなずきました。「そのようでございますね。評定ひょうてい最中さなか溜息ためいきをついたりぼんやりとかべながめたりしてこころここにあらずというかんじがいたします。これまでは、おな質問しつもん度々たびたびかえ必要ひつようなどございませんでしたのに、近頃ちかごろは、三度さんどたずねても返答へんとうがない場合ばあいめずらしくなくなってまいりました」

「どうやら、狐子ここいたくないようでいて、じついたいらしいのだ。二人ふたりをなんとかもう一度いちどわせてみるのがいのではなかろうか」と若殿わかとのはゆきのかおつめていました。

「かしこまりました。今宵こよいのお茶席ちゃせきには狐子ここちゃんと家老かろうまねきましょう」とうと、ゆきは女将おかみにそのむねつたえました。

第五十七章だいごじゅうななしょう

茶室ちゃしつにて

家老かろうがゆきの部屋へやふすまけると、狐子ここすわっていました。「すみません。部屋へや間違まちがえたようです」と、家老かろうい、そのままろうとすると、ゆきは家老かろうたもとつかみ、「間違まちがいではありません」とって、ずかしさでかおにしている狐子こことなりすわらせました。

ゆきはおちゃえると、「あっ!わすれていたことがあります。ちょっとっていてください」とって、廊下ろうかました。そして、そのまま襖越ふすまごしにこっそりとみみてました。

部屋へやのこされた二人ふたりは、居心地いごこちわるそうにしていました。時々ときどきたがいに相手あいてほうをちらちらとましたが、うと、すぐさまあわててらしました。

しばらくして、二人ふたり同時どうじに「ごめんなさい」といました。

家老かろう狐子ここはやっと目線めせんいました。「あやまらないでください!すべてはわたしのせいです。あなたのことをおもつづけてきたというのに」とつよいました。

狐子ここ家老かろうつめながらりました。「そんなことおっしゃらないでください!あなたのせいではありません。もっとはやく、本当ほんとうのことを正直しょうじきもうげていたなら…」とこたえました。

二人ふたりはただだまってってたがいのつめていました。ほんのわずかなあいだのことでしたが、二人ふたりにとっては、数時間すうじかんのようにもかんじられたのでした。ふいに、ふすまきました。ゆきがお菓子かしってもどってきました。「おたせしてしまいましたね」と、ほおあかめた二人ふたりいました。

それから二人ふたりはおたがいをさがもとめていたときのことについてはにしました。いつ、どこで、どのようにがかりをつけ、さがそうとしたのかなど、かたいました。

「あるむらで、赤毛あかげむすめたずねてなかったか、と老婆ろうば出会であったことがありました。その老婆ろあばは、『そのむすめだれかをさがしにたようだったけれど、数日前すうじつまえ出会であったきりで、どこへったのかはからない』、といました。その老婆ろうばのことをおぼえていますか?」

「ええ、おぼえています。そのおばあさんの息子むすこしろ籠城ろうじょうしていて、かれ自分じぶん故郷こきょうかえったといううわさいたので、その息子むすこというのはあなたかもしれないとおねたずねてったのですが、人違ひとちがいでした。かれ落城らくじょう以来いらい、あなたをてはいないといました」

そのような会話かいわよるおそくまでつづきました。だいぶよるけてから、ようやく、二人ふたり笑顔えがおでそれぞれの自室じしつがりました。

第五十八章だいごじゅうはっしょう

琵琶法師びわほうし到着とうちゃく

それから家老かろう狐子ここ二人ふたりでいることがおおくなりました。一緒いっしょ仲睦なかむつまじくにわあるいたりとも食事しょくじをしたりしました。二人ふたりはゆきの茶席ちゃせき常連じょうれんになりました。時折ときおり若殿わかとのがその茶席ちゃせき相客あいきゃくになることもありました。

しばらくすると、気温きおんはじめ、ゆきはじめました。ふゆおとずれたのです。

そんなとき小姓こしょうがゆきのところにいました。「ゆきさま琵琶法師びわほうしだとなのものがやってきて、ゆきさまにお目通めどおりをねがております。ゆきさまのおうわさみみにし、おしえをけるためにいそまいったとのことでございます。いかがいたしましょうか?」

ゆきはうなずきました。「かりました。では、そのものいましょう」とゆきがこたえると、小姓こしょう会釈えしゃくをして、りました。ゆきは茶席ちゃせき準備じゅんびはじめながら、「女将おかみさん、殿との狐子ここちゃんをさがして、こちらにおでくださるようにつたえてください」とこえをかけました。

家老かろうはいかがなさいますか」と女将おかみきました。

家老かろう招待しょうたいしてください」ゆきそうがうと、女将おかみ一礼いちれいし、りました。

しばらくすると、小姓こしょう琵琶びわおおきな荷物ほんったおとこれてきました。おとこふかあたまげ、「はじめまして、ゆきさまわたしはゆきさまについて興味深きょうみぶかいおうわさみみにしたので、それをたしかめたくやってまいりました。ゆきさま読書どくしょがおきだとうかがいましたので、このほん持参じさんいたしました。どうぞおおさめください」

ゆきはおちゃてると、法師ほうしかっていました。「おちゃをどうぞ。それはいったいどのようなほんですか」

琵琶法師びわほうしほんをゆきのまえいていました。「日本にほん歴史書れきししょ小説しょうせつそして和歌集わかしゅうでございます」と、興味深きょうみぶかげに一口ひとくちちゃくちふくみました。「素晴すばらしい!きょうでも美味おいしいおちゃ数多かずおおくいただきました。それにもかかわらず、わたしはゆきさまのお点前てまえせられてしまいました」

ゆきはほおめて、「わたしはお祖母様ばあさまからおしえられたことを忠実ちゅうじつまもっているだけです」といました。

「ゆきさまのお祖母ばあさまのお点前てまえ素晴すばらしさはこくじゅう有名ゆうめいでございました。もうすぐゆきさまもお祖母様ばあさまをしのぐようになられましょう」と琵琶法師びわほうしこたえました。

失礼しつれいですが、琵琶法師びわほうしであるならば、あなたのらしがゆたかであるとはおもえません。そのようなかたから、このような高価こうかおくものをいただくわけにはまいりません」

「それでは、このほんをおゆずりするわりに、このふゆあいだこちらに居候いそうろうさせていただき、ゆきさまのことをまなばせていただくというのはどうでしょうか?」と琵琶法師びわほうし提案ていあんしました。

ゆきの微笑ほほえみました。「それはいいかんがえですね。もちろん承知しょうちいたしました。それならば、このほんをいただくわりにあなたがはるになるまでここでごすことができるようにはからいましょう。しかしわたし一存いちぞんではめかねますので、殿とののおゆるしをいただかなければなりません」とうと、またちゃてて、琵琶法師びわほうしいました。

ちょうどそのとき家老かろう狐子ここ一緒いっしょ部屋へやはいってきました。「この琵琶法師びわほうしわたしのことをよくりたいとおっしゃってこちらにいらっしゃったのです。琵琶法師びわほうしさん、こちらはこのしろ家老かろうわたし親戚しんせき狐子ここちゃんです。殿とののおゆるしがれば、琵琶法師びわほうしさんはふゆあいだこちらに滞在たいざいすることになります。わたしおさなころのことについては、二人ふたりほうわたしよりくわしくじゅくちっています」とゆきがうと、琵琶法師びわほうしまゆをひそめました。「親戚しんせきとおっしゃいましたか。ゆきさま赤毛あかげのお嬢様じょうさまなかがよろしいというはなしみみにいたしましたが、そのものがゆきさま親戚しんせきというはなしいたことはございません。ゆきさまにはご存命ぞんめい肉親にくしんかたはいないとうかがっております。それに、狐子ここさまはゆきさまおなじお年頃としごろとお見受みうけしますが…。どうしてゆきざまおさなころのことをご存知ぞんじなのでございますか」とわると狐子ここほう会釈えしゃくしました。

しかし、狐子ここしずかにったままで、琵琶法師びわほうしほうつめました。彼女かのじょかお一瞬いっしゅんあおざめてから、いたようにになりました。ついに、うでげて琵琶法師びわほうし指差ゆびさしました。「雄狐おぎつねめ!なんでここにたの?ちちわたし尻尾しっぽにおいをがせるためにおくったの?人間にんげん姿すがたをしているくせに、においをすのをわすれているよ!」

狐子ここがそう乱暴らんぼうはなつと、みな彼女かのじょつめました。それからすこあいだがあり、琵琶法師びわほうしこえしました。「それは誤解ごかいでございます。わたし本当ほんとうに、狐子ここさまのお父上ちちうえぞんじません。家族かぞく妖怪ようかいころされたあとで、十五じゅうごねんほどこの姿すがたをしてひとりで人間にんげん世界せかいながあるいておりました。ですが、ゆきさまきつねなんらかの関係かんけいがあることをみみにしたので、こちらにかおうとめました」

琵琶法師びわほうしがそううと、狐子ここずかしそうにうこかおあからめて、くちおおいました。それから何回なんかいふか会釈えしゃくをしました。「ごめんなさいごめんなさい本当ほんとうにごめんなさい!ちちわたしかんがえを無視むしして、きつね結婚けっこんするようにしつこくはじめましたので、それでてっきり…、もうわけありません!」とってふすまかってはしそうとしたそのとき若殿わかとのがちょうどそこにってました。「おいおい、どうしたんだ?廊下ろうかおくからでも狐子ここ大声おおごえがはっきりこえたぞ」といました。

若殿わかとの状況じょうきょう説明せつめいしているうちに狐子ここきをもどしました。若殿わかとのみをかべながら、「やれやれ、もう一匹いっぴききつねがここにむことになりそうだな。いっそこのしろ狐城こじょうんだほうがいいかな」とうと、琵琶法師びわほうしほうきました。「琵琶びわくというのだな。そなたの逗留とうりゅう許可きょかするまえに、手並てなみを披露ひろうせよ」とめいじ ました。

琵琶法師びわほうしふかくお辞儀じぎをし、琵琶びわり、うたはじめました。ふるうたあたらしいうた有名ゆうめいうたらないうた色恋いろこいいくさについてのうたまで、色々いろいろうたいました。そのあいだ部屋へやそと廊下ろうかには、次第しだいひとあつまり、みなみみかたむけていました。かれうたをやめると、だまっていていた聴衆ちょうしゅうみなぱちぱちとたたはじめました。

れんばかりの拍手はくしゅがようやくおさまると、若殿わかとのこえしました。「居候いそうろうとしてこのしろ滞在たいざいするのではなく、しろつかえてみないか。ここにいるあいだは、俸給ほうきゅうあたえる。それほど見事みごと腕前うでまえであれば、どのくにあるじもそなたをかかえたいとおもうであろうな。どうしてまだわたあるいている?場所ばしょさがしているのか?」

琵琶法師びわほうしいきをつきました。「じつは、きつね世界せかいもどりたいのに、どこの部族ぶぞく自分じぶんのようなどこのだれともれぬきつねいてはくれないのでございます。それに、ねこいぬなどもわたしのことがきではなく、また人間にんげんわたしちかくにるとかならずそわそわしてろうとします。狐子ここさまとおり、においの問題もんだいでございましょう。どうか狐子ここさまにおいをえる方法ほうほうおしえてくださいませんか?」とうと、狐子ここは「もちろん」とって、琵琶法師びわほうしって部屋へやすみってきました。そこで二人ふたりすわったまましずかなこえはないました。一方いっぽう家老かろう二人ふたりほうつめました。

「おい、家老かろう、どうした?なにになることがあるのか?」こえをかけたのは若殿わかとのでした。

「そうですね、殿との、ただ…むねさったようなかんじがしました。あのもの見事みごと琵琶びわですし、なんといっても狐子ここさんとおなきつねでございます。…いったいどうやってきそえばいのかとかんがえております。それに、二十数にじゅうすうねんのちには、わたしんでいるでしょうが、二人ふたりはまだわかいにちがいありません」

若殿わかとの家老かろうかたたたきました。「あんずるな!琵琶法師びわほうしというのは普通ふつう女性じょせいには興味きょうみなどたないからな。おまえ性格せいかくがいいから、彼女かのじょはおまえのことをったのだろう。それに、そなたは彼女かのじょひとたすけるのがきなところにかれたのではないのか?今回こんかいもそういうことの延長えんちょうだろう。あんずる必要ひつようはない」とってりました。

それでも、家老かろうは「だが、心配しんぱいだ。わたしかれねたんでいる。どうにかしてそのかんがえをこころからそうとしても、できるものではない」とつぶやきました。

家老かろうさん、おちゃをどうぞ」とゆきは家老かろうひと思案しあん割込わりこみました。

「あっ、ありがとうございます」と家老かろうって、ようやく視線しせんすみにいる狐子達ここたちからはなすことができました。

第五十九章だいごじゅうきゅうしょう

ふゆ活動かつどう

それから毎晩まいばん琵琶法師びわほうしはゆきの茶席ちゃせきうたいました。以前いぜんにもして、ゆきの茶席ちゃせき人気にんきとなりました。茶室ちゃしつそと琵琶法師びわほうしうたこうとむらがって招待しょうたいにあぶれたものたちであふかえるようになりました。

しかし、若殿わかとのはそのような光景こうけいこのましくおもいませんでした。「廊下ろうかわたるためのものだ。おまえ茶席ちゃせき食堂しょくどううつしたほうがいいだろう」とゆきにいました。

そこで、その茶席ちゃせきしろ食堂しょくどうもよおされるようになりました。夕飯ゆうげんだあと、ゆきはそのばんきゃく高座こうざんで、お点前てまえ披露ひろうしました。一方いっぽう琵琶法師びわほうし琵琶びわいてうたはじめました。時々ときどきせきって、うたいながら食堂しょくどうわたあるきました。

琵琶法師びわほうしは、日中にっちゅうはゆきや狐子達ここたちい、ゆきについて質問しつもんをし、相手あいて返答へんとうかみきとめました。その質問しつもんわると、たいてい自分じぶん部屋へやもどり、そのはなしについてかんがえてみたり、以前いぜんきろくくらべてみたり、つぎ質問しつもんかんがえたりしました。ただ、はな相手あいて狐子ここ場合ばあいは、時々ときどき 一緒いっしょにしばらくのこり、狐子ここ家族かぞくはなしをしましたが、そのことはめませんでした。しばらくすると、琵琶法師びわほうし狐子ここは、おたが相手あいてらないまじないを使つかえるとって、おしいました。

琵琶法師びわほうし何度なんど家老かろうってくれるようにたのみましたが、家老かろうはいつもうことをこばみました。家老かろう茶席ちゃせきけていましたが、狐子ここたのむと、しぶしぶ参加さんかしました。

琵琶法師びわほうし腕前うでまえうわさいて、茶席ちゃせき招待しょうたいしてほしいという請願書せいがんしょ町人達まちびとたちえていきました。請願書せいがんしょかず若殿わかとのは、「そんな大勢おおぜい食堂しょくどうれるのは無理むりだろう。でも、ある程度ていど人数ひとかずをしぼることができるのなら招待しょうたいしてもかろう」と、められた人数にんずうもの招待しょうたいすることをゆるしました。それ以来いらい毎日まいにち請願書せいがんしょいたものなかから、められた人数にんずうだけ抽選ちゅうせんえらばれて招待しょうたいされるようになりました。招待客しょうたいきゃくとしてえらばれたものは、ゆきもろうとつめたいかぜこうと、かならずゆきの茶会ちゃかいあらわれるのでした。

第六十章だいろくじっしょう

きつね到着とうちゃく

ある狐子ここ茶席ちゃせきあと大広間おおひろまようとすると、彼女かのじょまえ一匹いっびききつねがいました。狐子ここ一瞬いっしゅん呆然ぼうぜんとしてきつねつめてから、「とうさん!どうしてここにいるの?」ときました。

「おまえ決心けっしんをずっとっていたのだ。狐子ここや、どのきつね結婚けっこんするのだ?」ときつねうと、狐子ここは「ええと、じつは…」といよどみました。そして、狐子ここよこ家老かろうあらわれました。「狐様きつねさま、はじめまして。むかしからお嬢様じょうさまのことをおしたいしておりました。狐子様ここさま結婚けっこんさせていただければ、大変たいへんうれしいのですが」とふかあたまげながらいました。

きつねくびよこかたむけました。「人間にんげんなのだな?やはり、このは、いつも人間にんげんばかりに関心かんしんいている」とつぶやいたとき狐子ここかいがわ琵琶法師びわほうしあらわれました。「あなたさま狐子様ここさまのお父上ちちうえなのでございますか?お嬢様じょうさま本当ほんとう気立きだてのかたでございますね」とふかあたまあたまげました。

家老かろう狐子ここ頭越あたまごしに琵琶法師びわほうしにらみつけましたが、琵琶法師びわほうしがつかないようでした。狐子こここまったかおをして左右さゆうました。

「やれやれ、もう一人ひとり人間にんげんか?いや、人間にんげんじゃないな。きつねまじないのあとかんじる」とつぶやいてから、三人さんにんかっていました。「三人さんにんとも、ひとごみからはなれよう」とって、りながら大広間おおひろまはいって、三人さんにん高座こうざほうれていきました。

大広間おおひろまようとしていたものたちがそれにづき、まって呆然ぼうぜんきつねたちをつめました。そのうちにこのような会話かいわこえました。

きつねが!」

妖怪ようかいが!」

馬鹿ばかきつね妖怪ようかいじゃない!殿様とのさま味方みかたにも、妖怪ようかいたいしてたたかきつねがいるではないか!」

「なるほど」

ゆきと若殿わかとのはまだ高座こうざにいました。ゆきはきつねると、「きつねどの─いや、狐叔父上きつねおじうえひさしぶりですね。どうしてこんな天気てんきわるときようとめたのですか」とって、おちゃてて、きつね振舞ふるまいました。

きつねはおちゃみながら狐子ここほうました。「このはあのはなしをしましたか?」

狐子ここ父親ちちおやました。「わたしはもう子供こどもじゃないのよ!」とってから、かおにして、せました。「とにかく、伯母上おばうえゆるしてくれた」とつぶやきました。

きつねくびよこかたむけました。「そうか?なるほど。おそらくあねはようやくけたのだな。あねったほうがいいだろう」とうと、家老かろうほうました。「あなたはこのくに家老かろうなのですね。むかしからむすめのことがきだとっていたほうですね。狐子ここ出会であったきっかけをうかがうかがってもいいですか?」とたずねました。

少年しょうねんころ、まだしろ廊下ろうかあるいているときでございました。そのころ時折ときおり父上ちちうえおもわれる男性だんせい一緒いっしょしろている赤毛あかげおんながいたことが気付きづきました。そのおたずねのことですが、なぜかゆるんだゆかいたわたしつまずいてころんでしまってとき、あの赤毛あかげむすめがることを手伝てつだってくれいました。でも、籠城ろうじょうしているときまで、赤毛あかげむすめのおたずねはみじこうございましたし、つぎのおたずねまで数ヶ月すうかげつがかかりましたので、したしくなる機会きかいはあまりございませんでした。そのころ狐子様ここさまはいつも他人たにんたすけようとしているようでしたので、好意こういったのでございます。落城らくじょうさいわたし狐子様ここさまとははなればなれになってしまって、ゆきさまかえってくるまでおいすることができませんでした」

家老かろうがそうったとききつね人間にんげん姿すがたけました。そして、「その赤毛あかげおんな一緒いっしょにいたおとこというのは、このようでしたか」といました。

家老かろうまゆひねりました。「そうですね。十五年じゅうごねん以上いじょうまえのことなので、よくおぼえていませんが…多分たぶん、そうだとおもいます」

まだ大広間おおひろまのこっていた人々ひとびとは、それをてこうささやきました。

「あれをた?」

た、た!きつね人間にんげんけた!」

狐子様ここさまきつねけたといううわさいたが、このるまでしんじられなかったよ!」

それをくと、若殿わかとのは、「ここは人目ひとめおおいので、わたし部屋へやきましょう」とうと、きつねたちをれて大広間おおひろまからきました。

第六十一章だいろくじゅういっしょう

琵琶法師びわほうしはなし

部屋へやはいってから、若殿わかとのこえげました。「きつねどの、狐子ここさんはいつでもここにいるのに、どうしてこのような吹雪ふぶきばんまでったのですか」

わたしどもきつねにとって、きたい場所ばしょがあれば、悪天候あくてんこうなど問題もんだいにはならぬのです。この決心けっしんっているのはわたしだけではありません。むすめ紹介しょうかいしたきつねたちや、その者達ものたち族長達ぞくちょうたちっているのです。『狐子ここはいつ、だれ結婚けっこんするか』としつこくたずねるまわりのこえけて、むすめおもいをたずねようとやってきたのです」とうときつねは、狐子ここほうました。「おまえだれこころめた相手あいてでもいるのか?」

狐子ここ溜息ためいきをつきました。「まだからない」と彼女かのじょうと、家老かろうかおせました。「でも、あんな、人間にんげん興味きょうみがない狐達きつねたちなんかと結婚けっこんしたくない」

きつねうなずきました。「なるほど。ではこちらの、おまえ結婚けっこんしたいとうこの人間にんげんのことはどうなのだ?」

狐子ここ家老かろうほうました。「そうね。このかた結婚けっこんしたいとおもっていましたが、伯母上おばうえのことをおもすと、すこ不安ふあんになってしまいます」狐子ここ琵琶法師びわほうしほうかえりました。「この琵琶法師びわほうし人間にんげんのことをよくっているでしょうけど…そんな天涯孤独てんがいこどくきつねなんかと結婚けっこんしたいかどうかまよってしまうし…」

家老かろうかたとしました。「わたし何年なんねんやめて、ようやくかなうとおもったのに、すべてはまぼろしだったのか。二年にねんさがまわって、そのあと十数年じゅうすうねんちにった相手あいてにやっと再会さいかいできたとおもったら、よりによって彼女かのじょ不安ふあんにさせることになってしまったとは。あきらめたほうがいいようですね」と家老かろうって、ろうとすると、狐子ここかれつかんでめました。狐子ここは「ごめんなさい!そんなつもりじゃなかったんです」といました。そして家老かろうすみれてくと、二人ふたりこえひそめてはなしました。

きつねはその光景こうけいると、「むすめめられないとったがこころなかでは、どうしたいかがまっているようだな」とつぶやきました。琵琶法師びわほうしほうかい、「いつも人間にんげん姿すがたをしているきつねめずらしい。むすめがそういうことをするのは伯母おば影響えいきょうだよ。おまえは、どうして人間にんげん姿すがたをして人里にんざとつづけているのだ?」とたずねねました。

わたしのぞんでこのような姿すがたをしているわけではないのでございます。ただ、そうせざるをないのでございます。あるわたしおさないころ、ひとりではやしあそんだのちうちへかえるとみかに天狗てんぐれてあつまっていました。古木こぼくあなかくれて、天狗てんぐがいなくなるのをちました。それからわたしみかにおそおそ近付ちかづくと、そこにあったのはたおれた家族かぞく姿すがただけでした。ちちはは兄弟きょうだいみなころされてしまったのでございます」

おそろしくてそのおそろし、うしろもかえらずに一目散いちもくさんはやしはしけました。しばらくすると、つかれておなかいてきて、人里ひとざとみちかたわらによこたわりました。そうしているうちに、うたこえてきました。ぼんやりとしながら、ふとげると、人間にんげん老人ろうじんうたいながら近付ちかづいてくるのがえました。老人ろうじんわたしそばると、うたうのをめて、『神様かみさまとどきますように』と、にく道端みちばたきました。そしてまたうたいながらあるいていきました。わたしにくべてから老人ろうじんあとをついていきました」

「そのばん老人ろうじんまちくと、建物たてものはいりました。わたし路地ろじかくれてちました。つぎあさ老人ろうじん建物たてものたびつづけると、わたしは、またついていきました。たかくなると、かれ道端みちばたっていたつつみをひろげて、もの一部いちぶ地面じめんいていのりをささげてから、食事しょくじはじめるのでした」

「そのようなことが数日間すうじつかんつづきました。ついに、姿すがたえるまじないをおぼえてから、わたし勇気ゆうきをふりしぼり、老人ろうじん昼食ちゅうしょくをとっているとき人間にんげん少年しょうねん姿すがたけて、老人ろうじん近付ちかづいていきました」

「『小狐こぎつねさま、こんにちは。これは粗末そまつなものですが、もしよろしければどうぞ』と、老人ろうじん弁当べんとうわたしまえしました」

簡単かんたん正体しょうたい見破みやぶられたのでしばらく呆然ぼうぜかとそのすくんでおりました。そして、尻尾しっぽでもしまいわすれたかと背中せなかさわったり、ひげでもあるかとかおろなでてみたりしました。そして、やっとわれかえり、こえげました。『へえ?じいさん、どうしてぼくを「小狐こぎつね」なんてぶの?ちゃんと人間にんげん姿すがたをしてるだろう?』」

老人ろうじんとずかにわらいました。『小狐こぎつねさま、わしはやまのようにとしをとってはおりますが、このみみはまだそれほどおとろえてはおらんのですよ。それに、これほどながなかまわっておりますと、もちろん不思議ふしぎ経験けいけんをすることはやまほどありますのじゃ。小狐こぎつね毎日毎日まいにちまいにちふわふわとあとをついてきていたとおもったら、突然とつぜんなかからっていたようにおとこあらわれたのですから、あなたが小狐こぎつねさまだとかるのはわけないことでございます』」

「『なんにしろ、ぼくに「さま」なんてつけないでおくれよ。ぼく特別とくべつえらきつねなんかじゃなくて、平凡へいぼんやつだよ』とうと、老人ろうじんとなりこしろし、むさぼるようにはじめました。それからは、老人ろうじんはいつもわたしのことを『平凡へいぼん』とびました」

数年間すうねんかんわたしはその琵琶法師びわほうし老人ろうじんともにあちこちをわたあるき、老人ろうじんはまるでわたし弟子でしででもあるかのように琵琶びわなどの楽器がっきかた様々さまざまうたおしえてくれました。でも、あるみちあるいているとかれむねさえて、そのままたおれこんでしまいました。わたしたすけたいとおもいましたが、なにもできませんでした。『平凡へいぼんや、おまえ子供こどものないわしにとって息子むすこのようなだ。わかれるのはつらいが、わしがこのときたようじゃ。わしはすべてをおまえのこす。達者たっしゃでな』とそうのこすと、わたしうでなかいきりました。わたし師匠ししょう―いや、わたし唯一ゆいいつ友達ともだち―はこうしてくなってしまったのでございます」

道端みちばたみだれるはななかかれほうむりました。それからわたし少年しょうねん姿すがたをやめ、若者わかものけて、放浪ほうろうたびつづけました。そのたびいもなく、さびしいものでしたので、だんだんひつねんでいたごろなつかむようになりました。それで、ひつね住処すみかがあるといううわさもとめ、たずあるくようになりました」

時折ときおり、そういううわさ辿たどっていくと、きつね住処すみかつけることがありました。でも、せっかくたずねていっても、『おまえのような、尻尾しっぽ一本いっぽんしかない、人間にんげんかぶれした、どこのうまほねともからぬやつにははない。ていけ!』とすげなくかえされるのがつねでした。それから、人間にんげん世界せかいもどって、琵琶法師びわほうしとしてくにからくにへ、しろからしろへ、宿やどから宿やどへとつぎうわさもとめてあるつづけました」

「ようやく、今年ことしあききつね関係かんけいくにあたらしい大名だいみょうについてのうわさきました。そのくに近郊きんこううわさ調しらべると、大名だいみょうよりゆきさまという大名だいみょう奥方おくがたきつね関係かんけいふかいようでした。それに、ゆきさまについての面白おもしろうわさやまのようにきました」

「こちらにくと、以前いぜんたずねたところよりやさしくあつかわれました。とくおどろいたことは、ほかにも人間にんげん姿すがたをしているきつねがこちらにんでいるということでした。よろしくおねがいします」と突然とつぜんうと琵琶法師びよほうしは、きつねほうかってふかあたまげました。

きつねくびかたむげました。「まだ尻尾しっぽ一本いっぽんしかないと?おまえわたあるきながら、なにのまじないもならわなかったのか?」

「まじないなどをおしえてくれるものはいなかったのです。でも時折ときおり自分じぶん練習れんちゅうしているうちに、ごく簡単かんたんなまじないだけは出来できるようになりました。最近さいきんでは、狐子ここさんがおしえてくださいます」と琵琶法師びわほうしって、狐子ここほうました。

「そうか」きつね琵琶法師びわほうし視線しせん辿たどって狐子ここほうきました。「狐子ここや、ここになさい」とうと、狐子ここは「はい、とうさん」とい、がってきつねのところにました。家老かろう狐子ここあといてきました。

本当ほんとうにこのものにまじないをおしえているのか?」ときつねくと、狐子ここうなずきました。「そうです、お父様とうさま。そのわりに、わたしらなかったまじないをおしえてくれるのよ」とこたえました。「簡単かんたんなまじないでも、とても便利べんりなの」

きつねかるうなずきました。「そうか。よし、今度こんど住処すみかでおまえ実力じつりょくためしてみよう。そうすれば、おまえ何本なんぼん尻尾しっぽあたいするかかるだろう」

「ありがとうございます。でも、それは自分じぶんめられることではございません。なぜならはるまでこちらの殿様とのさまにご奉公ほうこういたすことになっておりますので、勝手かってにおいとますることはできませんので」と琵琶法師びわほうしって、若殿わかとのをやりました。

「やれやれ」ときつねつぶやいてから、若殿わかとのほうきました。「では、若殿わかとの、この琵琶法師びわほうしひつね数日間すうじつかんしてもらえませんか。かれ実力じつりょく調しらべたいのです。むすめ狐子ここはこのごろかれのまじないのになったようですから、彼女かのじょ一緒いっしょ三匹さんびき…」

三人さんにん!」と狐子ここいましたが、きつねかまわず「でってきます」とつづけました。

若殿わかとのうなずきました。「琵琶法師びわほうし音楽おんがく本当わんとうたのしいのだが、ここにいると、あらそいごとになるようです。しばらく休暇きゅうかをとったほうがいいでしょうね。しかし、二週間にしゅうかんほどのちに、父上ちちうえがここにおしになる予定よていです。そのまえに、琵琶法師びわほうしつれかえってきてください」

「もちろん」ときつねうと、狐子達ここたちこえをかけました。「狐子ここや、この琵琶法師びわほうし実力じつりょくためしにくぞ。一緒いっしょなさい」

「はい、とうさん」と狐子ここいました。

家老かろうこえげました。「殿との狐様ひつねさまがおゆるしくださるなら、狐子ここさんと一緒いっしょわたしきたいのですが。数日間すうじつかんやすみをいただけませんか。どうかおねがいいたします」といながらふかあたはげました。

「ふむふむ。父上ちちうえをおむかえするための準備じゅんびがまだわらないので、むずかしいところだな」と若殿わかとのうと、ゆきはこえをかけました。

「あなた、ゆるしてあげてください。家老かろうわりにわたし留守るす仕切しきりますから」といました。

「そうか?意外いがいだな。おまえきたいとすかとおもっていたが」と、若殿わかとのやさしくゆきのほおれました。

気持きもちは殿とのがおっしゃるとおりですが、いくらきたくても、けませんもの」とゆきはって、ふときくなったはらさすりました。

若殿わたとのうなずいて、きつねかいました。「よし。このなまもの家老かろう琵琶法師びわほうし一週間いっしゅうかん以内いないれてもどってきてくれるのなら、二人ふたりともつれれてってもかまわんぞ」

第六十二章だいろくじゅうにしょう

たびはじ

きつねたちしろると、そとひどつめたい吹雪ふぶきでした。きつね大声おおごえで、「狐子ここや、さき琵琶法師びよほうし瞬間移動しゅんかんいどうれていって、ひとめる住処すみか準備じゅんびさせなさい。家老かろうわたしれてくから」といました。

父上ちちうえ、どうしてご家老様かろうさまわたしけないの?みんなできましょう」と狐子ここきました。

一週間いっしゅうかんしかないから、明日あしたあさはやくから試験しけんはじまるんだ。おまえかれとして参加さんかしなければならないから、二人ふたりともできるだけはやいてたほうがいいのだ」といました。そして、家老かろうゆびさしました。「そのひと瞬間移動しゅんかんいどうができない。それに、かれはこんなひど天気てんきなかにはいられない。尻尾しっぽ三本さんぼんしかないおおまえは、かれ背負せおってうちまではしっていくことができるかい?」

狐子ここは「かった。かったわ」と、溜息ためいきをつきました。琵琶法師びわほうしかって、「じゃあ、もと姿すがたもどってきましょうか」と、つづけました。

「すみません。そういうおまじないはまだりません」と琵琶法師びわほうしいました。

なんですって?まだおしえていなかったっけ?…いいえ、そんなはずはないとおもうけど?じゃあ、簡単かんたんなおまじないだから、すぐにできるようになるでしょう。こうです」とって、おまじないの使つかかたおしはじめました。

わたし背負せおってはしる?なぜですか?きつねさまわたしうまくとばかりおもっていましたから…」と家老かろう困惑こんわくしたようにいました。

「ほら、家老かろうどの!今夜こんやは、このわたしがあなたのうまです!」ときつねって、おおきなくろうま姿すがたけました。一瞬いっしゅんだけ七本ななほん尻尾しっぽえました。「普通ふつううまよりはやはしれますよ!ってください」

「しかし、くら手綱たづなもありませんが…」と家老かろううと、きつねはこうこたえました。「そういう馬具ばぐ必要ひつようないですから、大丈夫だいじょうぶです。りなさい!」

家老かろううま姿すがたをしているきつねってから、きつね城門じょうもん小走こばしりしてきました。家老かろうはしっているきつねったまま、さっき玄関げんかんほうかえってました。渦巻うずまいているゆきこうには、一瞬いっしゅんだけ二匹にひききつね姿すがたがうっすらとえました。そして、もう一度いちど玄関げんかんえたときには、その姿すがたはもうえていました。

第六十三章だいろくじゅうさんしょう

きつね土地とち

うま姿すがたをしたすがたまちると、あゆみをいっそうはやめました。早足はやあしというより、あしでした。よるやみに、うまはだあおまばゆひかりえるようでした。

そのあしどりは、まるでゆきうえこまやかにおどっているようでした。新雪しんせつふかもったところでも、うまひづめゆきもれることはなく、いているようでした。

家老かろうつめたいかぜかんじることも、渦巻うずまゆきれることもありませんでした。しかも、うまがいっそうはやはしっているにもかかわらず、なみのないみずうえすべっているようながしました。

地面じめんもったゆきと、まわりで渦巻うずまいているゆき以外いがいなにえませんでした。

いつまでそうしていたのか家老かろうにはかりませんでしたが、ようやくきつね速度そくどをゆるめました。はやしはいったようでした。前方ぜんぽうあらわれる木々きぎ次々つぎつぎ背後はいごえてゆきました。

突然とつぜん空気くうきあたたかくなりました。かぜみ、ゆき小雨こさめわりました。うまあしめました。よるやみ一匹いっぴききつねがうっすらとかびがりました。「族長ぞくちょう、ご命令めいれいとおり、人間用にんげんよう住処すみかっておきました」

「よし。では家老かろうどの、りてください。このもの寝室しんしつにおれいたします。わたしはうちへもどります。おやすみなさい」ときつね族長ぞくちょういました。家老かろうりると、自分じぶん姿すがたもどって、りました。

っていたきつねがりました。「家老かろうさま、こちらへ」とって、あるはじめました。

家老かろうはそのあお燐光りんこうはなきつねについていきました。「すみません、きつねどの。はなんともうすのじゃ?」ときました。

きつねは「八狐はちこもうします」とこたえました。

「ハチコですか」と家老かろうきました。

「そうですよ。やっつのハチ、きつねのコです」と八狐はちここたえました。

二人ふたりあるいていくと、突然とつぜんやみおくから冷笑れいしょうこえました。「ほら、あれをろよ!人間にんげんだ!自分じぶん住処すみかすらつくれないらしい」

八狐はちここえげました。「だまれ、間抜まぬけ!こちらは族長ぞくちょうのおきゃくだぞ!」とさけびました。それから家老かろういました。「ごめんなさい。人間にんげんきではないきつねもいます」

かりました。きつねきではない人間にんげんもいますから」と家老かろうこたえました。

しばらくするとやま斜面しゃめんきました。その斜面しゃめんには人間にんげんたかさほどのぐちがあり、そこからあおひかりれていました。

家老かろう八狐はちこつづいてなかはいりました。ったばかりのつちにおいがしました。みじか廊下ろうかさきには六畳ろくじょう部屋へやがありました。そのおく寝台しんだいのそばにはあおひかっているたまがありました。寝台しんだいには布団ふとんがもういてありました。

八狐はちごたましめしました。「これを二回にかいかるたたくと、あかりがえます。もう一度いちどれると、あかりがつきます」とって、ろうとしましたが、家老かろうかれめました。「すみません。狐子ここさんはもうきましたか」

「はい。狐子様ここさまはもうお部屋へややすんでおられます。狐子様ここさまのおれもあちらでおやすみです」

「あれ?一緒いっしょているのですか?」と家老かろうはびっくりしたようにいました。

八狐はちこわらいました。「とんでもない!族長ぞくちょう住処すみかには色々いろいろ寝室しんだいがあるのです」とって、りました。

家老かろう着替きがえてからひかりたまたたいて、ました。

第六十四章だいろくじゅうよんしょう

子狐こぎつねとの出会であ

翌朝よくあさ家老かろう目覚めざめると、ぐちからひかり部屋へやなかなにかがうすぼんやりえました。布団ふとんそばには角盆かくぼんがありました。家老かろうたまれてあかりをともすと、ぼんうえには食事しょくじ手紙てがみがありました。手紙てがみって、みました。

家老かろうさんへ』

一緒いっしょ食事しょくじをとりたかったけれど、よくている姿すがたるとこすことができなかったの。ごめんね』

試験しけんがすぐにはじまるから、もう出掛でかけなくちゃ』

狐子ここより』

家老かろう手紙てがみんでから、あいおしげにたたんで、ふところにしまいました。それから、食事しょくじをとり、着替きがえました。

部屋へやると、そこはたになかでした。たにあいだながれているちいさなかわきりなかかくれてしまいそうでした。ひくがったくもそらおおっていました。

たにのあちこちに、ちいさなあないていました。沢山たくさんきつね百匹ひゃっぴき二百匹にひゃっぴきも、たにいたきりあるいたりあそんだりしていました。

かあさん、て!妖怪ようかいがいるよ!」

家老かろうかえると、ちかくにいたちいさな子狐こぎつね家老かろうゆびさしていました。

妖怪ようかいじゃないよ。それはただ一人ひとり人間にんげんなんだよ」と母狐ははぎつねこたえました。

人間にんげん妖怪ようかいじゃないの?おじさんから人間にんげんはなしくと、いつもこわくなるよ」

ちがうよ。人間にんげんいたりはしないの。おじさんのはなしおおげさなんだよ」と母親ははおやって、家老かろうなおりました。「息子むすこゆるしてください。まだおさなくて、たにたことがないのです。人間にんげんうのははじめてなんです」

になさらないでください」家老かろう子狐達こぎつねたちちかづくと、かれ母親ははおや尻尾しっぽしたかくれようとしました。家老かろうこしろしました。「じつ以前いぜん人間にんげんくところをたことがある」

子狐こぎつね尻尾しっぽしたからかおのぞかせました。「本当ほんとう?」

家老かろううなずきました。「まつりのときだった。旅役者たびよくしゃのうちの一人ひとり松明たいまつっていた。どうやったのかはからないが、かれ松明たいまつほのおってから、まがほのおいたようにえたな」

子狐こぎつね尻尾しっぽしたから一歩いっぽてきました。「すごい!おまじないだったの?」

家老かろうすこかたいて、「どうかな。普通ふつう人間にんげんはおまじないなどできないから、なに仕掛しかけがあったんだろうね」

子狐こぎつねはもう一歩いっぽちかづいてきました。「人間にんげんはおまじないができないの?全然ぜんぜん?」家老かろううなずくと、子狐こぎつねつづけました。「ぼくでも簡単かんたんなおまじないができるのに?て!」とって、かたわらの小石こいし前足まえあしきました。前足まえあしげると、その小石こいしあおかがやき、しばらくしてそのひかりえました。

家老かろう小石こいしげました。どこにでもある灰色はいいろ小石こいしでした。「わたしにはできないな。人間にんげんがこんなことをすると、人間にんげん姿すがたをしたきつねかとおもわれてしまうよ」

「よくおっしゃいました」とふいにこえがしました。家老かろうると、そこにすわっているのは八狐はちこでした。

家老かろうがって、会釈えしゃくしました。「おはようございます、八狐はちこどの。狐子ここさんにってもいいですか」

八狐はちこくびりました。「残念ざんねんですが、受験者さんかしゃしか試験場しけんじょうはいれません。ごめんなさい」八狐はちこはくすくすとわらいました。「それに、人間にんげんおおきすぎて、ぐちからはいることはできませんから」

家老かろうそばあなて、苦笑くしょうしました。「こんなにちいさいと、たしかにはいれないでしょうね」

今晩こんばん狐子ここさまにおいになれるでしょう。お姫様ひめさま家老かろうさまとおいになりたいとおっしゃっているので、いま風呂ふろ着替きがえを準備じゅうびしています」と八狐はちこうと、家老かろうがって、親子おやこかる会釈えしゃくし、「では」とって八狐はちこについていきました。

第六十五章だいろくじゅうごしょう

ひめとの出会であ

家老かろうかったのはきりかくれた温泉おんせんでした。風呂ふろからがった家老かろういわかれた着物きもの着替きがえました。それはたいそうふるさむらい着物きもののようでした。

八狐はちこどの、どうしてこのような着物きものなくてはいけないのでしょうか。わたし身分みぶん相応ふさわしくないとおもいます」と家老かろうたずねました。

「お姫様ひめさまのご希望きぼうなのです」と八狐はちここたえ、がって家老かろうたに反対はんたいがわへと案内あんないしました。

家老かろうはまたたずねました。「お姫様ひめさま一体いったいどんなかたでしょうか。ご身分みぶんたかきつねでしょうか?」

八狐はちこうなずきました。「そのとおりです。族長ぞくちょう姉上様あねうえさまでいらっしやいます」とこたえました。

族長ぞくちょうさま姉上様あねうえさまですと?…人間にんげん結婚けっこんしていらっしゃったおかたですよね」と家老かろううと、八狐はちこはしばしあしめて、家老かろう見上みあげました。「そのはなしをご存知ぞんじなのですか」

「そのおはなし先日せんじつ狐子ここさんがゆきさまたちにしていました。伯母おばさまが、はなすことをゆるされたとっていました」と家老かろう説明せつめいしました。

かりました。さあ、お姫様ひめさまがおちかねでいらっしゃいます」と八狐はちこって、またあるはじめました。

二人ふたりたにのぼりました。しばらくやまあるくときりなかはいりました。小径しょうけいあるいて、ようやくある建物たてもの辿たどきました。

その建物たてもの御殿ごてんというよりは田舎侍いなかざむらいいえのようにえました。いえぐちそば八狐はちこすわりました。「おはいりください」といました。

家老かろうは「お邪魔じゃまいたします」とって、けました。

おく部屋へやたしかに普通ふつう田舎侍いなかざむらいいえ部屋へやえましたが、だれんでいないようにけかいえました。

「お姫様ひめさま家老かろうがそろそろと部屋へやはいるとうっすらと人影ひとかげえてきました。

突然とつぜんあかりがともりました。あかりにらされたのは二十四にじゅうよん五歳ごさいうつくしい女性じょせいでした。かけはわかいのですが、彼女かのじょのぞきこむと、としかさねているようでした。

家老かろう深々ふかぶかあたまげました。「お姫様ひめさまはじめておにかかります。ゆきさまとおっしゃるあなたさま血縁けつえんたるおかたつかえる家老かろうでございます。ゆきさまのお父上ちちうえ時代じだい、つまり、おまごさまの時代じだいには、わたくしはおまごさまの廷吏ていりでございました。よろしくお見知みしりおきのほどを」

おんなふか溜息ためいきをつきました。「わたしはここにいるときは、たださむらい未亡人みぼうじんのつもりでおります。ひめなどとおっしゃらないでください」

「あなたさまがご身分みぶんたかきつねでいらっしゃるということをわすれることがあっても、おつかえしたあるじのご先祖せんぞだということも、結婚けっこんしたい女性じょせい伯母上おばうえだということもけっしてわすれることはありません。失礼しつれいなことをもうげました」と家老かろういました。

結婚けっこんしたい女性じょせい…?それは狐子ここのことでしょうか?」家老かろううなずくと、おんなすこかんがえてつぎのようにいました。「では、どうぞわたしのことは『おば』とおびくださいな。こちらにおすわりください。ゆきのことをくわしくはなしてくださいませんか」とたずねました。

第六十六章だいろくじゅうろくしょう

ばん会話かいわ

一日いちにちかけて、家老かろうはゆきについてくわしくはなしました。おんな詳細しょうさいりたがり、家老かろうはなし何度なんどさえぎりました。

しばらくして、家老かろうはようやくおんな質問攻しつもんぜめから解放かいほうされ、いえそとっていた八狐はちこ一緒いっしょたにもどりました。

家老かろうは、自分じぶん部屋へやのそばに赤毛あかげおんなすわっているのに気付きづくと、足早あしばや近寄ちかよりました。「狐子ここさん!ただいまもどりました!」

狐子ここがりました。「おかえりなさい。どこにっていたの?」

「あなたのおばさまにおいして、ゆきさまのことを一日中あちにちじゅうはなしていたんだ。質問攻しつもんぜめにされたのであたまいたくなるほどだったよ。明日あした、またるようにわれたよ。つかれたよ」と家老かろうって、こしろしました。

狐子ここ家老かろうかいわせにすわりました。「どこでったの?人間にんげん姿すがたをしていると、伯母おばちゃんの住処すみがはいることはできないはずよ」

家老かろうたにかいがわ指差ゆびさしました。「あそこのいえだった」

「へえ…伯母おばさんはだれれたがらなかったのに!」

わたしれてもらえましたよ…今日きょうはむしろ、おばさまからまねかれたんだ。…でも、この着物きものせられたんだよ。ところで、狐子ここさんのほうはどんなふうごしたの?」

一日中いちにちじゅう琵琶法師びわほうしさんがおまじないをするのをてたの。かれがこのおまじないをおぼ>えてるかしらとか、このおまじないをおしえてあげたかしらとか、はらはらしてたわ。自分じぶん試験しけんよりも大変たいへんだったわ」

試験しけんはいつまで?」

「いつまでかしら?たいてい、一日いちにちたりゅうわるけれど、べつ流派りゅうはのまじないの本当ほんとう能力のうりょく見分みわけるのはむずかしいから。とく今回こんかいかれ独学どくがく…ところで、父上ちちうえ今晩こんばん、あなたと食事しょくじをしたいとってた。すぐにかなくちゃ」と狐子ここうとがりました。

「へえ?どこに?お父様とうさま住処すみかにははいれないだろうね」

住処すみかそと天幕てんまくったのよ。きましょう!」と狐子ここって、家老かろうがらせました。

二人ふたりは、ちてすっかりくらくなったたにあるき、狐子ここ住処すみかへとかいました。

第六十七章だいろくじゅうななしょう

族長ぞくちょうとの会話かいわ

食事しょくじあとで、きつね族長かぞく家老かろう狐子こここえをかけました。「家老かろうどののねがいをゆるすかどうかめるまえに、二人ふたりはなしたいことがあります」

狐子ここたちがうなずくと、族長ぞくちょうはなしつづけました。「きつね一生いっしょう人間にんげんより何倍なんばいながいので、きつね人間にんげん結婚けっこんにはむずかしいものがあります。どんどんとしり、やがてはんでいく配偶者はいぐうしゃるのは、きつねにとってつらいことなのです。人間にんげん場合ばあい配偶者はいぐうしゃきつねだとかるや、どんなにきつねとしるふりをしても、きつねとしらないばかりか、人間にんげんよりもはるかにとしかたおそいことにかんして、想像そうぞうすることはできてもそれ以外いがいなにもしてあげられないので、結局けっきょくねたんだりうとましくおもったりすることになるでしょう」

「それに、きつねとしるふりをせずになが時間じかん人間にんげん世界せかいんでいると、人間にんげん配偶者はいぐうしゃがそのきつねのことをねたんだりうとましくおもったりしなくても、周囲しゅうい人間にんげんきつねおそれたりきらったりするでしょう。そういう人間にんげん人間にんげんけたきつねあやしい魔法まほう使つかっているとか、仲間なかま親戚しんせき病気びょうきになったりんだりするのは、きつねかれたからだなどとってわるいことをきつねのせいにするようになるでしょう。そしてきつねころそうとしたり、きつね秘密ひみつのろいをぬすんでやろうとおもうかもれません」

「あの琵琶法師びわほうしのように、きつねなが時間じかん人間にんげん世界せかいむと、きつね世界せかいもどるのはむずかしいかもしれません。きつね生活せいかつより人間にんげん生活せいかつほうれたり、きつね仲間なかまより人間にんげんとのほう仲良なかよくなったりするでしょう」

姉上あねうえ場合ばあい人間ねんげん世界せかい時間じかんはそれほどながくはなかったが、おっとがあのようにわかくしてんだし、姉上あねうえあかぼう人間にんげん世界せかい手放てばなしたのでつらおもいをしました。人間にんげんとの結婚けっこんゆるさないきつねもいて、あかぼう手放てばなすことをゆるさないこともありました。しかも姉上あねうえ自分じぶん自身じしんきびしかったようです。だから姉上あねうえきつね世界せかいもどってきても、きつね仲間なかまはいることはできなかったのだとおもいます。姉上あねうえほかきつねからはなれたところ自分じぶん住処すみかり、ちかくに人間にんげんいえ真似まね建物たてものつくりました。その場所ばしょから姉上あねうえいまだにはなれたくないようです。しかしいまでも、手放てばなしたむすめとその息子むすことゆきを気遣きづかい、わたしかれのことをたびたびたずねるのです」

二人ふたりとも、このことをよくかんがえなさい。かんがえたうえでなお結婚けっこんしたければ、ゆるすかゆるさないかはわたしめます」

家老かろう複雑ふくざつ面持おももちでかおせました。一方いっぽう狐子こここえげました。「とうさん、そうだったのね。むかしからずっとかんがえている。伯母上おばうえのことをわすれることができるとおもっているの?でも…」狐子ここふか溜息ためいきをつき、目線しせんとしました。「それでも…人間にんげん興味しょうみのないきつめなんかより、この家老かろうさんと結婚けっこんしたい。わたしのように人間にんげんきなきつねがいたら…でも、そんなきつねはいないみたいね。あの琵琶法師びわほうしでも人間にんげん世界せかいむほど興味きょうみはないようなの。わたし、うちにかえってくると、人間にんげん世界せかいもどりたくて、いてもってもいられなくなるの。おっと人間にんげん世界せかいみたくないのなら結婚けっこんする意味いみがないじゃない」

家老かろうかおせたままつよ口調くちょういました。「狐子ここさんがきつねだとづいたとき一月ひとつきほど狐子ここさんと距離きょりいて、このことについてかんがえました。しかしずっと狐子ここさんのことで複雑ふくざつおもいでいました。彼女かのじょへのおもいをあきらめたあとでも、狐子ここさんと再会さいかいするいままでずっと、ほか女性じょせいうたびに狐子ここさんのことしかおもされませんでした。わたしこころ狐子ここさんのとりこになってしまいました。狐子ここさんと結婚けっこんできないのなら、生涯しょうがいだれだれとも結婚けっこんするつもりはありません」

族長ぞくちょうは「ふむふむ」とつぶやきました。

家老かろうはようやくかおげました。「族長様ぞくちょうさまおそれながら、おきしたいことがございます」族長ぞくちょううなずくと、「きつね人間にんげんとの結婚けっこんがそれほど大変たいへんなことならば、お姉様ねえさまはいったいどうして人間にんげん結婚けっこんすることになったのですか?」ときました。

族長ぞくちょうふか溜息ためいきをつきました。「それは私自身わたしじしんはなしではありません。姉上あねうえ本人ほんにんきなさい」

しばらくすると、会話かいわ途切とぎれました。天幕てんまくて、狐子ここ家老かろう一緒いっしょかれ部屋へやあるいていきました。

暗闇くらやみからこえがしました。「ほら!狐子ここやつ人間にんげんらしたみたいだぞ!今度こんどはあれをまわすのかな」と、そのこえぬしはあざわらっていました。

狐子ここおこったように怒鳴どなりました。「こら!卑怯者そきょうものてきて堂々どうどういなさい!わたし一人ひとりおにかったことがあるんだよ!あんた、こわくて住処すみかからられないくせに」と狐子ここうと、家老かろう狐子ここうでつかみました。「狐子ここさん!いて!わせておきなさい!」

狐子ここ家老かろうめました。「ごめんね。あんなふうに意地悪いじわるなやつらのせいで、伯母上おばうえたにそと住処すみかることになったんだとおもう。それが、わたしがここにいたくない理由りゆうひとつなの」と狐子ここいながら、はじめました。

家老かろう狐子ここ背中せかなでました。「ほらほら、かないで。いつも元気げんき狐子ここはどこへった?」

狐子ここそでなみだぬぐって、家老かろう見上みあげました。「をつけて。ここになければよかった。わたし父上ちちうえ八狐はちこさんがいないときは、けっして部屋へやそとないでちょうだい」

大丈夫だいじょうぶだよ。今朝けさ八狐はちこさんにまえに、きつね母子おやこってその息子むすこに、わたし妖怪ようかいじゃないことを証明かくにんしたよ。問題もんだいはないだろう」と家老かろうってあるそうとしたが、狐子ここかれつかんでめました。

なにってるのよ!そのくても、人間にんげんのことを妖怪ようかいだとんだやつのように人間にんげんのことがわないきつね沢山たくさんいるわ。きつね同士どうしでもかしいをするのよ。かれのほとんどは父上ちちうえまねいたきゃくきずつけるつもりはないけれど、人間にんげんよわものだということがからないのよ。きつねなら平気へいきだけど、人間にんげんきずつけてしまうことがよくあるの」

「それに、父上ちちうえ失脚しっきゃくさせたいくらい人間にんげんきらっているきつねもいるわ。そいつらは、伯母上おばうえ人間にんげん結婚にんげんしたことや、わたしがここより人間にんげん世界せかい馴染まじんでいることをって、父上ちちうえ族長ぞくちょうとして相応ふさわしくないとっている。それにやつらは、得体えたいれないきつねや、きつね結婚けっこんしたいなどと人間にんげんをここにれてくるなんてゆるせないといいっているわ。あなたがきずつこうがのうが、あいつらはなんともおもわないでしょう。おねがい、本当ほんとうをつけて!」

家老かろう言葉ことばうしない、狐子ここかお心配しんぱい恐怖きょうふじった表情ひょうじょうました。「そういうことであれば、部屋へやはなしたほうがいいんじゃないか?あいつらにかれてはまずい」

「うん」と狐子ここうなずき、ふたた二人ふたり家老かろう部屋へやかいました。

第六十八章だいろくじゅうはっしょう

八狐はちことの会話かいわ

翌日よくじつ家老かろう目覚むざめると、狐子ここ枕元まくらもとすわっていました。彼女かのじょそばいてあった角盆かくぼんから美味おいしそうなにおいがしました。

二人ふたりべたりしゃべったりしたあとで、部屋へやると、そこには八狐はちこっていました。狐子ここきつね姿すがたもどってり、家老かろう八狐はちこひめいえ案内あんないすることになりました。

その途中とちゅう家老かろう八狐はちこたずねました。「八狐はちこどの、狐子様ここがお父様とうさまのことをになさっているようです。あのかた私達わたしたちをこちらにつれれてきたせいで、族内ぞくない問題もんだいやまのようにもっているとのことです。どうおもいますか」

「そうですか。多分たぶん狐子様ここさまはあまりこちらにいらっしゃらないので、事情じじょうをよくごぞんじないのかもしれません。私達わたしたちにとって、この問題もんだいはあまりにも身近過みぢかすぎて冷静れいせい見通みとおせないところがあります。狐子様ここさまかたが、むしろ事態じたい判断はんだんすることができるかもしれません。しかしながら、族長様ぞくちょうさまよりつよきつねはただの一匹いっぴきしかおりません。もしそのかた族長様ぞくちょうさまとがちからわせれば、たとえ一族いちぞく全員ぜんいん族長ぞくちょうたおそうとしてもたおせないでしょう」と八狐はちここたえました。

「なるほど。そのかた族長ぞくちょういどんだら、どうなるでしょうか?」と家老かろうたずねました。

八狐はちこ数回すうかい尻尾しっぽりました。「そのようなことがあるとはおもえません。お姫様ひめさま権力けんりょくれることに興味きょうみをおちでないようです」

家老かろうまるくしました。「お姫様ひめさまですと…?お姫様ひめさまがそれほどつよいのなら、どうしてたにからされたのですか」

されたわけではありません。ただ、お姫様ひめさまきつね社会しゃかいっても、そこにはもうめないでしょう。ほかきつねのいじめのせいではなく、ご自分じぶん不安ふあんなので、たにうえ住処すみかったようでございます」と八狐はちここたえました。

家老かろうはしばらくだまみました。それから、「もしだれかが族長様ぞくちょうさまたいしてしたとすれば、お姫様ひめさまはどうなさるとおもいますか。おとうと族長様ぞくちょうさまたすけるのですか、住処すみかのこったまま結果けっかるまでつですか」ときました。

「そうですね」八狐はちこすこかんがえました。「そのようなの場合ばあい、もし族長様ぞくちょうさまたおされる可能性かのうせいたかくなければ、住処すみかにおのこりになることでしょう。もし族長様ぞくちょうさまたおされるようなことにでもなれば、私達わたしたちはどうしたらよいものかと、心配しんぱいしております」

家老かろううなずきました。「狐子ここさんは、『こんな状況じょうきょうだから、一人ひとり部屋へやからたりするなよ。もしわたしもお父様とうさま八狐はちこどのもいない場合ばあいは、部屋へやなかのこっていなさい』といました。八狐はちこどのの意見いけんは?」

「もちろん賛成さんせいです。族長ぞくちょうたおせないやつは、わりにきらいな人間にんげん悪戯あくぎするかもしれません」と八狐はちここたえたあと二人ふたりひめいえかってあるつづけました。

第六十九章だいろくじゅうきゅうしょう

ひめはなし

家老かろういえいてなかはいると、ひめはそのなかっていました。「おばさま、おはようございます。おそれながら、おきしたいことがございます」と家老かろういました。ひめうなずくと、「おばさまはどうして人間にんげんとご結婚けっこんなさったのですか。狐子ここさんのように人間にんげん興味きょうみがおありになったのか、それともなにほか理由りゆうがおありだったのですか」ときました。

しばらくののちひめ溜息ためいきをつきました。「このことおとうとにさえはなしていなかったのですが、あなたにも関係かんけいのあることなので、このさい機会きかいですから、おはなししておきます」

当時とうじわたしいま狐子ここよりはすこしだけ年上としうえだったでしょうね。人間にんげんには興味きょうみがなかったころのことです。じつうと、人間にんげんうたびいやかんじがして、できるだけはやはなれるようにしていたのです」と、はなはじめました。

「あのときまではね…」

「あるもりなか道中どうちゅうでのことですが、ふいに視界しかいけました。そこには日本刀にっぽんとうたずさえているおとこがいました。かれかげたたかうようにおどっていました。すぐにろうとおもいましたが、まるで見入みいられたかのごとく、そのけんうごきから視線しせんをそらすことができなかったのです」

かれ周囲しゅういにはのろいの気配けはいもなく、また、わたしがどのくらいぼんやりとっていたかもからないのですが、くと、かれけんさやおさめているところでした。いまおもうと、あれが、のろいのけた瞬間しゅんかんだったのかもしれません。すぐさまわたしげましたが、背後はいごから『だれぞおったか?』とこえこえました」

「そのよるゆめました。かたなだけがゆめなかでただおどっていました。あるいているうちに、度々たびたび無意識むいしきにその場所ばしょもどってってしまうことがありました。何度なんどあしはこぶと、またあのおとこがそこにいました。今度こんどかたなではなく、なぎなたとおどっていました」

「そのときもまた、かれうごきからかなせませんでした。しかし、かれおどわるやいなや、わたしはそのはなれました。そのよるも、おどっている武器ぶきゆめました」

数週間すうしゅうかんおなじような状態じょうたいかえされました。いつも、おとこちがった武器ぶき使つかっていました。だんだん、武器ぶきよりもそのおとこゆめるようになりました。おとこは、わたしにとって異質いしつのものというより、したしいものになっていきました。だんだん、かれいたいとおもっている自分じぶんのことを自覚じかくするようになりました」

「あるかれおどわると、わたしげるわりにこの姿すがたけて、うしろから姿すがたせました。わたし人間にんげんのことがあまりかりませんでした。それまでにた、一番いちばん綺麗きれい着物きものることにしました」

わたしると、かれひざをついて、『姫様ひめさま』といました。わたしは、『なにをおっしゃるのですか。わたしひめなどではございません。ただの、普通ふつうおんなでございます』とこたえましたが、かれがりませんでした。『そのようなことはわたしにはしんじられません。あなたさまはお姿すがたも、おものも、はなかた姫君ひめきみのようでいらっしゃいます』とかれてました」

「しばらくのあいだかれなにえばいのかかりませんでした。やっと、『どうして度々たびたびこちらで武器ぶきおどっておられるのですか』ときました。かれおどろいたようにわたしけました。『おどっていたのではありません。ただ武器ぶき練習れんしゅうをしているのです。下手へたですから、だれもいないところで練習れんしゅうするのです』といました」

「『とんでもないことです!そんなに優美ゆうびうごきを「下手へた」だなんて!それをていると、ついいつまでもていたいとおもってしまいます』とわたしいました。「先生せんせい失望しつぼうさせたくありませんので、こちらで練習れんしゅうしていたのです。このように下手へた練習れんしゅうをあなたさまにおせしてしまった不埒ふらちをおゆるしください』とかれいました」

「『それでも、わたしはあなたの練習れんしゅうたいので、ここにることをゆるしてください』とわたしうと、かれはようやくうなずきました。

翌日よくじつわたしがその場所ばしょき、人間にんげん姿すがたけると、すでにそこにはくさうえ布団ふとんひろげてありました。わたしからてそのあたりで躊躇ためらっていると、おとこ布団ふとんしめしながら『どうぞそちらでおあしらくになさってください』とうながしました。そして、かれはその練習れんしゅうはじめました。それがわると、かれわたしそばすわゆるしをい、わたしがそれを(ゆる)したので、しばらくかた()いました」

数週間すうしゅうかんおなじことがかえされました。練習後れんしゅうご会話かいわはだんだんながくなりました。あるんでいるむらわたしせたいとかれいました。そのときはおことわりしましたが、そのも、かれはそのもうかえしました。とうとう、不安ふあんもありましたが、わたしおうじました」

「そのかれかえるとき、わたしかれ一緒いっしょでした。わたしは、まれてはじめて、人間にんげんむらはいったのです。そしてまた、そのときまでそれほどおおくの人間にんげんったことはありませんでした。かれ以外いがい人間にんげんうと、まだいやかんじがしましたが、かれわたしそばにいれば安心あんしんでした」

いえき、かれ家族かぞくいました。かれらにたいしてもいやかんじがしました。しかしかれいもうと一人ひとりいやかんじがしませんでした」

「そのいもうと以外いがいは、わたしのことをいやがっていました。それでも、その家族かぞくわたしもおたがいに丁寧ていねい挨拶あいさつができました」

「できるだけはやらなければとおもっているとき、そのいもうと台所だいどころからってきました。おちゃれてわたし茶碗ちゃわんわたしました。おちゃ一口ひとくちむと、あっといういやかんじがえました。おまじないかとおもいましたが、おまじないの気配けはいはありませんでした」

「『素晴すばらしい』とって、わたしかれ父親ちちおや茶碗ちゃわんわたしました。みながおちゃわるころには、部屋へやなか雰囲気ふんいきはずっと心地良ここちよいものになっていました」

かれ父親ちちおや徐々じょじょしました。『おとうさん、このおんなひと結婚けっこんしたいんだよ』とうと、『なんだって!』と両親りょうしんわたし同時どうじいました。鼓動こどうがドクンと脈打みゃくうちました。むねおくから、『わたしもしたい』というちいさなこえこえました」

「『息子むすこや、このおじょうさんの家系かけい一体いったいどこなんだろう?二人ふたり毎日まいにちっているのなら、おじょうさんはこのちかくにんでいるにちがいない。しかし、このあたりの人々ひとびと全員ぜんいんっているこのおれでも、いままでこのおじょうさんにったことはなかった」

「『あぶない!』とおもいました。わたし人間にんげんではない――わたしきつねだ――と気付きづかれたくなかったのです。そうかんがえると、すぐに『ごめん』とつぶやきながら質問しつもんわすれさせるのろいをかけました」

「そしてできるだけはや失礼しつれいのないようにりました。つぎかれ修行しゅぎょうながら、かれすこ下手へたになったようにかんじました。のろいがかれうでにぶらせたのだとおもいました」

「その練習れんしゅうあとはなって、かれ結婚けっこんすることを承諾しょうだくしました。でも、実家じっかみたくないといました。結婚けっこんするまえに、自分じぶんいえれなければならないとおもいました。『しかし、それは駄目だめだよ。結婚けっこんした子供こども歳取としとったおやんで、かれらのお世話せわをしてあげるのが親孝行おやこうこうなのだ』とかれこたえました」

「それをくと、こころあいでいっぱいになりました。このひと結婚けっこんしなければならない!それでも、あいよりなやみがまさったのです。ですから、やめろとこころささやきを無視むしして、またのろいをかけました。今度こんどわたし同意どういさせるためののろいでした」

「そうして、しばらくしてかれ自分じぶんいえれて、わたし結婚けっこんしてくれました。うれしかったのですが、残念ざんねんながらもなく夫婦ふうふあいだいさかいがきるようになりました。わたし一緒いっしょかけるかとか、綺麗きれい着物きものってくれるかとかいったような些細ささいことでも、すぐにわたしとおりにしてくれないと、またのろいました」

「そのようにのろいがのろいのうえかさなりました。武器ぶき腕前うでまえはだんだんちていきました。ようやく村人むらびとかれ様子ようすがおかしいと気付きづいて、病気びょうきにでもなったのかとたずねました」

突然とつぜん殿とのからの使者ししゃました。いくさだから、さむらい全員ぜんいんしろあつまれといました。こんな状況じょうきょうでは、ってはいけないとわたしいました。つとめだから、かないわけにはいかないとかれこたえました」

わたしはまたかれのろおうとしましたが、なにおこりませんでした。かれ忠誠心ちゅうせいしんわたしちからよりつよいのだとおもいました。かれかなければならないのなら、そのまえに、まえけたのろいをくべきだとおもいました。すぐにのろいをこうとおもいましたが、何一なにひとくことができませんでした。どうやらわたしちからふうじられているようでした」

きながら、かれ出陣しゅつじん見送みおくりました。かれ戦死せんししたら、わたしのせいにちがいありません。どうして、どうしてちからふうじられているのかとおもいながら、そのころいたくなったむねかるりました」

むねっていると、ピンとわけに気付きづきました。いたくなったというのはわたし身籠みごもっているからでした。牝狐めぎつね身重みおもになると、あかぼうまもるために、むまでほとんどのちからふうじられるのです。そういうわけで、のろうことものろいをくこともできませんでした」

かれ無事ぶじかえってくるようにいのって、ちました。しかし、かれかえってくることはありませんでした。それはわたしのせいにちがいないとさとりました」

「その数週間すうしゅうかんのことはあまりおぼえていません。われかえると、かれ実家じっかていました。どうしてよいかからないまま、そこにつづきました」

きていたくありませんでした。でも、かれのためにびなくてはいけませんでした」

「そこにのこりたくありませんでした。でも、かれのためにのこらなくてはいけませんでした。人間にんげん子供こども狐達きつねたち一緒いっしょそだてるわけにはいきません。わたしあいしているおっと何回なんかいのろったのですから、人間にんげんきではない狐達きつねたちは、このをその何倍なんばいきびしくのろうだろうとかんがえずにはいられませんでした。ですから、わたし実家じっかもどってこのそだてることなどできませんでした」

「しかし、人間にんげん世界せかいのこってのろわずにそだてられる自信じしんはもうありませんでした。この世話せわかれ両親りょうしんまかせるはありませんでした」

「このからはなれたくありませんでした。でも、はなれないで方法ほうほうおもいつきませんでした」

「そんな葛藤かっとうしつぶされそうになりながらおなかおおきくなる日々ひびごしました。ようやく、出産しゅっさんました」

いたみよりからはなれなければならないことはなんばいせつなかったです。それでも、はなれるためにまれたるのもれるのもこばみました」

むと、ちから封印ふういんけました。でも、わたしきつねであるとばれたくありませんでした。それで、夜中よなかまでって、こっそりといえていって、わざとかわまで足跡あしあとのこしました。そして、本当ほんとう姿すがたもどって、こちらへかえってきました」

「でも、こころ不安ふあんかかえたまま実家じっかもどることなどできませんでした。ですから、こちらはただかれ一緒いっしょんでいたいえおものための再現さいげんです。本物ほんもの住処すみかそとられているのです」

おとうとのおかげで、一度いちどうことのかなわなかったむすめまごせいらせてもらいました。すべてはわたしのせいにちがいありません。天罰てんばつですもの」とひめって、しました。

「まあまあ」と家老かろうこえをかけました。「おばさまがご主人しゅじんきずつけなかったとはえないが、さむらいつま悪事あくじのせいでくにほろんで殿との二人ふたりたおされたわけではないでしょう。これほどしくらしているいまのおばさまが、そんながままなよめおなひととはおもえません。いつも元気げんきなご子孫しそんのゆきさまたずねたほうがいいとおもいます。そろそろ跡継あとつぎがおまれになるので、こちらにたくともれませんでした」

ひめきながら家老かろうめました。「そんなことはできません。そんなわけにはまいりません」となんかえしてしくしくきました。

家老かろうひめ背中せなかでました。「いいえ、きっとできますよ。ったほうがいいですよ」となぐさめました。

ひめしている間中あいだじゅう家老かろうはずっと彼女かのじょ背中せなかでてやりました。ひめわってやっと、そのはなしわりげたのでした。

第七十章だいななじっしょう

きつねとの決戦けっせん

そのよる家老かろうはなぜかましました。どうしたのかとおもっていると、悲鳴ひめいこえました。

「やめて!だれか、たすけて!」狐子ここさんのこえかと家老かろうおもった瞬間しゅんかん部屋へやそとかってはししていました。

部屋へやそとのどこにも狐子ここ姿すがた見当みあたりませんでした。きつねむれ部屋へや出口でぐちかこんでいました。家老かろうあしめて背後はいごかえると、もうそのには出口でぐちへのみちさえぎきつね姿すがたがありました。

狐子ここさん!どこだ?無事ぶじか?」と家老かろうびかけました。

きつねたちはじけるようにあざわらいました。「狐子ここめはここにいないぞ」とこえこえました。

「でも、たったいま狐子ここさんのこえこえました」と家老かろううと、またもやきつねたちはどっとわらころげました。

「これか?『たすけて!』」ふたた狐子ここのものとおもわれるこえこえました。「それは我々一族われわれいちぞく名誉めいよけが人間にんげん貴様きさまおびせるえさだったんだぞ。そんなにも簡単かんたんのろいで、貴様きさまをそのつよのろいでかたまもられている部屋へやからおびせようとはな」

家老かろうあたりを見回みまわしました。(あぶない!それほどきつねおおくては、かちはない!)とおもい、あっときつね計略けいりゃくおもいつきました。

「やれやれ。おまえら、おびえているみたいだな。人間にんげんがそれほどひわいのか?武器ぶきもなく防具ぼうぐもない人間にんげん一人ひとりたおすために、二十数匹にじゅうすうひききつねるのか?」とって、腕組うでぐみして、くびかしげました。「それとも、おれみたいなよごれたいきもの一対一いちたいいちたたかうことはしたくないのか?」

家老かろううと、きつね一匹いっぴき円陣えんじんなかすすました。「だまれ、人間にんげんめ!俺一人おれひとりだけで百頭ひゃくとうほどの人間にんげんたたかっても、当然とうぜん俺様おれさま勝利しょうりだぞ。貴様きさま従姉いとこをたらしこんだり伯母上おばうえかしたりすることがゆるせない!」とって、三本さんぼん尻尾しっぴまわしました。

なにを!だれかをたらしこんだおぼえはないぞ!狐子ここさんのことをうなら、おれ出会であまえから人間にんげん世界せかい興味きょうみがあったのだそうだ。おれより人間にんげん世界せかいきなだけだ。おばさまのことなら、質問しつもんひとつしただけだ。おまえらにうらまれるおぼはない」と家老かろうって、かまえました。

うそをつくな!貴様きさまのようなものが伯母上おばうえを『おばさま』とぶとはゆるせない!くらえ!」ときつねって、家老かろうのどかってんできました。

はやい!はやすぎる!)と家老かろうおもって、よこかわし、きつねからだつかみかかりましたが、にぎったのは数本すうほんだけでした。相手あいてかえると、右腕みぎうでかれたようなかんじがあって、なにあたたかいものがながれているのにがつきました。――でした。

また相手あいてかけけてきて、またかわそうとしましたが、左足ひだりあしうごきませんでした。あしうごけなくて、家老かろうころがりちました。「なんだ、これは?」とって、うごかないあしると、くさあしまわりにまつわりけていることに気付きづきました。――のろっているにちがいありません。

家老かろうがどうにかがって、相手あいて行方ゆくえたしかめるために見回みまわすと、背後はいごにいました。どうにかをぎこちなくまわして相手あいてかうと、相手あいてはもうそこからえていました。うしろへかえろうとしましたが、今度こんどは、両足りょうそくうごきませんでした。見下みおろすと、くさはもう左足ひだりあしひざまでも、そして右足みぎあし足首あしくびまでもしばっていました。

突然とつぜんなにおもたいものが背後はいごからかたあいだたり、家老かろうまえたおしました。あしうごかないから、こしをかがめ転倒てんとうめました。

まえくさ両手りょうてへとびてました。がろうとすると、なにおもたいもの背中せなかうえしかかりました。背中せなかうえきつねっていました。

もはやくさ両手りょうでまわりでしばいていました。ゆび一本いっぽんさえうごかせませんでした。「狐子ここさん、ごめんなさい。部屋へやるなとったのに…」とさけびました。

相手あいて背中せなかからりました。「だまれ、人間にんげんめ!きつねけがすな!」といました。

狐子ここさんのことをけがそうなどとはまったおもっていない」と家老かろううと、「まだけがそうとするのか?ね!」と相手あいてこたえ、たくさんのしろ鋭利えいりきばするどひかくちひろひらきました。

(もうだめだ。なにもできない。狐子ここさんといたいのに、ここでぬにちがいない)とおもって、あたまれて、じて、きば感触かんしょくけました。

第七十一章だいななじゅういっしょう

狐子ここ勝負しょうぶ

突然とつぜんれたこえこえました。「やめて!かれかみ一本いっぼんにでもれたら、けっしてゆるさないから!」狐子ここたにちがいありません。

こえほうけると、家老かろうかこきつねれにかってあるいてくる四本よんほん尻尾しっぽきつねえました。

四本よんほんもの尻尾しっぽ!?最近さいきんあらたに三本目さんぼんめあたえられたばかりじゃなかったか?あれは本当ほんとう狐子ここなのだろうか?)と家老かろうおもっていると、きつねれは狐子ここみちけるようにがり、狐子ここなかはいると、ふたたまわりをかこみました。

狐子ここ家老かろうかたわらにくと、前足まえあし地面じめんたたきました。あっというあいだに、手足てあししばっているくさ茶色ちゃいろわり、地面じめんちました。

部屋へやもどったほうがいい」と、狐子ここ相手あいてなおりながらいました。

家老かろう部屋へやほうき、そのぐちまえにいるきつね不安ふあんそうに一瞥いちべつしました。「しかし…」

やみなかからこえこえてきました。「心配しんぱいしないで、お客様きゃくさまわたしまかせてください」とこえがしました。かれかこんでいたきつねたちは、かれかってあるいてくるこえぬし一目ひとめると、がってゆきました。八狐はちこでした。「こちらへてください」

家老かろう狐子ここ物問ものといたげにました。「しかし…」

狐子ここさまのことでしたら心配しんぱい無用むようでございます。あのかたなら従弟いとことのおあそびにもえるでしょう。でも、そういうあそかた人間にんげんにはあぶないのです。こちらへどうぞ」

家老かろう八狐はちこ近付ちかづくと、「わたくしとなりすわってください。この勝負しょうぶたくないのなら、部屋へやもどってもよろしいですが、勝負しょうぶわるまで、けっして狐子達ここたちにはちかづかないでください」と八狐はちこいました。

それから家老かろう八狐はちこよこすわって、狐子ここ視線しせんけました。

狐子ここ一歩いっぽずつ相手あいてににじりりました。「おろもの父上ちちうえの『人間にんげん客人きゃくじんすな』という簡単かんたんおしえすらまもれないの?それとも、なにをしてはいけないかがからないほどのうつものなの?」

なにかっていないのはおまえのほうだぞ。いつもいつも人間にんげん世界せかいびたり、家族かぞく状態じょうたいからなくなりやがったにちがいない。父親ちちおや族長ぞくちょうであるおかげでこの数ヶ月すうかげつうちがり、尻尾しっぽ二本にほんさらにあたえられたけれど、おまえ父親ちちおや家族かぞく人間にんげんなかじっているせいでちぶれ、たおされるのも時間じかん問題もんだいだろう。だから、おまえはもう父親ちちおや守護しゅごにはたよれない。尻尾しっぽ四本よんほんといっても、人間にんげんながらしていたようなやつは、俺様おれさまほどの呪力じゅりょくはもはやないだろう」

本気ほんきでそうおもっているの?あんた、子供こどもころからあんたと勝負しょうぶをすると、いつもわたし勝利しょうりだった。いまだってそうでしょうよ。あんた程度ていど相手あいてだれ手助てだすけもらない。まして父上ちちうえわずらわす必要ひつようなんて。実力じつりょくくらべましょう。かかってきなさい。ないならこっちからくわよ」とうと、狐子ここはもう一歩いっぽ従弟いとこほうすすりました。

突然とつぜん狐子ここまわりにあるくさ人間にんげんたかさほどにび、狐子ここつかもうとするかのように彼女かのじょほうびてきました。でも、狐子ここれるまえに、くさうごきはまって、相手あいてほうかっていきました。あっというに、くさ茶色ちゃいろわり、地面じめんちました。

狐子ここはまた従弟いとこほう一歩いっぽ、にじりりました。

すると、つよかぜはじめました。くらそらから旋風つむじかぜ狐子ここかっていてきました。しかし、狐子こことどまえに、旋風つむじかぜ相手あいてほうきをえました。あっというに、旋風つむじかぜえてあたりはしずまりました。

また狐子ここ一歩いっぽ従弟いとこ近付ちかづきました。

つぎは、狐子ここまわりに火柱ひばしらし、狐子ここ姿すがたかくしました。突然とつぜんほのお相手あいてほうまでひろがって、げたくさいがしました。

狐子ここさん!」と家老かろうって、がろうとすると、八狐はちこそでつかんで、家老かろうめました。「邪魔じゃまをしてはいけません。ここで見守みまもり、狐子ここさましんじなさい」

家老かろうすわってまた狐子達ここたち視線しせんけると、ほのおはすでにえていました。狐子ここ様子ようすには変化へんかがなく、しかし相手あいてはあちこちくろげました。また狐子ここ一歩いっぽすすむと、今度こんど相手あいて一歩いっぽうしろへ退きました。

つぎからつぎ呪文じゅもん攻撃こうげき狐子ここおそいました。狐子ここあゆたびに、攻撃こうげき相手あいて方向ほうこうゆがんで、呪文じゅもんされました。その都度つど狐子ここ一歩いっぽすすみ、相手あいてうしろへ退きました。ついに、相手あいて円陣えんじんふちめられ、もう一歩いっぽ退けなくなりました。

はなはなところまでいつめられ、従弟いとこ仰向あおむけにたおれました。「畜生ちくしょう!また、おまえかちちだ。きにしろ」

ひとつだけきたいことがある。だれ父上ちちうえたおすとおもっている?」と狐子ここいました。

伯母姫おばひめだ。だれもがそうっている。伯母姫おばひめ以前いぜん人間にんげんさらわれたから、人間にんげんのことがきらいだ。だから、人間にんげんかかわっている族長ぞくちょうたおしたいんだ」

狐子ここはしばらく呆然ぽうぜんすわっていましたが、それからきゅう仰向あおむけにころがったかとおもうと、ぴくぴくふるえながら、みょうこえはじめました。

狐子ここさん!大丈夫だいじょうぶですか?」と家老かろうびかけ、狐子ここのところにはしっていきました。そこにくと、狐子ここわらころげていたのだと気付きづきました。

すこしずつわらいはおさまり、やっとまたはなせるようになりました。「狐一こいちくん、あんたは本当ほんとう狐界一きつねかいいち間抜まぬけだよ。伯母姫おばひめ父上ちちうえたおしたいなんて、人間にんげんさらわれたなんて、そんなことはありえないよ」とうと、人間にんげん姿すがたけて、家老かろうられてがりました。

「しかし、だれもがそうっているよ」と狐一こいち抗議こうぎしました。

「そんなことなら、だれ伯母姫おばひめ秘密ひみつらないからだ」と狐子こここたえました。「わたし一部いちぶしからないが、それはありえないとかるよ」

「そうですとも」やみなかからこえがしました。こえほうくと、ふたつの姿すがた円陣えんじん近付ちかづいてくるのがぼんやりえました。「おとうとむかしからわたしっているとおり、秘密ひみつつたえたほうがよさそうです。明日あしたぜん一族いちぞく評議ひょうぎをしましょうか?そこで、わたし人間にんげんとのあいだはんしたつみみなあきらかにします」そうったのは尻尾しっぽ八本はっぽんきつねでした。ひめだったのでしょう。

「よし。明日あしたひるでいい。狐一こいちくん、おまえをどうしてやったらいいのかからない」ひめ供人ともびと尻尾しっぽ七本ななほんっていました。族長ぞくしょうちがいありませんでした。

人間にんげん世界せかい経験けいけんさせたほうがいいでしょうか?」とひめたずねました。

「そうかもしれない。しかし、見張みはりが必要ひつようだな…。狐子ここや、ゆき殿どののところにもどとき狐一こいち一緒いっしょれてくのだ。ゆき殿どの夫婦ふうふゆるせば、そこで一年間いちねんかんあずかってほしい」

狐子ここははっといきみました。「おとうさん、それは大変たいへん!この間抜まぬけは人間にんげんしろなどへったら、問題もんだいこすことしかしないでしょう」

狐一こいちこえげました。「問題もんだいこすのはこの人間好にんげかずきなしりかる雌狐めぎつねめだろう!こんなやつ一緒いっしょくなんて、冗談じょうだんじゃない!」

「これは族長ぞくちょうとしての命令めいれいだ。この一族いちぞく人間にんげんたいしてのにくしみを途絶とだえさせたい。わたしたち一族いちぞくてきはあのくに人間にんげんじゃない。この一族いちぞくにも人間にんげんくににとっても、てき妖怪ようかいなんだ。それで、手始てはじめにおまえ人間にんげんれて、人間にんげん風俗ふうぞく習慣しゅうかんならってもらいたい。かったな!?」

「あ、は、はい、族長ぞくちょうさま」と狐一こいち従順じゅうじゅんこたえました。

かりました、お父様とうさま」と狐子ここ力強ちからづよこたえました。

第七十二章だいななじゅうにしょう

若殿わかとのとの茶席ちゃせき

一方いっぽう、ゆきは、若殿わかとの父親ちちおやがやってくるので、その準備じゅんび仕切しきっていました。

しずんだあと、ゆきは部屋へやもどって、寝台しんだいよこになりました。

「おつかさまでございます。おそれながら、今晩こんばんのおちゃのお客様きゃくさまがもうそろそろいらっしゃるかとおもいます。おえをお手伝てつだいいたしましょうか」と女将おかみたずねました。

「ああ、もう、本当ほんとうつかれてしまったわ。今晩こんばん、ゆっくりやすみたい」とゆきはおおきくいききました。「すべてをそろえることがこれほどむずかしいとはおもわなかったわ。座席ざせきすわっているだけだとおもっていたのに、一日中いちにちじゅうしろのあちこちにって、ひとい、必要ひつようなものがすべそろっていることを確認かくにんしなければならなかったわ。なにりないものがあると、どうやってれたらいいのか、ほかなにかそのわりに使つかえるものがあるかどうかをたずねなければならなかった。その間中あいだじゅうずっとあかちゃんがおなかっている」

今晩こんばんのお客様きゃくさまはおことわりにならないのではないかとぞんじます」と女将おかみこたえました。

「え?だれかしら」とゆきがうと、女将おかみたんに「秘密ひみつです。もうすぐおかりになります」とこたえました。

ゆきは、きゃくいぶかしくおもいながらこすと、女将おかみ手伝てつだわせて茶会用ちゃかいよう着物きものそでとおしました。そして、ゆっくりと道具どうぐととのはじめました。

突然とつぜんうしろからこえこえました。「二人ふたり茶席ちゃせきたのしむのはひさしぶりだな」ゆきがかえると、若殿わかとの隣子しょうじけて戸口とぐちっていました。

「あなたが今晩こんばんのお客様きゃくさまですか」とゆきはおどろいたようにたずねると、「ちがう。今日きょうはおまえばんだよ。上座かみざすわりなさい。おれ点前てまえをみせる。おまえほど上手じょうずではないが」と若殿わかとのこたえました。

ゆきがすわっていることを確認かくにんすると、若殿わかとのはお点前てまえ披露ひろうしました。

ゆきがおちゃんでから、若殿わかとのは、「なんでそんな身重みおもからだしろ見回みまわりなどしておるのだ?家老かろう家来けらいどねをしんじないのか?」とたずねました。

しんじています。ただ…茶席ちゃせきってはいても、だれがどこでなにをしているのかはらないから」とゆきはこたえました。

「やめるべきだ。おまえのような目上めうえものみずか配下はいかどものけば、みなはたらきにくくなるだろう。それに、そんなにながあいだ自分じぶんせきはなれていると、つくえうえやまほどの報告ほうこく雑務ざつむあふかえることになる。それを理解りかいしたうえかれらをあつかうのが、我々われわれ本当ほんとう仕事しごとなんだよ」と若殿わかとの説明せつめいしました。「だれがどこでなにかをしているかなんて、必要ひつようはない。結果けっかがあれば充分じゅうぶんだ。実務じつむ家来けらいたちにまかせろ」

「なるほど。でも、報告書ほうこくしょむだけでは、それが真実しんじつかどうかかどうしてかりましょう?」とゆきはこたえました。

「それはむずかしい。残念ざんねんなことに、あるじきたいとおもっていることしか報告ほうこくしない家来けらいおおすぎる。報告書ほうこくしょをちゃんとみ、そして、その報告ほうこくをする家来けらいとよく相談そうだんし、できるだけ状況じょうきょう確認かくにんすべきだ。そうすれば、うそかるかもしれない。真相しんそうかれば、できるだけそのうそはその家来けらいによるものなのか、かれ部下ぶかからなのものなのかを確認かくにんしなければならない。うそ程度ていどおうじてばつあたえる」と若殿わかとの説明せつめいしました。

「なるほど。それならば、どうしてわたし一緒いっしょにこのくにたびしたの?そのあいだ、そういう報告ほうこくやまほどつくえにあったでしょう?」とゆきはたずねました。

若者わかとのかおあからめて、うつむきました。しばらくすると、あたまげて、「理由りゆうとえば、ひとつにはこのくに個人的こじんてきりたかったこと。もうひとつはあたらしい家老かろう能力のうりょくためしたかったこと。のこりはよめともっとしたしくなりたかったからだ」

ゆきもほおあからめました。「そうなんですか?あっ!ってる!かりますか?」というと、若殿わかとのって、おなかやさしくしつけました。

障子しょうじそとすわって二人ふたりはなしいていた女将おかみは、今夜こんや茶席ちゃせきもうけて本当ほんとうかったとおもい、にっこりと微笑ほほえみました。

第七十三章だいななじゅうさんしょう

しろもど

つぎから、ゆきは若殿わかとのすすしたがうように努めつとめました。報告書ほうこくしょんだり、家来けらい若殿わかとの評議ひょうぎをしたり、家来けらいがしていることよりも、むしろまだしていないことをかんがえようとしたりしました。

数日後すうじつご家老かろうたちがしろもどりました。家老達かろうたちはすぐにゆきと若殿わかとののもとに参上さんじょうしましたが、そのなかには見知みしらぬ若者わかもの姿すがたもありました。

狐子ここ本当ほんとうにこんな姿すがたをしなきゃならないのか?ふくるのがいやだ。あちこちにかゆくなってしまってしまうからな」と若者わかものしりいていました。

狐一こいちのバカ!このくにではこのおかたくらい一番いちばんえらいのですよ!丁寧ていねいにしなさい!」と狐子ここ従弟いとこつぶやいてから、若殿わかものかって会釈えしゃくをしました。「お殿様とのさま、こちらはわたくし従弟いとこなのでございます。お殿様とのさまがおゆるしくだされば、一年いちねんほどかれをこちらでご奉公ほうこうさせていただいて、人間にんげんのことをすこしでもならうようにとわたくしどもの族長ぞくちょうのぞんでおります。よろしくおねがいいたします」そしてまた狐一こいちかえって、うながすように目配めくばせしました。

おれは」と狐一こいちはじめると、狐子ここ視線しせんされたかのようにくちめました。「あ、いや、丁寧ていねいに、かった」とつぶやいたあとで、ふたた自己紹介じこしょうかいはじめました。「ぼく狐一こいちもうします。よろしくおねがいします」とって、かる一礼いちれいをしました。

従弟いとこをおゆるしください。まだ人間にんげん習慣しゅうかんがあまりからないのです」と狐子ここあやまりました。

「やれやれ。従弟いとこもうすのだな。ゆき殿どのもか?」と若殿わかとのって、あごでました。狐子ここうなずくと、若殿わかとのつづけました。「ゆき殿どの家族かぞくがないというのに、縁者えんじゃはどんどんやしているようだな。きつねをだよね?」狐子ここはまたうなずきました。「よし、その狐一こいちとかいうものしょくあたえることは家老かろうまかせる」

家老かろうきずついたうででました。「なに適当てきとうしょくかんがえます」といました。

狐一こいちつばみました。「ねえさん、どうしよう?あいつはなにいやしょくかせるにちがいない」と狐子ここいました。

かまわない。そうなるのは、自業自得じごじとくじゃない?」と狐子ここって、狐一こいちけ、ゆきとしゃべはじめました。

琵琶びわ法師ほうしがにっこりと微笑ほほえみ、そっとその光景こうけい記憶きおくなかとどめました。なんと面白おもしろはなしきだろう、とおもいました。

第七十四章だいななじゅうよんしょう

狐一こいち下女げじょ

家老かろう狐一こいち琵琶びわ法師ほうしおな部屋へやあてがい、「明日あしたあさ一番いちばんで、わたし執務室しつむしつなさい」とげるや、あたかももうれとでもいたげに狐一こいちけたのでした。

それから琵琶びわ法師ほうし狐一こいち部屋へやれてきました。部屋へやはいるとすぐに、狐一こいち自分じぶん姿すがたもどって、布団ふとんうえよこになり、尻尾しっぽはなけました。「ああ、気持きもちいい!ふくなんかよりも、自分じぶんほうあたたかい。それに、われのは人間にんげんふくみたいにむずむずかゆくないぞ」といました。

人間にんげん姿すがたでいるべきです」と琵琶びわ法師ほうしうと、狐一こいちうなるようにこたえました。「貴様きさま一族いちぞく以外いぎいもので、ましてや年下とししたきつねがこのおれめいじるなどとは!」

いま一族いちぞくたににいるのではありません。人間にんげん世界せかいにいるのなら、この世界せかい自分じぶんより経験けいけんがあるもの先輩せんぱいだとかんがえるべきですか」と琵琶びわ法師ほうし説明せつめいしようとすると、狐一こいちはただ、「うるさい」とうなりました。

それと同時どうじに、まだいている障子しょうじから「きゃあ!けものが!けものしろなかに!」という悲鳴ひめいこえました。琵琶びわ法師ほうしほうかえると、そこでちた布団ふとんうしろにくす下女げじょ姿すがたがありました。

琵琶びわ法師ほうし彼女かのじょ近寄ちかよって、むねきました。「まあ、まあ、こわくないよ」という呪術じゅじゅつぜた言葉ことば下女げじょかせようとしましたが、狐一こいちは「だれこわくないかいって?おれこわいぞ」とうなりました。

「きゃあ!あれ?はなせるの?」琵琶びわ法師ほうしうでしに下女げじょ狐一こいちのぞきました。「きつねですか?可愛かわいい!でてもいいですか?」とって、琵琶びわ法師ほうし見上みあげました。

「うるさい!だれ可愛かわいいものか?きつねでたいなら、そいつをでろ」と狐一こいちうなりました。

下女げじょあたりを見回みまわしました。「なに?そいつってだれのこと?ほかきつねなんていませんよ」

馬鹿ばかものめ!おまえいているものきつねだとらないのか?」

なに琵琶びわ法師ほうしさんはどこからても人間にんげんですよ。狐子ここさまきつねだといううわさがありますけど…」

琵琶びわ法師ほうし下女げじょはなしました。「わたしきつねだということはゆきさまたち以外いがい、このしろものには秘密ひみつにしておきたたかったですが、事実じじつです」とうと、本来ほんらい姿すがたもどって、しばらくするとまた人間にんげんけました。

「このても、なかなかしんじられことですもの。あの…家老かろうさまがここには布団ふとんがもう一組ひとくみ必要ひつようだとおしゃったので、これをってきました」と下女げじょうと、一礼いちれいしてからちた布団ふとんり、寝台しんだいひろげました。布団ふとんひろげながら、下女げじょはこっそりと狐一こいちでました。「わあ!とてもやわらかい!」とうと、狐一こいちはただ「うるさい」とだけこたえ、じました。しばらくすると、狐一こいちは「みぎへだ。いや、そこじゃない。もっとまえだ。そこだ、そこをけ」とって、たのしんでいる様子ようすせました。

もなく、下女げじょがりました。「まだ仕事しごとがありますからそろそろかなくては。ええと、きつねさま、まえに、名前なまえおしえていただけませんか」とたずねました。

狐一こいちだ」とうと、彼女かのじょは「はじめまして、こいちさまわたし広子ひろこもうします。よろしくおねがいいたします」とって、一礼いちれいをしました。それから、「お邪魔じゃましました」と、りました。

「もう人間にんげん仲良なかよくなっていますね」と琵琶びわ法師ほうしうと、狐一こいちはまた「うるさい」とこたえました。

第七十五章だいななじゅうごしょう

あたらしい着物きもの

つぎあさはやく、廊下ろうかからこえこえました。「ごめんください。狐一こいちさまのお着物きものくってきました」

琵琶びわ法師ほうしは、すこつようにいながら、自分じぶんいそいで着替きがえ、狐一こいち人間にんげん姿すがたになるよううながし、そしてすぐに障子しょうじけました。そこには着物こものてわにした広子ひろこがいました。

「どうぞこれをおしください」とがって、それを琵琶びわ法師ほうし手渡てわたすと、うしろにっている狐一こいちほうをちらりとました。「あなたは人間にんげんのお姿すがたをした狐一様こいちさまでしょうか。素敵すてき凛々りりしい!あの、狐一こいちさま、お着替きがえがわりましたら、ご家老かろう執務室しつむしつにおれします」

琵琶びわ法師ほうし着物きものひろげて、かおあかくした狐一こいちせました。「これはすこちいさすぎるかもしれませんね」

「うるさい」とすと、狐一こいち広子ひろこまえでその着物姿きものすがたけました。もちろん、けた着物きものはちょうどいいおおきさにわっていました。

「まあ!わたしもそんなに簡単かんたん着替きがえができたらいいのに!」とむねまえてて広子ひろこさけびました。「じゃ、ご家老かろうのところにまいりましょう」狐一こいちると、部屋へやからきました。

二人ふたり姿すがたえるまでに、琵琶びわ法師ほうしはあっけにとられてかれらをながめていました。そして、くびりながら、「昨夜さくやのまじないが効きすぎたかな」とつぶやきました。

第七十六章だいななじゅうろくしょう

あたらしい仕事しごと

家老かろう執務室しつむしつへとあるきながら、広子ひろこ途切とぎれることなく狐一こいちしゃべつづけました。狐一こいちかえはっした「うるさい」という言葉ことばこえなかいかのようかおをしている広子はひろこ途中とちゅうですれちがったものみなのことをうわさしました。

狐一こいちのとおなじようなふくているもの全員ぜんいん十二じゅうに三歳さんさい少年しょうねんで、「小姓こしょう」といった印象いんしょう広子ひろこあたえました。

狐一こいちにとって永遠えいえんおもわれるほどのなが時間じかんったあと、ようやく家老かろう執務室しつむしつきました。「家老かろう殿どののおっしゃるとお狐一こいちさまをこちらにおいたしました」と広子ひろこげました。

広子ひろこさま、小姓こしょうに『さま』などつけてはならませぬ」と家老かろううと、「でもね、このかたきつねですよね?きつね神様かみさま使者ししゃですから、『さま』をつけてもいいのではありませんか」と広子ひろここたえました。

った!このおれ小姓こしょうだと!?一体いったいどういう意味いみなのだ?」と狐一みいちはらてたようにさけびました。

家老かろう広子ひろこやりました。「狐一こいちくんはきつねであっても、いまここにいる理由りゆう神様かみさまとは関係かんけいはない。普通ふつう小姓こしょうとしてあつかいなさい」とって、視線しせん狐一こいちほうけました。「おまえは、いまきつねたににいるのではない。族長ぞくちょうさま命令めいれいはここであそべということではなかったはずだ。ここにいるものうことにしたがえ、人間にんげんならえということだ。普通ふつうに、しろつかはじめた子供こども小姓こしょうになり、はたらきながらしろのことなどをならっていくのだ。しかし、おまえはそういう子供こどもよりいくつも年上としうえであるにもかかわらず、初心者しょしんしゃ小姓こしょうよりもこちらのことをかっていないのだ。だから、一応いちおう小姓こしょうとしてはたらいてもらいたい。小姓こしょうつとめが充分じゅうぶんできたのなら、ほか役目やくめあたえるだろう」

家老かろう狐一こいちをしっからと見据みすえました。「もっと大事だいじ用件ようじは、目上めうえものへの振舞ふるまかたただすことだ。初心者しょしんしゃのおまえにとって、このしろすべてのもの目上めうえであるとかんがえるべきだ。もうすぐ殿とののお父上ちちうえさま―つまり、となりくに大名だいみょう―がおしになる。無礼ぶれい我々われわれこまらせることなどあってほしくはない。かったか?」

かった、わか…」狐一こいち突然とつぜん口籠くちごもり、せました。「かりました。頑張がんばります」

「ふむ。初心者しょしんしゃだから、城内じょうないのことがよくかるまで、だれかが指導しどうすべきだろう。広子ひろこさん、今日きょうなに大事だいじ用事ようじはあるか?」

「ありません」

「よし。今日きょうはそいつを指導しどうするように」と、家老かろうふでかみって、なにかをはじめました。

広子ひろこおどがらんばかりのよろこびようでした。「わーい!狐一こいちくん一緒いっしょはたらけて、うれしい!ありがとうございます」

狐一こいちあわてて広子ひろこました。「この口煩くちうるさ少女しょうじょそばにいるなんて、ぼくばつうけているのですか?うできずつけたことの?」

たにこったこととは関係かんけいない」家老かろうかみ狐一こいちしました。「いいか、これを台所だいどころってってこい。まだ食事しょくじをしていないのなら、もどまえ朝食ちょうしょくにしてもいい」

「はい、了解りょうかいしました」とうと、狐一こいち広子ひろことも事務室じむしつきました。

二人ふたりえたあと家老かろうすこしのあいだぐちながめていました。それから、だれもいないはずの部屋へやかって、こういました。「おまえ、どうおもう?あいつは予想よそうより大人おとなしかったね」

つくえしたからねずみてきて、赤毛あかげおんな姿すがたけました。「そうよ。もしかして、伯母おばさんのはなしのせいかもしれない。それとも、ここに味方みかたがいないからそうふうっているかもしれない。結局けっきょく、あなたにたいして反抗はんこうするはあまりなさそうだ。ところで、あの広子ひろこというむすめ面白おもしろいのよ。きつねきだなんておもわなかった。このまえに、ねこただけでもこわがっていたのに。どうしてきつねきになったのだろう?狐一こいちやつのせいじゃないみたいね。人間にんげん姿すがたをしているきつねだけがきのかしら?調しらべてみる。それじゃ」というと、ねこ姿すがたけて、部屋へやきました。

家老かろうはただくびよこるばかりした。「きつねおんななんてさっぱりからない」とつぶやき、報告書ほうこくしょって、はじめました。

第七十七章だいななじゅうななしょう

広子ひろこ小猫こねこ

その一日中いちにちじゅうしろのあちらこちらで狐一こいち広子ひろこともにちょっとした使つかいにいつけられました。そのあいだ広子ひろこあたりのひと場所ばしょについてなくはなつづけました。当初とうしょ狐一こいち広子ひろこはなしながしていましたが、つぎからつぎへと使つかいをやらされると、広子ひろこまえもっておしえてくれたひと場所ばしょ用事ようじいつけられることに、だんだんがついてきました。そして、みみまして、広子ひろこはなしていることに注意ちゅういはじめました。

ある使つかいの途中とちゅう二人ふたりかどがると、広子ひろこ突然とつぜん狐一こいちうでみました。「いや!たすけて!野獣やじゅうが!」とさけびました。

広子ひろこかかえて、狐一こいち足元あしもとでニャンニャンと小猫こねこ見下みおろしました。野獣やじゅうといっても、小猫こねこがいるだけでした。

「アレがこわ野獣やじゅうなのか!?あのちいさなものがか?」

「いや!ちいさいおおきいの問題もんだいじゃないない!はやはらって!」広子ひろこ狐一こいちきついてかれかたかおめました。

「さすがは広子ひろこちゃん!」広子ひろこ悲鳴ひめい反応はんのうしているように廊下ろうかしたものみなくすくすとわらいました。

広子ひろこぬくもり、やわらかさ、とりわけ彼女かのじょ女性じょせいらしいにおいにふと気付きづいて、狐一こいちほおあかめました。「おい!おまえ!あっちへけ!」といながら足先あしさき小猫こねこかるたたきました。そると小猫こねこ欠伸あくびをしながらゆっくりとがってあるると、どこかへあるいていってしまいました。

小猫こねこえると、広子ひろこはようやく狐一こいちうでからはなれて、狐一こいちかって、ふかあたまげました。「ありがとうございます。たすかりました」

「とんでもない!そんなやつ、危険きけんなはずもない!」

「だって、こわいんだもの。たすかったんだってば!もう、どうしてだれわたしのことをかってくれないの?」と広子ひろこって、げるように廊下ろうかしました。

おれるわけないだろう。け、おんな人間にんげんまったくわけがからん」と狐一こいちつぶやいてから、「おい、てよ!」とさけんで、広子ひろこけました。「なにさわることをったのなら、あやまる!」

小猫こねこえたところから、赤毛あかげかおのぞきました。「面白おもしろい。ねこでさえ、まだこわいのね」と狐子ひろこつぶやきました。

第七十八章だいななじゅうはっしょう

狐子ここからのため

もう一回いっかい使つか途中とちゅう広子ひろこ狐一こいちかどがると、よかているきつねえました。いますぐ、広子ひろこきつねのところにはしりました。「可愛かわいい!」とって、きつね毛並けなみをはじめました。

「おい、あぶない!そいつにまれるかもしれない!」と狐一こいちうと、広子ひろこそばりました。すると、きつねをよくました。「おまえ、なんでその姿すがたを?いつも人間にんげん姿すがたでいたいのかとおもっていたのに」

きつね赤毛いかげむすめ姿すがたけました。「あっ!狐子様ここさま失礼しつれいいたしました。すみません」と広子ひろこって、ふか会釈えしゃくしました。

にしないで。問題もんだいはありません」と広子ひろこ一礼いちれいかえして、狐一こいちかえりました。「このは、わったようなの。以前いぜんはどんなちいさなけものても、こわがっていたのよ。それはしろだれもがっていたわ。でも、今日きょうきつねだけがこわくないようなの。どうして?」と狐子ここたずねました。

おれのせいじゃないよ。くちまる呪文じゅもんでさえをこのくちうるさいおんな人間にんげんにつかなかった。昨夜さくや、この悲鳴ひめいげたとき、あの琵琶法師びわほうしやつなにかをしたかもしれない」

「まあ、もうすぐあのひとはなすとおもう。ところで、このしろのみんなはあんたにとって目上めうえかんがえたほうがいいと家老かろうさんがったんじゃない?あんたが広子ひろこちゃんに丁寧ていねいはなすことをくこと一度いちどもない」

畜生ちくしょう!なぜきつねのこのおれ人間にんげんめらにあたまげなきゃ?伯父貴おじき命令めいれいへんだぞ」

ちち命令めいれいだけじゃないよ。伯母様おばさまのぞみでもあるのよ。このしろには関係かんけいのおかたがいるし、伯母おば間違まちがいをかえさないよう、家族かぞくがこのくに関係かんけいをもっとつよくなるようにねがっているとあんたにもかるはずだよ。伯母様おばさまはなしかなかったのか?」

「ふむ。そういえば、伯母おば間違まちがいはなんだったっけ?」

間抜まぬけ!そのはなしをまたひまがあるはずがないのよ。仕事しごとつづけたほうがいいよ」

そうしかられて、狐一こいち広子ひろこ一緒いっしょ用事ようじをしにりました。狐子ここはしばらく二人ふたりながめて、あきれたようにくびよこりました。そして、狐一こいち部屋へやほうかって小走こばしりでいるはじめました。

第七十九章だいななじゅうきゅうしょう

琵琶法師びわほうし告白こくはく

もなく、狐子ここ狐一こいちたちの部屋へやきました。琵琶法師びわほうしはそのなかにいました。かれは、大名だいみょうたずねてきたら、どんなうたうたうのがよいとあたましぼっているところでした。狐子ここ障子しょうじけてなかはいると、かれつくえから視線しせんげて、お辞儀じぎをしました。「先生せんせい、こんにちは。今日きょう修行しゅぎょうはもっとおそ時間じかんではないのですか。いまなに用事ようじがありますか」

「あの広子ひろこというむすめさんをってますか」

琵琶法師びわほうしはしばらくくびかしげけて、うなずきました。「ふむ。狐一こいちさんをご家老かろう執務室しつむしつれてったひとですか?はい、っています」

広子ひろこちゃんはなにかまじないがかけられてるようですが、なにっているかしら。どんなのろいかかりますか?」

琵琶法師びわほうしうつむきました。「昨晩さくばん狐一こいちさんがきつね姿すがたのままここでやすんでいるとき、あのむすめ狐一こいち姿すがたてしまい、悲鳴ひめいげたのです。彼女かのじょかせようと、きつねおそれないようにする呪文じゅもん使つかってしまいました。もうわけありません」

「もう、どうしてだれ伯母様おばさまはなしにちゃんといていないのかしら」とつぶやくと、狐子ここおおきな溜息ためいきをつきました。そして、きびしい視線しせん琵琶法師びわほうしほうけました。「しょうがないわね。どんな呪文じゅもん使つかったのかをおしえなさい」

琵琶法師びわろうし呪文じゅもん種類しゅるい説明せつめいすると、狐子ここはまたかれしかりました。「そんな!あんな呪術じゅじゅつてきでないもの使つかうなんて、しんじられません。あれは相手あいて判断力はんだんりょく麻痺まひさせて、しまいにいのちまでうばってしまうものではありませんか。さあ、きましょう」

わたしがですか?どちらへ?」

狐一こいちよりおろかなものになろうというの?あのむすめつけ、じゅついをきにきますよ。これは今日きょう修行しゅぎょうです。はやく!」と狐子ここうと、二人ふたり部屋へやました。

第八十章だいはちじっしょう

のろいを

もなく狐子達ここたちはさっき狐子ここ狐一達こいちたちった場所ばしょきました。すると、狐子ここきつね姿すがたけて、狐一達こいちたちにおいをけながらはししたので、琵琶法師びわほうし彼女かのじょいかけざるをませんでした。

しばらくすると、二人ふたり狐一達こいちたちいつきました。広子ひろこ狐子ここ気付きづくと、「可愛かわいい!きつねって大好だいすき!」とこえし、狐子ここのところまではしって狐子ここげました。彼女かのじょうしろから「おい、広子ひろこさん!狐子ここあそんでいるひまはないんじゃありませんか?」とこえこえました。

「うぐ!このわたししつぶすまえに、まじないをきなさい!」と狐子ここがいうと、うしろからけて琵琶法師びわほうし広子ひろこうでれました。

すると、広子ひろこは「きゃあ!」と悲鳴ひめいげながらたおれ、広子ひろこ腰元こしもとされた狐子ここ人間にんげん姿すがたもどりました。広子ひろこ狐子達ここたちからできるだけとおくへうようにげて、やっと狐一こいち足下あしもとまりました。狐一こいちかお見上みあげて、さらにたか悲鳴ひめいげ、廊下ろうかかべまでってげました。そこで広子ひろこいてふるえながらまるめました。「きゃあ!きつねかこまれてる!だれか、たすけて!」

「おまえら、なにをした?広子ひろこさんをきずつけたら、けっしてゆるさないぞ!」狐一こいちこぶしにぎって狐子ここにらみました。

狐一こいち馬鹿ばか!あのにかけたのろいにづかなかったの?琵琶法師びわほうしさんはただそれをいたの!」

「け!あれ、六ヶ月ろっかげつ子狐こぎつねでさえけるんじゃない?」

間抜まぬけ!人間にんげんきつねのまじないをくなんて出来できるはずがないでしょう?」

「ふむ。…できないのか?け、とにかくあれはあの法師ほうしとかいう野郎やろうのせいんじゃない?」

琵琶法師びわろうしかる咳払せきばらいしました。「先生せんせい、すみませんが、あと従弟いとこさんと喧嘩けんかできるのでしょうか。いまは、とりあえずあのむすめのことをかんがえましょうか」と広子ひろこしめしながらたずねました。

第八十一章だいはちじゅういっしょう

まも

狐一こいち広子ひろこちかづこうとしました。しかし、広子ひろこの「きゃあ!ちかづかないで!たすけて!どうして、だれたすけてくれないの?」という悲鳴ひめいくと、狐子ここわきがりました。「広子ひろこさん!一日中いちにちじゅうこわがらずに一緒いっしょにいたのに、どうしていまさらそんなことを?」ときました。

「やめておきなさい。」と狐子ここうと、狐一こいち彼女かのじょほうへとかいました。「恐怖きゅうふうばうようにするのろいがかれたから、のろいをかけているあいだ恐怖きょうふ一度いちど広子ひろこちゃんにおそったのよ。なにっても無駄むだなの。仕方しかたない。呪術じゅじゅつ使つかほかにこのかせるはないね」

琵琶法師びわほうしこえをかけました。「すみませんが、この問題もんだい呪文じゅもんのせいなら、ほか呪文じゅもん使つかうと問題もんだいはさらにおおきくならないでしょうか」

「すぐえるおまじないだけを使つかうつもりですもの。いのちにも意思いしにも影響えいきょうしないでくようにするだけのおまじないなら、問題もんだいないでしょう。ほら、て」とうと、二人ふたり彼女かのじょ興味深きょうみぶかそうにながめました。狐子ここがしたことは人間にんげんからると何事なにごとこりませんでしたが、琵琶法師びわほうしうなずき、狐一こいちうで狐子ここからそむけました。「け、そんな簡単かんたんなこと、おれができたはずなのに」そうっているあいだに、広子ひろこ悲鳴ひめいちいそくなり、やがてきええました。

まだふるえているむすめ狐子ここやさしくたずねました。「広子ひろこちゃん、わたしどもがこわいですか」広子ひろこくびはげしくたてりました。「このままでいいですか」しばらくして、くびはげしくよこまもられ、むすめなにかをつぶやきました。「こえません。ちかづいてもいいですか」またくびはげしくよこられましたが、ふいにまり、かるうなずきました。できるだけしずかにゆっくりと狐子ここちかづくと、広子ひろこつぶやきがこえました。「狐一君こいちくんおびいとおもいたくない。可愛かわいけものこわいとおもいたくない。わたしのことをわらわないでしいの。こわいのがいやなの」

こわくなくなるように手助てだすけをしてもいいですか」広子ひろこかすかにうなずいたのをて、狐子ここはゆっくりと着物きものなかれました。そして、くびけるあかつくったちいさい人形にんぎょうしました。「このおまもりをかけていると、だんだん可愛かわいけものれて、恐怖きょうふるでしょう。おまじないはこのおまもりにかけただけです。いつでもこれをててかまいません。もう、このような恐怖まもおそってこないでしょう。どうか、これをってください」と狐子ここうと、人形にんぎょうったをゆっくりと広子ひろこばしました。広子ひろこうばうように人形にんぎょうるとと、ひもくびけて、人形にんぎょう着物きものなかれました。すると、だんだんふるえがおさまり、きました。

「もう、狐一こいちそばくことが出来できますか」

「たぶん」広子ひろここえすこつよくなりました。

家老かろうさんはっているんでしょうね。いそいだほうがいいでしょう」狐子ここがそううと、広子ひろこうなずいて、がりました。それから、なにわずに広子ひろこ狐一いっしょともいま仕事しごとつづけました。

第八十二章だいはちじゅうにしょう

家老かろうとの面会めんかい

狐一達こいちたち家老かろう執務室しつむしつもどると、広子ひろこだまってうつむいたまま狐一こあちけるかのようにえました。家老かろうはすぐにそれにづき、狐一こいちけました。「おまえ広子ひろこなにをしたんだ?」

狐一こいちはらったようににらかえしました。「おれのせっ」といかけましたが、ふいにせました。「あ、いや、そんな、わたしなにもしていません」

広子ひろこせたままくちひらきました。「どうか、狐一君こいちくんゆるしてください。いいですよ。本当ほんとうなにわるいことなどしていません。すべてはわたしのせいです」

家老かろうせきからがり、広子ひろこちかづきました。「どういう意味いみですか。説明せつめいしなさい」

広子ひろこほおなみだきました。「なぜかのろいがわたしにかかっていたようです。のろいがかれるやいなや、狐一君こいちくん狐子様ここさま琵琶法師びわほうしさんもこわけものにしかえなくて、わたし悲鳴ひめいげることしか出来できせませんでした。狐子様ここさまがこのおまもりをくださってからは、だんだんいてきましたが、すこしずつこわさはっているのに、まだ完全かんぜんにはえません」とって、赤毛いかげ人形にんぎょう家老かろうせました。

「ふむ。あいつをしろのあちこちへ案内あんないしたのだから、今日きょうはもうがってやすんでもよい」

「でも、まだはたらけますわ」

心配しんぱいらない。がりなさい。明日あした元気げんきもどれ」と家老かろううと、広子ひろこあたまふかげてから部屋へやました。狐一こいち広子ひろこについてこうとすると、家老かろうは「おまえ、どこへこうとしている?」とって、かれあしめました。「広子ひろこのろいをかけたのはおまえなのか?」

狐一こいちあわてて両手りょうてりました。「ちがいます!こちらだはなん呪術じゅじゅつ使つかったことがありません!姿すがたえることをのぞいては」

「おまえでなければ、だれなんだ?」

「あの法師ほうしやつでしょう。広子ひろこさんがたまたまきつね姿すがたのままのわたしかけて悲鳴ひめいげたとき、あいつはなにかをしたようです」

「なぜきつね姿すがたでいたんだ?」

着物きものなんかをると、あちこちがかゆくなりくこともむずかしくなるのでいらいらします。きつね姿すがたほう気持きもちちいいです」

「そんな姿すがたでいるから問題もんだいきるのだ。かゆみをらしたかったら、びればいいんではないか。琵琶法師びわほうしさがして一緒いっしょもどれ。狐子ここさんに出会であったら、こちらにるようにとつたえてくれ」狐一こいちろうとすると、家老かろうはまたこえをかけました。「ところで、琵琶法師びわほうししろにおいても人間界にんげんかい経験けいけんにおいてもおまえ先輩せんぱいだ。『やつ』などとぶな」

「あっ、はい、かりました」とうと、狐一こいち執務室しつむしつて、廊下ろうかあるはじめました。そして、「け、どうしてわるいことがこると、いつもみんなおれのせいだとおもうんだ?」とつぶやきました。

第八十三章だいはちじゅうさんしょう

頭痛ずつう

狐一こいち琵琶法師びわほうしとともに執務室しつむしつもどると、狐子ここ家老かろうはなしをしていました。「今度こんどはおまえしかられるばんだぞ」とひく琵琶法師びわほうしつぶやいてから、狐一こいちはニヤニヤわらいながらこえげました。「おおせのとおり、琵琶法師びわほうしさんをれてまいりました」

家老かろうがって、琵琶法師びわほうしちかづきました。「広子ひろこというむすめのろいをかけたのはおまえだな。説明せつめいせよ」

もうわけございません。あのきつね姿すがたでいた狐一こいちさんを悲鳴ひめいげたのをて、かせようとおもわず呪術じゅじゅつ使つかってしまいました。その呪文じゅもん人間にんげんたいしてそれほど危険きけんだとはりませんでした。狐子先生ここせんせいもとでもっと勉強べんきょうはげみます。反省はんせいします」とうと、琵琶法師びわほうしふかあたまげました。

家老かろう二人ふたり見回みまわしました。「こんな事件じけん二度にどこさないでほしい。とく殿とののお父上ちちうえがこちらにいらっしゃっているあいだは、殿とのずかしいおもいをさせてはならん。かったな?」

狐一こいちみはすぐにえました。二人ふたりうなずきました。

「だから、二人ふたりとも、通常つうじょう仕事しごとくわえ、毎日まいにち狐子ここさんのもと適切てきせつ振舞ふるまかたならってもらいたい。かったな?」

狐一こいちたちがまたうなずくと、家老かろうは「がれ」といのちじて、せきもどりました。二人ふたり部屋へやようとしたとき、ほとんどれないぐらいのちいさなこえで「け、まれたばかりのたぬきほうがあの女狐めぎつねよりも適切てきせつ振舞ふるまかたくらいかるだろうよ」と言うのがこえました。

障子しょうじまると、家老かろう両手りょうてあたまかかえました。「あたまいたい。あいつらに噂話うわさばなしをするやつらのいじめかたまでおしえないでくれ」

狐子ここ何食なにくわぬかおこたえました。「あら、わたしがいじめかたおしえるなんて、とんでもない。いじめたことうらないのに」

うそをつくな。ゆきさまについてわるうわさったときだれがあいつらをいじめていたのかも、どうしてそうしたのもかっている。ただ、これからあいつらに模範もはんしめしてくれ。とく狐一こいちやつに」

狐子ここはクスクスわらいました。「頑張がんばります」

第八十四章だいはちじゅうよんしょう

殿様とのさま到着とうちゃく

それから狐一こいちはだんだんしろらしにれてきました。広子ひろこけものたいする恐怖心きょうふしんえたあとでも、狐一こいち口答くちごたえはえませんでしたのに、ひまさえあれば、二人ふたり一緒いっしょにいることがおおくなりました。

狐子ここからの修行しゅぎょう喧嘩けんかごしにもかかわらず、狐一こいち振舞ふるまいはだんだん礼儀れいぎただしくなって、家老かろうしかられることはってきました。

しばらくすると、殿様とのさま到着とうちゃくました。見張みはしょから殿様とのさまはたえると、ゆきたち城門じょうもんあつまりました。ゆきはふかあたまげました。「お義父上ちちうえ、こちらへようこそ。長旅ながたびでおつかれでございましょう。お食事しょくじ用意よういさせてありいます。どちらでもおくつろぎください」

殿様とのさまはゆきの姿すがたやりました。「ほお、おなかおおきくなっとるな。すぐにまごができるんじゃろうな。おまえ素晴すばらしい茶道さどうをまたたのしんでみたいが、どうじゃ?」

「もちろんですとも。こちらへいらしていただけたら、すぐに道具どうぐ用意よういいたします」とうと、ゆきは殿様とのさま若殿わかとのれて自分じぶん部屋へやへとかってあるしました。

すると、家老かろうこえをかけました。「狐一こいち荷物にもつっている家来かろう殿様とのさま部屋へやれてけ。そして、兵舎へいしゃへ」

「かしこまりました」とうと、狐一こいち殿様とのさま家来けらいれてました。

狐子ここ家老かろうちかづいてささやきました。「狐一君こいちくんはいいになったでしょう」

「みたいだな。しかし信用しんようならない。この訪問ほうもん問題もんだいなくわるよういのっている」と家老かろうちいさくこたえました。

第八十五章だいはちじゅうごしょう

殿様とのさまとの茶席ちゃせき

ゆきのおちゃんだあと殿様とのさまこえをかけました。「ほお、なつかしい。ここで素晴すばらしいお茶席ちゃせきたのしむのは十五年じゅうごねんぶりのことじゃな。そなたのお点前てまえはすぐにおばあさんをえるじゃろうな」

ゆきのかおあからみました。「祖母そぼのお点前てまえくらべられるなんて、とんでもないことです」

「もうひとなつかしいことがある。あのもんった、赤毛いかげ女子おなごじゃ。ここで籠城ろうじょうしていたときのぞいて、赤毛いかげものったことはない。しかも、あのはあのときとよくとる」

「あっ、それは狐子ここさんです。そういえば、狐子ここさんもここに籠城ろうじょうしていたとっているのです」

「とんでもない!あのは、まだ二十歳はたちにもなるまい。しかし、あのときたしか『ここ』という名前なまえだったとかすかにおぼえておる。もんにいたはあのときむすめなにかかな」

「でも、狐子ここさんのほかにもう一人ひと籠城ろうじょうしていたものがいます。家老かろうさんも狐子ここさんが籠城ろうじょうしていたとしんじているようです」ゆきはうなずいている若殿わかとのほうをちらりとあと、「女将おかみさん、家老かろうさんと狐子ここさんをさがしてここにるようとつたえてください」女将おかみ会釈えしゃくをして部屋へやると、ゆきはまたはなしました。「あの者達ものたちあいだに、もっとおちゃでもがりませんか」

しばらくすると、女将おかみ狐子達ここたちれてもどりました。しかし、かれらを殿様とのさま紹介しょかいするやいなや、廊下ろうかからけて足音あしおとこえました。もなく障子しょうじいて、かたいきをしている広子ひろこ戸口とぐちっているのがえました。「家老様かろうさま大変たいへんです!狐一君こいちくんが…家来達けらいたちと…喧嘩けんかしています!」

「あいつめ!」とさけぶと、家老かろうがり、みなとも部屋へや広子ひろこについてきました。

第八十六章だいはちじゅうろくしょう

狐一こいち家来達けらいたち

狐一こいち家来けらいたちを殿様とのさま部屋へやれて途中とちゅう家来けらい一人ひとりかれこえをかけました。「おい、そこの餓鬼がき普通ふつう小姓こしょうよりもずいぶんと年上としうえなんじゃないか?なぜまだ小姓こしょうのままなんだ?そんなにあたまわるいのか?」

狐一こいちいしばりましたが、家老けらいの「問題もんだいこすな」という言葉ことばおもし、だまってあるつづけました。

殿様とのさま部屋へやくまで狐一こいち家来けらいたちに侮辱ぶじょくつづけましたが、狐一こいちこえないりをしたまま歩きました。しかし、部屋へや殿様とのさま荷物にもついてそこをもなく、話題わだいわりました。「ほら、このしろあるじ殿との若君わかぎみだったじゃない?なぜお世継よつぎをうしなってまで、こんなところへ追放ついほうしたのかな?」

「いいか、あのかた百姓ひゃくしょうむすめこいちたんだな。なぜか殿とのはそのおんな結婚けっこんさせてやったが、そのわりにお世継よつぎを次男じなんゆずらせなければならなかったのだ」

この台詞せりふくと、狐一こいちあたまのぼったようにかえってびました。「ゆきさま百姓ひゃくしょうなんかぶな!あやまれ!」

家来けらいたちは高笑たかわらいをしました。「この餓鬼がきおれらのおさのつもりでいるぞ。おい、小姓こしょうめ、おれらがあやまらないならどうする?」

ちょうどそのとき広子ひろこはそこををとおりかかりました。その光景こうけいるなり、狐一こいちもとってこえげました。「狐一君こいちくん!お客様きゃくさまさけばないで!家老様かろうさまからばつけるわよ!」

家来達けらいたちはさらに高笑たかわらいをしました。「ほら、この餓鬼がき女子おなごまもられないと駄目だめなようだぜ!」そして、家来けらい一人ひとり広子ひろこつかんでせました。「俺様おれさまほうがあの餓鬼がきよりもいい恋人こいびとになるぞ」

「きゃっ!はなして」と広子ひろこうがはやいか、その家来けらいはすでにたおれていました。その仰向あおむいている姿すがたまたがっているのは狐一こいちでした。「広子ひろこさん!家老様かろうさまびにって!」

「ほお!この餓鬼がき度胸どきょうがあるな!くぜ!」と家来けらい一人ひとりわるまえに、広子ひろこ廊下ろうかけてきました。

第八十七章だいはちじゅうななしょう

喧嘩けんか

家老達かろうたち殿様とのさま部屋へやちかくまでると、ドカン、ドシンというただならぬおとこえてきました。かどがると、十数人じゅうすうにん男達おとこたちなかあばれているだれかをとらえようとしながらたおれたりかべばされたり悪戦苦闘あくせんくとうしているところでした。「やめろ!」と家老かろうさけぶと、そこにいた者達ものたちはいっせいに大名達だいみょうたちほうき、こおいてしまいました。

家老かろうはその惨状さんじょう見渡みわたしながらいました。「城内じょうない喧嘩けんかをするとはどういうことなのか?説明せつめいせよ!」

きずだらけの家来達かろうたち一人ひとり狐一こいち指差ゆびさしました。「こいつが仲間なかまたおしたんです」

かすりきずひとつなさそうな狐一こいちふかあたまげると大名だいみょうかっていました。「もうわけございません。自分じぶんたいする悪口わるぐちてることができたのですが、ゆきさま百姓ひゃくしょうだとか殿とのはこちらへ追放ついほうされたとかいうようなひどいことをき、そのうえ広子ひろこさんが乱暴らんぼうあつかわれているのをるとだまっていられなくなってしまいました」

ゆきと若殿わかとの殿様とのさま呆然ぼうぜん見返みかえして、そして、ドッとわらしました。「わたし大名だいみょうむすめではありますが、農村のうそんそだちなので、百姓ひゃくしょうばれてもにしませんよ」とゆきはいました。

殿様とのさまこえをかけました。「息子むすこ追放ついほうしたのなら、どうしてわしがここをたずねよう。息子むすこや、ところで、あの小姓こしょうしてくれないか?くに武道ぶどう指南役しなんやくえなくてはならんらしい」

若殿わかとのくびりました。「残念ざんねんながら、あのもの同盟族どうめいぞくからのあずかりもので、教育きょういくわれらにまかされています。だから勝手かってにおしするわけにはまいりません。さあ、茶席ちゃせきもどりましょう。そこでこのことについてもっとくわしくはなしましょう。家老かろう、あの連中れんちゅうをそなたにまかせる」とうと、若殿達わかとのたちはゆきの部屋へやへとかってりました。

家老かろうあたまきました。「狐一こいち執務室しつむしつって沙汰さたちなさい。広子ひろこ、あの乱闘らんとう始末しまつをせい。おまえらの処罰しょばつについては、殿様とのさまがおめになるだろう。わたしについて兵舎へいしゃまいれ」

家老かろう狐一こいちそばとおぎるとき、ボソッとつぶやいたのをのがしませんでした。「おれ一人ひとりだけで百頭ひゃくとう人間にんげんたたかっても、当然とうぜん俺様おれさま勝利しょうりだとっただろう?」

第八十八章だいはちじゅうはっしょう

小姓こしょうをやめる

狐一こいちはしばらく執務室しつむしつそと廊下ろうかかべにもれながらちました。「け、あのさわぎのおかげで、おれきつねたにもどされるかもしれない」とつぶやいたあとで、おおきなためいきをつきました。「しかし、こんなにはやもどると、おれなに問題もんだいこしたとみんなが邪推じゃすいして、伯母姫おばひめかおつぶすことになるにちがいない。どうしたものか?」そしてしのわらいをしました。「だが、人間にんげんどもをぶっばすのはたのしかったぞ。大怪我おおけがしないようにをつけなくちゃいかんがな」

やっと足音あしおとこえてきました。狐一こいち背筋せすじばしてがりました。すぐに家老けらいあらわれて、執務室しつむしつ障子しょうじけました。つくえ着席ちゃくせきしたあと、「はいれ」とめいじました。

狐一こいちつくえちかづき、だまってそこにちました。

小姓こしょう勝手かってに、訪問中ほうもんちゅうさむらい大喧嘩おおげんかするなどゆるされることではない。かったな?」

狐一こいちつばんで、うなずきました。

くあるうえは、小姓こしょうとしてのつとめは解任かいにんする。ほか仕事しごとめいじる。うまや掃除そうじなどをな。ふむ」かみふでり、家老かろうなにかをはじめました。狐一こいちいきめました。手紙てがみたたんでふうじてから、家老かろう狐一こいちしました。「これを親衛長しんえいちょうとどけよ」

狐一こいち手紙てがみり、ました。「いったいこれにどんなことがかれているのかな」とおもいながら廊下ろうかあるきました。

第八十九章だいはちじゅうきゅうしょう

殿様とのさまとの会話かいわ

一方いっぽう、ゆきたちはゆきの部屋へやもどりました。みな正座せいざしたあと殿様とのさますなはじめました。「狐子殿ここどの、わしがここに籠城ろうじょうしていたとき、おまえのような赤毛あかげむすめったことがあるな。おまえはそのだそうだが、それはしんじがたいことじゃ。そののように、おまえ十代後半じゅうだいこうはんえる。おまえると、そのとるがする。おまえ本当ほんとうにそのか?それとも、そのむすめとか、いもうとではないのか?」

本当ほんとうですよ。これなら、おしんじていただけますか」と狐子ここうと、突然とつぜんかみ半分はんぶん灰色はいいろになり、くちまわりにしわあらわれました。「それとも、こうならばどうですか」今度こうどからだふとからだになりました。「でも、そんな姿すがたはあまりたのしくありませんね。これでいいです」狐子ここもと姿すがたもどりました。

殿様とのさまおどろいていました。「まさか、何者なにものだ?息子むすこや、妖怪ようかいなにかがここにむことをゆるしているのか?」

父上ちちうえ狐子ここきつねのようです。ゆきをたすけたきつねむすめだそうです」

「なるほど。きつねひと姿すがたけることができるそうだな。狐子殿ここどの、どうしてそんなに目立めだったかみいろをしているのか?たったいまのように、かみいろわれるな」

狐子ここあま微笑ほほえみました。「きつねだから、まれたときからこのいろなので、これがきなのです。だから、姿すがたけるおまじないをならったとき目立めだつかどうかかまわず、このいろでいいとめました。まあ、あなたさまなら、どんないろにするのですか?」

「ふむ」殿様とのさまあごでて、丁髷ちょんまげさわりました。「どんないろかみにでもできるのなら、この銀髪ぎんぱつもとくろにするだろうな。なにしろ、まわりのものおなじようないろにしかしたくないとおもう。『くぎたれる』とうからな。ところで、おまえはどのように当時とうじ包囲ほういされたしろせたのか?わしらとおなじく、家来けらいによって地下道ちかどうのありかをったのか、それともきつね呪術じゅじゅつげたのか?」

狐子ここはくすくすとわらいました。「わたしきつね能力のうりょくであの地下道ちかどうつくって家老かろうさんにせたのですもの」と、ゆきとどの関係かんけいがあることや、どうしてあのとき彼女かのじょ籠城ろうじょうしていたのかを説明せつめいはじめました。その途中とちゅう家老かろうもどってきて、自分じぶん経験けいけんくわえました。

そのあと殿様とのさま二人ふたり見比みくらべながらにやりとわらい、「ほ、二人ふたりとも、恋愛れんあいしたらしい。結婚式けっこんしきはいつだ?」とかがやかせながらきました。

狐子ここ家老かろうあわててててしばらく沈黙ちんもくしました。そして、家老かろうは「そ…そのようなことは、ま…まだめていません」とい、狐子ここは「ちちは…族長ぞくちょうはまだちょっと…」といました。

「ほ、もう自分じぶん意志いしきているというのに、問題もんだい父親ちちおや許可きょかなのか?そうじゃ、わしにまかせろ。狐殿きつねどのびなさい。わしが仲人なこうどになろう」と殿様とのさまうと、狐子ここは「そんなにもったいない言葉ひとばをしてくださったら、本当ほんとうにありがとうございます」と、ふかあたまげました。

殿様とのさまひざたたき、若殿とのさまほう視線しせんきました。「よし!息子むすこや、不思議ふしぎ琵琶法師びわほうしやとっているそうだ。あいつはどこにかくれているのか?」

第九十章だいきゅうじっしょう

狐一こいち親衛長しんえいちょう

一方いっぽう狐一こいち道場どうじょうきました。そこでは親衛長しんえいちょうぼう木剣ぼっけん修行しゅぎょうしている男達おとこたち見守みまもっていました。狐一こいち家老かろうからの手紙てがみわたすと、親衛長しんえいちょうは「ちょっとて」とい、手紙てがみみました。

そして、「さむらい喧嘩けんかしたいらしいな」とい、狐一こいちおおきさをはかってから、たなから男達おとこたちているとおなじような綿入わたいれのふくしました。「これをなさい」と、狐一こいちふくあたえ、練習用れんしゅうよう武器ぶきならんでいるたなから一本いっぽうぼうりました。それを着替きがえた狐一こいちわたし、ぼう使つかっているおとこ一人ひとりびました。「この小姓こしょう武士ぶしたたかいたいらしい。実力じつりょくてみたい」とうと、狐一こいちほうかいました。「たれないでそいつをってみろ」

このぼうをどう使つかえばいいのかからないまま、狐一こいち呆然ぼうぜんぼうつめているあいだに、おとこぼうちゅうり、狐一こいちっていたぼうをはねばし、狐一こいちむね目掛めがけてんできました。しかし、そのときには、狐一こいちはもうそこにいませんでした。

その攻撃こうげきうえから反応はんのうおそすぎるおとこかってんでくる狐一こいちは、相手あいてかたり、うしろへよろけさせました。おとこたおれるのと同時どうじに、狐一こいちもと場所ばしょかる着地ちゃくちし、親衛長しんえいちょうの「やめろ!」というさけびがこえました。

親衛長しんえいちょう狐一こいちとしたぼうげ、「武器ぶきはなすな!これで相手あいてたたけけとったろう」と怒鳴どなりつけました。

「こんなのの使つかかたかりません」と狐一こいちゆびばしたりったりしながら「ぼくにとって、これさえあれば、武器ぶき充分じゅうぶんですよ」といました。

自分じぶんたたかうなら、素手すでたたかってもかまわん。しかし、親衛隊しんえいたいはいったら、隊員たいいん一人ひとりとしてたたかうことが必要ひつよう場合ばあいおおい。そんなとき全員ぜんいんがそれそぞれに必要ひつよう武器ぶき使つつかわなくちゃならんぞ」

親衛隊しんえいたいはいると…?なるほど」狐一こいちしろてから、はじめてかがやいていました。「じゃあ、このたたかかたならって頑張がんばります」とうと、あらためてぼうって、練習れんしゅうしている男達おとこたちかまえを真似まねました。

第九十一章だいきゅうじゅういっしょう

殿様とのさまきつね

ちょうどあの翌朝よくあさきつね狐子ここ部屋へやあらわれました。「狐子ここや、なぜこんなにきゅうにここにるようにんだのだ?まさか、ゆきにおまええないほどひど事件じけんこったのか」ときました。

狐子ここくびよこり、「そんなことはないわ。ただ、お父様とうさまいたいとおっしゃっているおかたがいるの。こちらへどうぞ」とうと、殿様とのさまがゆきたち一緒いっしょはじめたさくら花見はなみたのしんでいるにわきつねれてきました。

その様子ようすづくと、きつね人間にんげん姿すがたけ、「ご無沙汰ぶさたしております」と殿様とのさまびかけました。

殿様とのさまは、「そうだな」とい、ゆきと若殿わかとのしめし、「この二人ふたり婚礼こんれいとき、おまえかおには見覚みおぼえがあったがしたが、いつどこでったのかおもせなかった。しかし、おじょうちゃんのはなしいてピンときた。子供こどもごろ親友しんゆういにここにたら、おまえ赤毛あかげ女子おなごともたことがあったな」と、きつね背中せなかかるたたきました。「綺麗きれいなおじょうちゃんがいるな。ここに籠城ろうじょうしたときからずっと。ほとんど一人ひとりごしているようだな。なぜおっとえらんでやらないのだ?」とたずねました。

きつねはしばらくうつむき、「そうわれてみると、狐子ここおっとえらばせたくはありません。ただ、こんなにわかごろから、あねのようにおっといたむようなおもいはさせたくないのです。かるでしょう?」とこたえました。

殿様とのさまは「いいか、おじょうちゃん自身あねもそのことはよくかっているだろう。それに、こいつはへいではないので、いくさぬはずがない」と、家老かろうしめしました。

そのときでした。悲鳴ひめいこえました。

第九十二章だいきゅうじゅうにしょう

ゆきの陣痛じんつう

悲鳴ひめいをあげたのはゆきでした。みなはゆきのほうかえりました。ゆきはおおきくなっているおなかをあてていました。 ゆきのとのりすわっていた若殿わかとのあわててがりました。「ゆき!どうした?大丈夫だいじょうぶか?」と混乱こんらんしたようにきました。 ゆきは、「いたい!おなかいたいの!」とごえこたえました。 若殿わかとのあたりを見回みまわし、「どうすればいい?だれか、医者いしゃを!ゆき、しっかり!」といました。 花見はなみのおやつをくばっていた下女げじょしゃべっていた女将おかみこえをかけました。「殿とのおそれながら、助産婦じょさんぷんだほう適当てきとうでしょう。それは産痛さんつうちがいありません。ゆきさまいたみはおさまりましたか?」とたずねました。ゆきがうなずくと、「お部屋へやにおもどください。にわむのはおずかしいことでしょう。広子ひるこ奇麗きれいぬのをゆきさま部屋へやはこびなさい。かしたお必要ひつようですね」とうと、ゆきのうでって、がらせました。 下女達げじょたち準備じゅんびをしにくと、若殿達わかとのたちはゆきたち一緒いっしょ部屋へやかってきました。しかし、部屋へやいたとき若殿わかとのはいろうとすると、女将おかみは、「これはおんなのことなので、男子禁制だんしきんせいでございます。たと殿とのでも入室にゅうしつはおことわります」とい、ふすまめました。 若殿わかとのあたまのぼったように、「あれはおれつまで、まれるのはおれではないか!」と怒鳴どなり、ふすまやぶれるところでしたが、うしろからだれかがかたきました。かえると、殿様とのさまでした。 「やめろ。無駄むだだ。おまえまれたとき、わしもいまのおまえおなじようにはは一緒いっしょにいたかったができなかった。あいだにわもどり、できるだけ花見はなみたのしもう」と、若殿わかとのうでって、にわれてこうとすると、きつねこえをかけました。「失礼しつれいですが、あとでおはなししましう。だれかにこのことについてらせにってきますから」と、お辞儀じぎをしてからりました。

第九十三章だいきゅうじゅうさんしょう

ゆきの

にわもどると、若殿わかとのはまた花見はなみたのしもうとしましたが、気持きもちがたかぶって、視線しせんさくらよりもついついゆきの部屋へやほうき、無意識むいしきにわのあちこちをあるまわりました。

しばらくしてきつね一人ひとり供人ともびと一緒いっしょもどってきました。供人ともびと殿様達とのさまたち紹介しょうかいしてから、狐達きつねたちはじめました。ちながら、きつね殿様とのさまとの会話かいわつづけました。狐子ここのことを決定けっていすると、二人ふたり狐子こことも若殿わかとの態度たいど活動かつどうたいして論評ろんぴょうはじめました。

ようやく、昼過ひるすぎ、女将おかみにわてきました。「母子共ぼしとも元気げんきでございます。殿とのいまはお嬢様じょうさまをごらんになれます」

若殿わかとのは「女子おなごだ!ちちになった!」とかえしながらしばらくひとからひとへとまわりました。そして、ゆきの部屋へやかってしました。みなすこおくれて若殿わかとのについてきました。

部屋へやでは、やわらかいぬのつつまれたあかぼうが、しあわわそうなみをかべたゆきのむねかれていました。その光景こうけいこわしたくないのか、ふすまわきから若殿わかとのしずかに二人ふたりつめました。

しばらくしてゆきは若殿わかとのけました。「旦那様だんなさまむすめいてやってくださいませんか」とうでのばばしながらやさしくきました。

若殿わかとのすこしためらってから部屋へやはいり、むすめげました。つづいてはいって家老かろうが、「殿との家系図かけいずには、どういうお名前なまえしるしますか」とたずねました。

若殿わかとのはしばらく呆然ぼうぜんとしていましたが、ゆきはすぐにこえをかけました。「さくら。このさくらです」とうと、若殿わかとの名前なまえ含味がんみするかのように「さくら」をかえしてから、「うん。さくらがいい」といました。

殿様とのさまは「見事みごと名前なまえだな。うつくしい孫娘まごむすめ相応ふさわしいんじゃない」と、若殿わかとの背中せなかかるたたきました。

可愛かわいい!つぎいてもいい?」と、さくら狐子ここねんばかり興奮こうふんしました。

そして、きつねがゆきのらない女性じょせいれて枕元まくらもとました。古風こふう着物きもの古風こふう黒髪くろかみうつくしいひとでした。しかし、そのかおには見覚みおぼえがありました。きつねが「ゆき殿どの、こちらは…」と紹介しょうかいはじめると、ゆきはくちはさみました。「まさか、もしかして…おばあさま?いや、ひおばあさまですか?」といながらがりました。

おんなうなずき、やさしく微笑ほほえみました。「はじめまして、ゆきや。きつねたにひめもうします。あまりになが時間じかんきつねたにこもったまま、がままに自分じぶんなやみしかかんがえていなかったのね。おとうとがおまえ活躍かつやくつたえるたびに興味こうふんすこしずつてられたの。ついに、おまえむところだといて、ざるをなかったの」とうと、ゆきをめました。

その抱擁ほうようわると、殿様とのさまこえをかけました。「ところで、狐殿きつねどの狐子ここちゃんと家老殿かろうどの婚礼こんれいゆるしてくれた」

ゆきは、「本当ほんとう?すごい!いつですか?」とうと、かおれんばかりに微笑ほほえみました。

家老かろう狐子ここかおつめながら、「まだめていません。できるだけはやくとおもっています」とこたえました。

きつねは、「ゆき殿どの、ついにしあわせをつけたのですか」ときました。

ゆきが家族かぞく友達とのだち笑顔えがお見回みまわし、「本当ほんとうしあわせですが、まだりないことがあります」とうと、みまはぽかんとゆきをつめました。

若殿わかとのが「いったいなにりないのだ!?」とたずねると、ゆきは若殿わかとのり、かおをまっすぐにながめながら、「子供こどもです。一人子ひとりごでしたので、おおくの子供こどもしいのです。このしろ子供こどもでいっぱいにしたいのです」といました。そして、みまわらいました。

おわり